檻の中のカラスと孔雀
23:猛禽、夜の散歩
(……とは言ったものの)
さてどうしようか、とテオドールは子供部屋の前の廊下に座り込み、考えていた。
キールを含む三人には、とりあえず一階の客間で話をしてもらうことにした。
この国の行く末がどうとか後継がどうとか、そのあたりのことに、テオドールは正直興味がない。イラリオンとはそれなりに話をしたし、こちらの身の上を知っても呑気に話をしてくれる気さくな男ではあるので、あまり危険な目には合ってほしくないとは思っているが、それを騎士に交じって議論する立場に、自分はない。
(……なんで俺が、こんなところにいるんだろうな)
思わずそんなことまで考えてしまうくらい、不思議だった。今階下には、この国を治めている皇帝陛下の子息が、二人もいる。
(いや、アルノリトを含めれば三人、か)
テオドールは、籠城中の子供部屋の扉に、ちらりと視線を向けた。
買われてこの地に来てから折檻を受けたりしたこともなく、案外平穏に暮らしていたが、この状況は過酷な農地で働かされたり、娼館に売り飛ばされることと、どちらがよいのだろうか。
ふと、一緒に市場に並んだ見た目麗しい女性と、少年たちの姿を思い出す。名も知らない相手で言葉を交わすこともなかったが、先に裕福そうな者たちに買われていった彼らは、今頃どんな人生を歩んでいるのだろう。
──人生を呪っているだろうか?
(俺は別に、呪っちゃいないんだが)
そこまでは腐っていないが、いろいろ余計なことを考えることが増えたなと、内心ため息をついた。
故郷にいるときは、ここまで考えて生きていなかった。頭を使っていなかったんだなと思うと、笑ってしまう。しかし考えたところで、今の自分の身では何一つできないのだということが、無様で余計に笑いが出る。
(本当はキールも、俺がお前呼ばわりできるような男じゃないんだろうが)
床にあぐらをかいたまま、テオドールは目を閉じた。
家柄と品格と実力。そのどれもがあり周囲に認められているから、あの若さでああいった面々と、堂々と接することができるのだろう。
もし──故郷で何事もなく接する機会があったとしても、自分は平身低頭、接しなければならない立場だったはずだ。国は違うが──同じ目線で話せるわけがない。
別に、そこに劣等感なんてないのだ。
彼らと自分たちは、この世での役割が違う。全く異なる世界を生きる人間、ということだけだ。羨ましいだなんて、思ったこともない。
しかしここに来たとき、テオドールは屈辱ではらわたが煮えくりかえっていたので、明らかに年下であろう男を、お前呼ばわりした。状況に屈してなるものか、という負けん気だけが自分を支えていた。周囲から見れば、ちっぽけで、檻に入れられた、怯える野良犬の虚勢だっただろう。
だがあの若い騎士は、そんな自分を高圧的に押さえつけようともしなかった。
アルノリトの手前というのもあったのかもしれないが、苛立つことも、許してくれていたような気がする。攻撃的な態度の自分の事も、仕方ないと理解しようとしてくれていた。
(とことん、あいつは裏の仕事には向かないな)
アルノリトの言葉に言いわけすることもできず、黙り込んでしまったキールの姿を思い出す。
あの男は若く、正直だ。嘘をつき、人を欺き生きていくには、まだ汚れ方が足りない。
(あまり気負わなきゃいいが……とは思っても無理なんだろうな)
テオドールは再び、ため息をつく。
そのとき腕にもふりとした感触を感じて目を開ければ、音もなく舞い降りたマキーラが、自分に引っ付くようにして寄り添っていた。
「……お前もアルノリトが心配か?」
テオドールは苦笑しながら声をかける。先ほどの人間たちのやり取りを、この鷹は少し高い場所から見下ろしていた。
「くだらない、とか思ったか?」
鷹の背を撫でつつ、テオドールは優しく言う。マキーラは答えないが、くるりとこちらを見上げて来た。妙にくりくりとした目をしていて、大きく鋭い爪を持つ猛禽だというのに、可愛らしいとすら思う。頭をなでてやると、嬉しそうに目を細めた。手を止めると、ぐいぐいと体を押し付けてくる。もっと、と催促されている。それがわかるので、テオドールは笑いながら、マキーラが満足するまで体を撫でてやった。
「お前は、何を考えているんだろうな」
その頭の中を覗いてみたい、と思うことがある。自分の身には余るような、純粋な信頼と好意を向けてくるこの鷹。生涯一人の相方が、自分なんかで良かったのか──人の様にくだらない悩みを抱えていなければ良いが、と思う。
撫でられて満足したらしいマキーラは、高い声で、子供部屋の扉に向かって鳴いた。マキーラの言葉はテオドールにはわからないが、素直に「出てこい」と言っているようにも聞こえた。
「……アルノリト」
テオドールも、そばの子供部屋の扉に向けて声をかけた。泣いている声は聞こえなくなったが、眠ってしまったとも、テオドールは思えなかった。扉の向こうに、身を潜めているような、かすかな気配があるからだ。無理やり押し開けるような真似はしたくない。
「聞こえてるなら、扉を開けてくれないか。今ここには、俺とマキーラしかいないから」
極力、穏やかな声で問いかける。返答はなかったが、しばらくして、ゆっくりと扉が、ほんの少しだけ開く。
「……」
アルノリトがばつが悪そうに、泣きはらした目のまま、隙間からこちらを見ていた。
「……怒ってる?」
泣きすぎてかすれた声は、不安そうだった。
「怒ってないから、おいで。ほかの人は、みんな下にいるから」
「……」
手招きをすれば、アルノリトは控えめに開けた扉の隙間から、そろりそろりと出てきた。しばらく考えるようにテオドールの前に立ち尽くしていたが、鼻をすすりつつ、抱きついてきた。
「うぇぇ……」
泣いているのか唸っているのか、よくわからない。だがまだ顔面は湿っているので、泣きの延長ではあるらしい。
「もう泣くなよ……」
テオドールも困りつつ小さな背を撫でたが、なぜか撫でると余計に、しゃくりあげて泣く。
(あ、これはまずい)
弱ったな、と思った。機嫌よくなれとまでは言わないが、泣き止んでもらうにはどうしたらいいのか。アルノリト自身も興奮していて、どうしたらいいのか自分でもわからないらしい。寝るどころではなさそうだ。
(こういうとき、どうしてるんだろうなー、人の親は)
テオドールは眉を寄せて考えた。
子供というのは、相変わらずどうやって扱えばいいのか、テオドールにはよくわからない生き物だ。
(そういえば、夜泣きの子供がいる家で……)
ふと思い出す。近所の、生まれたばかりの子供がいる家庭で、真夜中に赤ん坊が泣き止まないときは、母親が外に連れ出してあやしていたような──。
ちらり、と廊下の窓の外に視線を向ける。霧雨のように降り続いていた雨は、今は止んだらしい。まんまるとした月が、分厚い雲の隙間から顔を出している。
子供にも、気分転換は大事かもしれない。
「……散歩でも行くか?」
「さんぽ?」
テオドールの呟きに、アルノリトはきょとんとした瞳を向ける。
「そう遠くに行くわけじゃないけどな。いつもの散歩道を、眠くなるまでぶらぶらしてみるのはどうだ」
「……」
アルノリトはしばらく考えていたが、こくりと頷いた。
マキーラを肩に乗せ、アルノリトの手を引いて階段を降り、玄関の前まで来たところで、客間からこちらの様子を見に来た人影があった。
「……こんな時間に、どこへ行くんですか」
階段を降りる気配を察したのかもしれない。キールの声は、こちらを責めるものではなかったが、声は小さい。顔が、すっかり疲れているのがわかる。
「散歩。ただの気晴らしだ。遠くには行かん」
ドアノブに手をかけつつそう答えれば、こちらの手をぎゅっと握っていたアルノリトが手を離し、キールの前に恐る恐るといった様子で立った。
「……ごめんなさい」
アルノリトは消え入りそうな声で、そう呟く。白い寝間着をまとい縮こまった背が、ぷるぷると震えていた。
「もう勝手に、あんなことしない。あんなこと言わないから。ごめんなさい……」
キールは、泣きながら謝るアルノリトに、一瞬目を丸くした。もしかすると、攻撃的に責められると思っていたのかもしれない。
「……ご当主が謝ることなんて、ないんですよ。悪いのは、私です」
一瞬視線を伏せると、キールはべそべそ泣いているアルノリトの前に膝をついて、その顔を見上げた。
「私がハンス様に責められていると感じて、黙っていられなくて、怒ってくださったのでしょう?」
アルノリトは答えなかった。鼻をすする音しかしない。
「……ありがとうございます」
キールの苦笑交じりの感謝に、アルノリトは首を横に振った。
「ご当主が私に言ったことは、もっともですよ。何も答えられず……本当に、申し訳ありません」
キールは深々と、頭を下げた。アルノリトは、泣き顔のままそれを見つめている。
「いつか、お話しする日は来ると思います。今は言えないことを、許してください。そのときは……私はご当主の気持ちもうっぷんもすべて、受け止めるようにしますから」
「そんな難しいことはいいの」
アルノリトはそう呟くと、テオドールのところまでやってきて、再びこちらの手を握り、キールを振り返った。
「僕は、みんなともっと仲良くしたいの」
「……」
キールは視線を上げた。テオドールとも一瞬視線が合う。膝をついた騎士は、胸の奥までえぐられたような顔をしていた。だがそれをかき消すように、目を伏せる。
「……森の奥までは、入らないでくださいね」
キールはそう微笑みながら、立ち上がった。
「ハンス様の部隊がいる。進んで害はなさないでしょうが……すべての方が好意的とは限りませんから」
「わかってる」
テオドールは頷き、アルノリトの手を引いて、外に出た。
「……キールは僕の事、嫌いなの?」
外に出て石畳の前に立ち、重い扉を閉めたところで、アルノリトは不安そうに、こちらを見上げて来た。
「好きか嫌いか……簡単に言えないこともあるんだよ」
「嫌いなの?」
「だから、嫌いじゃない。あいつはいつも、お前を気遣っているよ」
乱れた金髪を整えるように撫でてやると、アルノリトはぽすんと、テオドールの足にしがみついてきた。
「でも事情があるんだ。簡単には言えない事情。でもあいつがあそこまで言うんだから、心底嫌ってるわけじゃないんだよ。悪いって思ってるのも本当。お前がもっと大人になったら、言ってくれるよ」
「……うん」
こちらに引っ付きながら、アルノリトも頷く。
「テオドールは、キールの事、好き?」
「嫌いじゃないぞ」
「それって、好きってこと?」
「うーん……」
苦笑いしながら、テオドールは答えた。理解者で好青年だとは思っているが、好きか嫌いかは、あまり考えたこともない。
「……そうだな。まぁ、いろいろ出会ってきた人の中では、好きなほう」
「僕も二人とも好き!」
アルノリトはにこりと笑いかけてきた。その笑顔があまりに無垢だったので、テオドールも素直に、頷いた。
(続く)