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檻の中のカラスと孔雀

27:猛禽と、二度目の馬車


 がたがたと、小刻みに馬車は揺れる。
 テオドールは、馬車に乗ったのは人生で二度目だった。
 一度目はこの地に来て、市場からこの森に来たときのこと。荷馬車の荷台で、鎖に繋がれたまま、空を見上げるしかなかった。
 今回乗せられた馬車はまた異なるもので、出入口のついた箱のような構造をしている。中は毛足の短いビロードのような肌触りの、柔らかい上等な赤い椅子。対面で座れるようになっており、おそらく上流階級の者が移動に使うのだろう──という雰囲気がした。高級な雰囲気に、テオドールは落ち着かない。
 アルノリトは隣で、側面の小さな窓にはりつくようにして、外の様子を興味津々、という様子で眺めていた。今日は初めて出会ったときのように、体をすっぽり覆い隠すような、長いローブを羽織っている。
 対面に座っているキールも騎士団の正装で、長剣を肩に抱き、気難しそうな顔をしていた。
 馬車の周囲は、馬に乗ったハンスの部下である騎士たちに囲まれている。行列の先頭にはおそらく、イラリオンとハンスがいるはず。マキーラは……おそらく馬車の上に乗っている。今頃は風見鶏のように、周囲を睨んでいることだろう。
(ちゃんと、帰って来られるんだろうか)
 今まで過ごしていたのは、不気味な逸話の残る森と、痛んだ屋敷。それなのに、またあそこに戻りたいと思う自分が不思議だった。

 この国の人間の決め事に関わる義理はないはずで、彼らのお家騒動なんてそれこそ興味もなくて、自分なんかがその場に行ったところで、場違いなのは目に見えていて──最初はやはり、留守番しようと思っていた。
「お前のお父様に会いに行こうか」
 イラリオンにそう声をかけられて、キールも渋々ながら許可を出すのを見て、アルノリトは元気にはしゃいでいたのだが、玄関を出ようとした瞬間、テオドールが一人残ろうとしている──ということに勘づいたらしく、こちらに引っ付いて離れなくなってしまった。
 どうやら、昨晩交わした「お別れ」の話を思い出して、急に不安になったらしい。もしかすると、ここでお別れ、と思ってしまったのだろうか。
「まだ見ぬパパより、今いるママなんだよねぇ……」
 イラリオンは中腰になりながら、ぐずるアルノリトの頭を困ったように撫でる。
「そうだ。おじさんと一緒に馬に乗るか? 乗ったことないだろ、馬」
「やーだー」
 イラリオンもなんとか機嫌を取ろうとしていたが、アルノリトはこちらに引っ付いたまま離れず、聞く耳も持たない。
「ママ……」
 イラリオンは小声で、そして縋る目でテオドールを見る。
(いや、だからママじゃないから)
 イラリオンの言葉に苦虫を噛み潰しつつも、テオドールは周囲の「早くして」という視線を痛いほどに感じていた。
 城に戻るなら、早い方がいいのだ。不在の期間が長いほど、イラリオンの立場は悪化する。皇帝陛下の容態も気にかかる──ハンスはそう思っているだろう。急かされはしなかったが、彼はこちらを、威圧感のある鋭い視線で見つめていた。
 よく統率された彼の部下は、一言も言葉を発しないが、こんな森はさっさと出たいはずだった。
 そして彼らの中には、いざ出発、というときにごねだすアルノリトを叱ったり宥めたりするような勇者もいないのだ。
 遠巻きな「頼むから早くしてよ……」の視線が、テオドールに刺さる。
「……ご当主。テオドールが困っていますよ。みなさんも」
 キールはそう、やんわりとアルノリトを叱った。
 ふと視線をこちらに向けるキールとも、目が合う。  彼は──相変わらず、こういうときは感情を読ませない。淡々と、テオドールの動向を見守っている気がした。この男だけは、自分に対して「早くして」とは思っていないようだった。
(──こいつらだけ行かせて、いいんだろうか?)
 一緒に行く、と駄々をこねる不安そうなアルノリトとも目が合って、テオドールは考える。この子供と若者の事は、共に暮らしてだいぶわかったつもりだ。
 アルノリトはキールには遠慮している部分があり、わがままを言わない。
 キールも、アルノリトに向ける情はゼロではないのだが、やはり距離を取りたがる。
 だがお互い円満に過ごそうとしているから、今のところ上手くいっている。そしてその二人が遠慮なく胸の内をぶちまけることができるのが、自分だ。
 ──明日のあなたの気持ちに任せますから。
 昨日、キールはそう言いつつも、自分に来てもらいたいようだった。
 この男は、アルノリトと二人になることを恐れているのかもしれない。昨日の、不安そうな顔を思い出す。
 初対面のときは「なんて無表情で能面のような顔をした、いけすかない男か」と思ったが、面の下の若者の顔を知ってしまうと、この男を「冷静で、腹が立つくらい落ち着いた」人間だとは、思えなくなってしまう。
 悩んだ末──アルノリトを抱き上げて、馬車に押し込む。自分も乗りかけて、マキーラはこの地に残ってもらった方が──と姿を探していると、彼はすでに、馬車の上にとまっていた。テオドールと目が合うと、小さく鳴かれた。
「……マキーラも、テオドールが行くところに行くんだって」
 馬車の椅子に腰かけたアルノリトが、天井を見上げながらつぶやく。
「もう絶対離れないんだって。マキーラだけお留守番とか言ったら、すっごい怒るよ?」
「……」
 マキーラは、まっすぐにテオドールを見つめていた。テオドールには、鷹の言葉などわからない。
 だがここで「残れ」と命じることは、マキーラにとっても屈辱なのだろう。我の強い性格なので、命じたところでついてくるだろうが。
「迷う事なんて、ないんでしょうねぇ……多分」
 すれ違いざま、キールもつぶやいた。
「彼らの、愛したら一直線、というのは羨ましくもありますが」
 そんな意味深なことをつぶやいたキールは、ハンスの方をちらりと見た。
「ハンス様。この鷹は、ご当主の大事な友人でもあります。同伴しても?」
「……人に害をなさないのであれば」
「マキーラは、そんなことしないもん」
 テオドールが答えるより先に、アルノリトがそう頬をふくらませつつ言った。

 早朝の空気の中、馬車は進む。
 外はまた小雨が降りだしている。この国の雨季というのは、テオドールの感覚からすると、とんでもなく長い。だがこの時期はしょうがないと、周りの人間が当たり前のように諦めている姿に、自分との「ずれ」を感じる。
 隣のアルノリトは、今は機嫌が良い。ときどき音程のはずれた鼻歌など歌いながら、窓の外をじっと見ている。
「……居心地、悪いですか」
 対面に座るキールが、剣を抱いたままテオドールに声をかけてきた。
「……まぁ、良くはない」
 思わず苦笑が漏れる。別に劣等感などはないのだが、根っからの庶民である自分の場違い感は、凄まじい。
「でも、乗ったのは俺だから」
 アルノリトがぐずったから、とかそういうわけでもない。しょうがなく──とかそういうわけでもなくて、この二人が心配だから、行くと決めた。
 数か月前、特にこの地に来たばかりの自分であれば、絶対行かなかったと思う。
 一人森に残れば、脱走の機会だってうかがえた。この子供と、この男に付き合う義理もなく、無理強いされたところで「なんで俺が」だったと思う。
 キールはそう語るテオドールを、目を細めて見つめていた。
「こちらからのお願いをきいてもらってばかりで……ごめんなさい」
「何が」
「あなたとの約束のこと。……大きな口を叩いたくせに、まだ、情報らしいものを何も、お伝えできなくて」
「……あの人たちのことか」
 テオドールも軽く息を吐く。
 兄と義姉のことは、忘れたことなんてない。会えたら、言いたいことが山ほどあるのだ。口下手な自分は、思っていることを半分も伝えられないかもしれない。それでも何とか、情けなくても、笑われても、自分はいろいろ伝えたい。
 それができたら、どれだけいいか。
「お前が、真面目に探してくれてるってのは今更疑ってないし──もし、見つからなかったとしても、お前が悪いわけじゃない」
「恨まないんですか。もう」
「……わからない」
 背もたれに体を預け、テオドールはため息をつく。
 この国とこの状況と、人間たちに屈しはしない──そう唇から血が出るほどに噛みしめていた自分は、今は少し遠いところにいる気がする。それがいいことなのか、嘆くべきことなのか──テオドールにはわからない。
 考えていると、横に座るアルノリトが、ぽすんとテオドールの腕に寄りかかってきた。にこにこと、何やら楽しそうに微笑んでいる。この子供は「みんなでお出かけ」が嬉しくてしょうがないらしく、こちらの話など聞いちゃいない。
「……偉い人が、わんさかいるらしいから。いい子にしとけよ」
「うん」
 満面の笑みにつられて、ついこちらも表情が緩んだ。キールもその張り詰めた顔に、少しだけ笑顔を浮かべた。

(続く)