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檻の中のカラスと孔雀

閑話:残滓


 二階には物置がある。
 四部屋あるうちの一室。そこはテオドールが来た時から、物置として使用されていた部屋だった。整理されているわけでもなく、中の様子は乱雑、の一言に尽きる。
 窓を覆いつくすほど、天井近くまで物が積まれたこの部屋は、暗い。
 置かれている物も様々で、掃除道具などもまとめて突っ込んではあったが、シミのついた洋服であったり、古びた剣であったり、誰かの泥まみれの靴であったり、 カビの生えた油絵であったり──必要なのか大事なものなのか、それとも捨てるのが面倒で押し込まれているだけなのか──それはわからない。
 この状況をつくりだした「前にいた人」はもう死んでいる。
 テオドールも、ときどきこの物置に入る。大抵は掃除道具を探しに入る時だ。得体のしれない染みがついた洋服は、着たがる人間もいないと思うので、床拭きの雑巾として有難く使わせてもらった。まだ着られそうなものは、己の着替えとして使ったりもする。気味が悪いなんて贅沢を言っている余裕はない。
 感傷的になったり、不気味に思うほど、テオドールは「前の人」を知らない。そもそも、あまり知りたいとも思っていない。
 ──この地に来て、しばらく。
 己の暇つぶしと、ある種の逃避として進めて来た屋敷の掃除はほぼ落ち着きつつあり、残すところはこの一室だ。案外几帳面な性格をしているテオドールは、この「とりあえず隙間に突っ込み、ひたすら積みました」というような物の置き方が、正直許せない。見ていてイライラするので、なんとかしたい。
(結構細かい男だったんだな、俺は……)
 物置の入り口に立ちつつ腕を組み、思う。考えてみると、育った家は貧乏ながらも掃除は行き届いていた。鷹を飼っていたから、というのもあるが、兄も義姉も当然のように几帳面な人間だったのである。
「……」
 じわじわと昔の事を思い出したが、それを振り払うように、テオドールは頭を振る。
 とりあえず、処分が楽そうな紙類からなんとかしようと、棚の上にうずたかく積まれたそれと格闘する。
 ろくに字が読めない自分は、価値もわからない。だからさくさく捨てられる、という強みもあるのだが──ふと後ろから視線を感じる。
 キールが、開け放った扉の向こうから、じっとこちらを見ていた。
「……何」
「いや。あなたがごそごそ何かやってるなぁ、と思ったもので」
 そう笑うが、中に入ってこようとはしない。
(そういや、前──怖いとか言ってたな)
 そんなことを思い出す。
 確か、キールが知る前任者はとても「几帳面」で「真面目」な人間だったらしい。とてもじゃないが、この屋敷を廃屋のような有様のまま放置し、この部屋に何でもかんでも雑多に放り込むような人間ではなかったと。
 だから、この部屋を見ていると、その男の心の疲弊と、壊れ方を見るようで嫌だ──そんなことを言っていた。自分がそうなるかも、という恐怖も、多少あったらしい。
 しかし、手伝う気もない癖にじっと見ていられるというのは、言いにくいが──非常に邪魔だ。
「……片づけないほうがいい?」
 肩越しに振り向きながら言えば、キールは首を横に振る。
「いや。そういうつもりはなく……」
 複雑そうにつぶやいて、キールはようやく物置の中に入ってきた。
「なんか、この部屋来ると気が重くて……なんていうのか、残滓とでもいうのか……今となってはこの場所が一番、父や一緒にいた方々の痕跡があるから」
 片隅に立てかけられた、立派だが錆び始めている剣や、形の崩れたブーツ。それらは、ここを訪れ、命を落とした人間たちのものだろう。剣はともかく、ブーツや服まで残しているというのは確かに不気味だ。ここに残った前任者は、何を考えていたのか。形見のつもりだったのか。だが汚れたまま放置しているそれは、大切にしているとも思えない。
 意図が見えないというのが、一番怖い。
「がらくたはともかく……どうする? これ」
 テオドールは、剣を指さす。
「剣は私から、遺族の方にお渡しする機会があるかもしれないので、一応残しておきましょう。それ以外は捨てちゃってもいいと思います」
「じゃあ手伝え」
「やっぱり、そう言われると思ってました……」
 キールは明らかに乗り気ではなかったが、ここで立ち去るのも人としてどうかと思ったのか、しぶしぶ手伝い始める。一応、掃除も炊事も、言えばやるのだ。自主的に動く習慣がないだけで。
「紙類とか本は俺じゃわからんから、お前が中身確認してくれ」
「どうせ、ここに突っ込んであった時点で大したものじゃないですよ……」
 キールは積み上げてある小さな本を一冊手に取り、ぱらぱらとめくった。だが中身を見て、あからさまに眉を寄せた。
「あぁ、これ……」
「なんだ」
 覗き込むと、それは手帳のようでもあった。手書きの文字が、びっしりと書き込まれている。見たはいいが、さっぱりわからない。
「これ、日記みたいです。あの人の」
「前任者?」
 そう尋ねると、キールは頷いた。しかしあまり良い内容でないことは、キールの表情でわかった。
「えぐいこと書いてありそうだな」
「……これだけで、立派な呪物になりそうです。こちらの精神までやられそう」
 言いながら、キールはそれを閉じた。そしてそれを、燃やすごみと一緒に置いた。
「それは……取っておかなくていいのか。形見みたいなものだろ」
「あの人が、ここでどんな思いで生きていたかなんて、手紙でわかっていますし」
 キールはその上に、どんどん捨てる書類を積み上げていく。
「私でも、読むだけで具合悪くなりそうな代物ですよ。そんなもの、誰に渡してもいい影響あるわけない。ましてや個人的な日記ですし」
「……そうか」
 テオドールは字が読めないので、それがどんな文章であるのかは、きっと知る機会がない。だがキールがこうしてさっさと捨ててしまおうとするのを見るに、よっぽどな内容なのだろう。
 その男は自分を責め、己の運命を呪って、次第に周囲にまでその呪いを向けるようになったと聞いている。
「この辺りのものは、さっさと燃やしましょう。窓も開けられるようになったら、この部屋のどんよりした気配も消えるでしょうし」
「確かに換気はしたいな」
 窓を開けるには、その前に積まれたものをなんとかしなければならない。まだ先は遠い。
「最初は、この屋敷全体がこの部屋みたいな空気だったのを、思い出しました」
「お前が全然掃除しなかったからな」
「いや、まぁ……私もそれどころじゃなかったんですよ」
 キールは情けなく笑う。
「おかしくなっていたつもりはなかったんですけど、あの頃はちょっとおかしかったのかもしれない。孤独ってのは、思っていた以上に精神削ってくれるので」
「……だろうね」
 そこだけは同意した。自分もこの土地に来たときは、周囲に噛みつきながらも、随分と神経をすり減らしていた気がする。あれがずっと続いていたら、自分もおかしくなっていたかもしれない。落ち着き、話す相手を得た今だから、言えることだが。
「アルノリトが来る前に、見られたらまずそうなものは全部縛ってくれ。あとで燃やす」
「えぇ。この際、徹底的に」
 キールはそう言いながら、書類や書籍を紐で縛る。珍しく乗り気で作業している。
(こいつの中でも、ふんぎりはついたんだろうな)
 だが自分は、その前任者の服を着て生活している。彼を知るキールやアルノリトは、そんな自分をどう見ていたのだろう?
(まぁ、考えないほうがいいことってのは、あるものだ)
 テオドールはそう思うことにした。
 この地で徐々におかしくなっていったという、その男。  同情すべき点は多々あるのだろうが、テオドールはそれを理解してやろうとは思わない。歩み寄ろうとも思わない。
 故人には敬意を払うが──この世に残しておかなくてもいい感情というものは、それなりにあるものだと思っている。

   
(終)