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檻の中のカラスと孔雀

42:猛禽と、侵入者


 城内が、ばたばたと慌ただしい。
 ここに来た時のような、戸惑いの空気ではない。緊張はあったが、行き交う人々の表情にはうろたえるものはなく、この先の混乱を覚悟したようなこわばりが浮かんでいる。
 皇帝陛下の呼吸が、今にも止まりそうだ──という知らせがテオドールたちのもとにも届いたのは、穏やかな午後のことだった。
 その知らせを持ってきたのは、久々に姿を見せたハンスだ。
「……あなたも行かなくていいんですか」
 あまりこの男と相性の良くないキールだったが、客間に招き入れたハンスを、一応気遣うような顔で見つめる。
「私は、ここへは勤めで来たのだと言っただろう。立ち会うよりも、別の仕事がある」
 ハンスも気遣いは受け取ったのか、柔らかい顔で頷いた。
「……それに、ひと悶着あったのは聞いた。今、別の者を使いに出す勇気は、私にはないよ」
 この別館の中で起きたことは、すでに耳に入っているようだった。ちらりとハンスに視線を向けられて、なんだか叱られている気分になったのか、アルノリトはしゅんと顔を曇らせて、さっとテオドールの後ろに隠れてしまった。
 自覚があるのか、ないのか。
 自分が「できること」を理解しているのか──テオドールもキールも、それをこの子供に、問い詰めることはしていなかった。そのあたり、きちんとはっきりさせた方がいい、というのはわかっていたのだが、なんとなくできないでいる。互いに話し合ったわけではないが、確かめるのも怖い、というのが自分たちの共通の気持ちだろう。
「主だった方々は、すでに陛下の部屋に集っている。あなたはどうされる」
「……」
 ハンスに穏やかに問われ、アルノリトはしばらく考えていたが、頷いた。
「行く。……テオドールは?」
 こちらの足にしがみついたまま、アルノリトは不安げにこちらを見上げてきた。
「俺は、ここにいるよ。キールと一緒に行きな」
 アルノリトはあまり納得していない顔をしていたが、先日行く行かないで険悪な空気になったのを思い出したのか、しぶしぶ、テオドールの足から離れた。
「……戻るまで、ちゃんといてね。どこにも行かないでね」
「子供じゃないんだから、そんなウロウロはしない」
 真面目にお願いされたので、テオドールは呆れて笑ってしまった。
 そんなテオドールを、キールも振り返る。
「……しばらく離れますけど」
 大丈夫か、と言いたかったのだろう。気落ちしているこちらを気遣って、できるだけ近くにいる、と言ったのはこの男だった。
「いい子に、大人しくしてるよ」
 心配され過ぎて、なんだか情けない。心配すべきは自分じゃないだろうにと思いつつ、テオドールは皮肉で返した。
「……では急ごう。あまりのんびりしている状況でもない」
 ハンスに促され、二人は上着を手に、部屋を出て行った。
 扉が閉まる。
足跡が、徐々に遠くなっていく。部屋の中は、静寂で満ちる。無意識に出たため息が、やたらと大きく聞こえる。
 そのまま歩いて、テオドールは近くにあった椅子に腰かけた。
 こういう状況というのは何度か体験したことがあるが、何度やっても慣れない。一人でいると気が重くてしょうがなかったので、窓を開けて、外にいるマキーラを呼んだ。
 大きな鷹は木々の葉の中からひょっこり顔を出し、こちらに飛んでくる。開け放った出窓にゆっくりと舞い降りて、甘えるように顔をすりつけてきた。
 マキーラは人の多いこの場所を警戒していて、夜以外は建物の中に入りたがらない。呼べば来るのだが、やはり自分と同じで、この場所にはなじめていないらしい。こういった面は、やはり警戒心の強い、野生の生き物なのだと思い知らされる。羽の艶もあるし、体重も落ちてはいない。見えないところで、食事はきちんとしているようなのだが。
「……付き合わせて悪いな」
 喉を撫でると、うっとりする様な顔をする。他の人間が触れば速攻噛んでくる場所だが、自分にはそれを許してくれているのだと思うと、有難いと言うか、愛しくなる。
 マキーラはこの地では、ほとんどの人が見たこともないような大きな鷹なので、やはりその存在は目立つ。心無い者にうっかり射られたりしないか心配だったのだが、それを以前キールに言ってみたところ、キールはそっけなく答えた。
 ──大丈夫だと思いますよ。
 何が大丈夫なのだと言えば、あの若者はこちらに向き直って告げた。
 ──この国の教えで、そういうのがあるんです。見慣れぬ鳥は気安く射るな、って言うのが。格言みたいなものですね。この辺りで、他の地域から飛んできた迷鳥は、不吉の象徴ですから。自然に去るまで見守るものです。
 ようは、見知らぬ存在に気安く手を出すと痛い目を見るよ──という意味もこめられているらしいのだが、どちらかと言えば、この国の因縁を皮肉っている言葉のように感じた。
「お前は、今日も凛々しい」
 そう褒めてやると、意味が通じているのかいないのか、当然とばかりに鳴かれた。会話が成り立っているように感じてしまうのは、自分がきっと親ばかだからだ。
「中に入るか?」
 尋ねると、ちょっと迷ったような、そわそわとした仕草を見せた。テオドールの希望には応じたいが、できれば外の方がいいな、という顔だ。正直すぎる動きにちょっと笑った。
「わかったよ、外にいな。暗くなる前にまた呼ぶ」
 そう言えば、マキーラはひと鳴きして飛び立ち、また背の高い木々の葉の中に隠れてしまう。一瞬、葉の隙間からひょこりと顔を出した。ちゃんと見えるところにいる、という意思表示らしい。
 不思議なものだな、とテオドールは思う。
 マキーラを育てのは自分だ。卵から孵ったばかりで親鳥から引き離したので、生みの親の記憶はないだろう。
 自分のような男に育てられても、誰かを愛すことを自然に知っているのだから、動物は偉大だ。
 窓を閉めて、テオドールはやることがなくなってしまったことに気付いた。このままじっとしていると、いろいろと考え込んで悪い方向にいくことが目に見えている。今は考えすぎてはいけない。悶々と、自家中毒に陥る。キール達は、いつ帰ってくるのかわからない。出歩くわけにもいかない。
(寝るか……)
 昼寝なんてめったにしない性質なのだが、もうずっと、寝たのか寝ていないのかよくわからない疲れ具合なので、テオドールはソファに座って、そのまま横に倒れた。
 眠気は一応、ゆるゆるとやってくる。
 薄目の中で、テーブルの、アルノリトが食べきれないまま積まれた大量の菓子が見える。甘い匂いが、かすかに香った。自分は食べない甘いもの。それを喜ぶ存在が今はいないことが、なんだか寂しい。
 最初は、子供となんてどう接していいのかわからなかった癖に、今や自分の方が、虚しさや孤独を、あの子供に埋めてもらっている部分があることに、テオドールは気付いている。
 アルノリトも、自分を必要としているのを知っている。だが自信をもってずっと一緒にいる、なんて言えないのは、自分がしっかりと、この足で生きている感覚がしないからだ。
 たまたま生かされて、養われて。
 そして庇われて生きている。それが、情けないったらない。
 どうしたら楽になってくれるのだ、とキールは言った。
 あの男は、根っから人が良くて若くて育ちもいいので、こちらを真面目に心配しているし、好きだと言ったのも嘘じゃないんだろうし、周囲の軽視から、テオドールを必死になって守ろうとする。思い悩まないで堂々と生きてほしいと思っているだろう。
(俺は、こんな卑屈な男じゃなかった)
 目を閉じる。そんなに、誰かに世話をかける男でもなかった。この国に来る前の自分だったら──そう思ったが、違うな、とも思った。
 多分、テオドールが故郷にいるころにあの男と出会ったとしても、話す機会があったとしても、自分たちの関係というのはこんなことにはならなかっただろう。
 あの男も自分に好意なんて持たなかっただろうし、自分もそのことについて、真面目に考えたりしなかったはずだ。
 真面目に考えているのは──それを「馬鹿らしい」と切り捨てられないからだ。それに揺れている自分がいるからだ。
 できれば、それに応えたい、という方向に。
 だがテオドールはキールほど、正直に生きることはできない男だった。年齢を重ねて、キールのように突っ走る若さも勢いもないし、元々自分の願望に執着したことがない。
 どこか冷めている。
 ──あんな育ちのいい男が、自分なんかと恋仲になったところで、お笑いだ。
 今は若さと強すぎる潔癖さで煙たがられているとは言うが、キールも年齢を重ねれば、多少そのあたりも理解するだろう。
 元々有能な男ではある。彼を案ずる家族もいる。元々、生きる世界が違う。
(消えてしまおうか、この隙に)
 城内が、紛れ込んだ一人の奴隷のことなど気にしている暇がないうちに、どこかへ消えてしまおうか。
 逃げて逃げて、自分の中に生まれた感情からも逃げて、この異国のどこかで、誰にも気に留められずに薄暗いところで野垂れ死んだ方がいいんじゃないか。元々そういう運命だったはずだ。
(……でも、できないくせに)
 目を閉じたまま、テオドールは仄暗く笑う。
 そんなこと考えはするが、共にいる人たちが心地よ過ぎて、それができない。
 泣く子供と、血眼になってこちらを探すだろう男の姿を想像したら──できない。
 結局、誰かにために、と身を引くような偉そうなことを思いながら、自分だって環境と人に甘えているんじゃないか──そう、一人で自嘲の笑みを浮かべたテオドールは、ふわりと顔に風を感じた。
 窓を開けていただろうか、いや、閉めたはず──と思いながら薄目を開けたテオドールは、そのまま表情を固まらせた。

 目の前に、大きな鳥がいる。

 艶やかな青緑色の、優美な色のわりに鋭い目玉と、肉をえぐりやすそうな口ばしを持った、鳥の化け物。
 天井まであるその巨鳥は、ソファに身を横たえたテオドールを、じっと小刻みに首を傾げながら見下ろしている。
(……あのときの)
 その鳥には、見覚えがあった。
 買われて、あの鳥かご屋敷に連れていかれた初日、同じようにうたた寝をしていたテオドールの、夢の中に現れた鳥だ。
 テオドールは顔を強張らせたまま、それと見つめ合う。
 捕らえられて売られて、気が立っていた自分は、あのときは、鳥に食われるなら本望だとすら思った。鷹を使役し生きてきた自分に相応しい最後だと。こんな屈辱的な目に合うくらいなら、その方を選んでやると。
 だが今は──嫌だ、という意識が勝った。
(待ってくれ)
 死にたくない。そんな死に方したくない。今は駄目だ。死ぬならもうちょっと後にしてくれ。
(せめてあいつらが帰ってきて、二言三言でも、言葉を交わしてから)
 なんとか身を起こし、そう声にならない命乞いをしたとき──テオドールは体がずり落ちる感覚で、はっと目を覚ました。
 気が付くと、頭を下にして、ソファから半分落ちかけている。随分と間抜けな格好だった。
「……寝ていた……?」
 その体制のまま、テオドールは周囲を見渡した。辺りは薄暗くなり始めている。横になったまま悶々としていたはずだったが、あれは半分夢だったのだろうか?
 体は嫌な汗をかいている。心臓もどくどくと動いていて、完全に嫌な夢を見た直後のそれだ。
 随分時刻が経ったようだが、二人はまだ戻っていないらしい。
 かさりと音がして、肩をびくつかせながら振り返ったが、テーブルに置かれたままになっていた菓子の包み紙が、ただ床に落ちただけだった。アルノリトが食べて、置いたままにしていたのだろう。キールに見つかれば、こっぴどく叱られる。
 びくつきすぎだ──と情けなく思いながら、テオドールは身を起こし、菓子の包み紙を握りつぶして屑かごに入れた。
 もうすぐ日が暮れる。そろそろマキーラの目も利かなくなる。中に入れなければ──と再び窓に近づこうとしたときだ。
 明らかに背後に、誰かが立つ気配があった。
 反射的に振り向きかけたとき──後ろを向ききる前に、頭に強い衝撃が走った。
「っ……!」
 避ける間もない。がつんという衝撃に、痛みよりもまず一瞬、意識が飛んだ。
 膝から崩れて、テオドールは大きな音をたてながら、受け身も取れず床に倒れ込む。何か固く重たいもので、頭に容赦ない一撃を食らったのだ、と理解したのは、髪の毛の中から、額を伝ってどろりと赤い血が流れてきたのを感じてからだ。
 ──誰だ。
 テオドールは必死に、首を動かす。殴られた衝撃で視界が急激に暗く、ぼやける。眠っている間に、誰かが部屋に侵入していたのだ。そして、どこかで息をひそめていた──。
 ぼんやりと見えたのは、男の足だ。
 使い込まれたブーツのつま先。
 だがそこまでしか意識を保っていられず、痛みと、髪の間を伝う血液の不快感に眉を寄せながら、テオドールは意識を失った。
 誰かが無言で、少しも慌てる様子もなく、こちらをじっと見下ろしているのを感じながら。

   
(続く)