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檻の中のカラスと孔雀

39:猛禽と、来客


 朝ごはんを食べたアルノリトは着替えて、テオドールのそばに座ると、足をぷらぷらさせていた。
「……退屈?」
 テオドールがそう問えば、アルノリトはこちらに、はにかんだような笑顔を向ける。
「大丈夫ー。いい子でいるって約束したもん」
 そう笑って宣言はするが、この小さな子供には、慣れぬ場所での待ち時間というのは、とても長いものだろう。
 正直テオドールも、いつまでここにいるのだろう──という気持ちになり始めていた。おそらくキールもわかっていないだろう。あっさり帰してはもらえないのだろうな、ということだけはなんとなくわかる。
 きっと先は長くないという、この国の皇帝陛下がその命を終えるまで。そして、後々のことが決まるまで。自分たちは、きっと帰るどころではない。
 客間のテーブルに乗った菓子は、どんどん数が増えていく。種類も様々で、薄い焼き菓子からアルノリトが以前食べたがっていた「タルト」という果物が乗ったものまで、さまざまだ。部屋の中には、甘い匂いが充満している。食べきるより先に、差し入れが続いているのだ。
 キールは来客対応に追われて、玄関と客間を行ったり来たりしていた。とは言っても彼らも玄関口で差し入れをくれるだけで、中には入ってこないのだが。
「菓子、食べないのか? たくさんあるけど」
 テオドールはテーブルを指さす。アルノリトは、んー、と少し考えるように唸って、こちらを向いた。
「さっき朝ごはん食べたばっかりだから、いい。ご飯食べられなくなっちゃったら、キール怒る」
「まぁ、あいつはそういうところ厳しいよな……」
 多分本人が、そうやって育てられているのだろうな、とテオドールは思った。話を聞くに、厳格な家庭であったようだ。
「それに」
「それに?」
「あの人たちは僕にお菓子くれるけど、会ってお話したいわけじゃないみたいだし」
 アルノリトは、少しふくれていた。そこが、あまり面白くないらしい。
 この子供が甘いものが大好き、というのはキールの報告で知られていることだろうし、テオドールから見れば滑稽なほど、怪鳥の「祟り」を真面目に恐れているこの国の人間たちは、森から出てきたこの小鳥の機嫌を損ねないように、と必死なのだろう。
 だから好物を持ってもてなす。この菓子が乗ったテーブルは、そんな彼らが作った祭壇のようなものだ。
 しかしアルノリトは、あれほど楽しみにしていた数々の菓子に、今はあまり興味が持てないようだった。
(なんというか……びっくりしたんだろうな)
 初めて見る「父親」は、横たわり天井を見上げたまま、反応を見せない。
 その姿というのは、この小さな子供にとって、非常に「怖い」ものだったらしい。もう父親に会いたいなんて言わなくなってしまったし、キールに説かれた「人の死」の話を聞いて、なんだかしょげてしまっている。はしゃいでここに来たことも、少し罪悪感を持っているようだった。
(何にせよ……まだちょっと早かっただろう)
 積み木で遊び、大人に抱っこをねだる子供には、酷な経験だった気がする。
 テオドールも少し苛立っていた。イラリオンもハンスも、何だかんだと理由をつけていたが、結局はこの子供の父親への憧れを、己の目的のために利用した。その結果、この子供がどう思うかなんて考えていないし、そこまで面倒見る気もないのだ。
「ねぇ、テオドール」
「ん?」
 そんなことを考えながら頭を撫でてやっていると、アルノリトがテオドールの膝の上に、よじよじと乗ってきた。
「キールと仲直りした?」
「……別に、喧嘩はしてないけど」
「そうなの? だってテオドールもキールも、元気ない」
 アルノリトは目を丸くして、首を傾げた。
 この子供は、昨晩自分たちが一瞬険悪になった理由も、互いに静かに落ち込んでいる理由も、何も知らない。別に、こちらとしても言うつもりもなかった。
「……何もないよ」
「ふぅん。ならいいけど」
 安堵のような息を吐いて、アルノリトはそのまま、テオドールの体を椅子の背もたれのようにして、遠慮なくもたれかかってきた。ふわふわとした薄い金の髪に交じる、鮮やかな青い羽とつむじがよく見える。
「俺らが喧嘩するの、嫌か?」
「うん。いやー。だって、僕はどっちも大好きだもん。テオドールも、キールのこと好きでしょ?」
「……あぁ」
 頷きはしたが、それと同時に昨夜のことも思い出して、本当に頷いていいのか一瞬迷った。
「……やっぱり、テオドール元気ない」
 しかしそんなテオドールを見て、アルノリトが不満というか、心配そうな顔でこちらを見上げる。
「誰かにいじわるされたの?」
「誰が俺にいじわるするんだ」
 いじわる、という言い方に、思わず笑った。
「だってマキーラ、言ってたもん。テオドール、悪い人に捕まった後、たくさんいじわるされたって言ってたもん」
「まぁいじわるっちゃ、いじわるだけど……。お前普段、マキーラとどんな話してるんだよ」
「えー、いろいろだよ?」
 アルノリトはにっこりとこちらを見上げる。
「マキーラはいろいろ、僕に話してくれるの。遠くの土地の事とか……テオドールのこともいっぱい話すよ。いつも、嘴でテオドールの髪の毛整えてあげようとして、怒られるのが『りふじん』って言ってた。りふじんって何?」
「あー……自分は間違ってないのに怒られたりすること、かな。……気持ちは有り難いが、あれは真面目に痛い」
 相手は愛と心を込めた羽繕いのつもりかもしれないが、最初は優しくとも、気分が乗ってくるとだんだん力が強くなる。マキーラは噛む力も強いので、あの鋭く大きな嘴で耳でも甘噛みされた日には、「耳ちぎれる」と思うくらい痛いのである。
「いじわるじゃないんだから許してあげてよー。……でも僕も、テオドールにいじわるする人いたら、絶対許さないもん」
 アルノリトは丸い頬っぺたを膨らませながら宣言する。
「……気持ちは有り難いよ」
「ほんとだもーん」
 アルノリトが暴れてずり落ちかけたので、抱き直す。
「わかった、わかった。でもそういうことは、もうちょっと大きくなってから言ってくれ」
「むーん」
 アルノリトの頬っぺたは、後ろから見てもわかるくらい、不満げにぷくりとふくれたままだ。拗ねている姿というのはこちらから見れば可愛いのだが、本人としては大真面目なのだろう。
「早く大きくなりたいなー」
 アルノリトは言いながら、テオドールの膝からぴょんと飛び降りた。
「ねぇテオドール、お手洗いついてきて」
「……大きくなりたかったら一人で行けよ」
「自分のおうちだったら一人で行くもん」
 あの森の中の屋敷の方がよっぽど不気味だと思うのだが、この子供にとってはこの屋敷の方が怖い場所らしい。
 しょうがないのでついて行こうとして、二人して客間の扉を開けた瞬間、今まさに扉のドアノブに手をかけようとしていたキールとばったり出くわした。
「……どちらへ?」
「お手洗い!」
 アルノリトが笑顔で答える。
「あぁ、まぁそれは仕方ないですけど……お客様なので早めに帰ってきてくださいね」
 そう呟くキールの顔には、なんとも言えない緊張と気の重さが同居していた。
 こんなところにわざわざ来るのは、イラリオンかハンスだろうと思って玄関の方を見たテオドールは、キールが微妙な顔をしている理由をすぐに悟った。
 玄関ホールには、数人の男たちが立っている。
 この国の騎士のようだったが、そこに見知った顔はいなかった。
 そしてその男たちの後ろからは――顔半分を仮面で隠し、いかにも気難しそうな顔をした高貴そうな身なりの男が、観察する様な視線でこちらを眺めていた。
 
   
(続く)