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檻の中のカラスと孔雀

47:兄弟会議


 自分をよく思っていない人間ばかりが詰めかけたというのに、よくあっさり許可を出したものだ、と思う。
 キールはアルノリトと手を繋いだまま、後ろに歩くイラリオンとハンスと共に、ミヒャエルの私邸に入った。
 造りは自分たちが滞在した別邸とよく似ている──というかほとんど同じだ。華美な暮らしをしているのかと思っていたが、そうでもないらしい。玄関ホールや廊下に置かれた彫刻が、少々異なるくらいだろうか。
 廊下には幾人もの警備の兵がおり、じっと無言で、こちらの様子を窺っている。居心地の悪い、物々しい空気だった。
 客間に通される。
 暗い部屋の中では、暖炉の炎が煌々と燃えている。窓際の椅子には、こちらに背を向けて座っている一人の男がいた。
「殿下。連れてまいりました」
 ここまで自分たちを連れて来た大柄の騎士は、そう緊張を含んだ声で告げた。
「ご苦労。下がれ」
 ミヒャエルは穏やかな声でそう告げる。
「は? しかし……」
「いいから、下がれ。……父が死んだ夜に、兄弟の語らいを邪魔するつもりか?」
 優しそうにも、冗談のようにも聞こえる声に、あれだけ屈強そうに見えていた男は顔を強張らせ、背筋を正すと、一礼して素早く部屋を出て行った。
「……思ってもないこと言うね、お兄様も。あーんなに怯えて、かわいそ。普段どんなこと言ってるんだか」
 張り詰めた空気の中で、呆れた声で口を開いたのは、イラリオンだった。
 ミヒャエルは肩越しに振り向く。角度的に、仮面しか見えなかったが、機嫌が悪いわけではないらしい。節ばかりの指がひらりと動いた。勝手に座れということらしいが、誰も座ろうとするものはいなかった。
「……こんな時間に何の用だ。その人数で、もめ事を起こしに来たわけでもあるまい」
 ミヒャエルは足を組み、こちらに体を向けた。椅子がきしむ、ぎしりとした音が部屋に響く。
「うるさい極楽鳥に駄犬……それから君たちか」
 ミヒャエルは、キールと手をつないだままのアルノリトにちらりと視線を向けた。
「なるほど……確かに一人いないな」
「そのことで来た。単刀直入に言うけどさ。……あんた、なんかしてない?」
 イラリオンのはっきり過ぎる問いに、キールとハンスは顔を引きつらせた。
(この人ほんと言い方……!)
 だから敵を作るのだ。
「殿下……」
 ハンスも、イラリオンを苦々しく見つめている。しかしイラリオンは、素知らぬ顔でその視線に答えた。
「いいの、この人きちんと言わないと上げ足取りまくるから。……お察しの通り、テオドールが見当たらない。俺はあんたを疑ってる。あの別邸はあんたの管理下にあったし、使う許可出したのもあんた。親父が生きるか死ぬかって時に、こすい動きできるのも、あんた。こういうこと手慣れてるのも、あんただろ」
「……相変わらずよく喋る」
 足を組んだまま、ミヒャエルは呆れたように笑った。
「駄犬。こいつのきんきんした声は癪に障る。もう少し、簡潔に状況と、私に対する申し出内容を言え」
「……はい。恐れながら」
 ハンスが眉を寄せたまま、前に出た。
「……陛下がご逝去された後のことです。我々が戻ったとき──あの別邸にその男の姿がありませんでした。屋敷から外に出た形跡はありませんし、目撃証言もない。客間の床に、手のひらほどの血痕が残っていました。家具を動かし、隠そうとした形跡もありました。もめ事があったのは間違いないでしょう。我々は……」
 そこでハンスは、唇を噛む。
「どうした。はっきり言え」
「……だから言ってるじゃない。わざわざハンスに言わせんなよ。あんたが一枚噛んでるんじゃないかと思って来たの」
 苛ついた様子で、イラリオンが口をはさむ。
「……まぁ、真っ先にそう言い切ったのは俺だけどね? 不敬だって言うなら俺だけにして」
「言われなくても言い出しっぺは貴様としか思ってない。……それで、なぜ私が悪い、という話になるのかな」
「しらばっくれんなよ。……テオドールはアルノリトに懐かれていた。いなくなればこいつが慌てるに決まってる。それに親父が死んだあと、俺がこいつらと一緒にいるって言ったとき、あんたはあっさりしてて、止めなかったな。……何が起きるか、わかってたんじゃないのか」
 アルノリトの手前、イラリオンは、はっきりとは言わなかった。鋭い視線が、部屋の中で交錯する。
「……そうか。それで私が、裏でその糸引いていると。……つまらんな」
 ミヒャエルは呆れたようなため息をついた。
「臆病者どもが何をわめきに来たのかと、珍しく思って中に入れてやれば……証拠のないことでぎゃあぎゃあと」
「そこはこっちもわかってる。でもあんたは、悪事を働くとき見事な手際でやってくれるからね。俺から疑いを受けるのは、日ごろの行いってやつだ」
「口先だけで逃げ回るだけの男が、よく吠える」
 うんざりしたような声だった。
「それに──私が手を回したなら、もう少し上手くやる。血の跡が残っていた? ……そんな証拠の残りやすい手を選ぶものか。人ひとり、静かに消すだけなら山ほど方法があるというのに」
「ふんぞり返りながら言う事かよ……」
 イラリオンが苛つきながら言うが、そのときアルノリトが、キールから手を離し、ミヒャエルの前に立った。
「……ねぇおじさんは、偉いんだよね。ここのこと、大体知ってるんだよね」
「一応な」
 ミヒャエルは真顔で頷く。この男は謙遜などしない。
「何があったか知らない? 僕、おじさん疑いたくないよ」
 不安そうな声に、ミヒャエルは鼻で笑った。
「疑うなと言っても、私を疑うのだろう? ……ここにいる連中も、君も。明らかにやりそうな、不気味な容貌の男だからな。私は。よい噂もなく、悪役にはちょうどいい」
「……」
 嫌味なセリフに、アルノリトは眉を八の字にした。半分泣きそうな顔で唸っている。というか、べそべそ泣き出した。
「あーあ。泣かせた。子供泣かせたー」
 ぼそりと、イラリオンが意地悪く言う。ミヒャエルはそんなイラリオンを睨んで、キールに視線を向けた。この子供をひっこめろ、と言っている。
 キールは一礼して、アルノリトの手を引いて後ろに戻る。
「じゃあ、偉いなら、探すの手伝って……」
 キールに手を引かれながらも、アルノリトは泣き顔で、ミヒャエルを振り返る。ミヒャエルは足を組んだまま、椅子の肘置きに頬杖をついた。
「……どこにでもいそうな男だったが……あの男をそんなに気に入っているのか」
「うん。優しいしお料理上手だし、抱っこしてくれるし遊んでくれるし」
「都合のいい母親役が欲しいなら、もう少しそれらしいのを用意して──」
「ううぅ……」
 アルノリトの目がまた涙目になった。
「あーあ、また余計な事言って泣かせてるー。この人ほんと子供の扱い駄目だわー」
「……お前はうるさい」
 茶々を入れるイラリオンに対して、真面目に殺意が混じったような視線を向けて、ミヒャエルは椅子の背もたれに身を預けた。そして、考え込んだように目を閉じる。
「なるほど、理解した。……私も身の潔白を証明できなければ、どうなっても知らんぞ、という脅しか? これは」
「そこまでは言わないけどさ」
 イラリオンも腕を組む。
「……でもまさか、本当に身に覚えがないとか言わないよね?」
「貴様の中では完全に私が犯人のようだが、それに関しては知らん。……逆に、私が悪いと印象付けて、この子供に敵意を植え付けて連れて来たのではないのか。うまい具合に事故が起きればいい、と」
「そこまでは考えちゃいなかったよ。今あんたに死なれた方が面倒だし」
 イラリオンも考え込むように、ため息をついた。
「……あんたの言葉、心底信じたわけじゃないんだけどさぁ……あんたが本当に身に覚えがないって言うなら、協力してよ、お兄様。可愛い末っ子が泣いてるんだし。まぁ泣かせたの、あんただけど」
「……貴様も大体、余計な言葉が多い」
 ミヒャエルは、まだキールにしがみついて、ぐすぐす泣いているアルノリトに視線を向けた。
「まぁ、俺もただでとは言わんよ。……忌々しい極楽鳥が、調子に乗った詫びはちゃんとする」
「ほう?」
「……」
 ハンスがイラリオンの横で、二人のやりとりを何か言いたげに、じっと見ている。口をはさみたいが、できない葛藤が見えた。
「おじさんたち、喧嘩だめだよー」
 アルノリトはアルノリトで、なんだか不穏な空気になりつつあるのが耐えきれなくなったのか、右往左往している。キールはもう、胃がひっくり返りそうだった。
「喧嘩はしてないよー」
 そんなアルノリトの頭を、イラリオンはぐりぐりと撫でた。
「で? どうよ、お兄様」
 視線を向けられたミヒャエルは、ちらりとアルノリトを見た。この子供は、まだ涙目でミヒャエルをじっと見ている。この片面だけ仮面をはめた男は、すがるようなその視線を、困ったように見つめ返していた。気が重そうなため息が出た。
「……仕方ない。だが、手を貸してやるのは今宵だけだ」
 足の上で指を組み、ミヒャエルは忌々しそうに鼻を鳴らした。
「明日朝にも、陛下の訃報は民の知るところとなる。昼には葬儀も始まる。これは私にも動かすことはできんし、足並み乱すことは許されん」
「それは俺も重々承知よ。そこもぶっ壊せとは、さすがに俺も言えないね」
「理解しているならいい。こちらからも捜索と聞き込みの指示は、強めに出してやろう。お前たちがそのあたりを嗅ぎまわるのも許す。ただし、明け方までだ。それ以降は余計なことをしてもらっては困る」
「悪いね。でもお兄様にしては寛大な処置」
「貴様のためじゃない。子供に泣かれるのは慣れん」
 言いながら、ミヒャエルはアルノリトに視線を向けた。
「……おじさん、ありがと」
 キールにがっしり捕獲されたまま、ぽつりとお礼を言うアルノリトに、ミヒャエルは眉間を寄せる。
 怪鳥として恐れているのか、身内として認めているのか──その表情の意味は、キールにはよくわからなかった。
「でも、正直助かったよお兄様。俺はこの城のこと、ほとんど知らないし知り合いもいないもんで」
「田舎に引きこもって、集まりにも出ないお前が悪い」
「あんたが取り巻き使って、俺をちょいちょい殺そうとするから……」
 イラリオンは舌打ちしつつ、ミヒャエルを睨んだ。
「……まぁいい。この際、周りの連中に、隠し通路でもないか聞いとくわ。帰り際、油断したところ背後からばっさり、はもう嫌だし。今のうちに、城の構造も熟知させてもらう。あんただけが知ってる秘密の隠し扉とか開かずの間とか、ないわけ?」
「馬鹿か、そんな都合のいいものがあるわけ──」
 そう言いかけたミヒャエルは、ふと不自然に言葉を切った。
「なに?」
 イラリオンの問いかけを無視して、ミヒャエルは立ち上がると、本棚の前に立った。
「……その男は、あの別邸から外に出た形跡がないのだったな」
「は? 隠し通路とか真面目にそんなものあるの、この城?」
 イラリオンが、呆れたような声を出した。
「あると言えばあるし、ないと言えばない」
 ミヒャエルは本棚から大きくぶ厚い、一冊の本を取り出した。その中から大きな一枚の地図のようなものを取り出す。
 茶色く色あせたそれは、建物の図面のようだが──この城のものではない。
「ここに書いてあることが読めるか、愚弟」
 さも馬鹿にしたような顔で、ミヒャエルはその図面をイラリオンに手渡した。
「はぁ? 馬鹿にすんなクソ……いや、すまん。読めんわこれ」
 ガラの悪い言葉を吐きながら図面を覗き込んだイラリオンは、速攻眉を寄せた。
 ──文字が、この国のものではない。
 しかしキールには、見覚えのあるものだった。
「……私も、読めるわけではありませんが──この文字、見たことはあります」
 共にそれを覗き込んだキールは、そうつぶやいた。
「どこで?」
「私とご当主がいた、鳥かご屋敷の書斎にあった本です。最近のものではなくて……前時代に書かれた古書でした」
 この国が、グーテンと名乗る前に存在していた王朝の文字だ。三百年ほど前の話になる。その王朝が滅ぶきっかけになったのも、怪鳥の祟りが原因とされていた。
 武功のためにあの森に潜んでいた怪鳥を狩った王族や兵士は、それを供養として食べた後、次々と死んだと聞いている。
 当時の話は現代訳されて伝わっているが、その時代に書かれた書物というものも、あの屋敷には資料として運び込まれていた。古語を読むまでの教養はなかったので、眺めるだけで終わったが。
「……左様。これは当時の城の図面。この城は、改築増築はしているものの、その前時代の城をそのまま使用している。当時の王朝は、建築技術に優れ、この下に汚水を流す下水道と、それを兼ねた脱出用の地下通路を持っていた。水路は、街の外まで通じていた、とされる」
「される──ということは、今は使用していないと?」
「……危険だという事で、数十年前から封鎖されている、と聞いています」
 イラリオンの横から、ハンスが疑問に答える形で言葉を発した。城の警備も担当しているこの男は、その存在を聞いたことはあるらしい。
「捨て置かれて長いので、何か所も崩落している危険性があると」
「へぇ。直して使おうとか思わなかったのかね?」
「……百年ほど前にこの国で疫病が蔓延したことくらい、聞いたことはあるだろう」
 ミヒャエルは、図面をテーブルの上に広げた。
「疫病が一気に広まった、その原因がネズミだった。……ネズミはその通路を使って城内と街を移動していたから、駆除と同時に出入口も封じた。意図的に崩落させた箇所もあると聞く。だからもう抜け道としては機能していないし、正確な構造も我らにはわからん。当時を知る人間もとっくに死んでいる」
「……あんた、やっぱりこういうの詳しいじゃない。妙に」
「有効活用できないか、調べたことがあるだけだ」
「どうせ、あくどいことに使おうと思ってたんでしょ。怪しい」
「好きに言え」
 イラリオンの疑惑の視線に、ミヒャエルも涼しい顔で答える。
「しかし私の手元にあるのは、在りし日の地下水路の図面のみだ。移動にそこを使ったのかもしれないが、地上からの出入口というは全ての記録が残っているわけではない。あの周辺にあるのかはわからんし、実際下を通り抜けられるのかも、わからん」
「でもこの図面を見る限りだと──あの別邸周辺にも水路がかかってる。降りられる場所ってのが、近くにあるのかもしれないぞ」
 イラリオンは、そう言いながらキールを振り返った。キールも頷く。
 テオドールは外に出ていない、誰もあの屋敷に近づいていない、というマキーラの「目」を信じるのであれば──その地下を通ってこれる道、というのはこの上なく怪しい。
「……仮面のおじさん。テオドール、そこにいるの?」
 アルノリトがミヒャエルの足元で、不安げな顔をしながら見上げている。彼は相変わらず、眉間にしわを寄せたままだ。
「──かもしれない、という話だ。中がどうなっているのかはわからないし、どこまで通じているのかもわからない」
「……でも、そこかもしれないなら、早く探しに行こ? 僕狭いところとか入れるし、お手伝できるよ!」
「その気になるのはわかるが落ち着け。何があるかわからん。行くなら、大人と一緒に」
「うん。だからおじさんも、一緒に行こー?」
 言いながら、アルノリトはミヒャエルの手を、迷いなく握った。
「……」
 ミヒャエルは何も言わず、ただぐいぐいと手を引っ張るアルノリトを見下ろしている。
「ねぇあの子……怖がりなの? 怖いもの知らずなの? どっち?」
 イラリオンは、小声でキールにそう尋ねた。キールは頷くこともできない。
「時に……大胆な方ではありますねぇ」
 おそらくミヒャエルも、こんな風に絡んでくる子供、というのが今までいなかったのだろう。いつもの調子で高圧的に出てみれば泣かれるし、でも懲りずにまた寄ってくるし、若干持て余しているように見える。しかし手を振り払うのは簡単だろうにそれをしないあたり、心底嫌でもないように見えた。
「……人の手を引っ張らない。ちょっと待て、周りに指示も出さねば」
「ふぅん。お兄様自ら、出てきてくださるの?」
 イラリオンは、普段見ることがないであろうその様子を、面白そうに眺めていた。ミヒャエルは嫌そうに、目を細める。
「……仕方あるまい。こちらも身の潔白は証明しなければ、後に響く」
 そう気が重そうにつぶやくと、ミヒャエルは部屋の外に控えていた従者を呼んだ。その様子を見ていたハンスも、イラリオンの前に歩み寄る。
「殿下。私も部下と連携を取り、周囲の探索を進めます。時間がありません。人数は多いに越したことがない」
「あぁ……お前らにも迷惑かけるな」
「いえ。では、お気をつけて。ヴァレニコフ、あとは頼む」
 ハンスはそうキールに声をかけ一礼すると、素早く館を出て行った。
「……あいつもなんだかんだで、巻き込んじまったな」
 イラリオンはその後姿を見送りながら、ぽつりとつぶやいた。
「惚れた腫れたがなけりゃ、真面目で良い奴なんだが」
「……仕方がないですよ」
 何が、仕方がないのか──キールもよくわからなかった。昔の自分なら素直に「そうですね」と言えていたと思う。
 だが自分もそんな気持ちのせいで、一番気遣わなければいけなかった相手を追い込んだような気がして──ハンスを笑う気にはなれないのだ。

   
(続く)