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檻の中のカラスと孔雀

閑話:レターセットは使わない


 ──私的な手紙は書かない。
 別に、それを禁じられているわけではなかった。中身を確かめられるのは仕方のないこととしても、書いた手紙はあっさりと、目的の場所に届けてもらえるはずだった。
 実際、この任を任せられることが決まったとき、悲観した母親から、分厚く束ねられた封筒と便箋を手渡されている。
 だがキールは、それを受け取ったものの、自分は手紙を書かないだろう──と思っていた。

 週に一度、報告がてらに外部には出ることはできる。そのときに肉親とも、会おうと思えば会うことができる。
 檻の中に閉じ込められたわけでもないのだから、それくらいの自由は与えられていた。
 深い森の中では、開いた時間に何をするのも自由だ。
 日々の記録として文章を書くことも、ほこりをかぶった本棚の古書を、右上から順番に読んでいくことも、部屋の中で無気力に、朝日が昇って日没までの、 その一連の流れをぼんやり眺めることも──。
 しかし本棚の本は三日で読みつくした。最初は緊張と警戒を感じた薄暗い屋敷の中も、次第に慣れた。
 一番警戒していたこの屋敷の主でもある『子供』は、こちらの到着を歓迎した。
 ──前の人よりずっと若いね。仲良くしてね!
 そう、にこりと邪気なく微笑まれて、どのように距離を取って生活しようかと、頭の中で立てていた計画が、その通りにはいきそうにないことも理解した。
 屋敷は不気味だ。掃除が行き届いておらず、一部の部屋は廃屋のような有様。だがそこに暮らす父の命を奪ったはずの子供は、とても大人しくひっそりと暮らしていた。人を殺しそうな気配など、微塵もない。
 拍子抜けしつつも肩の力が抜けてきた頃──暇だ、と気付いた。
 (でも……手紙は書かない)
 暇つぶしの選択肢として、それはない。母からもらった便箋と封筒は、捨てられずにまだ手元にあるが、書こうという気にはならないのだ。
 (あの人の手紙の印象が、生々しかったのだろうな)
 書斎の机の引き出しに入れっぱなしになっている、真新しい便箋の束を眺めつつ、キールは思う。
 幼いころ、この屋敷に戻った父の部下──確かに親しい間柄ではあったが、そんな男がなぜか自分に寄こした手紙の印象は、未だに強い。
 この屋敷で起こったこと、生まれてしまった子供の、観察記録。  そんなことがしたためられた手紙の文字は次第に崩れ、文法も乱れ、誤字ばかりとなり、最終的には呪いと罵声の羅列になっていたあの手紙。一人の人間が壊れていく歴史だった。
(自分があんな手紙を書く日が来るとは──思いたくない)
 だから身内に、手紙を書きたくなかった。
 たまに外に出ても、こんな任務についていると周囲も知っているからか、かつての騎士仲間たちは妙によそよそしい。みんな、キールの事は心配はすれど、 いざ自分の身にそれが降りかかってくるのは嫌なのだろう。
 自分の心を周囲に打ち明け辛い、というのは、思った以上に苦痛だった。
 しかもこの任務に、期限はない。いつ終わるのかもわからないようなこの延々とした時間を、あの無邪気に懐いてくる不気味な子供と一緒に過ごすのか。
 狂うのも致し方ない──そんなことを考え始めた長雨の季節。
 終わりの見えない生活の中に、一人の男が加わった。

 早朝に起きて、近くの井戸で顔を洗い、必ず剣の素振りをする。それは昔からの習慣で、崩したくないことだった。
 それらを終えて裏口から屋敷に入ろうとすると、砂利と蜘蛛の巣だらけの客間の方から、ガタゴトと家具を動かすような音がした。
(また朝っぱらから……)
 元気な人だな、と呆れ半分で、キールは客間を覗く。
 客間の奥で、動く人影があった。この屋敷の主である『子供』より、大きな人影だ。
 少々浅黒い肌、硬そうな黒髪。
 男はそこまで大柄というわけではなかったが、肉体労働者らしく、体つきはしっかりしていた。あえて鍛えていたわけではない、日々の生活の中で出来上がった体だろう。
「……何か用か」
 しばらく見ていると、そう男が、こちらを振り向きながら言った。
 全く愛想のかけらもない声だ。左目の目の際に、赤い入れ墨がちらりと見える。成人祝いのまじないらしいが──この辺りでは見ない風習だった。
「……いえ。朝から頑張っていらっしゃるな、と」
 そう言えば、男は鼻で笑った後、無言で作業を再開した。客間のソファをどかして、その下に溜まりにたまった砂利を掃除しているらしい。
「朝飯は台所」
 男は、今度は振り向きもせずそう言った。手を止める様子はない。
(なんていうのか……まめな人ではあるんだろうな)
 キールは男の作業を、黙って見つめていた。
 男の名はテオドールという。数日前に、市場で定期的に開かれる奴隷市に並んでいた男だ。
 若くて健康そうなだけで、別に目玉のように扱われていたわけでもない。見るからに反抗的な男だったので敬遠されたのか、なかなか売れず市場を転々としたようだ。
 国が富み民も裕福になると、変わった動物を飼いたがる。訪れた市場には初めて見るような、南国の極彩色の鳥も売られていた。確か孔雀──といったか。
 この国の人間は数年前から、そういった珍しい動物の他に、人間までも売買するようになった。
 それらは決まって、他国の人間だ。歯向かうことも考えられない様な僻地の集落を襲い、遠いこの国まで船で連れてくる。
 売られた奴隷は、下働きのような扱いを受けるならまだいい。娼館にでも売り飛ばされれば、目も当てられないような扱いをされることが多い。
 この国でそれは「合法」ではあるのだが、キールはあまり好きではない。
 親しい人間が、そういった人間を心底馬鹿にし、酷い扱いをしているところを見たとき、凄まじく醜い顔をしていたので──人は、見下す人間相手には、あそこまで横暴になれるのか、と思った。
 人の嫌な部分を見た気持ちだった。
 だから奴隷市なんて場所、行きたくはなかったのだ。そういった顔がごろごろしているから。
 なのに、この屋敷の主である子供が、そこに行きたい、とすさまじく駄々をこねた。それまで良家のご子息の様に行儀よく大人しく、自分に対してわがままも言わなかったのに、だ。
 ──今日じゃないと駄目なの!
 そう言って朝から晩まで半泣きでまとわりつかれてごねられた結果、キールも折れた。というか自分の心が折れそうになった。元々あまり、子供の相手もしたことがない。
 というわけで、仕方なく市場に行ってみれば、子供は迷う様子もなくこの男のところに行き、買うと言い出した。
 ──マキーラと約束したの。僕があの人を助けてあげるの。
 キールにはよくわからないことだったが──どうやら数日前この地に飛来し、親しくなった大型の鷹と、そんな約束をしていたらしい。鷹は男が飼っていたもので、 男は故郷では、高匠だったらしいのだ。鳥と当たり前のように意思疎通をするこの子供は、やはり人ではないのだな──と改めて感じた。

 そんな経緯でここに来たこの男は、変わらず愛想もなく、こちらに対する敵意も隠そうとはしない。
 しかし、働き者ではあった。長い間、掃除もろくにされずにいたこの屋敷は幽霊屋敷のような有様だったが、こうして黙々と掃除を行う。
 気が付けば三食、食事の用意はしてある。芋を煮るくらいしか能がなかった自分とは違い、森の山菜や獲物たちで、器用に食べ応えのある食事も作ってくれる。
 粗野な見た目と態度の割に、家事を含めた生活能力のある男だった。
(これでなー……もうちょっと愛想の良い人だったら)
 まだ良かったのに、とキールは思った。
 年齢もそこまで離れていないようだし、よい話し相手になったかもしれないのに──とは思うが、言っても仕方のないことだと、キールも理解している。
 この男の中には、まだふつふつと燃える怒りがある。
 話を聞くに、同じくこの国に奴隷として連れてこられたであろう家族を探しているらしい。
 自分がこの男の立場だったら、相手に怒らない理由などない。純粋に気の毒だとも思ったし、このそっけない男が家族を大事にしている、というのが意外だった。
 だから干渉しすぎかと思ったが、自分が多少楽をさせてもらう代わりに、この男の家族を探す、という取引をした。
 しかしキールも、そう外には出られない。
 あくまで個人的な依頼として──騎士団の人探しが得意な層に、手紙を書いた。
(あのときの封筒と便箋が、こんなところで役に立つとは)
 書かない──そんな誓いを苦々しく思いながら、封をする。
 別に重要人物でもなく、自分が追うべき人物でもなく、ただ善意と成り行きの、人探し。
 おかしなことは書いていないつもりだが、どうだろうか。ただ要件を伝えて手紙を渡すと、担当者は怪訝な顔をした。
 この任に就くまで、そういうことをする男にも見えなかった──と言われた。それを聞いて、キールは笑ってしまった。
(仕事だけの冷たい男に見えていたのか。それとも)
 ついにおかしくなって、酔狂な真似に走っているように見えたのか。一人でいると、その兆候に気付けないのが辛い。
 キールはしばらく考えて、テオドールの背に声をかける。
「……朝食、ありがとうございます。私も茶くらいなら淹れられますから、あとで休憩がてら、ご一緒しませんか」
「……」
 男はちらりとこちらを向いた。だが睨むような表情には、やはり愛想のかけらもない。
「気が向けば、でいいですから」
 キールは小さく笑って、客間の前を通り過ぎる。
 別に、この男が来なくたっていい。敵意と警戒の視線で見られたところで、別にいい。どうせこの男も逃げ場がない。そして自分も、性懲りもなく話しかけるのだろう。
 ──話し相手が欲しいから。

(続く)