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檻の中のカラスと孔雀

23:猛禽、怒る


 飛び出したアルノリトは、小さな体で力いっぱいハンスを睨んでいた。
 頭の金髪に交じる小さな青い羽が、一枚一枚、興奮で立っているのがわかる。
「……おい」
 追いついたテオドールは諫めるようにアルノリトの肩を引くが、唸っているアルノリトは戻る気はないらしい。
 玄関前に立つハンスは、突然現れて叫んだこの屋敷のご当主に、一瞬驚いたように目を丸くしたが、怯えることも慌てることもせず、静かに目を細めて、ぷるぷると震えながら仁王立ちしているその存在を見つめていた。
 ──噂の子供はこれか、と思っているような視線だった。
 対してアルノリトは、そこまで傍若無人で気が強いわけでもなく、どちらかと言えば周りの大人の反応を非常に気にする子供である。
 衝動に任せて言ってみたはいいものの、周囲がじっと、呆然とした瞳で自分を見上げている光景に気付いて、どんどん気まずくなってきたらしい。
「……」
 アルノリトはこちらの顔を不安そうに見上げたあと、眉を寄せながらテオドールの足にしがみついてきた。泣き出しそうな顔をしている。
「……ハンス様」
 気まずい空気を破ったのは、その子供に庇われたキールだった。眉を寄せて、ハンスを横目で睨む。
「貴方様にも言い分はあると思います、が……ここは一旦、押さえて頂けませんか」
「わかっている」
 重苦しい表情で、ハンスは息をついた。その顔には、先ほどまでの知的な、年齢に似合わぬ落ち着きが戻っている。
「……すまない。つい熱くなってしまった」
「いえ」
 キールに頭を下げると、ハンスは階段の方に向き直り、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ご当主。夜分にお騒がせして、申し訳ない」
「……」
 ハンスはアルノリトに向かってそう詫びたが、アルノリトはテオドールの足にしがみ付いて後ろに隠れてしまい、出てこようとはしなかった。
「……ご当主はご機嫌斜めだ。ハンス、お前がキールをいじめるからだぞ」
 イラリオンがガキ大将のように意地悪く目を細め、腕を組みつつハンスを見下ろした。
「で? どうするんだお前。お前は俺を探しに来たんだろう? そのために森に入りたくて、キールに頭下げに来たんだろうが。俺はあっさり見つかったが、ここからどうするんだ?」
「連れ帰ります」
「俺が嫌、って言ったら?」
「少々荒っぽい方法を取るかもしれません」
「はぁん……」
 イラリオンの表情は、歪む。美麗な顔をしているくせに、よくここまで嫌味な顔ができるな──というような顔だった。
「そんな強気なこと言ってさぁ。お前も俺と同じ立場にある癖に、勝手にへりくだって、面倒ごとから逃げてるだけのくせに」
「そのようなことはございません」
 ハンスは冷静に、イラリオンに頭を下げた。
「私は、殿下と同等ではない」
「それでも悲しいかな、もとの子種は一緒なんだよね」
 イラリオンは鼻で笑った。
「……自分の母親とお前の立場を卑下するなよ。それに、あの場に呼ばれた時点で、親父はお前の存在を頭数に入れてた。そこを忘れるな」
「それでも陛下は、私の名を呼ぶことはなかったでしょう」
「親父の頭の中と、お前の思い込みなんて知らんよ。……それにしても、俺らの親父とは、最後の最後まで責任を取らない男だな。いろんな面倒ごとばかり、この世に残していくつもりだ。散々ひっかきまわして、あとはお前らでどうにかしろとばかりに、さっさと逝く」
「殿下……」
 自由な言動をするイラリオンに、ハンスは諫めるような視線を向ける。
「そのようなことを口にするべきではない。まだ陛下が、命を落とすとは決まったわけではありません」
「──死ぬだろ? いい子に建前言ってる場合かよ」
 イラリオンの声は、冷え切っていた。
「だから周りのもんが血相変えて、ばたばた走り回ってるわけだ。あの人は、あの世で捨てた女に、寄ってたかって縊り殺されればいいんだよ」
 そう語るイラリオンの顔は、それを楽しいことの様に笑っていた。
(父親を、そこまで憎めるものか)
 そういうものなのだろうか──とテオドールは、そばで笑うイラリオンを見ながら、内心困惑していた。
 言い過ぎだろうという気持ちもあったが、彼の父が度を越した色狂いであったことは散々聞いているし、寵姫の子であった彼も、父の心変わりという裏切りを受けて、随分と酷い目にあったとも聞いている。話を聞くだけで、嫌悪感を抱くほどだった。
 だがテオドールは、父というものがどういうものなのか、正直よくわからないままでいる。兄が父替わりをしてくれていたが、それとは違うものなのだろうか。だから自分がもし親となったとき、どういう態度を取ればいいのか、今まで上手く想像できない部分があった。
(でも)
 テオドールは、階段の上と下から、穏やかではない空気で語り合う男二人を見つめる。
 早くに親を亡くし、両親の顔を知らないまま兄夫婦に育てられた自分は、周りから同情を受けることがあった。だが兄夫婦は本当によくしてくれたし、邪険にされた記憶もない。同情されるたびに、それは違うと、ひそかに心の中で反発を持った。
(それでもこの人たちは、著名な男を父に持って、母の顔も知らないわけではなくて)
 食うに困らない生活をして、ある種の特殊な階級に生きているはずなのに──全く幸せそうには見えないではないか。
「……おじさん」
 そのときアルノリトが、テオドールの足にしがみつき、後ろに隠れるようにしながら、イラリオンに控えめに声をかけた。
「ん?」
 それまで嫌な顔で笑っていたイラリオンは、子供の声に、素の顔で振り向いた。
「おじさんのパパ、もうすぐ死ぬの? ……おじさんは、僕のお兄さんってほんと? あのおじさんも、僕のお兄さん? ……僕のパパ、まだ、いるの?」
 黄緑色の瞳を丸くして、恐る恐る、だが興味いっぱいに、アルノリトは声を出した。
「僕も、会いたい」
「いけません!」
 イラリオンが何かを言う前にそう叫んだのは、キールだった。突然の大声に、アルノリトは驚いたように、びくんと体を揺らす。
 キールは階下から、こちらを睨んでいた。
「それはいけません。ご当主は、こちらにいる決まりだと前の人も言っていたでしょう」
「……なんで?」
 いつもは、叱られればすぐにしょぼくれて大人しくなるアルノリトだったが、今回は引かなかった。
「なんで、僕だけここにいなきゃいけないの。なんで僕だけ他の人と違うの? なんで本当のパパと会っちゃいけないの。なんでみんな、何も教えてくれないの」
 アルノリトは涙目だった。テオドールの足にしがみ付く小さな手も声も、震えていた。
「なんでキールは、僕に本当のこと言ってくれないの? 僕の事……嫌いなの? 嫌いだから閉じ込めるの?」
「……」
 涙目の問いに、キールは何も答えられなかった。悔しそうに唇を噛み、拳を握りしめ、視線をそらしてしまう。
 そんなキールを見て、アルノリトの顔が歪む。目からぼろぼろと、大粒の涙がこぼれだした。
「もういい……」
 アルノリトは泣きながら、二階の子供部屋へと駆けこんでしまった。ばたんと乱暴に扉が閉まる。
 テオドールはとっさに後を追いかけたが、ドアノブが回らない。
 多分、内側からアルノリトが渾身の力で押さえている。子供の力なので、こちらが力いっぱいこじ開ければ扉は開くのだと思うが、中からかすかに聞こえる泣き声と、この子供の見たことのないような抵抗を思うと、テオドールは無理に開けることができなかった。
 ──なんで。
 そんな些細な子供の疑問に、自分たちは答える言葉を何一つ持っていない。いや、答えたくないのだと言うべきか──。
 テオドールは息を吐いて、ドアノブから手を離した。
「ご当主……」
 キールも二階に上がってきた。だが子供部屋の前に、立つこともできないようだった。
 今この男には、気まずさがある。
 憎しみも、ないわけではない。しかし、共に暮らすうちに生まれた愛しさもある。だが嫌いなのかと問われれば、とっさに否定もできない──キールの心情は、今一言で言い表すことができないくらい、乱れているようだった。
「……一回会わせるくらい、してやれば?」
 そんなキールの背中に、イラリオンはそっけなく言葉をぶつけた。
「あなたは本当に……無責任なことをおっしゃる」
 キールはそれを睨み返した。だがイラリオンは涼しい顔で、それを受け止める。
「どうせ、親父はもうすぐ死ぬわけだ。たまに目くらい開けるが、喋ることもできないわけだから、あの子見て、なんも言う事ねぇさ」
「殿下はやけに、ご当主の肩を持つ」
「そりゃ、一応……弟になるようだし?」
 イラリオンは、鼻で笑う。
「それに、お前には悪いが……気持ちがわかってしまうところもあるんだよね。大人の顔色見て、ずっといい子にしてさぁ。なのに周りには腫物扱いされて。ありゃ、将来歪むぜ。いつか俺みたいに全部どうでもよくなる──なぁハンス?」
 イラリオンは、無言で二階に上がってきたハンスに、振り向きもせず声をかけた。
「……私から申し上げることは、なにもありませんので」
「はぁん。面白くない奴」
 イラリオンは舌打ちしつつ、ハンスをちらりと振り返った。
「まぁ……本意ではないが、城には、戻ってやってもいいぞ。あとの事は知らん。後継のことも、俺から直接口出すつもりはない」
「……」
 ハンスはわずかに眉を寄せた。
「……よろしいのですか?」
「戻らにゃ乱暴な手段に出るって言ってただろうが。ここに長いこといれるとも思ってねーよ。あーあ、短い人生の休暇だったな」
「満喫されたのであれば私としても幸いです……それで、戻るにあたっての条件は」
「さすが。お前は気色悪いくらい、俺の事に関しての察しがよいな」
「ありがとうございます」
「別に、褒めてないがな。どっちかって言えば、気味悪く思ってるよ」
 イラリオンは疲れたように、ため息をついた。
「こんな豪勢な館、一軒建ててやるくらい入れ込んだ女の子供だ。いまわの際に会わせてやるくらいの嫌がらせがあってもいいだろ。アルノリトと一緒だったら、戻ってやってもいい」
「……」
 ハンスは、さすがに即答はしなかった。キールも眉を寄せたまま、イラリオンを睨んでいる。
「俺らにとってはくそおやじだが、あの子にとっちゃ、会ったこともない憧れのパパなんだろ? ……それに、ずっと俺らの都合の良いように、あの子を制御できると思ってんのかよ。考える頭があって、動く足もある。育てば、もっと知恵がつく。俺らがいいように、誤魔化せば誤魔化すだけ、それがばれたときの反動ってのはでかいんだよ」
 イラリオンは笑いながら、己のこめかみを押さえて見せた。
(まぁ、言いたいことはわかる、わかるが──)
 テオドールはあからさまに、大きなため息をついた。
「話の腰を折って申し訳ない。……あなた方に、俺からこういうことを言うのは、失礼だとは承知の上なんですが」
 ぼそりとつぶやいた言葉に、その場にいた三人が、テオドールにちらりと、怪訝な視線を向ける。
「会議するなら、よそでやってくれませんか。……泣いてる子供の前で、つらつらと喋る話でもない」
 思ったよりも、きつめの声が出てしまった。

(続く)