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檻の中のカラスと孔雀

34:猛禽と、茶封筒


 とても一言では言い表せない、奥底から沸く様々な言葉が、我先にと体を突き破ろうとする。
 テオドールはそれを、歯を噛みしめて耐えていた。今力を緩めれば、感情が乗ったままの乱暴な言葉が、目の前の男をめがけて遠慮なく飛んでいきそうだった。
 頭には血が上っている。だがテオドールにはまだ、ぎりぎり理性がある。
 そばにいる子供を、自分のことで不安にさせてはならない。
 自分とこの男が大喧嘩でもしようものなら、絶対に泣くし慌てる。書類をぶちまけた己のせいだと思うかもしれない。
「取引」に、アルノリトは関係ないのだ。この話は自分とこの男の、大人の事情、都合のすり合わせでしかないのだから。
 キールが遅れてこの部屋に到着したとき、彼はすでに、あの分厚い封筒を持っていた。
 目の前で、渋い顔をしながら読んでいた。不機嫌そうに、この男にしては乱雑に、紙を封筒に突っ込んだ。
 知らなかった、なんて言わせない。アルノリトにも読めるくらいしっかりと、書類にはブーチャの奴隷についての報告が記されているらしい。
 テオドールは、いまだに扉の前で、そっと気まずそうに視線をそらしたままの若者を、睨みながらも観察していた。
(……へたくそ)
 馬鹿正直に、自分にこうやって問い詰められたくらいで、演技もできないでいるこの男。
 きっと自分がこうやって問わなかったら、白々しく知らないふりをしていたのかもしれないと思うと怒りの温度は上がるのだが、ここまで誤魔化すことができないでいる姿を見ると、怒りは徐々に、乾いた笑いに変わる。
「き、キールごめんね。僕、中の紙、全部落としちゃって……」
 アルノリトは書類をかきあつめて、謝った。理由まではわからないがなんとなく、不穏な空気を感じているらしく、声が緊張している。
「……いえ。置いておいた私が、悪くて」
 キールは小さくその謝罪に答えたが、いまだにテオドールの方は見ようとしなかった。
 テオドールはアルノリトの手から集めた書類を受け取ると、それをまとめて封筒に突っ込む。そしてそれを少々乱暴に、キールの胸に叩きつけた。
「……大事な物の管理がなってない」
「……申し訳、ありません」
 小声で謝ると、キールは封筒を掴んだ。一体、何についての謝罪なのだ、と思ったが、今更問い詰めたくもない。
「あの」
 封筒を手に下げ、キールは迷いのある様な声と視線を、こちらに向ける。
「何を言っても、言い訳になると思いますけど……お話は、するつもりだったんです。ただ、今は──」
「後でいい。なんか用事があるんだろ」
 言葉を遮る様なテオドールの言い方に、キールも言葉を飲み込んで、頷く。
「……ご当主。お父様との面会の準備、整ったようですので。参りましょう」
「……」
 この男がしばらく席を外していたのは、そのお呼びがかかったためだったらしい。キールは、アルノリトに向かい合い、笑顔を浮かべてそう言った。だがアルノリトは、なんだか不安そうな顔をして、キールとこちらと、両方の顔色を窺っている。
「……テオドールは?」
「俺は行かない。二人で行ってきな」
「どうして? テオドールも行こうよ」
 アルノリトはこちらのそばまでやってきて、服の裾を引っ張る。
「俺は行けない」
「なんで?」
「行けないし……行きたくない」
「……」
 アルノリトはしばらくこちらを見上げていたが、しゅんとした様子で、そっとつかんでいた服の裾を離した。頭の羽も、ぺたんとへたれた。
 この子供に当たったところで、どうにもならないのだ。感じの悪い言い方しかできない自分にも、腹が立つ。
「……悪いな。お前たちとは、違うんだよ。いろいろ」
「どこが?」
 アルノリトは、納得できない様子でこちらを見上げる。
「僕以外の人は、みんな同じに見えるよ」
 この子供に、見えない身分差を察しろ、というのは無理がある。アルノリトにとっては、自分と同じ姿を持たない者は、みんな同じ「人」でしかない。自分だけ異質、という感覚でいる。
「ご当主、早く上着を羽織ってください。外に人を待たせていますから……テオドール」
 アルノリトにローブを着せ終わると、キールは名を呼んで、突き返したはずのあの茶色の封筒を、そっとテオドールに差し出してきた。
「……戻ったら必ず、私の口から説明します。気が済まなければ、殴って頂いても結構です。ですから」
 緊張に満ちた表情が、一瞬歪んだように見えた。
「あなたはここで……待っていてくださいますか」
「……今更、どこへ行けと」
 自分の言葉に、とげがあるのは自覚している。だが、我慢できなかった。むしり取るように、封筒を受け取る。
 ローブを羽織ったアルノリトが、眉を八の字にしながらやってきた。自分たちが急にギスギスしだした理由もわからないし、テオドールがついて行かない、と言ったことが不安らしい。
「……お前は気にせず、行っておいで」
 テオドールはその小さな頭を撫でて、背を押してやる。
「ずっと会いたかったんだろ。会えるうちに、会っておけ」
「……」
 なんとなく心残りもあるようだったが、アルノリトは頷く。キールに急かされるように手を引かれて、二人は部屋の外へ出て行った。
 ぱたん、と扉が閉まる。
 部屋の外には他の騎士もいたのか、複数の足音が、部屋の前から遠ざかっていく。
「……」
 しんと静まり返った部屋の中で、テオドールは、無意識に、封筒を強く握りしめているのに気付いた。
 しわくちゃになったそれを、手で伸ばしてみたが、一度しわの入ってしまった紙の茶封筒は、どことなく見すぼらしい見た目のまま、元には戻ってくれない。
 この中に自分が何より欲する情報が入っているかもしれないのに、自分の力ではまだ、読むこともできない。苛立って封筒をテーブルに叩きつけそうになったが、部屋の隅で、マキーラがじっとこちらを見ているのに気付いて、力が抜けた。
 封筒をテーブルの上に放り投げて、ため息と一緒にソファに腰かけると、マキーラは隣に飛んできて、そっと寄り添った。その健気さに、怒りとは別の笑みが漏れた。
 茶色でまだら模様の、大きな背を撫でる。鳥は人より体温が高い。冷えた指先に、その温かさが染みてくる。
「……わかっちゃ、いるんだよ」
 誰に言うでもなく、テオドールはつぶやいた。うつむいた視界に、自分の足先が見える。
 少し大きな、名も知らない死人のおさがりである靴、そして服。
 自分の今の状況というのは、自分の力で勝ち取ったものではない。偶然と気まぐれによって、与えられたものだ。
 多くを望むべきではない、欲するべきでもない、期待すべきでもない──自分の置かれている状況というのは、わかっている。
「わかっちゃ、いる」
 知っているのだ。あの男が、馬鹿が付くほど誠実であることを。
 事実を隠して、淡々と自分をこき使おうなんて、思ってもいないし、やろうと思ってもできないことを。キールを疑い、恨めば楽だが、今となってはそれもできないくらい、自分はあの男を知ってしまっている。
 良い結果であれば、あの男は笑顔で、それを知った時点で、教えてくれただろうなということも──全部。
(……静かだな)
 思えばこの地に来て、こうして一人きりになることはなかった。静寂が、妙に神経に触った。
   
(続く)