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檻の中のカラスと孔雀

番外編④ 親愛なる友人たちへ②

 森のはずれであった出来事を伝えると、キールは険しい顔の猟犬のように、鼻の頭にしわを寄せた。
「……で? 私はその男、追った方がいいでしょうか」
 アルノリトはお勉強に疲れ果てたのか、居間のソファですやすやと寝ていた。その子供にブランケットをかけてやっていたキールは、静かに腰に下げていた剣に手をかける。
「もう追いつけないだろ。多分、一目散で街まで下ったぞ、あれ」
 息を切らして、全力疾走している後姿が目に浮かぶ。どうせその後、酒場まで直行だろうけども。
「その勢いだと、途中で不審がられて、見張りの騎士連中に声かけられそうではありますね。どこから入ったんだか……」
 キールはため息をついた。その表情は同胞の手落ちと言っているようでもある。
「貴方も怪我はないようで良かったです。何もされてない? 言われたのはそれで全部?」
「何も。あとは嫌味言われたくらいだから」
「嫌味とは」
「聞いてもいいもんじゃないぞ。あの手の男は何でも言うし」
「私には、聴取の義務もありますから」
 この場を預かる者としてはそうだろう。眉を寄せたキールを見ながら、テオドールはため息をついた。
「あの男、怖い癖に興味もあるみたいな様子だったから、俺は何も言わなかったんだが、それが癪に障ったんだろ。……豚と一緒に売られてたくせにとか何とか、かんとか。……まぁ事実だし。それにしてもなんでもあったな、あの市場は」
「あそこは飼い方もわからないような外国の生き物も、珍しいってだけで売っていますから。……しかし腹が立ってきたな。私も一緒にいればよかった。今度から、貴方が森をふらつくときも私がついて行きましょうか」
「いちいちお前について来られたらたまらん。それはもういいだろ。それより」
「よくありませんよ。もう少し見回りの頻度も上げます。……不快なお気持ちにさせてしまい、申し訳ありませんでした」
 キールは深々と頭を下げた。この男は、それでこちらが傷ついたとでも思ったのだろうか。自分のせいだとも思ったのだろうか。つくづく真面目過ぎる男だと思った。
「……別にお前のせいじゃない。今はそれなりに好きにさせてもらっているから、いい。それより封筒」
 テオドールは、まだ首を垂れたままのキールに封筒を差し出す。
「渡せとしか言われてない。多分お前宛だと思うが、違うか」
「……これは」
 封筒の差出人と封蝋を見たキールは、顔色を変えた。
「……街道の見張りについている連中が、あっさりあんな男を通したのがわかりましたよ。手落ちじゃなくて、あえてだと思います。通すしかなかった」
 キールの言い方に、テオドールも理解した。騎士連中が通すしかない──それは彼らが忠誠を誓う者たちか、それとも別の大きな権力か。
「……どこから?」
「この封蝋は教会の公文書の印です。以前も言いましたが、教会というのはある種の、特別な権力に守られているようなものです。存在自体は、我が国の建国前からありますからね。だから我々の指図など簡単には受けないし、もし私だったとしても、これを『教会からの使い』と出されたら、怪しみつつも通したと思います。後で上に文句言われても嫌ですからね」
 なんとなく、テオドールもぴんときた。
 そんなところから、わざわざ送られてきた手紙。
「つまり、それは」
「──殿下。イラリオン殿下。貴方も覚えておられますよね」
 テオドールも一瞬、言葉に詰まった。
「忘れはしないけど……あの方は」
「えぇ。もう『殿下』とはお呼びできないですが……。私はあの方の字を覚えていますので、差出人として記載ありませんが、わかります。宛名は『親愛なる友人たちへ』と書いてありますね。……濁すなぁ」
「ということは、お前宛か」
「たち、ですからね。貴方も含んでいいと思いますよ」
「いや俺は……」
「あまり個人的にはお話しされなかったかもしれませんけど、あの御方、案外あなたの事を気に入っておられましたよ。貴方、正直ですし、胡麻をする男でもないし」
「……そういうのができた方が、生きやすいのかなと思うことはあるが」
「向いてないことは無理しないほうがいいですよ。私もあなたのそういう、ざっくりしたところ、好きですし。慣れたら全然楽」
(褒められてるのかそれは?)
 この男の物言いも遠慮がない。一瞬どういう意味だと言いかけたが、不毛になりそうだったので飲み込んだ。
 忖度など、自分からは程遠い言葉だ。だがそんなことを言う目の前の若者も、そういった世渡りは苦手な方だ。イラリオン自身もそうだろう。偏屈者同士、親近感を持ってくれたということだろうか。
 しかし、何となく事情はつかめてきた。
 城での騒ぎの後、自らイラリオンは、表舞台から身を引くことを選んだ。
 皇帝陛下の寵姫の子として生まれたが、元々権力争いなど眼中になかったようだし、多すぎる兄弟の中での腹の探り合いや、命を狙われるような生活に心底嫌気はさしていたと言っていた。
 元々、それから逃れるために出家するというのは選択肢としてあったのだ。そうすればこの世俗とは縁が切れる。皇帝の子息という立場もなくなるし、後継ぎとして押されることもない。教会まで刺客が命を奪いにくるわけでもない。一族がもめることを嫌い、そういった道を選ぶ良家の子息や令嬢もまれにいるのだと、キールは言っていた。
ただ信仰心もなければ、ひたすら自由と気楽さを望むあの男と、この国の厳格な宗教の世界というのは性質的に相容れぬ部分があったので、あの男としてもそれは心底選びたくない道ではあったのだ。
 だが、個人の希望とは裏腹に、自分を慕う者、少しでも権力の甘い汁を吸いたい者たちに振り回され、限界を迎えたあの男は、結局そうするしかなかった。
 長く美しかった金髪を切り、最後にテオドールたちに挨拶に現れたあの男は笑っていたが、その最奥に悔しさがあったことに、自分もキールも気付いていた。
 それは世間から屈服したと思われることでも、逃げたと思われることでもない。
 己の人生なのに、何一つ自由にならなかった。
そして、慕ってくれたはずの人間たちも、結局イラリオン本人の気持ちなど理解してくれなかったという事が悔しかったのだと思う。
「でも、修道院ってのは、相当生活に厳しいってお前、言っていたろ。個人で手紙なんて出せるのか」
「公文書の印ですからねぇ。当然、向こうも殿下の身分を知った上で受け入れているとは思いますけど……新参の殿下を特別扱いなんてしないでしょうから、偽造したか印をちょろまかすか何かして、密かに人に託したんだと思いますよ、これ。殿下のやりそうなことじゃないですか」
「……」
 よく届いたな、と思った。そしてキールの言い方に納得もした。あの男、華美で儚げな見た目に騙されてはいけないのだ。大胆なこともするし、悪知恵も働く。芸術方面にやたらと能力を発揮し、手先も器用だ。やりかねない。
「とにかく、これ、読みます? 私読み上げますけど」
「……」
 テオドールは一瞬黙る。自分が知っていいのかという気持ちもあるが、彼が何を送ってきたのか、興味がないわけでもない。自分たちはあの男が連れてきた騒ぎに勝手に巻き込まれただけで、ひどい目にもあったのだが、どうしているだろうかと、ときどき思ってはいた。
「読んでほしい……けど、場所は変えよう」
 ちらりと、ソファで眠るアルノリトに視線をやる。昼寝がないと駄目なこの子供は、よく寝ている。寝言で唸っているので、おそらく夢の中で苦手な数字と戦っている。あまり起こしたくない。
そのそばのテーブルの上には、マキーラがちょこんと座っていた。目が合うと、小さく鳴く。自分が見ている、とでも言ってくれたようだった。近寄って頭を撫でると、マキーラは目を細くして、自分から頭をテオドールの手に擦り付けてくる。
「私が頭触ろうとしたら本気噛みするのに……」
「頭は俺しか駄目だ」
 未だに指一本で、体をちょんとつつくことも許されていないキールは、若干羨ましそうな顔をしていた。
テオドールが思うに、手あたり次第威嚇しないあたり、マキーラも懐いていないわけではないのだが、キールの触りたいという気配が強すぎるのだ。だからマキーラもある意味小馬鹿にしている部分があるし、わざわざ隣にいってちょっかいを出しにいったりする。
(その点、あの人は上手かったな)
 イラリオンも動物が好きそうだったが、自分からマキーラを触ろうなんてしなかったし、あまり目も合わせなかった。だから舐められはしなかった。その点、ずっと警戒はされていたけども。
 そんなあの男は、アルノリトの事も可愛がってくれた。
利用しようとした部分もあったし、物珍しさもあったとは思うのだが、他の者のように遠巻きにするのではなく、崇め奉るわけでもなく、子供して可愛がってくれた部分はあった。
 アルノリトもそういった気配を察していたのか、懐いているような、懐いていないような、微妙な部分を出しつつも、今も貰った絵具は大事にしている。
おじさんみたいにうまく描けない、なんて言いながらも何度も絵を描くので、上手くはないが好きではあるのだろう。芸術を好むのは悪くないということで、キールはそのまま好きに描かせると言っていた。しかしこの男も絵は下手なので、講師などできない。テオドールも、絵はあまり自信がない。
「では、ご当主のお昼寝を邪魔しても悪いので、私の部屋に」
 キールはリビングの扉を開けて、テオドールを誘う。
「……もしご当主がこの手紙のことに気付いて、何か言って来たら、どうします」
「隠さず読んでやりゃいいだろ。まぁ自分でも読めはするのかもしれないが」
「意味まではわからないかも」
「でも、案外察すると思うけどな、あいつ。……子供って、結構わからないふりしていることが多いだろ、周りの事情とか。大人が隠そうとすることなんて、結構気付いているし」
「貴方もそうだったんですか? ……だからそんな、こじれた大人になったわけで?」
「お前もそうだと思うが」
 横目でそう呟けば、違いないです、とキールは苦笑する。
「殿下も、見事にこじれていた方なのですけど」
 テオドールは無言で頷く。子供の頃に捻じれたものを、一番そのまま持って大人になってしまったのは、あの男だろう。
「何を思って送ってきてくださったんでしょうね。もちろん、うれしい気持ちの方が強いですけど──私は呪いの手紙でないことを期待しています」
 子供の頃、呪詛めいた内容の手紙を、ただ受け取るしかなかったというこの男は、真顔でそう呟いていた。
 突然届く手紙というものには、あまり良い印象は持っていないのかもしれない。

   
(続く)