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檻の中のカラスと孔雀

54:猛禽と、鳥かごの森(終)


「テオドールは、いつまでここにいてくれるの?」
 よく晴れたその日、屋敷の裏の木に伝わしたロープに洗濯物を干していたとき──足元でしゃがんで蟻の行列を眺めていたアルノリトが、ぽつりと問いかけて来た。
 先ほどまでこちらにじゃれついていたが、洗濯ものを干している最中にまとわりつくと叱られると知っているので、こういうときは大人しくしている。
 シーツを伸ばしながら見下ろすと、アルノリトの視線は蟻に注がれたまま、その丸い後頭部だけが見えた。
「いきなり、どうした」
「だって」
 アルノリトが、頬を膨らせたのがわかる。そして、そのまま黙ってしまった。
 多分この子供は、今、小さい頭でいろいろ考えている。
 おそらく不安になったのだ。
 この子供は、テオドールは、悪い人に無理やりこの地に連れてこられたのだ──と思っている。
 だから帰りたいのは当たり前なのだということも、いざとなれば引き留めるのも悪いことなのだと思っている。
 騒動があって落ち着いて、戻ってきて、こちらの怪我も癒えて──ふと不安になったのだろう。
 丸まった背中からは、そんな葛藤が見えた。己の本音と相手を気遣う気持ちと、それらを同時に一生懸命考えているアルノリトを見て、テオドールは苦笑してしまった。
「……まぁ、いろいろあってな。今は、帰らないことに決めた」
 ちらり、とアルノリトがこちらを見上げる。
「会いたい人とかは、いいの?」
「うん……」
 洗濯物を干しつつ、言葉が濁る。
 そういえば、この子供には兄や義姉のことを、全く話していなかった。だからと言って今更説明する気もないし、正直語るには、自分の傷というのも、まだ見たくないくらいに生々しいのだ。
「会いたい、けど……いずれ会えるだろ」
「それまで、寂しくないの? テオドールも、その人たちも」
「うーん……」
 今度は長い返事になってしまった。ただ、別に聞かないでほしいとも、うるさいとも思わなかった。
 キール以外にはきちんと語ったことのない、兄や義姉の話。ただ今は感情的にもならず、淡々と言葉が出てくる。
「そりゃ、寂しいけど……会うのはすぐじゃなくてもいい。今はいいよ。お前らとも、別れがたいからな」
「……いつまでここにいてくれる?」
「さぁ。誰かにいらないって、追い出されない限りは」
「そんなこと、させないもん」
 アルノリトが頬を膨らませながら立ち上がり、こちらの足にぎゅっとしがみつく。
「僕が絶対、テオドールを守ってあげるから、どこにも行かないでね」
 子供に「守ってあげる」なんて言われると、少々むずがゆい。嬉しいのだが情けないし、そこまで気を張らせたくもない。
「……ありがとうな」
 言いながら、その羽毛交じりの頭を撫でる。
「でもな、でかい屋敷のご当主ってのは、どんと構えているもんだ。何かあっても、まず自分から喧嘩をふっかけるんじゃないぞ」
「しないもん」
 言いながら、足にしがみつくアルノリトはむくれた様子で言った。まだ素直で、ひねくれてもいない子供だ。
 いずれ、この子供が大きくなった時──自分たちはどんな関係になっているのだろう。
 アルノリトが大人になったら、キールは自身との因縁も話すつもりでいる、と言っている。あれも正直すぎる男なので、ごまかしたまま、というのは嫌なのだろう。気持ちはわかるし、アルノリト自身も、多少は何か感づいている部分もあるはずだ。今はまだ、それに気づかないふりをしているだけ。
 だが──それをしたとき、どうなるのか。
 自分たちのいびつだが繋がっているこの関係は、壊れるのか。
 それとも、過ごした期間はきちんと絆として残り、続くのか。
 テオドールの夢には、時折、あの大きな玉虫色の怪鳥が現れる。
 決まって暗闇の中で、その巨体をかがめて、小刻みに動きながら、じっとテオドールの顔を覗き込んでいる。
 自分たちは、ただ見つめ合うだけだ。
 いつか、ぱくりとその鋭い口ばしに、頭をついばまれるのでは──そんな気がして、その夢を見たときはいつも、汗びっしょりになって目が覚める。
 この国の人間にとっては忌み地であるこの森。ここに暮らし始めてしばらく経ったが、まだ言いようのない不気味さを覚えることは多々ある。他人にあれこれ言われることはないという楽さはあるが、この異様な雰囲気に慣れることなんてなく、決して楽園だとも思わない。それでも自分は、この地で生きていってみようと思っている。
 今目の前にいるこの子供が、どんな大人になっていくのか──それが見たい。
 幼い時から、この森に捕らわれているあの男の人生も、危なっかしいので少々見守ってやりたい。
(まだ見たいものがある)
 だから──と、テオドールは風にはためく白いシーツを見つめる。
 兄や義姉に会いに行くのは、もう少し後でいいだろう。今はそんな気分だ。
 自分だけ生き残ってしまって、申し訳ない──そんな気持ちは、消えはしない。だがテオドールは頭を振って、その考えを散らす。
 今は少しばかり、自分の見たいもののために生きてみたい。途中で投げ出すには、自分はこの森に関わりすぎてしまった。

 
 洗濯物を干し終えて後片付けをしていると、キールが井戸のそばで、泥のついた芋を洗って、皮を剥いていた。
 下手だ下手だと言ってきたが、元々厨房に立つような身分ではないので仕方ない。
 しかし基本負けず嫌いな男なので、下手と言われればできるようにはなりたいらしい。たまにこうして、手伝いがてら一人で練習している。
「──腹も立てずにやるお前は素直だな」
 なんとなく声をかけると、キールは手を止めて、怪訝そうに顔を上げた。
「何が、です?」
「普通、腹立てるんだろうなと思った。お前と似たような、城にいた連中は、こんなことしそうにない。下手くそって言ったけど、普通だったら俺はぶん殴られただろうな、と思った」
「あぁそういう……でも腹立ててあなた殴ったって、私が下手なの事実でしょう。話し相手あなたしかいなかったのに、空気悪くしたくないし」
 笑いながら、キールは芋の皮剥きを再開する。
「それに、食べることっていうのは生活の基本ですから、できた方がいいに決まってる。今なら一人田舎に放り出されても、多少生きていける気がします。できるようになってくると、何事も面白いものですよ」
 これ、と言いながら、キールは剥いた芋を見せて来た。芋は綺麗に、薄く皮が剥かれている。最初は皮を厚く剥きすぎて、石ころほどの大きさになっていたので、それなりに進歩しているのだ。
「どうですか? 結構うまくなってきましたよ」
「ふぅん……まぁ、いいんじゃないか」
「もうちょっと褒めてほしいなぁ」
 キールはぶつくさ言いながら、二個目の芋を剥きにかかる。
 なんとなく、その横に腰を下ろす。アルノリトはこちらから見えるところで、マキーラと一緒に飽きもせず、蟻の行列を眺めている。マキーラはあまり興味がなさそうなのだが、一応付き合ってやっているところは辛抱強い。
「……あの」
 その光景を眺めていると、しばらくこちらの横顔を眺めていたキールが、声をかけてきた。
「ちょっと前から気になっていることがあったので、聞きたいんですけど」
「なんだ」
「あなた、こう、片目だけ目の際に赤い入れ墨入ってますよね。明るいところじゃないとわかりにくいけど。前に成人の証って言ってましたけど、なんで片目だけなんです? 意味あるんです?」
「あぁ……」
 そういえば、来たばかりの頃にそういう説明はしたが、詳しいことまでは話していなかった。
「歳だけ大人になったところで、半人前だろ? 男が家庭持ったら、もう片方の目にも入れる」
「ふぅん……独身と既婚者の見分けるため、って感じですか」
 文化の違いを感じるな、とキールはつぶやいた。
「それもあるけど、覚悟試す意味合いってのもあるんだろ。結構決まりがあるんだ、墨入れてる最中声出すなとか。めちゃくちゃ痛いし二度とやりたくないけど」
「まぶたって皮膚薄いし、目周りだから腫れるでしょうね……」
「腫れる。目の調子悪いと仕事にもならんしな。今考えてもよくわからん風習だった」
 ただ、全員当然のようにやっていたので、やらないわけにはいかなかっただけだ。
 しかしもう、それも廃れるだろうな──とも思う。引き継ぐ者もいなければ、語り継ぐ者もいない。自分がもう片方の目に、墨を入れることもない。
 呆気ないものだ。当たり前と思っていた習慣も世界も人も、当たり前じゃなくなるときは一瞬だ。
「……あなたの故郷の話」
 伸びて来たキールの手が、墨の入っていないほうの目元に触れた。
「ゆっくりでいいので、もっと教えてくださいね」
「時代遅れの田舎者の話しなんぞ、何も楽しくなんかないだろ」
「そんなことはない。私も今まで狭い世界で生きているし、あなたにとっての当たり前が、私にとっては珍しい話だったりしますから」
「……ふぅん」
「それに、基本私ばっかり喋ってますからね。いろいろ喋らせたい」
「……別に、お前の話聞くのも嫌いじゃないぞ」
「そうですか?」
 キールは呑気に笑う。城にいたときは、常に張り詰めて顔が強張っていることが多かったので、こんなにのんびりしている男を見たのも、久々な気がする。
「ただ、付き合う相手は選ばんと、出世しないぞ」
「いやもう、誰選んだところで永久にしないでしょ、出世。でもいいんです。この仕事もやりがいがあるし、私にしかできません。警備もあるし、あなたとご当主にお勉強も教えなければならないし、結構忙しい」
「俺もまだ勉強教えられるのかよ……」
「当たり前でしょう? やるって約束でしたし。せっかくお子様向けの教材も届いたので、やりどきですよ」
「……」
 考えただけで頭が痛くなってきた。だが少しでも、自分からこの男のいる世界を知る努力というのも必要なのではないか──ふと、そんなことを考えたりした。
(不思議だ)
 数か月前の自分なら、考えられない。
 人というのは、変わるものだ。
 この男も、自分も。
「ねぇねぇ」
 そのとき、蟻を眺めることに満足したらしいアルノリトが笑顔で走り寄ってきた。
「今日、とってもお天気いいし、お外でお昼ご飯しない? お城でそういうのしてた人いたよ」
「……昼ごはん芋だぞ」
 テオドールは、機嫌のよいアルノリトを見ながら、そう呟いた。アルノリトの想像しているのは、きっと優雅なお茶会なのだが、ここでは食材も限られる。外でゆでた芋を食べて、何が楽しいのか。
「茶菓子もないですけどねぇ……でも、まぁいいんじゃないですか」
 キールはそう言いながら、テオドールを見る。
「ご馳走はないけど、きっと気持ちいいですよ。どうせ半年後はまた雨ばかりですから、晴れ間は楽しまなければ」
「ねぇ、いいでしょテオドール。キールもいいって言ってるしー」
 アルノリトがテオドールの腕を引っ張る。少し困ったような、おねだり顔。こういう顔をされると、弱い。
「わかったわかった。じゃあ何か敷物でも探して来ような。物置にそれっぽいのがあっただろ」
「うん。僕持ってくるから、テオドール座ってて」
「いや、俺も行くぞ」
「ううん。今日は僕が準備するの!」
 乗り気なアルノリトは、立ち上がりかけたテオドールを制して、走って屋敷の中へ入っていく。
「……多分あなたが残るって言ってくれたのが、嬉しかったんでしょう。お祝いしたい気持ちなのかも」
 キールは笑いながら、引き続き芋を剥く。
「……聞いてたのか」
「聞いていたというか、聞こえた。私は耳がいいので」
「……めったなこと言えないな」
「あなたは、陰口いう人じゃないからいいですよ」
 けらけら笑う男を見ていると、こちらもなんだか気が抜ける。
「……お前ら二人にしておくのが怖いだけだ」
「素直に心配してるとか、好きだからとか言ってくれればいいのに、やっぱり言葉選びで損する人ですよねぇ」
「うるさいな」
 顔をそらして言えば、また笑われる。事実なので情けないが、嫌だとは思わない。
 そんなテオドールを、マキーラは傍らでじっと見上げている。ふと何を思ったのか、地面を歩いて移動して、テオドールとキールの間にぎゅうぎゅうと入ってきた。大柄の鷹なので、結構力が強い。何が何でも隙間に入ってやるのだという意思を感じる。
「こら」
 テオドールが声をかけ、太ももを叩くと、マキーラはひょいとそちらに乗った。仰向けになり、ひたすら全身を撫でまわされると満足したのか、ふと我に返ったように凛々しい顔となり、青空に飛び立っていく。
「……鳥って表情筋ないのかと思ってたんですけど、わかるもんですね」
 飛び立ったマキーラを見上げながら、キールがしみじみとつぶやいた。
「何が」
「貴方に撫でまわされているとき、一瞬目が合ったんですけど──なんだか勝ち誇った顔されました」
「なんで」
「そりゃあ、あなたにとっては相棒でも、マキーラにとっては最愛の伴侶で、私はただの間男でしょうから対抗意識のようなものが……。まぁ、見えないところではあなたを独占させてもらってますが。不貞のつもりはありませんが、微妙な罪悪感はあるんですよね」
「……お前、そういうことアルノリトの前で言ったら」
「わかってますよ。そこまで、頭の中お花畑になった覚えはありません」
 横目でにらむと、キールは白々しく答えて見せた。
「貴方には感謝してますよ。私のわがままをたくさん受け入れてもらった」
「別に」
 テオドールも息をつく。
「俺もお前も、もの好きなだけだ」
「でしょうねぇ」
 キールも笑う。
「もの好きだから、想像がつかないようなことを目の当たりにしても、ここにいようと思えるんでしょう。ご当主もこれから少しずつ大きくなるだろうし……どうします? 反抗期とかきて、嫌いとか言われたら」
「……」
 テオドールは、真面目に考えてしまった。
「寝込むかもしれん……」
「あなた、可愛がってますからねぇ……」
 肩を落としたテオドールを見て、キールも苦笑する。
「お前は」
「私は……嫌われても仕方のないような、欺くような真似もしましたから。私だったら嫌ですよ。よくしてくれた大人が、実は自分に対して腹に一物抱えていたんだとか。信用できなくなる」
「でもお前も……悪いばっかりでもないと思うぞ。気持ちはわからんでもない。アルノリトには酷だが」
「どうだか。でもね、不思議と……今はもう、責める気はないんです。事実は事実としても。もし大人になって、あの方との話が決裂して私が死ぬようなことがあれば、父の墓の隣に埋めてください。それだけ言っておきます」
「やめろ、縁起でもない」
 テオドールは眉をしかめる。
「それに、案外先に俺の方が、ちょっとしたことで死ぬもかもしれんぞ。異国の気候はこたえるから」
「それこそやめてくださいよ、聞きたくもない」
「死ぬ順番の話なんてしたくもないからな。……先の事なんて、どう転ぶかわからんし──悪く考えたところで、どうにもならんよ」
 自嘲も込めて笑った。
 明日も笑っていられるのかわからない。だがテオドールは──あの子供は、歴代の怪鳥とは、異なる気がしている。
 何のために、何故ここにいるのかもわからない存在。殺してもまた、姿を変えてひっそりとこの世にやってくる。害を与える者には、形は違えど容赦ない祟りを与えるとされる生き物。
 しかし一度人と交わったゆえか、人の子と同じ心を持って生まれたあの子供は、そんな凶悪な生き物となって自分たちの前に立つだろうか。
 そうはならない気がしている。あの子供は、「自分と同じじゃないから」相手を攻撃しようなんて、きっと思わないのではないか。当初のキールの態度も思惑も、苦悩として理解してくれる日が来るのではないか。
(これは、勝手な期待だが)
 アルノリトは、寂しさも知っている。愛されたい人に相手にされない悲しさも知っている。
 誰もが持つ感覚で、違う次元を生きているような、理解できない怪物ではない──。
 きしむ音がして、玄関の扉が開く。
 アルノリトが、丸めた身の丈よりも大きな敷物を、うんしょ、うんしょと引きずっているのが見えた。
 あれは絶対転ぶ──そう思って立ち上がると、促したわけでもないのだが、キールも刃物を置いて立ち上がっていた。
 目が合って、なんとなく二人して気恥ずかしいものを覚えて、笑う。
「ご当主、お手伝いしますよ。重たいでしょう」
 キールは率先して歩み寄り、アルノリトから敷物を受け取ると、片手で抱え上げる。
「どこに敷きましょうか」
「んとね、あの樹の下がいいなー」 
 アルノリトは立派な一本杉を指さす。
「じゃあ、そこに」
「うん。ちょっと待って、キール」
 そう言うと、アルノリトはパタパタとこちらに走ってきた。何かと思えば、無言でこちらの手を取り、キールのところに連れて行く。そして、テオドールと手をつないだまま、アルノリトのもう片方の手は、キールの手を握った。
 アルノリトは、二人の顔を見上げてにんまりと満足げに笑った。
「一度やってみたかったの」
 二人の間でその両手を握ったアルノリトは、時折飛び跳ねたりしながらも、二人の手を離さない。
 あまりも嬉しそうだったので、テオドールの顔は自然とほころんでいた。キールも似たような顔をしている。
「……家族みたいですね」
 キールが嫌味でもなんでもなく、そう呟いた。
「うん。二人は僕のパパとママ!」
「ちなみに、どっちがパパでママですか?」
「キールがパパでー、テオドールが僕のママ!」
 アルノリトは満面の笑みだった。
「やっぱりそうなるのか……」
 どっちもパパじゃ駄目なのか──思わずそう考えたが、もう反論するのも面倒だったので、それでもいいやと思ってしまった。
「でもご当主、私がパパでテオドールがママだと、私たち結婚しているってことになってしまうので、ちょっと違うんですよ」
「でも二人とも、とっても仲良しだよね? お互い好きなんでしょー?」
 くるりと上を見上げながら、アルノリトが不思議そうな顔をする。
「……」
 思わずキールを睨んだが、「してない、見られるようなへまはしてない」と無言で首を振られた。
 なんだか必死過ぎて、ちょっとかわいそうになってしまった。
「……まぁ、好きは好きだから」
 そう呟けば、アルノリトがませた顔で、くるりとこちらを向く。
「でしょー?」
「そういうの、もうちょっと二人でいるときに言ってくれればいいのに……」
「お前はうるさい」
 キールのぼやきにそう答えつつ、三人は歩く。
 先の事なんて考えたくもないし、想像もつかない。だが先ほどまで抱えていた不安は、アルノリトの笑顔を見ていると、不思議と溶ける。
 テオドールは、深く息を吸う。
 今のこの瞬間──空気も澄んで、辺りも静かで、心許せる人がそばにいて。
 握っている、小さな手も温かくて。
 不思議と、心穏やかになっていくのを感じる。
 これが、幸福というものなのか──そんな考えにいきつくのに、テオドールにとってはもう数呼吸分、時間が必要だった。

   
(終)