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檻の中のカラスと孔雀

30:猛禽、駄犬の告白を聞く


 ようやく城らしきものが見えてきたところで、行列は急遽解散となった。
 イラリオンはミヒャエルと、多くの騎士を引きつれたまま行き、キールは他の者から呼び出しを受けた。
 おそらく、毎週真面目に報告をしている関連部署だろう。連絡もなしにアルノリトを城まで連れてきたこと、イラリオンと合流していた件について、報告を求められているようだった。
 残されたテオドールとアルノリトは、若干持て余されていた。接し方がわからないらしく、ひとまず、敷地内の別館のような場所に案内された。
 周囲は背の高い樹に囲まれている。これまで過ごした鳥かご屋敷よりも、二回りは大きい、立派な屋敷だった。廊下には赤い絨毯が敷き詰められており、紙くず一つ落ちていない。
 マキーラはどこにいったのだ──と周囲を見渡していると、屋敷の近くで、茂った木々の間に隠れるようにしている姿を見つけた。彼も上手く、姿を隠す場所を見つけたらしい。
「……君たちは、しばらくここで過ごしてもらうことになると思う。私にもまだ、今後の予定というものはわからないが」
 そう言いながら、二人をここまで案内したのはハンスだった。彼も暇ではないだろうに、イラリオンたちから一人離れ、自らここまで案内してくれた。
 今いるのは、屋敷の中の客間のような場所だった。すでに暖炉の中では薪が赤く燃えており、室内は暖かい。テーブルの上には焼き菓子がいくつか盛られており、ソファに座ったアルノリトはそれを、上機嫌でもぐもぐと食べている。
「……キールは、何か罰せられたりするのですか」
 テオドールは落ち着かない。座る気にもならず、扉の横で同じく立ったままのハンスに声をかけた。
 腕を組んで壁にもたれたこの騎士は、案内係兼、見張り役でもあるらしい。その場から動く様子は見せず、テオドールをちらりと見ると、小さく首を振った。
「共に、と強く言ったのは私だ。担当者の静止を振り切った。彼に責任はないと考える。彼の上長には、すでにそう伝えた」
(責任あるって言われても嫌だよ)
 そうでなければ、彼はただ、目上の人間に勝手に踏み込まれ振り回された、可哀想な男になってしまう。
「それにもし責任、という話になるのであれば、私が首を出す。イラリオン殿下に責任は取らせん」
 その言葉に迷いはなく、むしろ当たり前、というような空気さえ感じる。
「でも……そんなあなたが、殿下のそばを離れていいのか」
「私がここにいるのは、殿下の指示だ。……君たちの付き添いはヴァレニコフに任せるのが筋だが、彼も報告の義務はある。無関係の者を君たちにつけるわけにもいくまいよ。殿下には腕利きの、私の部下を数人つけている」
 この男は、キールを姓で呼ぶ。互いに面識がないわけではなかったようなのだが、騎士団の所属も違ったようだし、共に働いたことがあるわけでもないらしい。なんとなく、距離がある。
「白いおじさん」
 それまでお茶とお菓子を楽しんでいたアルノリトが、カップを持ったままハンスを見る。
「白いおじさんは、キールの事嫌い?」
「……なぜ、そう思われます?」
 ハンスが若干、困惑した声を出した。この二十代前半の男も、アルノリトに「おじさん」と呼ばれることはすでに諦めたようだった。この点だけは、イラリオンとよく似ている。
「だって前、喧嘩してたよ。絵の上手いおじさんとキールが仲良いからって、いじわる言っちゃ駄目だよ。おじさんのこと、好きなのはわかるけどー」
「こら!」
 アルノリトがあまりにもはっきり言うので、慌てて制したのだが、年齢より老けた顔のこの騎士は、気まずそうな顔をしていた。
「いや……お恥ずかしいところを」
「お前も、そういうこと言うな!」
「だってー」
 叱ると、アルノリトはぷっくりと膨れる。
「いや、よいのだテオドール。ご当主の言う通りだ。屋敷でのことは、私が大人げなかった。彼の顔にも泥を塗るような真似をしたし……ヴァレニコフにも後で、謝罪しておかねばならないな」
(まぁ……この人もあのとき、興奮していたんだろうけどな)
 考えてみると、想い人が生死不明で、やっと再会できたと思ったら、想い人は昔の幼馴染を頼っていて、近くにいたはずのこの男は、全く頼ろうとも思われていなかったわけで──その感情は、すべて八つ当たりとなってキールに向いたのだ。必死さと気持ちはわからないでもないが、当たられたキールは気の毒だった。
「おじさんも、好きなら好きってちゃんと言わなきゃ駄目だよー?」
「……」
「……すみません。こいつ、こういう話好きみたいで」
 ハンスが黙ってしまったので、テオドールはアルノリトの後ろから、その口をそっと押える。
「……あのな。好きとか嫌いとか、言えたら一番いいけど言えない場合もあるんだから。人によって事情違うんだから。そんな風に、軽々しく言ったらだめだ」
「うー。テオドールも?」
「……まぁ、一応」
 図星をさされて口ごもると、ハンスも若干申し訳なさそうに笑う。
「いや……いいのだ。ご当主、私はすでに伝えています。伝えたうえで拒まれて、私がまだ、勝手に好いているだけの事。しつこいことは、承知です」
「……でも絵のおじさん、言うほどおじさんのこと嫌いじゃない気がするよー?」
「兄弟としてはましな方……という話だと思います」
 穏やかに微笑んで、ハンスは息をついた。
 「私がただ忠実な、寄り添い命を聞く犬であれば良かったのでしょう。……勝手にまとわりつき、邪な感情を持ち、頭も回らず……だから駄犬と罵られる」
 駄犬だと──確か、ミヒャエルもそうこの男を呼んでいた。どうやらあの男、ハンスの事を随分と「格下」と見ているらしい。
「……あまり気にされないほうがいいのでは」
 何を、とは言わなかった。だがハンスはすぐに理解したようだった。
「いつものことだから、気遣ってもらう必要もない。事実、私は両殿下と肩を並べられる立場にないのだよ。たまたま今の、義理の両親によく教育してもらって、騎士として独り立ちができて──陛下に運よく存在を思い出してもらえた、という程度の位置でしかない」
「……思い出してもらえない存在、というのも?」
「それはもう、星の数ほど世にはいるだろう。世継ぎがいないのも困るが、多すぎるのも問題だ」
 ハンスの中には、イラリオンほど父への憎悪というのはないらしい。だからといって、慕うような感情もないのだろう。父であるはずの皇帝陛下と、親子として語り合った経験というのも、なさそうだった。
「ところで殿下は、君たちに私のことで何か言っていたか? あまり良いことは言っていないだろうが」
 聞きたそうな目をされたので、テオドールは悩んだが、告げた。
「言っていいのか、わかりませんけどね……母親同士の因縁まで背負うことはないのに、と」
 それを聞いたハンスは、呆れたような笑みを浮かべた。
「それは誤解だな。母の感情まで背負って殿下に向き合ったつもりはない。殿下はそういうことにしたいのかもしれないが」
「じゃあ、なんでー?」
 アルノリトが口をはさむ。あのときはこの子供も話を聞いていたので、気になっているらしい。子供の無邪気な言葉に苦笑いして、ハンスは一瞬黙った。
「……昔、私は殿下への刺客として、その命を奪いに行ったことがある男でな」
 ハンスは神妙な顔で、テオドールの反応を見るように、ちらりとこちらを見た。
「まだ十代の終わりで、正式に騎士の称号を頂いた頃。突然、腕を見込んで頼みがあると呼ばれて、行った先にいたのが、あの──ミヒャエル殿下だった」
「やはりあの人が、殿下を散々苛め抜いたという……?」
「あぁ。その中心ではあったな」
 ハンスは頷く。
「……だが主に動いていたのは、ミヒャエル殿下の顔色を窺う、取り巻きの他の兄弟たちだがね。私も彼らには、正直あまり良い思い出がない。……所詮は強者の腰巾着。あのような連中が国を継ぎたいなど、笑いが出る」
 この男も、毒は吐くらしい。イラリオンと同じようなこと言っている。
「ミヒャエル殿下は、そういった連中も使いはするが、心底信用もしていない。その方が、たった一人で私と会ってくださった。私を見込んで、ひそかにイラリオン殿下の命を奪えと」
「……ハンス様は、その命令を受けたのですか?」
 今のこの男からは想像ができなかったので、思わず疑うような声が出た。だがハンスは黙って頷く。
「……受けた。当時の私は己の在り方に迷っていて、ミヒャエル殿下は、それを見透かしていたようだった。……甘い言葉だったよ」
 ──力はありながら認められないお前。
 今回の事成功させてくれたなら、今の境遇に甘んじていたお前を本来の、正当な立場として扱おう。己の因果の始まりを、自ら断ち切ってくるといい。
 ──私は他の、私に媚びへつらう口だけの連中より、本当はお前を、評価しているのだよ。
「評価……」
 テオドールの呟きに、ハンスは首を振った。
「……心のどこかで、不満があったのだ。今の両親にあれだけ良くしてもらった癖に、私は己の人生にまだ『足りない』と思っていた。私とて陛下の子。この腑抜けな男たちと何が違うのだ──と。ミヒャエル殿下は、この方だけは、私をきちんと評価してくださっていると」
 本当に甘い囁きだった、とハンスはつぶやいた。
 若くして騎士団でも多くの部下を従わせている辺り、ハンスには、元々武人としての能力があったのだろう。
 しかし主から男を寝取った女の子供と揶揄され、同じ父を持つ兄弟の中ではその母の身分も低く、この男もイラリオンと同じく、随分と身内には苦労して、悔しい思いをしていたのだ。
 正当な評価をくれてやるというミヒャエルの言葉は、まだ若かったこの男にとって、たまらなかったに違いない。
「正直、母のことなどそれまで気にしていなかった。顔も知らないのだから仕方ない。イラリオン殿下にもお会いしたことがなく……だから、私はさほど迷わなかった。ミヒャエル殿下にしてみれば、私が失敗したところで、ただの私怨だと片づけやすかっただけなのだろう。都合よく使われただけだというのに──私は、それすら気付かず、愚かにも剣を取り」
 ハンスは唇を噛む。彼は当時、意気揚々としていたはずだ。だからこそ、その浮かれた感情を思い出すたび、悔しくてたまらなくなるようだった。
 イラリオンは当時、母親の故郷で、ひっそりと暮らしていたという。今まで何度か暗殺の危機があったようで、非常に用心深かった。いるとされた館には姿がなく、常に場所を転々として、なかなか姿を掴ませなかった。
 しかしある日、山奥の小さな小屋に潜んでいるという情報を得て、夕刻、草木をかき分けながらその場所を訪れた。
「殿下は黙々と、夕日の差し込む部屋の中で、絵を描いておられた。地元の人間ともうまくやっておられたようで、周囲を嗅ぎまわる見慣れぬ人間の情報は、届いていたらしい。逃げようか迷ったが──描きかけの絵が気になったといっていた。当時、殿下も己の生き方に迷われていたようで──描き終わるまでに敵が来たら、それを運命としようと思ったと言っておられた」
 深い山の中に存在する、あばら家。その二階から覗く、美しい森の光景を、イラリオンは一心不乱に描いていたという。
 ──敵さんかい?
 床板をきしませながら歩み寄るハンスの気配に、そう言ってこちらを振り向いたイラリオンは、笑っていた。どこか覚悟を決めた顔だった。しかし、絵筆は握ったままだった。完成しない絵が、名残惜しかったのだろう。
 ──描き終わるまで待っちゃくれないよね? ……名前だけ聞かせてくれない? 名も知らない奴に殺されたんじゃ、気になってあの世にいけないよ。
 美しく長い金髪は夕日を反射して輝き、整った顔で、残念そうに笑うイラリオンを見たとき、ハンスは己の心境が、徐々に変化していくのを感じたという。
「殿下が、あまりにも美しかったというのもある。私がこんな美しいものを手折っていいのかとも思ったし……野心にまみれた己が、相手の事を何も知らず、ただ屠ろうとしていたことがひどく薄汚く、くだらなく感じた」
 意気揚々とした殺意も、ミヒャエルに認められたいという思いも、次第に小さくなっていったという。その突如、胸の内に差し込んだ鮮烈な感情が何なのか、当時のハンスにはわからなかった。
 だがそんな刺客に、イラリオンはいろいろと話をしてくれたらしい。
「……私が己の素性を明かすと、殿下は申し訳なさそうな顔をして、今まで難儀だったなと言ってくれた。謝る必要もないというのに。……初めてあのとき、己の身の上や、不満を口にした。殿下もだ。同じ血を持つ者と、あそこまで親身に語り合えたのは初めてだった。いつしか、目的も忘れていた」
 ハンスは懐かしそうだった。ハンスの身の上を知って、イラリオンは親しみを持って接してくれたのだ。彼にはそれが、嬉しかったのかもしれない。
 ハンスは暗殺という命令を放棄した。語り合ったあとでは、とてもじゃないが相手を斬れなかったのだ。
 だがこのまま逃げることは、けじめがつかないと考えた。死を覚悟して、ミヒャエルのもとに戻った。しかし──。
「……目的も果たせず帰った私を、ミヒャエル殿下は笑っておられた。叱責されないのが逆に恐ろしかったよ」
 ──あの極楽鳥に誘惑されて、発情して帰ったか、駄犬。
 そう、あの仮面の男は微笑んでいたという。
「あの方にとって、私は使えぬ犬だった。……たったそれだけだ。赤面しながら唇を噛む私の様子が面白かったのだろう。生かされてはいるが、ミヒャエル殿下には、未だにあのときのことを笑われている気持ちになる。駄犬と言われるたびに、思い出すな」
 そう、ハンスは自嘲するように笑った。
 この男はそれから、周りが何を言おうと、どう扱ってこようと、己の血にこだわることはやめたのだという。一人の武人として生き、イラリオンを守る。そのそばに仕えたいと願っている。
 しかし周りの兄弟からのイラリオンに対する風当たりは強い。彼を守るためには、彼がこの国の冠を授けられる立場となるしかないと思ったのだ。当の本人が望む望まないは、別として。例え、気色悪いと罵られようが。
「……でも、どうしてあの仮面の方は、そこまで殿下を排除したがるのです?」
 話が難しいらしく、不満げに首を傾げているアルノリトの頭をよしよしと撫でつつ、テオドールは問う。
 イラリオンは父親である皇帝陛下を嫌っているし、その後を継ぐなんてまっぴらごめん、という主張を曲げていない。ミヒャエルに全く媚びないという部分はあるが、そこまで徹底的に排除しなければならない理由が見えない。
「……おそらく、容姿の問題かと」
 ハンスは、言いにくそうにつぶやいた。
「ミヒャエル殿下の、顔の仮面……あれは酔狂でつけているわけではない。あの方は幼いころ、原因不明の熱病に襲われてな。顔の左半分が酷く腫れ、命はとりとめたが──崩れた顔は元に戻らなかった。陛下にも、公の場でも顔を隠すことを許されている」
「……そんな理由が」
「あぁ。同時に──お母上が容貌に変化の出た殿下を、目に見えて毛嫌いするようになったそうだ。陛下の子でなくとも、次の御子を、と熱心になっておられたころ──殿下の母上は亡くなられた。酒に酔い、屋敷の階段で足を滑らせて頭を打った、と言われている。その様子を見られていたのは、ミヒャエル殿下しかいないがな」
「それは……」
 幼い少年が、母の背を押した姿──嫌な想像しかできなくて、顔を歪めたテオドールに、ハンスは黙って頷いた。
「……みんな、同じことを思っているよ。だが、証拠もなく、問い詰めることもできなかった。その容姿に眉をひそめた者、笑った者、昔からよく姿を消すのだ。未だ見つかっていない者もいる」
 誰も責めることができないくらい、証拠がない。限りなく怪しいが──微笑みながら、どの方向からどんな悪意が飛んでくるかわからず、周囲は怯え、膝をつくしかない。それがあの、仮面の男なのだろう。
「頭脳も権力もやりよう次第で手に入るが、失った顔は戻らない。噛みつく殿下の性格もあるが……生まれながらに容姿に恵まれた殿下のことが、目についてしょうがないのだと思う。きっとあの方は、母の愛が離れたのは、己の顔のせいだと思っているだろうから」
「……だからと言って、殺しますか?」
 テオドールにはそれが信じられない。だが世の中には、己が躊躇する垣根を、何も思わず踏み越えていく者もいる。
「あの方はそれを平気でやる。根本的に人を信用していないのだと思う。親子愛だの、兄弟愛だのも。簡単に壊れるものだと」
 ハンスはため息をついた。
 ──あの方は容赦がない。
 キールもそう言っていた。根っ子にあるのは、おそらく一種の嫉妬なのだ。自分がどうやっても手に入れられないものを、持つ者への。だから相手が何を言おうと、攻撃に終わりもない。己の血族を全く信用していないというのは、イラリオンも一緒なのだが。
「……ですから、あの方の顔や仮面の話題に触れるのは、絶対にやめてください。ご当主も」
「うん。僕、笑ったりしないよ」
 アルノリトは、意外にも真顔でつぶやいた。
「僕だって、頭の羽じろじろ見られたりするの嫌だったもん。勝手に触ってくる人も嫌だもん。同じことしない」
 言い切ったアルノリトを見て、ハンスは若干微笑んだ。
「そういうお気持ちなら良いのです。……それを忘れぬよう」
「うん。だからおじさんも、キールと仲良くしてね。喧嘩だめ」
「……承知しました」
 ハンスとアルノリトは、苦笑いで握手していた。ここはなんとなく、和解したらしい。
 
(続く)