HOMEHOME CLAPCLAP

檻の中のカラスと孔雀

48:夜目の利かない鳥たち


 暗闇の中手にしたランプも、照らしてくれるのは手元まで。
 あるのかないのか、それすらもはっきりしないような手がかりを探す、というのは難しい。
 キール自身も、過去にこの辺りを歩いたことがないわけではないのだが、そんな古くからの怪しい地下通路の存在なんて、初めて聞いたのだ。入り口がどんな形をしているのか、それすらも想像がつかない。
 しかも探索が許されたのは、夜明けまで。
 悠長にしているわけにもいかず、キール達は別邸周辺を中心に探索するため、林の中の小道を戻っていた。
「……しっかし、ほんとにあるのかね、そんなもんが」
 イラリオンも古地図を眺めながら、半信半疑の声を出して歩く。縮尺の近い現在の城の見取り図と合わせながら、今は水路があると思われる位置の、真上を辿っていた。
「半信半疑なのは私も一緒です。でも、今はそれにすがるしかありません。地上はあれだけ探したわけですし」
 キールはちらりと、後ろから相変わらず、気乗りはしない様子で離れて歩いてくるミヒャエルと──その手を一生懸命引っ張っているアルノリトに向けた。
 何度見ても、胃の底が冷えそうな、奇妙な組み合わせだ──キールはそう思う。
 その後ろには一応、彼の臣下がぞろぞろとついて来ているのだが、ミヒャエルの機嫌がいいのか悪いのか測りかねているらしく、微妙に距離を取っていた。
 ああいう、優秀だが何が逆鱗に触れるのかわからない男に仕えねばならないというのも、大変だなとキールは思う。
 しかし今は、そんな彼の臣下の気苦労を案じている場合ではないのだ。こちらはこちらの仕事がある。
「……私も、こんな通路が城の下を通っているなんて初耳でしたけど」
 キールも、その地図に視線を落とす。
「どのくらいの方がご存じなんでしょうね。下にそんな空間あるってこと」
「さぁね。ほとんど知らないんじゃない? さっき、あの人が兵に指示出していたけど、ほとんどの連中が『何それ』って顔してたからね」
 イラリオンも、背後にちらりと視線を向けながら声を潜める。
「……城ってのは、案外奇抜な造りしているところが多い。隠し部屋だの通路だの、開かずの間の噂だの、聞いたことあるだろ?」
 イラリオンの問いに、キールは頷いた。
「そういうのって、案外噂だけじゃないんだよね。実際の抜け道なんかは、その城のお偉いさんと、その側近しか知らなかったりする。敵は外側だけじゃない場合も多いから」
「身内に刃を向けられる場合も考えて……ということですか」
「そ。よくあるじゃない。それまでよくしてくれた、優秀な臣下が突然裏切って、とか。案外そっちの方が、敵国に責められるより厄介だったりするからね。だから奥の手というは、すべての兵に教えなくてはいけないものではない」
「……そういう話をお聞きすると、国を信じて働く我々としては、むなしくなりますが」
「まぁそう言うな。俺も知らなかったんだから」
 沈んだ声を出したキールを、イラリオンは笑った。
「今回の地下通路は話が別だ。病気持ったネズミがわいて、それから水路潰して放棄されたわけだろ? 俺らのご先祖が造ったわけでもないし、気味が悪くて誰も入ろうとはしないだろうし、そのうち忘れられたんだろうな。そもそもどの程度、今も形を保っているのかもわからんし」
「でも多少なりとも空間が残っているのなら、そこに人ひとり引き込むことくらいはできるかも」
「……そうね」
 イラリオンはため息をついて、背後を振り返った。
「なぁお兄様よ。あんたはさっき、この地下水路の事、自分で調べたって言ってたけど……もとは誰かから聞いたのか?」
 アルノリトに手を引かれていたミヒャエルは、その視線に薄い笑みを浮かべた。
「まだ性懲りもなく私を疑うのか?」
「限りなく怪しいとは思っているけど、今はそういう話じゃねぇよ。誰かから聞いたのかって話」
「……存在は父上から聞いたのが最初だ」
「親父?」
 イラリオンは、目を丸くした。
「なに、わざわざあんたに、この城の歴史を語り継ごうとして?」
「そんな心温まるような話ではないな」
 ミヒャエルは鼻で笑う。
「昔、私の事をよく思わぬ臣下が、忽然といなくなった。その話になったとき、父上が笑いながら『お前は地下をゴミ捨て場に使っているのか』と私に尋ねた。私が、意味が分からんという顔をすると、それ以上は何も言わなかったがな。……それから、この城の地下になにがあるのか調べた」
 この男は、知識欲旺盛だと聞いた。旧統治者が使用していた古語も当たり前のように使いこなすし、自力でその存在と歴史を、興味深く紐解いたのだろう。
 しかしイラリオンは、呆れたように眉を寄せる。
「あんたそれ、めちゃくちゃ親父に関与疑われてたんじゃん……。どこにやったんだよ、その臣下。まさか消したか」
「言っておくが、その者に関しては免罪だ。余所の女と金に手を出して大事になりかけて、こちらがどうこうする前に勝手に逃げただけのことだ。つまらん。行方なんぞ知るか」
「あぁ……そのうちどうこうする予定ではあったのね……。おっかねぇ」
 イラリオンは小声でつぶやきつつ、げんなりした顔をする。
「で、下に降りたことは」
「ないと言っただろう。興味はあったが、いらぬ疑いを受けそうで辞めた」
「ふぅん……」
 イラリオンは、いかにも怪しい、という視線でミヒャエルを見る。
「殿下、ここはおさめてください。時間がないんですから」
 難癖付け合っている場合ではないと、キールはイラリオンを止める。
 少なくとも、このミヒャエルという男は、自分たちよりもこの地面の下の事に詳しいはずだ。聞く時間を与えられたうちに、答えてくれる気があるうちに、聞いておかなくてはいけない。キールも、そちらに向き直った。
「ミヒャエル殿下、先ほど地上からの出入り口はすべて把握しているわけではないとおっしゃっていましたが──把握しておられる場所もあるということですか?」
「あぁ」
 ミヒャエルはつい、と暗い林の中を指さした。
「それを案内してやろうと思った。ここから十歩ほど歩いた、あの辺り」
「十歩? ……って、うおっ!」
 イラリオンが小道から、下草の生い茂る雑木林の中に足を踏み入れる。数歩歩いたところで──イラリオンが驚いたような声を出した。体ががくんと沈む。
「殿下!」
 キールが慌てて近寄ると、イラリオンが地面に尻餅をついている。よく見ると、片足が地面に埋まっていた。土というより──朽ちた木の板だ。それを踏みぬいたらしい。
「……人の話を全部聞く前に行くからだ、まぬけ」
 ミヒャエルが、アルノリトと手をつないだまま、心底馬鹿にした顔でこちらを見ていた。
「そこに古井戸があるから気を付けろ、と言おうとしたのに」
「全然言う気なかっただろうがあんた! ほんと性格悪いな!」
 キールに手伝ってもらいながら足を抜くイラリオンは、苛立った様子で声を荒げた。
 草むらの中に、ぽっかりと口を開けた古井戸。
 暗くてはっきりとは見えないが──中をランプで照らすと、井戸の周囲はしっかりとした石組みで作られていた。入り口は狭いが、中は広い。
「井戸、なのですかこれは?」
 中を覗き込んだキールは、眉を寄せた。暗くて、底に水があるかはわからない。
「井戸を模した通気口だろうな。正確には」
 ミヒャエルは、その場から動かず告げる。
「私はそこしか知らんが、どちらにしろ、正規の入り口ではないと思う。階段もないし、入り口も狭い。中の状況もわかりにくい」
「じゃあ僕が入ってみる!」
 アルノリトが、鼻息荒くミヒャエルを見上げる。
「やめておきなさい、危ない。それに、板を踏みぬいたそこの馬鹿──見ていないかもしれんが、誰かがここを使った形跡はなかっただろう?」
「えぇまぁ。馬鹿は余計ですけど、誰かがこの板、ひっくり返した様子もなかったよ。綺麗に土かぶって、上に草も生えてたしさぁ。知ってたなら被害が出る前に柵でも立てとけよ性悪!」
 イラリオンも舌打ちしつつそう答える。
 キールは真っ二つに割れた朽ちた木の板と、黒々と地面に口を開ける通気口を、交互に見つめた。確かに誰かがここを使った形跡はない。草を踏みしめた足跡も、自分たちのものしかない。
 しかしここは、例の別邸と目と鼻の先でもある。
「私……一旦ここから降りてみようと思います」
 キールはその場にあった石ころを拾う。それを、ぽとりと通気口のなかに落としてみた。
 からん、という乾いた音がすぐに聞こえた。下は水が溜まっているわけではないらしい。
 穴の深さは、大人二人分、というところだろうか。飛び降りるには、ちょっと深い。だが組まれた石の隙間を伝えば、降りることはできそうだ。
「危ないぞ。上がるときどうするんだよ」
「自力で上がれなかったときは、助けてください」
 キールはイラリオンにそう笑いかけると、アルノリトが必死の形相でこちらに駆け寄ってきた。
「キール、僕も行く!」
「下は何があるかわからないので、ご当主は殿下たちと一緒にいてください。別に入れるところが恐らくどこかにあるはずなので、そこから」
「やだ。キールまでいなくなったら、やだー」
 そう半ば泣きそうな顔ですがりつかれると、ちょっと決意が弱まる。
「……大丈夫ですよ。いなくなりませんから」
 キールは苦笑しつつ、その頭を撫でる。
「私は、今回の犯人突き止めてぶん殴って、あの人無事に連れて帰ることしか考えていませんから。いなくなったとしたらそれは、本意ではないので。……三人で、ちゃんとご当主のおうちに帰りましょうね。そのために危ないことは、まず私がやります」
「……わかった」
 アルノリトは納得していないようだったが、しばらく黙って、頷いた。
「お前、相手ぶん殴るのはいいけどさぁ」
 イラリオンがアルノリトの肩をひき寄せつつ、どこか楽し気にこちらを見た。
「俺もやったれ、とは思うけどさ。もし相手がすっごく偉い人だったらどうすんのよ? そりゃ向こうに非があるから、命取られることはないと思うけど、お前騎士業クビになっちまうかもしれないよ?」
「もう、そこまでしてしがみ付くものとも思っていませんから。人命の方が大事です」
 言い切るキールを見て、イラリオンは笑った。
「……そうかい。じゃあお前がやらかして、クビになっちまったら、俺と一緒に都落ちしようぜ。一生田舎で日の目みないけど。信用できる従者はいつでも募集してるから」
「じゃあそのときは僕も一緒におじさんの田舎行くー!」
 アルノリトがうきうきと宣言した。
「うん、遠足じゃないんだけどな……まぁお前多分、意味わかってないと思うけど、他に面倒見れる奴もいないだろうしね……。お兄様はどう思う?」
 俺はまだお前を怪しんでいる、という視線で、イラリオンはミヒャエルを見た。ミヒャエルは面倒そうに、その視線を受け止める。
「処分のことなど、事が済んでからにしろ。こちらとしても、首謀者に葬儀の前日に面倒を起こしてくれた責任は取ってもらうつもりだ。ここから降りるのは勝手だが、何があっても私は知らんぞ。恨んでもらっても困る」
「はい」
「おじさん、人にはもうちょっと優しい言い方しなきゃ駄目なんだよー?」
「……」
 眉を下げたアルノリトに真正面から言われて、ミヒャエルは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
 それを見て、イラリオンはぷぷ、と笑いをこらえていたが──険悪な兄弟喧嘩に巻き込まれている場合ではない。
 ともかく、キールはミヒャエルに一礼して、通気口の中に足を入れた。
 入り口は狭いが、肩が通ればなんとかなる。キールは騎士としては体格に恵まれた方ではない。歯がゆい思いをしたことは何度もあるが、今は自分の体に感謝した。もっと大柄であれば、入り口で引っかかっていただろう。
 石はしっとりと湿っていて、気を抜けばずるりと下まで滑り落ちてしまいそうだ。足先を引っかける先を探しつつ、ゆっくりと下に降りる。しばらく下ったところで、キールは飛び降りた。着地の音が、嫌に響く。
(この瞬間、足首ひねったとかだったら笑えないな)
 そんなことを思いながらも降り立った先には、ぽっかりと横穴があった。穴は大きく、成人男性一人が立っても、狭苦しくは感じない。そちらの通路から、風の音が強く聞こえる。空気の流れがある。
「キール、受け取れ」
 手にしていたランプと剣を、そのあたりにあった蔦にくくって、イラリオンが下に届けてくれた。穴を、イラリオンとアルノリトが覗き込んでいるのが見える。下から見ると、思ったよりも高さがあった。彼らの顔が小さく見える。
「どうだ、埋まっているか、その辺り」
「……いえ」
 キールは、辺りをランプで照らす。横穴の先も、天井が崩落している様子はない。入った穴は、通気口兼、建設時の土砂や、資材を出し入れする穴だったのかもしれない。
 降り立った場所から横穴の方へ少し歩くと、よどみのある大きな流れが見えた。粘り気のある黒い泥がたまった上に、ちょろちょろと水が流れている。
 水路のわきには、人が一人通れるほどの通路がある。通路には、得体のしれない黒いコケが生えていて、ぬるぬる滑って足場が悪い。
 そして、水路はいくつかの分岐に別れていた。
(確かこの辺りで、本流と別邸側からの道が合流していたはず……)
 キールは見せられたあの図面を思い出す。ということはこのまま行けば、自分たちがいたあの別邸の真下辺りまで行けることになる。
(よく造ったな、こんなものを)
 キールは感心した。今この国に、ここまでの建造物を造る力があるだろうか。三百年も前の滅びた国と思っていたが、なんだかぞっとするものも持っている。
 キールは縦穴の真下に戻り、まだこちらを覗き込んでいる二人を見上げた。
「中は少々入り組んでいますが……別邸の下あたりまで行けそうな道が続いています。私はこのまま、周囲を探索します」
「キール、ねずみいるー?」
 アルノリトが心配そうに尋ねて来た。この子供は、ねずみがちょっと怖いらしく、マキーラが森の野ネズミを捕らえたときは、何故か逃げ回っていた。
「今のところはいませんね。臭いとかも感じません」
 降りた瞬間、飢えたネズミの群れに襲われたら──と思ったが、そもそも生き物の気配がしない。人の生活臭のようなものもなく、どちらかと言えばここは枯れて、寂れた遺跡だ。
「壁、もろくなったりしてないか」
「この辺りは、大丈夫そうですけどねぇ」
 天井をランプで照らしながら、イラリオンの問いに答える。今にも落ちてきそうな天井──という様子はないが、あまり長居したい場所でもない。暗くて天井の低い場所というのは、徐々に不安な気持ちになってくる。人間は、暗い世界にはとことん弱い生き物なのだと思い知らされる。
「それでは、私は行きますから」
「おう。上がれなくなったら、この下に来い。紐でも垂らしておいてやるから」
「お願いします。殿下、ご当主をお願いしますね」
「任せろ。よし、行こうかアルノリト。おじさんが抱っこしてやる」
「やだー」
「なんで嫌がるのよ、そこまで……」
 ぱたぱたと逃げるアルノリトと、落ち込むイラリオンの声が遠ざかっていく。
 キールは、場違いながらも苦笑した。あれがテオドールなら、後ろからすくい上げるように持ち上げられても、アルノリトも文句ひとつ言わないのだが。この間、自分が初めて抱き上げたときも、ちょっと戸惑うそぶりを見せながら、大人しく腕の中に収まってくれた。
 基本愛想の良い子供ではあるけれど、微妙な区別というのは、あるらしい。
 キールも気持ちを仕切り直し、再度水路の方へと戻り、別邸の方へと歩き始めた。
(少しでも手がかりを見つけなければいけない)
 地上はあれだけ探したのに、あの男の痕跡は欠片も見つからない。
 これは、神隠しなどではない。真下にこんな空間がひっそりと存在しているというのなら、怪しいと思うのは自然のことだった。
 慎重にランプで足元と周囲を照らしつつ、キールは前に進む。
 しばらく進んだが、別邸側に進むにはどぶ川となった水路を渡らねばならないことに気付いた。橋らしいものもない。飛び越えるには足場が悪いし、少々距離がある。迷ったが躊躇している場合でもないと、どぶ川に足を踏み入れた。
 どぷりとした気色の悪い感触が、靴底に伝わる。たまったヘドロで、足首まで埋まった。しかし構わず、そのまま向こう岸に渡り切る。
(やはり臭いな)
 泥をかき回すと、独特の腐臭が漂う。
 それに眉を寄せたキールが、無残な姿になった自分のブーツに視線を落とした時──地面に点々と、足跡が残されているのに気付いた。もちろん自分のものではない。硬いブーツの底が、通路に生えた、ぬるつくコケをえぐったのだ。
「……」
 しゃがんで、キールはそれをじっくりと見つめた。足跡は、奥の方まで続いている。複数の足跡にも見えるが、どちらかと言えば一人の人間が、行ったり来たりしたような──。そう古いものではない。
 キールは、自分足跡と比べてみた。靴底の形がよく似ている。そして自分の足より若干大きい。
「最近、誰か来ている……」
 男だ。
 しかしテオドールの靴ではない。彼は鳥かご屋敷に残された前任者の古い靴を履いていて、若干大きさもあっていない。履きつぶした靴はへたれていて、靴底も擦り減り、こんなかっちりした靴底の跡はつかない。
 キールは立ち上がると、その足跡を追って歩き始めた。胸がざわめきはじめる。何か嫌な予感がする。
 ゆっくりと細い通路を辿り、角を曲がる。そろそろ別邸の真下辺りに来た頃だ──そう思ったキールは、驚いて息を止めた。
 そこは妙にがらんと、部屋のような大きな空間が広がっていた。
 ゴミ捨て場のように、朽ちかけた木箱や得体のしれない布の断片、割れた食器、砂利などが散乱している。数百年前に用意されたのだろう、建築用の木材なども、未だに積んで置かれていた。ネズミが齧ったのか、下には木屑が大量に落ちている。それらもすでに、土にかえりつつある。
 ふと見れば、そのさらに奥の壁に、古い木のはしごのようなものがかかっていた。体重をかければ折れてしまいそうだが、ここを上ると、おそらく別邸周辺に出るのだろう。どこに繋がっているのか知らないが。
(地下の物置としても使われていたのか?)
 もしくは、過去に浮浪者でも住んでいたか──そう思わせるような荒れ具合だった。
 突然の人間の痕跡に気味の悪さが倍増したが、あの足跡がこの近辺に大量に残されていることを考えるに、あの梯子を使用して出入りしていたとしか考えられない。内側から開かねば、入った人間だって出られないはず。
 そう思って足を進めたキールは、ゆっくりと周囲を見渡す。うっかり人骨でも転がっていそうで、あまり触りたくない──そんなことすら考えたが、ふと──ぎっしり積まれた歪んだ木箱の隙間から、ちらりと弱々しい明かりが見えた。
 その瞬間、息が詰まった。
 辺りのものを踏みつけながら、キールは木箱の隙間を、懸命に明かりで照らす。
 明かりのもとは、自分の持っているもの同じようなランプ。しかしすでに燃料も尽きそうで、弱々しく、命絶えそうな光を放っていた。
 そしてその向こうにうっすら見える、だらりと投げ出されて動かない、人の足。
 自分は、その足が履いた靴を知っている。出会ったあの日、あの男のために、仕方なく自分が物置をあさったのだから。
「……テオドール!」
 考えるよりも前に、キールはその名を呼んでいた。
 足は、ぴくりとも動かない。

   
(続く)