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檻の中のカラスと孔雀

33:猛禽と、嘘


 時間は刻々と経過していくが、なかなかお呼びはかからなかった。
 アルノリトも、さすがに昼寝から目を覚ました。行儀よく待ってはいるがやはり退屈らしく、ときどき立って、窓の外を眺めてみたり、部屋の中をうろうろと、見て回るのを繰り返していた。
 すでに日は沈みそうになっている。木々に囲まれた周囲は、薄暗い。テオドールは、外に出ているマキーラを中に入れることにした。
「マキーラ」
 窓を開けて呼ぶと、マキーラは潜んでいた高い木々の隙間から、飛び出すようにこちらにやってきた。この鷹は見知らぬ土地を警戒しているのか、なかなか中に入りたがらなかった。
 しかしもうすぐ日が暮れる。鷹の目がいくら良く見えるとはいえ、日が落ちてしまえば、彼らの時間は終わる。夜は別の、フクロウやミミズクといった他の猛禽の時間だ。大きなミミズクを使う鷹匠もいるようだが、テオドールの家系では飼ったことがない。
 そのとき、部屋の扉が二度ノックされた。
 警戒心むき出しのマキーラは、一瞬でむわりと身を大きく膨らませて身を構えたので、テオドールは手で動きを制しつつ、そばに来ていたアルノリトの肩も掴む。すでに剣を握って腰を浮かせていたキールと目が合った。
 待ち時間が長かったため、わずかではあったが仮眠をとることができたキールの顔には、精悍さが戻っている。扉の横に壁に背を付けて、剣に手をかけたまま、彼はノックに答えた。
「……はい」
 扉の向こうには数人いるようだったが、声が小さく、窓際にいたテオドールのところまでは会話の内容が届かなかった。キールは時々頷きながら返事をしていたので、彼には相手のいうことが聞き取れていたらしい。
 一瞬考え込むように黙ったキールは、ちらりと視線をこちらに動かした。
「すみません。ちょっと私、廊下に出ます。すぐ戻りますから、出ないでくださいね」
 テオドールが頷くと、キールは開けた扉の隙間に滑り込むように、外に出て行った。
「キール忙しそう。……パパに会うって、大変なんだね」
 アルノリトがその様子を眺めつつ、こちらを見上げて来た。こんなに待たされるとは思っていなかったらしく、少し疲れてしまった様子だった。
「病気、らしいからな。お見舞いってのは、相手の体調もあるから……」
「パパも、死んじゃうの?」
「……わからん」
 実際は、先は長くなさそうだ、というのをテオドールは聞いている。生きてはいるが、声も出せず食べることもできず、ただ横たわったまま衰えていくだけ、という状態になった人間。
 本人に意識があるのか、それすらもわからないというが、実際に会ったというイラリオンはまだ、父親は意識を保っているのでは、と思っているらしい。ただ、自分の意思を表に出す方法を失っている状態だと。
(だからこそ、穏やかには死なせてやらないって思っているんだろうなぁ)
 最後の最後に、弱った父に嫌がらせの様に、他人を省みなかった欲が招いた罪を突き付けてやろうとしている。動けず声も出せないその男は、動揺を他人に伝えることもできない。自らの力で、それを視界の外に追い払うこともできない。
 それがあの男の、復讐。
(それを考えると、殿下も性格が悪い、というか……)
 そこまでしなくても、という気持ちもある。だがテオドールには、身内をそこまで憎むほどひどい目に合わされる、ということは経験がない。そんな自分が何を言ったところで、イラリオンの闇には何も響かないだろう、というのもわかっている。
「……テオドール」
 考えていると、アルノリトが不安そうにこちらを見た。
「パパも……僕と違ったらどうしよう」
「違うって?」
「これ」
 アルノリトは、頭の羽に触る。
「絵のおじさんにも、白いおじさんにも、そういうのない。パパにもない?」
「俺は……会ったことないから」
 ただまぁ──ないだろうな、とは思う。
 アルノリトはしばらく黙ってテオドールの表情を見上げていたが、やがて、しゅん、と落ち込んでしまった。
「……一緒のひとって、いないんだね。だから僕、出ちゃいけなかったのかな」
 この子供は、周囲と自分が違う、ということを元々知っていた。だが大人に嫌われないようにいうことをきちんと聞いて、文句も言わずにあの森の中にいた。
 だが身内を名乗る人間と複数出会う機会があって、父も生きていると聞いた。
 期待に身を膨らませてはみたが、外に出てみると、やはり数いる身内というものも、自分と同じ姿ではないらしい。そして周りの人間たちは、自分を扱いかねているらしい──そんなことを、肌で感じてしまったらしい。長く待たされたこともあって、いろいろとよくない方向に考えてしまったようだった。
 自分はやはり、周りに疎まれているのではないか。だからあそこから出てはいけなかったのではないか。そんな方向に。
「……ほかの人たちは……お前のことを、よく知らないだけだよ」
 テオドールは言葉に悩みつつも、足元でしょげているアルノリトの頭をなでる。
「こいつ……マキーラも、俺にとっては可愛い奴だが、よく知らない人にしてみれば、ただのでかくて、噛みついてくる怖い顔した鳥」
「マキーラは、怖くないよ」
 足元で、アルノリトは頬を膨らませて反論する。その顔に、テオドールは苦笑した。
「そうだな」
 自分の事を言っているというのがわかるのか、マキーラは膨らんだまま、テオドールの肩にいそいそと爪を立てないよう、よじ登ってきた。
「キールもそう。初めて会ったとき、俺はあいつにいい印象なんてなかった。俺が何言ったところで、あいつは涼しい顔しながら、俺を馬鹿にしてるんだろうって思って」
 眉を寄せるように見てきた視線を、テオドールはそういう風に受け取った。落ち着き払った態度も、気に食わなかった。
「……今は?」
 アルノリトは、不安そうに聞いてきた。
「……好き、かな。きちんと話してみたら、悪い奴じゃないってわかる。向こうも俺に良い印象なんてなかっただろうよ。最初は、そんなもんだ」
「僕は?」
「お前のことも、好きだよ」
 ちょっと自分でも照れ臭かったが、小声で言ってみる。こういうのは、なかなか慣れなくて、勇気がいる。
 だが、すぐに言ってみてよかったと思った。アルノリトは嬉しそうに、満面の笑みを浮かべつつ、こちらの足にぎゅっと抱きついてきたからだ。
「僕も好きー。テオドールの事好き!」
 この素直な態度は、嘘ではないのだとテオドールは思う。
 いずれ、この子供は俺みたいになる──とイラリオンは言った。
 周囲の都合がいいように事情を隠したところで、知恵がついて、大人と自らの境遇を、疑うことを覚えて。反動で心がはじけてしまう日がくるんじゃないか、と。
 あの金髪男のように、笑いながら親兄弟に呪詛を吐く。その死を見送るだけでなく、最後の最後に復讐してやろうと考える。そんな風には、なってほしくない。
 きっとイラリオンには、結局のところ、そばで親身になって守ってくれる人間というのが、いなかったのだ。もとは彼だって、悪人ではない。自分がどれだけ努力しようが身内に裏切られ続けて、完全に愛想をつかしてしまっただけだ。
(俺はこいつを守ってやれるか?)
 そう考えて、思わず笑いが出そうになった。
(自分が? 家族のことさえ他人任せなのに? 明日の事さえわからないくせに? 背負い込める立場でもないのに?)
 出てくるのは否定ばかりだ。情けないったらない。なぜなら自分は今待つだけで、自主的な行動なんてできないからだ。家事を熱心にやっていたのは、そこだけは自分で考えて、行動することができたからだ。
 だが足元でにこにこ笑っている子供を見ていると、そんな否定的な考えが薄くなる。
(できるなら、守ってやりたい)
 人を祟るような存在にはなってほしくない──そう考える自分の気持ちにも、嘘はないのだ。
 そのとき、マキーラが肩を飛び立って、先ほどまで自分たちが座っていた椅子の間の丸テーブルの上に舞い降りた。多分他意はないのだろうが、マキーラの足の下には、先ほどキールが持ってきた書類入りの封筒がある。
「あー、マキーラ、キールの書類踏んじゃ駄目だよー」
 アルノリトが言いながら駆け寄ると、マキーラはどこか不満そうに鳴きながら、床に降りた。鳥に、人間の大事なものか否か、なんて知ったこっちゃないのだ。
 アルノリトはひょいとその大きな封筒を持ち上げたが──口が下を向いていたので、その拍子にばさばさと中の紙が、床に舞った。
「……あ」
 辺り一面紙だらけにしてしまったアルノリトの表情が、かちんと固まった。より、事態が悪化している。
「どうしよう。キールに怒られる……」
「落ちたもんはしょうがないだろ。俺からも謝るよ。でもこれ、順番とかあるのか……? 混ぜたら文句言われるやつか……?」
 テオドールも呆れつつ拾うのを手伝うが、テオドールは字が読めないので、どういう順番で重ねてあったのかがよくわからない。書類にはびっしりと、細かく文字が記されている。見ただけで目がちかちかしそうな文面だ。
「えへへ、僕わかるよー。キールと一緒に勉強してるもん」
 アルノリトは自慢げに笑った。
「でも勝手に読んだら駄目だろ、人のものは」
「わかってるよ、だからタイトルだけー。えーっと、これが……えっと……」
 しかし子供には難しい文面らしく、アルノリトは眉を寄せながら唸った。
「ぶーちゃえんせいじの、どれいせんについてのさいしゅう……ほうこく?」
 アルノリトは読めるようだが、意味がわからないらしく、首を傾げていた。
「なにこれ。でも最終って書いてあるからこれが最後ってことだよね、テオドール? ……どうしたの?」
 笑っていたアルノリトだが、テオドールの表情に気付いたのか、大きな目をぱちぱちとさせながらこちらを見上げた。
「それって……そう、書いてあるのか?」
 笑っているのか、何なのか──今自分が浮かべているであろう表情が、わからない。だがアルノリトは、読めることを褒めてもらった、と思ったらしい。にっこりと笑った。
「うん! キールと一緒にたくさん勉強したもん! 読める言葉増えたよ」
 笑うこの子供に、罪はない。
 ふつふつと、何かが自分の中から湧き上がってくる。あまり良くないものだ。だがこの子供にぶつけてはいけないと、必死に押さえる。
 そのとき、扉が音を立てて開く。
「すみません、お待たせして……」
 そう言いかけたキールは、部屋の中の様子を見た瞬間、立ち尽くした。
 床に散らばる書類。それを必死に集めながら「怒られる」という顔をしているアルノリトと、何枚かの書類を握ったまま、まばたきも忘れたように、キールを見つめるテオドールの姿。
「お前」
 低い声が出た。ゆっくりと立ち上がる。軽く眩暈がした。怒りで手足の先が、真冬でもないのに冷え切っているのがわかる。
「……俺に、言わなきゃいけないこと、あるだろ」
 できるだけ、落ち着いて問いただしたつもりだった。
「……」
 キールは扉を背にしたまま──何とも言い難そうに、視線を逸らした。
 
(続く)