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檻の中のカラスと孔雀

52:猛禽と、平和なひととき


「テオドール、お口開けてー」
 アルノリトが、ベッドの端によじ登る。手には白っぽい粥の入った器と、スプーン。看病する気満々である。
「自分で食えるからいいよ……」
 絶対シーツの上にこぼされる──そう不安になったので、テオドールはそう言って、器を受け取った。
 見るからに病人食、というようなそれは、朝食として出されたもので、あまり具が入っていない。ふやけた穀物を、牛の乳で煮込んだ粥。正直塩気もほとんどなく、どろどろしていて、乳臭さしか感じない。栄養はあるらしいが──。
「それ、あまり美味しくないよねぇ?」
 もそもそと口に運んでいると、アルノリトが、ベッドの脇に両肘を置いて首を傾げた。
「僕、まだキールの、味のしないご飯の方が好きだなー」
「……そうだな」
 アルノリトの言葉は、褒めているのか何なのかわからないが、思わず同意した。
 あまりこの国独自の家庭料理だの伝統料理だの、そういったものをきちんと味わうことがなかったのだが──正直、自分の味覚的に、何だこれというものも出てくる。
 アルノリトも、この乳粥はお気に召さなかったらしい。残したりはしないが、難しい顔をしながら食べていた。
 しかしキールだけは、当たり前だが馴染みのあるものだったらしい。乳粥は栄養がある、と言ったのもあの男である。この辺りでは、体調を崩したときの定番食でもあるらしい。
(これ、作るのは難しくないだろうけどなぁ……牛の乳なんてあの森の中じゃ手に入らないだろうし、そもそも俺があまり食いたいと思わんし……)
 この国の料理も、多少は覚えるべきなのだろうか? 
 アルノリトにとってもそちらの方がいいかもしれないし、たまにはこういう、馴染みのありそうな料理を作ってやった方が、あの男も喜ぶのだろうか──なんて考えたが、こちらの考えを見透かされて、うれし気にあれこれ言われるのも面倒くさいと思ったので、いったんその考えは保留にする。
 相変わらず、そういうときはどうすればいいのかわからない。

 しばらく安静にしていろ、なんて言われてから、もう数日が経過している。
 まだ若く、元々体が丈夫なテオドールは、傷の治りも早い。まだ頭の包帯は取れないが、傷の腫れも引いてきたし、めまいもほとんど起きなくなった。
 頭が割れたんじゃないか──殴られたときはそう思ったのだが、結局骨にも中身にも、後々引きずるような影響は今のところ出ていないので、つくづく石頭だとは思う。
 こんなに寝床で横になっていたことも今までの人生でなく、退屈で退屈で、そろそろ腰も痛くなってきたので、テオドールはベッドから起き出したが、そのときちょうど、外に出ていたキールが戻ってきた。
「……もう起きる気ですか?」
 扉を開けたキールは、こちらを見るなり怪訝な顔をした。じっとしていられない子供を見るような視線だ。
「もう少し休んでいた方が……」
「もう寝飽きたし、こんな場所で大層に病人している方が、俺的に気まずい」
「まぁ、気持ちはわからないでもないですけど……」
「僕もお外出たいなー」
 アルノリトも笑顔で寄ってきた。外に出たがる二人を見て、キールは少し困ったように笑う。だが、気分転換も大事だと思ったらしい。
「……じゃあ、少しだけ、外の空気でも吸いましょうか。今あんまり遠出すると怒られちゃうので、散歩まではできないでしょうけど」
「それでいい」
 汗を吸った寝間着を脱いで、置かれていた着替えに袖を通す。ぱりっとした白い、形のよいシャツというのは、逆に着慣れなくて着心地が悪い。やはり、身の丈にあったものというものはあるものだと、テオドールは思う。
 
 ──そう言えば、自分が地下に引きずり込まれたという通路はどこにあったのだろう? 
 テオドールはふと気になって、キールにそう尋ねれば、彼はにやりと笑った。
「見ます?」
 頷くと、案内されたのは、何故か屋敷の奥にある小さな厨房だった。あまり使われた形跡がなく、釜戸にはすす一つもついていない。
「……お飾りだな」
「お客様用ですからねぇ、ここ。そんなに調理もしないでしょうし。我々みたいに、食事は運んでもらうことが多いんでしょう」
 キールの言葉を聞きつつ、テオドールは天井から床まで見渡してみたが、怪しげなところなど一つも見当たらなかった。地下から脱出する前に自分は力尽きたらしく、どこをどう通ったかなんて覚えていない。
「何もないけど……」
「これがですね、この食器棚なんですけど、実は動くんですよ」
 キールは、大きな食器棚を指さした。中にはいくつかティーカップも置かれている、飴色の見た目重厚な棚だ。
「なんか、凄く重そうだが……」
「外板だけですね。おそらく中は軽い素材で作られているので、見た目ほどじゃないですよ」
 キールは言いながら、棚を引っ張った。予想外に、棚は扉を開けるようにくるりと動く。
 すると石の床に、一部分だけ金属の蓋のようなものがはめ込まれているのが見えた。随分とさびている。
「こう、ふちに溝があるので、そこに棒なんかを引っ掛けて開ける仕組みです。実際は、秘密の抜け道というより、ここから汚れた水を流したり、何でもかんでも投げ入れるような、ゴミ捨て場みたいに使っていたのかもしれないですね。古い生活ごみもあったし。水路がきちんと生きていたときは、街の外まで運んでくれたんでしょう」
「……なるほど」
 それはネズミもわくなと思った。今、その蓋を開けてみようとは思わなかったが、あの湿っぽい暗闇の光景は、はっきりと思い出せる。
 自分の状況そのものだと思った。
 動けず何も見えず、たった一人で。もうどうなってもいい、そんな投げやりな気持ちも多少あったのに、闇というのはやはり恐ろしくて、急に心細くなった。人恋しさのようなものも、生まれた。
 そして、自分の本音というのも──思っていたよりも生々しく、顔を出した。
「あの人──何かの機会でここを知ったんだろうな」
 名前は出さなかったが、キールはこちらが誰の事を言いたいのか、理解してくれたらしい。
「おそらく。……行方不明の事件なんかで、犯人が自宅に被害者を隠していたりする場合がありますけど、今回はそんな気分でしたね。あれだけ大騒ぎして、あなたはこの真下にいたんだから」
 灯台下暗し、というやつなのだろう。だが別に、気付かれなかったことを、どうこう言うつもりも、テオドールにはない。
「俺、あの人思い切り殴って傷も負わせたけど……やんごとなき血筋の方だから、殺されても文句は言えないんじゃないのか。その事、何も言われてないが」
「まぁ、いろいろ意見を持つ方はいるでしょうけど、お気になさらず。……ミヒャエル殿下……いや、もう陛下か。あの御方も、その気はないみたいですよ」
 キールは、意味深に目を細めて、こちらを見る。
「今回ご当主も、ちゃんと一部始終を見ているわけです。あのとき、地下であなたと再会したとき、ハンス様が悪いと知ったのに、あの方は攻撃しなかった。……何故だと思います? したことは、私の知人の非じゃなかったのに、ですよ。……おそらく、あなたが近くにいたからだと、私は思っています」
 ちらりと、台所の入り口を振り返る。そこにはアルノリトがいたはずだが、姿がない。炊事場から顔を出すと、廊下をマキーラと一緒に、うきうきと玄関に向かって歩いていた。困ったような顔をして、キールは後を追う。テオドールもその後に続く。
 二人の足音が、こつこつと廊下に響く。
「……ここも音が響きますけど、あんな地下の、音がさらに反響する様な場で、誰かを殺す勢いで声をあげたら、多分全員巻き添えでしたよ。ミヒャエル殿下もわかっているんでしょう。だからわざわざ、ご当主からあなたを取り上げるような真似はしない。どこに飛ぶかわからない危ない火の粉なんて、かぶりたくないでしょうから」
「……アルノリトは、理解してやってるんだろうか」
「さぁ。そのあたりは、人の理解ができる範囲なのか」
 キールはどこか、投げやりに言った。
「あの方は多分、自分が何者かもわからないんでしょうし、教えてくれる者もいなかった……あの方が大人になったらいろいろ、腹の底まで話してみようとは思ってます」
「それまでこの任務、続ける気か」
「実際、それを判断するのは私の上、ですけどね──でも、ここの方々見ればわかると思いますけど、できそうな人、いないじゃないですか。あなたとうまくやれそうな人もね」
「……俺はここに残る前提かよ」
「違うんですか?」
 キールは、にんまりと笑ってこちらを見た。テオドールは、何も言わずに黙る。
「私は迷惑だなんて、今は全然思っていませんからね」
「今は──ってことは、最初は思ってたんだろ」
「それは、お互い様だと思うんですよ」
「……」
 迷惑というか、いけ好かない奴、と思っていたことは事実だったので、テオドールは再び黙る。キールは、そんなこちらの顔を見て、ひとりで笑っていた。
 
「お日さまが、ぽかぽかしてるねぇ」
 アルノリトは、マキーラと一緒に、玄関を出たところにある石段に座ってご機嫌だった。一緒に朝日を浴びて、日光浴をしているらしい。
(こういうところは鳥だ)
 並んで、ほくほくとしている姿を見ながらそう思う。
 どうやら、この国の雨季というのもようやく終わりの方に足を突っ込んだらしく、徐々に晴れの日が多くなってきた。
 テオドールも、さわやかなその日差しをその身にあびる。太陽というのは偉大で、なんとなくではあるが、心のくすんだ部分も多少ましにしてくれるような感覚がある。周囲に緑が多いのもいい。腫物に触るようなこの別邸の周囲には誰も歩いておらず、静かで心地よかった。
「いい天気ですね」
 キールに声をかけられて、頷く。今日は来客もなく、本当に久々に、見知った顔だけでのんびりできている。
「……なぁ」
「はい」
 声をかければ、キールが応える。
「お前との取引も、白紙に戻ったわけだけど……」
 そう言えば、キールの眉間にしわが寄っていた。表情が正直すぎて、呆れる。
「まだ何も言ってないだろうが……」
「……だって、そういう切りだし方されると、不安なんですよ」
 キールはため息をついて、視線のやり場に困ったのか、まだ三角巾で吊られている己の左腕に視線を落とす。
「例えば……何が不安?」
 自分でも、珍しいことを聞いているなと思う。キールもそう思ったのか、意外そうな顔をしてこちらを見た。
「戻ったら真面目な話しようって、散々お前言っただろ」
「そうですけど、あなたから振ってくるのが意外でした」
 キールは苦笑する。アルノリトとマキーラはまだ日に当たっていたいようだったが、こちらはだんだんまぶしくなってきたので、少し離れた木陰に移動する。キールもそちらに、自然とやってきた。
「白状すると……なんて言うかな。兄さんたちの事を聞いてから、もう死んでもいいかなって、そういう考えが頭ちらつくようになってた」
「……」
 キールは、黙ってこちらを見た。その目は「やっぱり」とでも言いたげだ。
「弱いって思うなら、どうぞ」
「別に。……人間、弱るときだってあるのが当たり前でしょう? 常に強くいろなんて、無理でしょ。そういうこと人に言う人に限って、自分が折れたら立ち直れないことが多い」
「お前も、心折れたことは?」
「腐るほど」
 その言い方に笑う。この生真面目な男も、毅然としているようで、何度も心折れる経験をしているのだろう。
「でも別に、涙が止まらないとかでもない。……もう何もかもどうでもいいかなって、いつ終わってもいいかなって、そんな乾いた気分だったんだけど」
「そういう人の方が危ないですからね。周り気付けないし」
「お前は、気付いていた?」
「……薄々。でも、そうなんですかなんて、面と向かって言えないし。あなたは、辛いって人に言うのも、多分苦手な人だろうから」
「難儀な性分なんだよ」
 テオドールは苦笑した。わかっているのだが、なかなかそれができない。
「それで結局後々まで引きずって──しこりばかり残るわけだ。自分が嫌になる」
「……でも私、あなたのそういうところ、好きですけどね」
「俺は、お前のそういうところが苦手だが」
 眉を寄せて言えば、キールは笑う。
「なんて言うのか、いろいろ本音を引きずり出したくなるんです。あなたという人が、話せば話すほど優しいのがわかるから。でも、周りの事を考えて自分を押し込めているのもわかるから、そういうのを見たくなるんでしょうね。自分になら見せてくれるんじゃないかと思って、うぬぼれる」
「趣味が悪いな」
「だからこそ、こんなところであなたを、先日から一生懸命口説いてるんでしょう?」
「……」
 口説かれているのか──と思うと、頭が痛くなってきた。
 ちらりと、アルノリトの方を見る。あの子供は、のんびりとマキーラと会話をしながら、日向ぼっこを楽しんでいる。ほのぼのとした空間だ。今はこちらの会話に興味はないようで、ちょっと安心した。あまり子供に聞かせたくない会話である。
「だから、私のことは心配してもらわなくてもいいので、あなたがどうしたいかだけ言ってください。その方が楽だろうし、あなたはそろそろ、そんな生き方をしてもいいはずだ」
 キールは木陰に腰を下ろす。
「若造が何生意気言ってるんだと思うかもしれないですけど、私だって遊びで、こういうこと言う男のつもりはないですからね」
「遊びで言えるんだったら引く……」
「いや、いるじゃないですか、世の中そう言う事、軽く言える人が」
 キールも苦笑する。
「こっちも、いろいろ考えたうえで、やっぱりあなたが好きで、あなたに幸せになってほしいから言ってます。あなたに、散々頼ってばかりだったので、信用ないかもしれないけど……これでも、結構緊張して、言ってますよ」
 別に、信用してないとかではないのだが──さすがに冗談で、こんな粗野な男を捕まえて、覚悟を決めたような物言いはしないだろう。自分も、さすがに正直に言わなければいけない気分になってくる。
「……お前たちといるのは」
 テオドールは、しっかりとした樹の幹にもたれる。
「心地いいと、思ってる」
 木陰の間からキラキラと見える日差しを見上げながら、テオドールはつぶやく。
 もし、この男がほかの、きちんとした人間に向けて、誠実に口説き文句を言っている場面に遭遇したら、どうしようと考えて──それはそれでいいことなんじゃないかとは思ったが、なんとなく腹が立ちもする。
 気に入らない──そう思う気持ちの正体は、自分も子供じゃないので、とっくに見当がつくのだが。
(俺が選べる立場にないの知ってるくせに、このボンボンは本当に)
 世間知らずのくせに、その青臭さを恥もせず、いつも真正面から来る。そこも腹立たしい。
「……お前の事は好いてるけど、その……」
「その、はいらないですよ」
「いるだろ、一人息子だろお前。例えば母親に胸張って言えるか、俺の事」
「え、言えますよ?」
 キールはけろりとした顔で答える。
「って言うか、すでに言いました。好きな人いるって」
「……」
 あまりにもあっさりと言われたので、テオドールは眩暈がした。
「私が言い出したら聞かない面倒な男だってこと、育てた母親が一番知ってますよ。……というか、この任務についたときに、いろいろ互いに覚悟もしましたからね。……悲壮な決意で送り出した息子が、案外呑気に生きていて色恋語るものだから、あなたに感謝してました。できれば会わせてみたいんですけど、あなたは遠慮するかな、と思って。どうします? 私は別に、いいんですけど」
「お前、俺の逃げ道をことごとく潰すな……」
「逃げ道、欲しいですか?」
 不服そうに言われる。
「いや……でも」
「私はあなたと一緒にいたいし、あなたに楽になってほしいから、そのためにできることは何でもしたい。人がどう言ったって、そんなの関係ないですし。他人に左右されることほど、つまらないものもないですよ」
 言い切れる、この男が少し羨ましい。青臭いとは思うが、まぶしくも見える。
「……なんで、俺がそこまでいいんだろうな」
「私にとっては、あなたが一番心開ける人ですから」
 恥じる様子もなく言われるのは、なんだかこちらが恥ずかしい。
 心開けているというのなら、自分もそうだ。
 情けないことに、自分という人間は、この男以上に誰かに胸の内を語ったことなんて、ないのだ。
 元々人に好かれる人間だという自覚もなくて、仕方なく選ばれることはあっても、「自分がいい」と言われることは、一生ないと思っていた。
 しかしこの男は、見栄えもそんなに良くなくて、学もなくて身分もない、気の利いたことも言えない、自分のような男がいいのだという。
 テオドールは、木陰の木漏れ日を見上げながら、そのままキールの隣に腰を下ろした。天気の良さと、この平和さ。別れもあったし、心の中は、何もかも穏やかとは言えない。心のうちに、引っかかる人間たちもいる。もやもやもする。
「……俺だって、お前をあしらっているわけでも試しているわけでもないからな」
 そんな遊びは知らないし、そこまで器用でもない。
「感謝もしているし、好いてもいるけど、……地下の時も言ったように、俺がお前の重荷になるのが怖い。どうでもいい人間だったらここまで言わない。苦労してほしくないから言ってる。世の中、お前みたいに人の良い連中ばかりじゃないよ」
「だから、私は気にしないって言ってるじゃないですか」
「俺が気にする」
「じゃあ──」
 キールもどこか面倒そうに、空を見上げる。
「どこか、別の国でも行っちゃいますか? 私は騎士でもなくなり、あなたは奴隷でもなくなり、周りは誰も、私たちのことを知らない。私たちはただの、異国の男です。そうすれば、何も問題はないのでは?」
「あるだろ、問題。アルノリトはどうする」
「この際、ご当主も連れて行く、とかね。……追われるだろうなぁ」
「……」
 この国があれほど警戒しているのだ。関わりたくもないが、血筋の問題もあるので、他国に手放したくもないだろう。
「それにお前、父親に憧れて騎士になってるんだろ。誰でもなれるもんじゃないんだから、そんなことあっさり言うな」
「お気遣いはありがとうございます。でもね、今はそこまで、この仕事に執着していない……って言ったら怒られるかもしれませんけど、ちょっとそういう部分は出てきています。幻滅することも多くてね」
 キールは呑気に苦笑していたが、苦労しているのは目に見えてわかるので、あまり直接文句も言えない。
「……そんなこと、ちらっと思いはしますけど、実際なかなかできないですよねぇ」
「……当たり前だ」
 説教じみた声を出しながら、テオドールも息を吐いた。
 この若者に、そこまで気負わせていることが申し訳なかった。自分が懸念していることだって、この男も十分に考えたことなのだろう。
 それでも、自分を楽にする、と言い続ける。
(俺だったら……誰かのために、ここまで言えんだろうな)
 互いの事を思って、というのは一緒なのだろう。向いている方向は、少し違うけれども。
 自分は、この男に何がしてやれる?
 ──何もしてやれないことが悔しい。
 しばらくそう考えて──自分にできることは、腹をくくることだと思った。
 それしかなかった。
「さっきはあんなこと言ったけど……今は死ぬ気はない。俺は……ここに残る。ここって言っても、あの森の中の屋敷だけど」
 視線を木漏れ日に向けたまま、ぽつりとつぶやく。
「アルノリトには、まだ誰かがついててやらなきゃならない。……あいつのためだけじゃなくて、俺がそばにいてやりたいし……マキーラも、あの森なら生きていける。俺も、この国の人間と関わって生きていくなんて難しいだろうから……ああいう誰も近寄らない場所の方が、気が楽だ」
 呪われた不気味な森と言われても、自分にとっては居心地のよい隠れ家だった。あの森に居つくことになったのは、マキーラによって偶然に繋がれた縁ではあるが、ある種の宿命のようなものだったのかもしれない。
 夢の中に何度か現れた、巨大で恐ろしい玉虫色の怪鳥は、テオドールを品定めするように、何度も見ていた。
 ──養育者としてふさわしいか、否か。
「あそこなら、いつでも会えるだろ。お前とも」
「……代わりをやってくれって言ってるわけじゃないんですから、任務解かれるまでは、残念ながら同じ屋根の下ですよ」
 キールは、呆れたように笑った。
「田舎臭い飯を食うことになるけどな」
「私、それはケチつけたことないでしょう? 美味しく食べてましたよ。でも、あなたのその言葉は、ご当主も喜ぶと思うんですけど……」
「けど、何」
「いや。どう取ったらいいのかな、と思って」
「どうって」
「私の、『好き』は、あなたの中で、どういう位置づけなんだろうって」
「……」
 どうやって言ったらいいのかわからない。嫌じゃない。嫌いじゃない──でも、それだけじゃない。もっと、それ以外の感情がある。
「お前は……特別?」
 考えながら、疑問形で言ってしまった。言った瞬間怒られそうだなと思ったのだが、キールは意外そうに目を丸くして、小さく何度か頷いていた。
「とくべつ……成程。特別、か」
「悪い。語彙がない」
「いや、悪くないですよ。特別」
 キールは、にんまりと笑う。
「あなたらしくていいじゃないですか。いきなり愛を語られても、なんか違うし」
(こいつ、やっぱりすぐ調子に乗る)
 思わず舌打ちしたくなった。言うんじゃなかったと思ったが、ほっとしたような様子を見て、やっぱり気持ちや好意というのは、伝えてこそ意味があるのだと知る。自分はそれを、この地に来てから思い知った。
「テオドール、キール!」
 これ以上、どう会話をしようかな──と思っていたところで、アルノリトが走ってきた。
「何話してるのー?」
 マキーラとのお話も落ち着いて、こちらの事が気になったらしい。笑顔で寄ってきたので、テオドールはアルノリトを抱えて、胡坐をかいた足の上に座らせる。
「いろいろだ」
 そう言うと、アルノリトは一瞬首を傾げていたが、撫でられて機嫌がよくなったらしく、後ろ頭をこちらの胸にぐりぐりとすりつけて甘えて来た。その顔があまりに幸せそうだったので、テオドールは思わず、笑ってしまった。

   
(続く)