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黄金の国 短編集

気性難


セルージャは、机の前で頭を抱えていた。
目の前にはブルウズの辞書と、自分の汚い文字で書かれた紙が束になっている。日頃勉強を続けているブルウズの文字ではなく、馴染みのある故郷の文字。バーガトゥイの文字だ。極力丁寧に書いたつもりだが、やはり何度見ても己の字は汚い。
「セルージャ、どう? 進捗状況は」
 煮詰まった頭を抱えていると、部屋の奥から声をかけられた。
「その、一応……」
 セルージャは自信無く答える。慣れない作業に、既に頭は朦朧としていたが、さぼって逃げ出すわけにもいかない。セルージャは今、ブルウズの最高権力者の執務室の片隅で、地味な作業を続けているからだ。進捗確認の声をかけてきた最高権力者は、唸るセルージャを余所に、淡々と己の仕事をしている。
 ――バーガトゥイの文字の、辞典を作ってよ。
 それがこの国の皇帝ミャサから、突然命じられた難題だった。

はじまりはもう、三か月ほど前の事になるだろうか。セルージャはブルウズの皇帝ミャサに、とある協力をした。
セルージャの故郷である西国バーガトゥイが、この国にとんでもない真似をしてくれたのは、記憶に新しい。
式典のさなか、騎士に扮して城に忍び込み、兵士を一人殺害し、要人を連れ去ろうとした――そんな事件は、大陸の東側と西側の戦の火種となるには十分すぎるものだった。
 しかしミャサは、バーガトゥイの切羽詰まった状況に理解を示した――というか、その複雑なお国事情に興味を持ったようで、彼らの蛮行を許した。もちろん、こんな事は一度限りだ、二度目はないという物騒な脅し付きだったが。
バーガトゥイへ親書を送る際、大陸共通文字を使わないバーガトゥイのために、セルージャはミャサの親書を訳す役目を担った。口頭でミャサに読み上げてもらったものを、故郷の文字で書き整えただけなのだが、それは民族学に造詣が深いこの皇帝の知的好奇心に、更なる火をつけてしまったらしい。
もともと西国への興味本位から、ねちっこくセルージャに絡む事が多かったミャサだが、真顔で「辞書作成よろしく」と肩を叩かれた。そのときは冗談だと思っていたのだが、この皇帝は本気だったらしい。
今日の朝、直々に呼び出しを食らったので何事かと思っていたら、この件だった。セルージャの身の上は、全ての者が知っているわけではないため、公に作業するわけにもいかない。なので今は、ミャサの執務室に半ば監禁状態で作業をさせられている。イリダルを始め、仲間たちは同情するような視線で、こちらを見送ってくれた。
しかし当然だが、セルージャは辞書など作った事がない。もともと座学は嫌いだったし、王族として恥ずかしくないよう、それなりに教育は受けていたが、もっぱら野山で家畜の放牧などをやっていた身の上だ。元々好きで学者に片足を突っ込んでいるミャサと、同じことをやれと言われても困る。
それに、ブルウズの文字もまだわからない事が多い。グラースに集中的に鍛えられて、簡単な文章であれば読み書きできるようになったが、まだたどたどしい。物語などを理解するのも、まだ難しい状況だ。ブルウズの人間のための辞書など作れる段階ではない。
「とりあえず、文字を並び順に全部書いてよ。あとは簡単な挨拶文。文法の決まりなんかも、教えてくれたら私がまとめるし」
「え、あ、文法……?」
 ミャサの冷静な言葉に、セルージャは顔を引きつらせた。この男が満足するように、それを説明しきる自信がない。
まさかこの歳になって、こんな事をするとは思わなかった。こんな事なら、幼いときにもっと勉強しておくのだったと今更ながらに思う。額に汗を滲ませながら唸っていると、その姿をちらりと見たミャサが小さく笑った。
「まぁ、あまり君をいじめると、グラースがうるさいからね。いつもむきになって庇うものだから、余計にいじめたくなってしまうのだけど」
「そ、そうですか……?」
 美しい微笑で、そんな返事に困る事を言われても困る。この男は本気なのか冗談で言っているのか、よくわからない事が多い。
とりあえず、人が良さそうに笑いながら平気で嘘がつける男で、なかなか本音は見せてくれない――だが、根はそれほど歪んだ男ではないのだという事を、セルージャはなんとなく理解している。返答に困っていると、ミャサは席を立った。
「どうだろう。少し休憩にしようか? 煮詰まっているところに無理をしても、生産効率が落ちるからね。甘いものでも食べようか。ちょうど貰い物があってね」
(俺はいつ解放されるんだろうか……)
 ミャサの誘いに愛想笑いで頷きながら、セルージャはそんな事を思った。

  
   窓際の客用テーブルで、セルージャはミャサ直々に淹れてもらった茶を口元に運ぶ。今国で流行っているという、鮮やかな琥珀色をしたハーブの茶だ。鼻通りが良くなるようなすっとした香りが特徴で、ミャサが言っていた通り、煮詰まったときの気分転換には良い。この茶を飲むと、この香りが苦手で、いつもこれを渋い顔で飲んでいた男の事を思い出す。
彼は今、城にいない。
「ブルウズの冬はどう?」
 琥珀色の茶を覗き込んでいると、対面に座るミャサに声をかけられた。顔をあげると、彼は少し気遣う様な視線を浮かべていた。
「君のところとは、随分気候が異なるだろう。こちらは少々冬が長いからね。風邪など引かねばよいのだけど」
「体調は大丈夫です。ただ、雪は生まれて初めて見ました」
 セルージャは苦笑する。故郷のバーガトゥイを含む、大陸西側は比較的温暖な気候の地域が多い。東側は寒い、というのは聞いた事があったが、ここまで気候が違うとは正直思わなかった。数週間前からブルウズの気温は極端に冷えこみ、空からは白い雪がちらつくようになった。風も強い。身を斬るような冷たさとはこういう事を言うのだと、セルージャは身を持って体感している。
「まだまだ、冬はこれからだよ。もう一月もすれば、この辺り一帯にも雪が積もる。この辺りは海も近いし、そこまで積もるわけではないけどね」
「へぇ……」
 セルージャは、白い雪に包まれるこの城下の姿を想像して、唸った。寒いのは嫌だが、そんな光景も見てみたい。
「あの、極東地域というのは、ここよりもっと雪深いところなのですよね? 大隊長は、大丈夫なのでしょうか?」
 セルージャはテーブル脇の、窓の外を見つめながら呟く。
空はどすぐろい灰色で、どんよりとした重たい雲が、雪を絶え間なく降らしていた。
グラースが城を離れたのは、もう三日前の事だ。
彼はその、ブルウズでも特に寒さが厳しいと言われる極東地域に向かっている。目的は、その辺り一帯を治める領主の屋敷にある、資料を持ち帰る事だった。
ミャサは現在ウルカ族という、既に滅んだ民族の文字を解読している。ミャサがバーガトゥイを許したのは、この文字の解読に興味が出たからではとも、セルージャは思っている。
ウルカ族は定住地を持たない遊牧民であり、過去にブルウズに徹底的に滅ぼされた歴史を持つ。そのため現存している資料はとても少ないらしく、三か月たっても解読は思う様に進まず、ミャサは若干苛立っていた。
だが手がかりが全くないわけではなく、極東の狩猟民族ツボルフが使っていた古代の文字と、良く似た特徴を持つという事までは判明していた。彼らはその昔、共通の祖先を持っていたらしい。
しかしそのツボルフの民も、もう自分達の古い文字は何代も前から使用しておらず、その血を引くグラースも、読む事はできなかった。
グラースの話によれば、彼が幼い頃にはまだその文字を理解する人間がいたらしい。だがそれはかなり高齢の者に限られていたようだし、その後ツボルフの民は流行り病でかなり数を減らしている。今生き残っている者で、大昔の文字を理解する者はいないだろう、と言っていた。
そんなとき「極東の領主様なら、力になってくれるかも」という情報をくれたのは、城に滞在していた古文学者のユーリだった。
極東の領主の名は、ヴィストーク卿という。
貴族でありながら、その辺り一帯の森に暮らしているツボルフの人間とも、揉める事なく何百年と共存している風変りな一族だという。古書の収集家としても知られており、もともとユーリがグラースと知り合うきっかけになったのも、研究の一環でその領主の屋敷を訪ねようとしたからだ。
 ミャサはさっそくヴィストーク卿に手紙を送り、卿も快諾の返事を送って来た。しかしヴィストーク卿は過去の落馬事故が原因で足が悪く、あまり身軽には動けない身だった。極力自分から届けに上がりたいが、極東も雪深い地域であるため、無理できない。雪解けを待っての対応になりそうだという事だった。
春を待つとすれば、解読に取り掛かれるのは数か月先となる。バーガトゥイの為にこちらが焦る義理はないのだが、いつ解読できるともしれないものだ。ミャサも作業を急ぎたかったのだろう。それならばこちらから取りに伺う、という話になった。 本来であれば、ミャサが直接訪ねたかったらしい。だが皇帝がそうそう城を離れる事はできないし、真冬の旅は危険だ。グラースが「俺が行く」と、自ら名乗り出た。
セルージャも本音を言うのであれば、ついて行ってみたかった。極東といえば、グラースの生まれたあたりだ。深い山岳地帯だというあの男の故郷を、この目で見てみたいと思った。
だが、雪に不慣れな人間を連れて行くわけにはいかないと断られ、それもそうだと、セルージャは大人しく引き下がった。グラースが同伴に選んだのは、隊の中でも雪国出身者ばかりだ。それだけ、厳しい旅となる事が彼にもわかっていたのだろう。
「彼なら大丈夫だよ」
 不安げに、吹雪く外を見つめるセルージャを見て、ミャサは安心させるように笑った。
「元々あの辺りで生まれ育ったのだから、地理も気候も把握しているよ。雪山での進み方も心得ている。この城の誰よりもね」
「……でしょうね」
 ――俺にとっても、捨てた故郷だ。
 頷きながらも、以前グラースがそう言っていたのを思い出す。あのときはこんなかたちで、そう遠くない時期に故郷に舞い戻る事になるなんて、あの男も思っていなかっただろう。
(どんな、気分なのだろう?)
 捨てた、とまで言い切った故郷に帰るというのは。
セルージャのように、帰れば即殺される身というわけではないのだろうが、そう語るあの男の口調には、どこか自嘲と、諦めのよう響きがあった。
ブルウズの人間からは軽んじられ、数少ない同胞には受け入れられない。あの男には、もう居場所はここしかないのかもしれない。自分と、同じように。
「確かに、待つ身というのは誰しも不安だけどね」
 表情の晴れないセルージャを見て、ミャサは一息ついた。
「何事もなければ、もう着いている頃じゃないかな。彼の馬は足が速いし、強靭だ」
「シュヴァンですか? あれは確かに、良い馬だとは思いますが……」
「そうそう。君は確か、故郷では馬の世話もよくしていたと言っていたね?」
「はい。馬の扱いには、それなりに自信があったのですが」
「自信、無くした?」
 ミャサのいたずらっぽい問いに、セルージャは無言で頷く。ミャサはけらけらと笑っていたが、あの馬の事は、思い出すだけでも憂鬱だった。
シュヴァンとは、グラースの愛馬の名だ。この国の古き言葉で「漆黒」を示す言葉らしい。青鹿毛の雄馬であるシュヴァンは、その名にふさわしく黒光りする毛並み、筋骨隆々の立派な体格の、美しい馬だった。
ブルウズ城下の馬屋で生まれたその馬は、代々重ねた血統も申し分なく、戦場を駆け抜けた勇敢な馬の子という事もあり、本来であれば、どこぞの名家に贈られる予定だったという。しかし育ってみると、この馬には重大な欠点がある事がわかった。
――凄まじく、気性が荒かったのである。
郊外の放牧場で飢えた獣に襲われれば逆に蹴り殺し、日頃から世話をする人間にも本気で襲いかかった。常に入れ込み状態で鼻息荒く汗を垂れ流し、殺気に満ち溢れており、経験豊富な馬屋が真面目に「人を食い殺しかねん」と嘆いたというのだから、相当だったらしい。
蹴り癖もそうだが噛み癖も酷く、人の指を噛み切りかけた事は数知れず、貰い手がつかずに馬房で飼い殺し状態になっていたという。
そんな気性の荒い馬がグラースにあてがわれたのは、彼の事をよく思わない者たちによる、半ば嫌がらせだったようだ。
しかしグラースはシュヴァンを「良い馬だ」と一目で気に入り、シュヴァンもまた、周囲の目論見を余所に、あの男をすんなりと受け入れて背に乗せた。互いに奇跡的な相性の良さがあったようだ。
近年は気性もおとなしくなったと言われているが、それはあくまで『以前と比べて』の話であり、基本的にグラースの言う事しか聞かないので、機嫌が悪いときに知らない人間が馴れ馴れしく近寄ると襲われる。
ちなみに以前、馬屋番が誤ってシュヴァンを馬房の外に逃がしまった事があった。
シュヴァンの気性は皆が知るところだったので大騒ぎになったのだが、唯一従わせる事の出来るグラースはその場にいなかったし、周囲の兵たちが恐る恐る取り囲み、馬房に戻る様に誘導しようとしたのだ。
セルージャも、馬飼いの経験があるという事でかり出されたのだが、シュヴァンはセルージャの命令など全く聞かず、小馬鹿にするような様子でセルージャの髪を少々むしり取り、城内をのんびり散策した後、自分で馬房に戻った。こちらがグラースの部下だという事を、シュヴァンも認識していたのだろうか? 
近寄ったこちらに危険な攻撃はしてこなかったが、完全に舐められていた気がする。故郷の森の中で見たときは、とても従順な馬に見えていたので、あんな酷い馬だとは思わなかった。
馬と言うのはもう少し優しい目をしていたと思うのだが、こちらを見下ろすあの無機質な瞳は、今でも忘れられない。
「……でもどうして大隊長には、あそこまで懐くんでしょうか?」
「さぁ。馬が合ったんじゃない? 片方が馬だけに」
「陛下……」
 くだらない洒落を大真面目な顔で言う――セルージャは呆れた顔でミャサを見るが、彼は変わらず真面目な顔をしていた。
「でも何て言うか、似ているじゃない? 互いに同類意識というか、通じ合うところがあったのだろうね。気性が激しくて武闘派なところなんか、そっくりだし」
 ――気性。
 ミャサの半笑いの言葉に、セルージャは考える。
 己の上司であり、今や特別慕っているあの男も、昔は酷かったと散々言われる男だった。今はそう感じないほと落ち着いているのだが、手が付けられないという点では、愛馬と似た者同士だったらしい。
「そんなに、だったのですか? あの男」
「ん?」
 セルージャの問いに、ミャサが目を丸くした。
「いえ。ユーリ先生もモルグ様も、皆あの男の事を昔は酷かった、と言うので。自分は、その時代を知りませんから」
 セルージャが遠慮がちに言えば、ミャサは肩を揺らしながら笑った。
「どうかなぁ。まぁ出会いからしてコレだったし、目が離せなくなるような強烈さはあったけど」
 ミャサは眼帯で隠している左目に触れる。彼の左目は、あの男の手によって潰されたのだと聞く。
だがこの皇帝は、それを恨んでいる様子もない。過去の傷をちらつかせて、グラースを従わせている様子もなかった。
ミャサとグラースは君主と臣下という関係であるが、それ以前に友人とも言える不思議な空気を持っている。ミャサは少々無茶も言えるし、己の素の姿を見せられる相手として、あの男に接している。それはグラースも同じで、こちらが意外だと思うほど、悪態をつきながらもミャサには尽くしていた。
「でも君も、好きものだよね。そんなあの男の事を好いているんでしょう?」
「えっ……」
 唐突に問われて、セルージャは一瞬、どう反応していいのかわからず、言葉に詰まる。はいと言っていいのか、いいえと答えるべきか。
しかし戸惑うセルージャの反応を楽しむように、ミャサは微笑を浮かべていた。
「別に咎めはしないよ。物好きだなとは思うけど」
「……大隊長は、陛下に何か?」
「――別に、何も? ただ彼も君を可愛がるし、君の初心な反応を見ていると、そうなのだろうな、と見ていて薄々感じていた」
「……」
 セルージャは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。色恋沙汰の感情を他人に見透かされた挙句、したり顔で笑われる事ほど、気分の良くないものはない。
セルージャが機嫌を損ねた雰囲気を察したのだろうか。ミャサはこちらを宥めるように苦笑する。
「まぁ、そう不機嫌にならないでおくれよ。別に君をからかうつもりはないんだ。私は嬉しいだけ」
「……嬉しい?」
「あの男にも人並の、そんな気持ちの余裕が出てきたって事でしょう? それは素直に、一人の友人として嬉しいね。それが君だっていうのが予想外だったけど。意外に面食いなのかな、彼は」
 こちらの顔を、覗き込むように観察しながら言うミャサの言葉が意外過ぎて、セルージャは不機嫌も忘れて目を丸くした。
反応に困ってしばらく黙っていると、ミャサはセルージャのカップが空になっているのを見て、手に取り自ら茶を注いでくれた。
「そうだねぇ……あの男の不在中に、こうして君を捕まえて好き勝手遊んでいたと知れたら、また嫌な顔をされるだろうね」
(やはり遊ばれていたのか)
 そんな気はしていた――と、セルージャは脱力した。
辞書を作れというのは真面目な話なのだろうが、グラースが長期間不在で、騎士団長のモルグは現在、行事で多忙。この男も遊び相手がおらず、退屈していたのだろう。周囲に後腐れなく使えるのは、中途半端な立ち位置の自分くらいだ。だがセルージャのそんな思いを余所に、ミャサは機嫌が良さそうだった。
「座学嫌いな君に、随分と無理を言った事だし、そろそろ君の機嫌もとっておかねばね。昔話でもしようか。君が、興味を持てそうなものを」
「昔話……?」
(俺が、興味を持てそうなもの?)
 セルージャがそう小首をかしげると、ミャサは「そう」と、にっこりと笑った。
「とある東の国の、昔話なんかどうだろう? 甘ちゃん坊やと、シュヴァンそっくりな男の話さ」
 ――非常に、ぼやかした言葉だった。
だがセルージャには、誰の事を指しているのか、何となくわかってしまった。
「それは……俺が聞いてもいいものですか?」
「今更遠慮するの? いいよ、他の者が好き勝手言うなら腹も立つけど、当の私が言うんだもの。まぁ興味がないならいいけど」
「いえ、それはもちろん知りたい、聞きたいのですが」
 セルージャは飲みかけた茶を慌てて飲み込んで、思わず前のめりになった。あの男の事を少しでも知りたい、という気持ちはある。
「ただあの男は自分に、昔の事は詳しく喋りたがりませんし、陛下にこうして勝手に聞く事も、あまり良く思わないんじゃないかと……」
 あの男が自分に嫌な顔をしているところを想像すると、なんだか怖いのだ。愛想を尽かされそうで、嫌われそうで。
誰かに嫌われるのが怖いなんて、そんな事で不安になるのは初めてかもしれない。元々国で嫌われ者だった自分にとって、そんなもの恐れる感情ではなかったからだ。こうして、人々と関わり、それなりに親密な感情を持つようになってきて生まれたものだ。
「ふぅん、君は優しいね。私だったら、気になる者の事なんて、どんどん踏み込んで聞くけどね?」
 そんなセルージャに、ミャサは呆れたような、だがどこか感心したような顔をしていた。
「でも大丈夫さ。君は私の、壮大な独り言を聞いただけだから」
「壮大な……ですか?」
「そう。だから君に非はない。だからもしあの男が君に文句を言う様な事があったら、私が一人で勝手に、馬鹿みたいに喋っていたって言えばいいのさ」
 ミャサはにんまりと微笑んで、頬杖をついた。
窓の外では、吹雪が一段と強まった。横殴りの風と雪。窓枠にも、うっすらと雪が積もり始めている。
「……でも陛下は何故、自分にそんな事を教えてくれようとしているのですか?」
「面白いからだよ」
「……?」
「出会って間もない君たちだ。君が、あの男を好いているっていうのもなんだか面白いし、あの男が君を好いているのも面白い。荒くれ者のグラースとシュヴァンが一目で意気投合したみたいに、相性的なのもあったのだろうけどね。だから下世話な私は、君の知らない彼の事を、つい教えたくなってしまう。嫌な友人だろう?」
「はぁ」
 セルージャは曖昧に頷いた。よくわからないが、ミャサは非常に生き生きと、楽しそうにしている。
(友と言うより、悪友って言葉が似合うな)
 若くして大国の統治者となったこの男が、過去に親身に付き合える友人を欲していたとは聞いた事があるが、彼らの関係は美しいだけの「友」ではないような気がする。
いろいろと、えげつないものも込められた上での「友」だ。
 だが、この男が自分などにそんな昔の事を話す気になったのは、この男も、グラースの身を案じているからなのだろう、とセルージャは思う。不安に思う心を、喋る事で少々紛らわしたい気分なのだ。
「まぁ、そんな私の事はいいよ」
 セルージャのそんな思いを余所に、ミャサは椅子の背もたれに体を預け、一息ついた。
「……私が元々皇位継承の末席にいた事も、当時この国で酷い病が蔓延したことも、君は知っているよね」
 セルージャが黙って頷くと、ミャサも小さく頷いた。
「あの男と初めて会ったのは、私が急遽即位してから一か月も経たない頃だった。――当時、ブルウズの状況は酷くてね。流行り病が治まりかけたと思ったら、今度は不満を募らせた民が国に向けて蜂起した。城下も郊外も、酷く荒れていたね。人の心も、みな荒んでいた」
 ミャサの深い藍色の、一つ残された瞳は、窓枠のさらに向こう――吹き付ける吹雪ではなく、時間を越えたもっと遠いところを見つめているようだった。
暖炉の薪が、ぱちりと弾けた音が、静かな部屋の中に響いた。
(本文に続く)