HOMEHOME CLAPCLAP

檻の中のカラスと孔雀

番外編④ 親愛なる友人たちへ①

 その日、テオドールは鬱蒼とした森の中で、火口になりそうな小さな枝を拾っていた。
 こういうものを拾うのは、テオドールの故郷では子供の仕事と決まっている。
なのでアルノリトの仕事にしようと思ったのだが、任務で同居している頭の固い若い騎士は「とりあえず勉学と、礼儀作法をきちんと教えないといけません」と言い張る。
 あの子供の午後はそういったものに時間を割かれるし、昼寝もしなければ持たないし──ということで、結局テオドールがすることが多い。
(まぁ、やんごとなき血筋というのは間違いないし、いるんだろうなそういうの)
 キールもそういった役目を持ってここに来ている部分もあるので、文句を言う筋合いはテオドールにはないのだが、学校になど通ったことのないテオドールには、礼儀だの作法だの言う前に、とりあえず今日を生き抜く方が大事じゃないか、という考えの方が先に来る。
だがそれを討論する気もない。
結局彼らと自分は、種類の違う人間であることは間違いないと、テオドールはどこか冷めた割り切りもしていたので、別にどうこうは言わない。自分は自分のすることをやるだけだ。
背負う籠にぽいぽいと小枝を入れていく。この地は雨が多く湿気もこもりやすいので、地面が乾いている際にやってしまうことが重要だ。また夕方からは雨が降りそうだったので、少し多めに持って帰ろうと思ううちに、思ったよりも屋敷から離れた場所に来てしまった。
地面には、馬車の車輪が残したわだちが見える。もう少し歩けば、荒れた街道が見えるはずだ。
(出たら怒られるな)
 唐突に、そんな子供のような思いがわいて、少し笑った。
 別に逃げ出すつもりなんて、まったくないのだが──そう思いながら屋敷に戻ろうと、街道沿いに背を向けた瞬間、体重のある何かが、ぱきりと何かが枝を踏む音がした。
 森の動物か。それにしては大きな獣のような──と思って振り向いたテオドールは、思わず目を見開いたまま、固まってしまった。

 人がいたのだ。

 がたいが良く、いかにもガラの悪い人相をした男だ。唇には、刃物で切り付けられたような古傷が残っている。
 その男も、テオドールの方を見たまま、動揺したように固まっていた。思わず二人して見つめ合う。
(誰だ)
 侵入者? 泥棒? もの好き?
 考えられる可能性は頭の中でするすると流れていく。
 だがよからぬ者であることは確かだ。男の使い込まれた皮のベルトには、短剣が一本。キールの持つような長剣に比べれば粗末なものだが、今それを構えて突っ込んで来られたら、呑気に薪なんて背負っている自分はひとたまりもない。
(藪漕ぎ用の鉈でも持ってくるべきだった)
 丸腰で山に入るなんて、昔の自分ならあり得なかった。ただこの屋敷周りの森は、危険な獣なんていないしそんなに深くないので──平和ぼけし過ぎていた己の油断に内心舌打ちしつつも、どうにもならない。
 どうする? 籠を放り投げて、一目散に走り去るか? だが逃げ切れるか?
 そう考えながら、ゆっくりと籠を下ろそうと肩に手をかけようとしたとき──そんな人相の悪い男の口が、小さく動いた。
「……お前か?」
「……は?」
 意外にもこちらを知っているような口ぶりに、テオドールは眉を寄せながらも、そんな声を出した。こんな人相の悪い男、知り合いにいない。そもそもこの国に、知人なんてほとんどいない。
だが男は、妙に安堵のような表情を浮かべて、気安く話しかけてくる。
「……忘れたのか? ほら、ここまで連れてきてやっただろ!」
「……知らん」
 首を傾げて真顔でつぶやいたテオドールに、その男は少し苛立ったように歯を噛みしめた。
「相変わらず愛想のない奴隷だな……馬車だ馬車!」
「馬車…?」
 言われて、テオドールは少し考えた。
 馬車。乗った事は何度かある。
 そう言えば、市場で奇妙な青年と子供の組み合わせに「お買い上げ」された後、売られた子牛のように馬車の荷台に乗せられて、この屋敷まで、がたがた揺れる山道を来たような。
 確かあのときの馬車を操っていたのは、市場の商人に高値でつられて雇われたと思われる、乱暴そうなごろつきで──。
 ようやく「あ」というような顔をしたテオドールに、その男は震える指先を突き付けた。
「相変わらず気持ちの悪い森だが、まだ食われてないようだな……。っていうか本物だよな? 幽霊とかじゃないよな?」
「……」
 この男、相当この森を恐れているらしい。
 別に食われてもいないし、死んでもいないし、どちらかと言えばぬくぬくとベッドで寝て、それなりに食べて過ごしていますが──という考えがよぎったが、別にこの男に説明してやる義理もないのだ。
「なんで来た。ここは普通の人間は入れないんだろ。見張りの騎士がすっ飛んでくるぞ」
「……俺だってこんなところ来たくはないが、割の良すぎるお仕事だったんでな。……もうお前でいいや、ちょうどいい」
 男は小声でそう言いながら、懐から何かを取り出した。白い封筒のようだ。何か封蝋のようなものがされており、表面にも裏面にも文字が記されているが、テオドールには判別できない。
「ほれ、受け取れ」
 男は乱暴に、テオドールの胸元に封筒を叩きつけてきた。
「……」
 テオドールは眉を寄せつつしばらく考えたが、封筒を受け取る。思っていたよりも分厚いものだ。封筒の紙も質の良さそうなものが使われている。
しかしきちんとこの場所に手紙を届けるのであれば、こんな素行の悪そうな男を使わない。何かあるのは、間違いなかった。
「……なぁ。ところでここって、やっぱり何かいるのか」
 男は小声で耳打ちをする。
「気味の悪い子供がいるだろ。布かぶったやつ。お前あれ、下まで見たか」
「……お前の知ることじゃないだろ」
 テオドールは、気のない言葉を返す。
「いいじゃねぇか。さすがにもう知ってんだろ? この森の事。屋敷の方にも、結構なお宝が眠ってるって噂だし──」
「もう帰った方がいいと思うぞ。……真面目に」
 答えないテオドールに、男は一瞬、機嫌を悪くしたような雰囲気を出した。
「ふぅん……すっかりお仲間面してんのな。やっぱりこういうところで暮らしてると、人間その気になっちまうもんなのかね。首繋がれて、豚と一緒に売られてた癖によぉ、ご立派なこと言いやがる」
 テオドールは表情を変えなかった。そのことが余計に男を苛つかせたらしい。こちらの胸倉をつかみかかろうとして──その瞬間、男は突然びくりと身を震わせて、尻餅をついた。
男は、テオドールの背後を凝視している。
「え、ちょ……」
男は呻き、ズボンを泥だらけにしながらも立ち上がる。
「と、とにかく俺は届けたからな! 絶対渡せよ!」
 捨て台詞のように言いながら、転がる勢いで山道を走り去っていった。怯えたり勝手に怒ったり、殴ろうとしたり逃げたり、忙しい男である。
(だから誰に渡すんだ)
 明らかに自分宛ではなさそうだし、アルノリト宛の手紙はあんな男が届けに来ないだろう。
(ということは、キールか?)
 あんながらの悪そうな男と、付き合いなんてなさそうなのだが──。
 考えながら、テオドールは頭上を見上げる。木々の隙間から、マキーラがひょっこり顔を出していた。
「……お前が飛んできて驚いたんだな」
 マキーラに声をかけると、マキーラは小さく鳴いて答えた。
 この辺りには、大きな鷹はいないという。マキーラは翼を広げれば、人間の子供の大きさくらいはゆうにある。怪鳥伝説とやらに怯えているあの男は、見慣れぬ大きな鷹が翼を広げて迫ってくる様子が、心底恐ろしく見えたのかもしれない。
「お前は可愛いのにな」
 そう呟けば、また答えるように、小首をかしげて鳴く。その静観な顔に似つかわしくない、「ねー?」とでも言いたげな可愛らしい声だった。
「とりあえず報告」
 薪拾いは中断するしかない。
 テオドールはそう呟きながら、その分厚い封筒を眺めた。

   
(続く)