HOMEHOME CLAPCLAP

檻の中のカラスと孔雀

45:猛禽と、カラスの嘆き③


 あの男を、自分たちが不在の間に連れ去らねばならなかった理由とは、なんだろう?
 屋敷の中にそれ以上の痕跡を見つけられず、苛立ったキールは、頭を冷やすために外に出た。
 湿った夜風が冷たい。もうすぐ雨季は終わりのはずなのだが、今年は妙に長雨が続く。まるで自分たちの、欝々とした明けない状況を暗示しているようだ。濡れてじめじめと、何もかもが腐っていく。
「おいキール」
 玄関からだるそうに出て来たイラリオンが、キールの背に声をかけた。
「……ご当主は?」
「すねてる」
 イラリオンは肩をすくめる。
「とりあえず、寝室にはいるけどね。このまま大人しく寝てくれりゃいいんだけど。まぁ、気持ちはわからんでもないんだが」
 そのぼやきに、キールも頷く。
 アルノリトは、あれから泣きわめくことはしなかったが、自分も一緒にテオドールを探すと言ってきかない。
 あまり考えたくないが、この件は血なまぐさい案件になってきているようで、キールはあまり人間の悪意や、そんな現場をあの子供に見せたくなかった。
 自分たちが代わりに探すし、もしテオドールが帰ったとき誰もいなかったら困るから、ご当主は寝室で待っていて──と何度も宥めたのだが、納得しない。のけ者にされていると感じたのかもしれない。
 最終的にはぶすりとふくれて、マキーラと一緒に、寝室の方に走って行ってしまった。イラリオンが部屋を覗いたとき、大人しく寝室にはいたようなのだが、返事はしなかったらしい。
「抱っこしてやろうかって言ったら、こっちを見もせずに『おじさんのはいらない』って言われたわ……俺どうも、あんまり好かれてないらしい」
 イラリオンは乾いた笑いを浮かべる。はっきり拒否されて、ちょっと傷ついたらしい。
「……別に、殿下のことは嫌いじゃないと思いますよ。思うようにならなくて、今は機嫌悪いだけです」
 キールもそう言って、慰めるしかない。
 こんな風にぐずったとき、あの子供はかなりわがままで頑固で、目的が達成されるまでわめくのを止めない。市場に行くと言い出した時もそうだった。結局あのときもキールは折れてしまったので、癖づけてしまったかな、とも思う。子供のしつけというのは、難しい。
 もし、いなくなったのが自分だったら、あの子供はここまで取り乱しただろうか──なんてキールは考えてしまって、少し笑ってしまった。今そんなことを考える自分に呆れたし、恥じた。
(こんなとき、あの人ならどうするかな)
 結局、この子供の世話の大半を押し付けるかたちになってしまった、あの男のことを思う。案外ぴしゃりと叱るし、機嫌を取るようなことを言っている姿も見かけなかった。
 しかし抱き上げてくれとまとわりつかれても嫌な顔はしなかったし、あの子供の考えた遊びに、辛抱強く付き合っていたような気がする。決して猫かわいがりはしていなかったが、あの屋敷で、自分たちが子供の感情をほったらかして喧嘩していれば、それには少し怒ったような顔を見せた。
(別に特別なことは何もしていなくて、ご当主に対する先入観もなくて)
 本心を誤魔化して接しよう、いい人を演じよう、というのも、彼にはなかった。多分、気に入られようとも思っていなかっただろう。
(ご当主もそれがわかっていたんだろうな)
 だからあそこまで、神秘的で大人びた子供という姿も取っ払って、素直に年相応の子供の姿を見せて甘えたのだと思う。
 どちらかと言えば、それがあの子供の、本当の姿だった。
 アルノリトは、本当はずっとそうしたかったのだろう。きっと自分の生活にはどこか違和感を持っていて、隠し事ばかりする大人には、きっと口にはしないが、不信感があった。
 だが、一人になってしまうのは嫌だから、彼なりにそれに気づかないふりをして、大人に従順に振る舞い、生活を守っていたのだ。
 そんな、やっと得ることができた、大事なものを暴力的に奪われたのだと知ったら、怒るのは当たり前だった。
 自分だけ寝ろと言われても寝られない気持ちは、キールだってわかるのだ。それにアルノリトが反発するのもわかる。
 子供の自分が同じ目にあっても、そうだろう。
 父が死んだと言われたあの日、自分だってそれを信じられなくて、探しに行きたいと何度も思った。止める周囲の大人を、キールは呪った。
 だがそんな自分と、あの子供は違うのだ。あの子供は、あんな愛らしい見た目に反して物騒な生き物で──自覚があるのかないのか、その声は簡単に、体や命を切り裂いてしまう。
(困るのだ)
 これ以上簡単に、人を攻撃することを覚えてもらっては。
「……問題は、あの人がどこにいるのかと、手を出したのが誰かと、それで得をするのが誰かという話」
「は?」
 キールの思考から続いた独り言に、イラリオンは気の抜けた声を出した。
「……いえ。でもなんでわざわざ、こんなことしたのだろうと思って」
 キールは、自分の心の呟きを一旦断ち切って、イラリオンの方に向き直る。
「あの、客間にあった貢物の菓子の山……周りの人たちは、それだけご当主の機嫌を取ろうと必死だったわけです。テオドールに何かあれば、ご当主の心乱れるのは、わかりきったことだったわけで」
「──あぁ。わざわざお前の友人が、そこは実践してくださったのにね」
「……友人だった覚えはないですよ?」
「辛らつぅ」
 キールの言い方に、イラリオンは笑う。間を置いて、キールも苦笑した。
 いわゆる「怪鳥の祟り」を真っ先に食らってしまった彼らは──昔から、なんとなくキールの近くにいる人間であったが、彼らにはずっと、どことなく馬鹿にされているようにも感じていた。
 理由なんて考えたくもない。どうせ些細なことで、自分には直しようのないことだ。
 そんな奴らの言葉に反応してしまった、自分に今は腹が立っている。
 しかし父親のことや、テオドールのことまで馬鹿にされては、さすがに我慢ならなかった。
 あんなことになる前に、きちんと一発殴っておくべきだったと思う自分は、やはり血の気が多い。
「……ところであの方々、容態はどうなんでしょう?」
「さぁね。俺も兄貴の近衛のことなんか知らんし……なんか聞いてる? ハンス」
 イラリオンは、律儀に斜め後ろで控えていたハンスに、視線を投げた。ハンスも肩をすくめる。この男、こまめに己の部下と連絡を取り、周囲の状況把握に努めていた。
「私もすべて聞いているわけでは……まだ治療中ということは、先ほど報告を受けましたが」
「治療中?」
 キールが眉を寄せつつ振り返ると、ハンスは表情を崩さず頷いた。
「頭痛と吐き気が酷いそうだ。……陛下のことがあったから、他の患者のことなどどうせ後回しなのだろう、それしかわからない。しかし今は、ベッドから出てこられる状態ではなさそうだ」
 ──彼らは動けない。
(ということは……ここに踏み込んだのは、彼らではないのか?)
 キールが一番に疑っていたのは、その「彼ら」だった。
 あの男たちは、ミヒャエルの前で恥をかかされたと思ったことだろう。
 よくよく考えれば、彼らの浅はかな行動がアルノリトを刺激したのだし、恨まれるのは筋違いというものなのだが、何故か見当違いの方向を恨んでくる者というのは、世の中いるわけで、どちらかと言えば彼らもそういう系統の男で──自分やアルノリトがいない隙に、テオドールに目をつけて恨み晴らすべく行動を起こしたのではないかと思った。
 しかし彼らは今、荒っぽい行動に出られる状態ではないらしい。
「……でもその件もさぁ、どうせミヒャエルお兄様がうまい具合にたき付けただけでしょ?」
 イラリオンが、声を潜めて笑う。キールは首を傾げた。
「たき付ける、とは?」
「ただ見たかったんでしょ、どの程度怪鳥を刺激したら、何が起きるのか。あの人はああいうの、本当に上手だからね。人の嫉妬心とか忠誠心とか利用したり、褒めちぎって相手舞い上がらせたり、怖がらせたり弱み押さえて使うのが、本当に上手。……褒めてないよ? ああはなりたくないからね」
「……でも扉一枚隔てたところに、ミヒャエル殿下もいらっしゃったわけですよ」
 キールはそれが、信じられない。
「何が起こるかわからないのに──自身に害が及ぶとか、思わなかったのでしょうか」
「……こちらから手を出さねば、祟らないとされるのが怪鳥だ。一応、対象は選ぶ。それは一番君が詳しいだろう、ヴァレニコフ」
 ハンスが、無表情に口をはさむ。
「あの方は、知的好奇心も強い方だから、父親が絡んでいる怪鳥騒ぎのことくらい、個人的に把握されていただろう。それにイラリオン殿下のおっしゃる通り、ミヒャエル殿下の怖い部分は、相手の心理面の掌握だ。周りの取り巻きのほとんども、連れ歩くというより、他人の行動の密告用に置いているようなものだから。……あの方は、城の人間関係のほとんどを把握しているよ」
 どこか自虐的な笑みを浮かべつつ、ハンスは語る。
「今回君たちに噛みついた連中にしても、彼らは近衛に抜擢されたばかりで、もともと殿下の信頼があったわけではない。行動も浅はかで、元々あの方の好む系統とも思えん。しかし彼らは、殿下の抜擢に応えようと、不必要にいきがったのだよ、ご当主と君の前で。……彼らがどういう男で、君との関係がどうで、出会えばどういう行動に出るか──そのあたりまで考えておられたのだろう。ご当主が何も起こさなければ、それも結果だ」
「……」
 キールはなんだか途端に、例の男たちが気の毒になってきた。自分たちは、あの男の手のひらの上に乗せられて、眺められていただけか。
「まぁ、ハンスの言う事には大体俺も同意だけども……あの場にはお前らが二人そろっていたしな。ある程度の害は抑えられると思ったんじゃないの? あの性悪は」
 イラリオンも、腕を組んでキールをちらりと見た。キールも怪訝な顔をする。
「……どういうことです」
「俺だってさ。一人であの森行ったとき、思ったよ。……あの子はまだ小さくて、保護者がいるんだ。まだぴよぴよした雛と一緒で。だからお前らと仲良いんだってわかれば、こっちにとばっちりが来ることはないだろうって思った。雛は、親鳥に死なれちゃ困るからね」
 イラリオンは、ちらりと屋敷の方を振り返った。
「……アルノリトも、お前らを傷つけたいわけじゃないだろう。だから全方位攻撃するような真似はしない。あの性悪お兄様も、お前らには感じ悪いこと言わなかっただろ? あの子に敵認定なんて、されたくなかっただろうし」
「……」
 言っていることはわからないでもないのだが──なんとなく、キールの心の中にはもやもやしたものが生まれる。アルノリトには聞かせたくない。
「好んで親殺しする動物は、そういないからね。……あぁ、例外はいるけどな。例えば子供時代、愛してくれない母親を階段から突き落とした男とか。案外、身近にいたね」
「……殿下。それはあくまで噂に過ぎませんから」
 さすがに言い過ぎだと、ハンスが声で諫める。しかしイラリオンは、薄く笑っていた。
「んなこと言うけどなぁ、ハンス。お前だって、本当にそれを噂だと思ってるのか? あの人はそのあたり、躊躇ないから。人ひとりどうにかする罪悪感なんてぶっ飛んじまってるよ。親父と一緒で有能な反面、頭いかれてるから」
「……」
 ハンスも、気難しい顔で黙り込んだ。イラリオン自身は何度も殺されかけているし、この男も、同意する部分はあるのだろう。
「しかし、殿下」
 キールが口をはさむ。
「ミヒャエル殿下とテオドールは接点がないですし、確かにあの方は、ご当主とは友好的な関係を持ちたいように見えました。わざわざご自分から来られたほどです。今ここで、ご当主の感情乱して得るものは──」
「あるでしょ。あの人は俺に死んでほしいんだし。自分や誰かが怪しまれるより、イラリオンは、怪鳥の怒り食らって、巻き添えで死にました、って方向に持っていったほうが楽だ。周りの扱い的にもね」
「……」
 ハンスが黙って、眉間を寄せた。
「あの人は、怪鳥の攻撃について、実験してみてよくよく理解したわけだ。アルノリトとも二人っきりで話したんだろ? だったらテオドールへの懐きっぷりも理解しただろ。テオドールがいなくなったら、あの子がどれだけ不安定になるかわからない。現に、夜に俺がこっちに泊まりたいって言ったとき、そこまで文句言わなかったしね。俺らがこっちに戻って、そのとき何が起こるかわかってての、あの落ち着きだったら? 突発的な爆発みたいなのを食らって、死ねばいいのにと思っていたら?」
「……殿下は」
 ハンスは、冷静にイラリオンを見つめた。
「ミヒャエル殿下を──疑っておられる?」
「だって、この別館使う許可出したのも兄貴だぞ。他の奴がそこに踏み込んで、あの人の顔に泥塗るような真似できるかよ。あの人にとっちゃ、ここで人ひとり殺すくらい──」
「やめてください」
 キールは、低い声で言いながら、イラリオンを睨んだ。
「あの人のことはまだわからない。そんな風に言わないでください」
「……」
 しばらくの沈黙の後、睨むキールの顔を見つめて、少々ばつが悪そうに、イラリオンは素直に「悪い」と謝罪を口にした。
「でも、あの人に関わって消えたやつ、いっぱいいるって話だが──その後出てきたって話も聞かないぞ」
「それも聞いたことがあります。ですが、もし殿下のおっしゃるような算段をあの方がされていたとしても、テオドールをいきなり殺す、というのはあまりにも性急すぎる気がする。ご当主だって、そんな計算通りに動くかわからないんです。どんな予想外の惨事を起こすのかもわからない。私だったら状況を見ながら──命を奪うのは最後の手段として、生かしておく。ご当主にとって、テオドールの代わりはいないんですから。収拾がつかなくなった時の保険は、必要なはず。私は、あの人は生きてると思ってる」
「……」
 キールの強張った顔を見つめつつ、イラリオンは息を吐いた。
「まぁ……そうよねぇ。でもここで延々と話していたところで、解決はせんし、長引かせるのも良くない……その糞兄貴に、ご協力願うしかないかぁ」
「まさか殿下……ミヒャエル殿下に直接この件、真正面からお話しをされるつもりでは」
 ハンスが、信じられないと言うような声を出す。イラリオンも、うんざりしたような顔をした。
「だって、しょうがないじゃない……回りくどく言ったところで、あの人は理解したうえで余計な難癖つけてくるのがオチだから腹立つし。こっちは証拠もないんだからさ。……それに俺もハンスも今はお客様の立場だし、どのみち嗅ぎまわるにしても、あの人の許可いるのよ。親父が倒れてから、場を牛耳っているの、今はあの人だから──勝手に手まわしたら、余計に面倒なことになる」
「……」
 気が重そうにため息をつくイラリオンを、キールは見つめた。
 同じ父を持つ兄弟同士。互いに派閥があるのだ──とは聞いていたが、この城に入ってみてわかったのは、実質の権限を握っているのは、やはりミヒャエルの方だということだ。
 イラリオンを支持する層も多いと聞いていたが、現地で様子を見ると、思っていたより少なく、決して城内は真っ二つ、と言う様子でもない。イラリオンも、なんだかんだでミヒャエルを立てようとはしているのだ。売り言葉に買い言葉にはなっているが。
(まぁこの方に、上に立つ気がないからな)
 元々、この地に来る気もなかったという男だ。父を見送った後は、さっさと元の土地に戻りたいようだった。
 皇族として見ると、確かに賢く見栄えもよく、ミヒャエルにはない快活さと親しみやすさはあるのだが、皇帝陛下のそばで政務に携わっていたミヒャエルと、実績は比べられない。
 ことを面倒にしているのは、当人同士の相性の悪さと、少しでも優位な立場を取りたがる互いの取り巻きというところか。イラリオンとしては、父の後釜を狙って他の兄弟と争う気なんて、これっぽっちもないのである。
「殿下は……お力を貸してくださるというのですか」
「あ? なんだその意外そうな顔は」
 キールの問いに、イラリオンはうるさそうに振り向いた。
「俺にもこの件責任があるのに、知らん顔しとけってか」
 イラリオンはキールにずかずかと詰め寄って、眉間を寄せた。
「あの子連れてきたいって言ったのは俺だ。全部、親父に嫌がらせしたかったからだ。お前らは止めたし、テオドールも来るしかなかった。……でも、必要なくなったらいなくなっても知らん顔っていうのは違うだろ。お前らには世話になったし、都合いい時だけ引っ張ってきてさぁ。……そういうのは俺嫌いだし、テオドールにもお前にもあの子にも、恨まれたくはねぇよ」
「私は恨むなど、滅相もありませんが」
 はっきりとした言葉に、キールは苦笑した。
 この男、こちらがやきもきするくらい悪口も言うし、たちの悪い仕返しも考えて根が深いと思うのだが、ある意味、薄暗い裏表というのはない。すさまじく、はっきりした男だった。
「……お会いしない間に、殿下は強くなられた。強くなりすぎて、もう弱い立場の気持ちなど、忘れてしまったのかと思っていました」
「なんだそれ。……しっかり嫌味だな」
「申し訳ありません。お優しい過去の殿下を、私はお慕いしておりましたので。でも根っこの部分はお変わりないようで、安心しています」
「……そうかい」
 イラリオンは、妙に神妙な顔でつぶやいた。
「あの──お話のところ申し訳ないのですが」
 突如、ハンスが口をはさむ。
「なんだよお前まで」
 イラリオンがこれまた面倒そうにハンスを振り向くと、彼は林の方を指さして、眉を寄せていた。
 遥か向こう──そこには小さな──長いローブを羽織った見慣れた後姿が、一生懸命走っているのが見える。
 ──血の気が引いた。
「ご当主!」
 キールが慌てて呼べば、アルノリトは一瞬、ちらりとこちらを振り向いたように見えた。だが足を止めず、一人で走って林の奥に消えていく。
 おそらく、屋敷の中に引っ込んだのは諦めて眠りにつくためではなく──なかなかテオドールを見つけられず、自分を邪魔者扱いする使えない大人たちに腹を立て、一人でも外に探しに行くと、脱走の準備をちゃくちゃくとしていたのだ。
 一階の窓にも、椅子を持ち運べば小さなあの子供でも手が届く。自分たちがいた玄関から見えにくい場所より、外に降りたに違いない。
(……油断した)
 自分自身に舌打ちし、キールは後を追うべく駆け出した。なんで自分はこう、すべて後手に回ってしまうのだろう。
「子供って、大人しくしてるなーと思ったら、とんでもないことしていることあるよね……まぁ俺もあんな感じだったけど」
「殿下のそのお姿は想像がつきます……しかし、力づくで捕まえるかは悩むところだな……」
 言いながらも走り出すイラリオンとハンスの声音からは、身分あるいい歳こいた男たちが、ここまで子供に振り回されている状況に対する疲れと、情けなさがあった。
「ご当主、待ってください! 一人で行かないで!」
 先を走るキールも、声をかけながら林を走る。
 足の長さが違うので、まともに走ればこちらの方が速い。徐々に距離は縮まるが──小さい子供は案外ちょこちょことすばしっこくて、闇の中でも目が利くらしく、道に戸惑うことなく走っていく。
(どこに行く気だ)
 アルノリトの走りには、迷いがない。あの子供だって、この城のことはそんなに詳しくないはずだ。限られた場所しか行ったことがない。マキーラに何か聞いたのか?
(まさかあの方、こちらの話を聞いていたのでは──)
 とすると──自分でミヒャエルに、本当にそんなことをしたのかと、確かめに行くつもりなのではないか?

   
(続く)