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檻の中のカラスと孔雀

番外編④ 親愛なる友人たちへ④

 俺はお前たちと別れた後、あのときはあいつのことなんか知らん、どうもできんみたいなことを言ったんだけど、やっぱりどうにも後味が悪くてね。
 兄貴に「命だけは」的な、話をした。
まぁ、失笑だったけど。
お前らにしてみれば痛い目にあわされただけだし、関わりたくない相手かもしれない。
俺も、無理だなぁとは思いつつも、見捨てきることはできないというか。
そこが情けないなぁとは思っている。
俺なんかが上に立つ羽目にならなくてよかったよ。明らかに向いてない。
多分、こういう気持ちもばっさり切って捨てるような部分って、必要なんだろう。そんなの欲しくないし、得られるとも思えないけど。
俺にはもう、あいつの今後を知ることはできないだろうから、もしそちらで会うことがあれば。
もし、だけども、会ったのであれば、俺がこんなことを書いていたということを──いやどうしようかな。言わないほうがいいのか。
気にしているなんて今更言ったところで、残酷なんだろうか。俺が満足するだけで無責任かな。別に気になるだけで、今後関わることも、関わろうとも思っていないのにな。
お前たちは色恋沙汰に疎そうなんで、相談する方が間違っているとは思う。そこはもう判断に任せる。お前らにしても、会うのかどうかなんて、わからないわけだし。

あと、最後にキール。
俺はお前の約束きちんと覚えていたし、大人になったらお前は俺の下に来るんだと思ってたぞ。真面目に。
別に事情が事情なんで、責めはしない。思うようにならないのが人生だよな。つくづく思う。互いにいろいろあり過ぎた。
余計な世話かもしれないが、あまり親父殿の功績と因果は引きずらぬよう。
こればっかりは、お前が受け継いでもどうしようもないやつだ。
あとこれを読んでいれば、テオドールにも。
 キールはいろいろ難しい奴だと思うんだが、不思議とあんたとは馬が合うみたいだから、仲良くしてやってほしい。あとは、もはや何を謝っていいのかわからんという、俺の情けなさを許してほしい。
アルノリトにもよろしく。
この手紙は、読んだら処分してくれてかまわない。むしろ、処分してくれ。こんなものが残ってたって、いいことないからな。
俺の独り言など、書面で残るべきではない。
では、また。
いつか、どこかで会えることを願って。


「……これ、返事はどうするんだ」
「書けない、ですよね……。それに、手紙自体に殿下の名前はないんです」
 キールは、便箋を折り、再び封筒に入れた。
 あの男も、返事は望んでいないのだろう。
 これは独り言。
 自分達しか内容を理解できない手紙。この男も少し落ち着いて、言い足りなかったことを伝えてきた、ということだ。
「……思っていたより、生活の方はなじめているようで、良かったです」
 口には出さなかったが、あの男の生活を、ずっと案じていたのだろう。キールは少し、ほっとしたような声でつぶやいた。テオドールも、そこは黙って頷く。
「……貴方は、殿下の事を悪く思ってはおられない?」
「別に」
 そうそっけなく言ったところで、これでは答えになっていないなと、テオドールも思い直した。
「……あの人には別に、何か言われたわけじゃないから、そんな風に思ったことはない。そりゃあ、最初は思うところあったけど」
 だがこちらが気おくれするくらい、普通に接してもらった。おかげで逆に、こちらは少々戸惑ってしまったのだが。
「お前の友人を悪くは思っていないよ」
「……なら、良かったです。それにしても」
「ん?」
「約束なんて、安易にするものじゃないですよね」
「……まぁね」
 別に、この男も子供の頃、口から出まかせを言ったわけではなかったのだと思う。そのときは本当に、そのつもりでいたのだと思う。
 ただ言った方と言われた方と、受け取り方の重みが意外なほど異なっていて、それを今になって突き付けられたこの男は、今更ではあるが、落ち込んでいるのだった。
「自分を過信しているつもりもない。……でも」
「……どうにもならないことって言うのは、あるじゃないか」
 言ってしまってから、妙に他人事を言っているような気もした。冷たいかなとも思いもした。でも何と言っていいのか、テオドールにもよくわからない。
「お前も、ある程度はそのために励んだろうし……あの人も、そこはわかっている人だろ。……俺の人生も、思う様にならないことばかりだったけど。お前が動いてくれて、有り難かった部分はあるから。お前は自分を今、無責任と思っているのかもしれないが、そういう事言ってくれない連中も多いわけだから」
 テオドールは息をつく。ため息のような、区切りのような。
「ギリギリの連中には、それでも嬉しいし、有り難かったんだよ」
「……あなた」
 封筒を机の上に置いたキールは、じっとこちらを見た。
「今日はやけに、語ってくださる」
「これでも多少は学ぶから」
 苦笑と共に、そう答えた。この人数で誤解などされるのも面倒だ。共に暮らしているから心の底まで伝わっているなど、もう思っていない。己の口は、語らねば意味がない。
 この男が相手でも、だ。
「でも、殿下はハンス様の事も気遣っておられるんですね。結局、お優しいから……」
「あの人はあの後……」
 そう問いかけると、キールは横目で、ちらりとこちらを見た。
 何か知っている目だった。
「……多少は耳に入っているのか、お前の」
「一応は」
 キールの声は、低い。
「ただ、言うのもどうかと思って。ご当主も聞かないし、貴方もそうだし」
「俺は余計なことは聞かない主義なだけだが」
「でしょうね。そう思ったし、気持ち的に、貴方は思い出したら不快かなと思って」
「……そりゃあ、向こうの都合で頭割られて、わかってくださいとか言われても」
「……ですよねぇ。私もあまり聞きたくなかったから、あえて避けてる部分あったんですよ、あの方の話題に関しては」
「お前が、珍しい」
 ──まぁ元々、愛称は良くなさそうではあったが。
「でも結構、世の中おせっかいが多いというか……私たちが剣を向け合ったこと、一部では知られたことになっているようで……いろいろ教えてくださる方もいるんですよ。陛下からも、直接お声を頂きましたし」
「あの人……?」
 あの仮面をつけた、妙に神経質そうな男──そう視線で問えば、キールは頷いた。
「何か処罰で望むことはあるかと。……向こうで雑務していたら、いきなり声かけられたので固まりました」
 普通、こんな左遷騎士に直接お声なんてかけません──キールはそうげんなりつぶやいていた。
「……お前、何か言ったのか」
「別に。望んでいることなんてないですし、私が直接口を出すなんて畏れ多いことですよ。処罰の権限なんてないんですから。でも欲しかったのは、どちらかというと私の希望ではなく、ご当主が何か言っているのかということをお知りになりたかったようで」
「へぇ……」
 あの男も、一応アルノリトの反応を気にしているということか。
「ただご当主は、貴方が戻ったらそれで大満足で、大人のように責任取れとか言っているわけではないですからね。そちらも何もと伝えて、それで終わりました。……陛下とのお話は、以上です。ハンス様が今どういった状況にあるかは、それを見ていた周りが、後でこっそり教えてくれました」
 おそらく周囲も、キールに聞きたいこともあったし言いたいこともあったが、口にしづらい空気を感じていたのだろう。
「あの方──貴方がいた場所に一カ月ほど拘束された状態で幽閉された後、身分を取り上げられて、地方に移されたそうです」
「……殺されなかったのか」
 意外で、テオドールは思わずそんなことを言ってしまった。イラリオンは散々「あの兄貴は容赦ないから」と言っていたからだ。正直、死んでいるもの──そう思っていたので、こちらもあの男のことを話題にし辛かったのでもある。
 しかしあの地下水路に一カ月とは──考えたくもない。
「噂で、助命については、イラリオン殿下がこの地を離れる前に、かなり熱心に陛下へお願いをされていたと聞きました。この手紙を読むに、それは事実なんでしょう。それが聞き届けられたのか、元々ミヒャエル様としてはそうするつもりだったのか知りません。ただ今は、見張り付きの状態で過ごしておられるそうです。……その地方というのが、イラリオン殿下が過ごしておられた、亡き母上様の故郷のようで。お住まいの場所も、どうやら殿下が直前まで過ごしておられた屋敷なのだと聞きました」
「……凄い嫌がらせだな」
 好いた男の元の住処に閉じ込めるとは。
「私もそう思います。殿下の気配はいたるところにあるわけで。あの方が忘れたいのかそうしたくないのか──それはわかりませんが、会うことも叶わない、自分がそうさせてしまった、好いた相手の気配が色濃く残る環境で、何をするでもなく、膨大な時間を生きねばならないのですから……趣味の悪い罰だとは思いますね」
「……でもあの人は案外、罰だと思っていなかったりしてな」
 テオドールの言葉に、キールは眉を寄せた。
「どういうことです?」
「願っていた殿下の命自体は、保証されたわけだし。……何よりその、他でもない殿下に助命を願われたわけで、そうしたらあの人も、死ぬわけにはいかないだろ。あの人にとっちゃあ嬉しいだろうな、と。屋敷には殿下の描いた絵だのなんだのあるだろうし、そういう場所で、殿下の平穏を願いながら生きていく──そういうのもありなのかな、と思った」
「……」
 キールは黙って、冷ややかな視線でこちらを見ていた。
「……なんだよその、うわぁ……みたいな目は」
「いやまさにその、うわぁぁ……ですよ。貴方からそういう思考と言葉が出てくるとは……」
「……俺、結構重いんだろうな」
 まだ引いているキールを無視して、テオドールはひとり呟いた。
 あの男の愛とは、崇拝、そして執着の色が濃いように思える。
 こちらにしてくれたことなんて、こうなってしまった以上、少しも悪いなんて思っていないのだろう。
 想像はできる──だがテオドールにしてみれば、理解できない思考回路だ。
 思いつめるほど好きか。
 迷うことなく手を汚すことができるほど、好きか。
(あなたの事は、よくわからない)
 自分はその、一歩手前で迷ってばかりなので、そこまで己に自信を持って「好き」浸ることはできないでいる。
 自信を持ってその中に飛び込むことができる、その精神だけは──少し羨ましい。
「……私は、そんな聖人みたいな恋愛、無理だなぁ」
 そのとき、なんだかこちらの思考を読んだようなことをキールに言われた。
「もうちょっと、思慮深い男のつもりだったですけどね。案外、自分って安直にだだ洩れだという事を知りましたから」
「……時と場所は選ぼうな」
 そう横目で言えば、返事はなく、目を逸らされた。
 言いたいことはいろいろ浮かんだのだが、ひとまず、言うのはやめた。自分だって、聖者のような恋愛なんてできるわけがない。
 それに、「だだ洩れ」の男にも、だんだんと慣れてきた。
 この男といると、自分のような男でも、そんな気持ちを持っていいのだと思えてくるから、不思議だ。
 ──ふいに、部屋の扉が開いた。
 見ると、アルノリトがまだ眠そうな目で立っていた。昼寝から目が覚めたらしい。
 こちらが声をかける前に、とことこと歩いて来て、テオドールにしがみ付く。
「探した……」
 そんな不機嫌そうな声と共に、顔をぐりぐりと押し付けてくる。どうやら目が覚めて、姿が見当たらなかったので、二人の姿を探していたのだろう。どうもあの事件から、こちらの姿が見えなくなると不安になるようで、以前にもまして必死に探し回る。
「起きたか」
 抱き上げると、そのままテオドールの膝の上に大人しく座る。
「……数字がくるくる回ってた」
「何の話」
 問うと、アルノリトはぶすりとした顔でこちらを見上げてきた。
「夢。僕の周り、くるくる数字が回りながら踊ってた……」
「……」
 アルノリトはどこかしょんぼりしている。先ほどまでキールと数学の勉強をしていた。なかなかできなくて、苦労していたらしい。昼寝でうなされていたのは、そんな数字にからかわれるような夢を見ていたから、のようだった。
 この子供、数学は苦手だ。
「……ご当主。頂き物のお菓子がありますから、ちょっとおやつにしましょうか」
 そんな姿を見て、さすがに厳しくし過ぎたと思ったのか、キールも声をかける。お菓子、にぴくりと反応したアルノリトは、ちらりとそちらを見た。
「甘いの、ある?」
「ありますよ。焼き菓子がいくつか」
「……じゃあ、お茶の準備して待ってる」
 アルノリトは、よじよじとテオドールの膝から降りると、部屋を出て行った。
 少しだけ、機嫌がよくなったらしい。
 手紙の事には気づかなかったようだった。
「……お前、勉強詰め込み過ぎなんじゃないか。まだ小さいのに」
「私があれくらいの子供の頃は、もう同じような勉強していましたよ」
 キールは不満げだ。自分たち二人の教育方針は、ちょっとだけ合わない。
「自分ができたからって……当たり前に他人にそれを求めるなよ」
「あなたは、ご当主にはちょっと甘いですから……でも」
 キールも少しだけ考えるように、こちらを見た。
「当人にあったやり方というのもあるだろうから……ちょっと考えます」
 おや、とテオドールは思った。
「お前にしては──柔軟じゃないか」
「貴方も言っていたじゃないですか。多少は学びますよ」
 キールはにんまりと笑って、こちらを見る。
 自分たちはこうして、話をしながら、己を省みながら、相手を思いやりながら生きる。
 しかし綺麗なものばかりではなくて、他人というのはとにかく腹立たしくて、些細なことで揉める。後を引くことだってあるし、根にも持つ。だから決して「聖人のような」ものではない。俗っぽい関係ではある。
 だがイラリオンもハンスも、本当に欲しかったのはこういったものなのだろうか。そう思うのもなんだか悪い。彼らの本当の気持ちなんてわからないし、自分たちが決めつけるものでもない。
 手紙というのは一方通行だ。やり取りをしたとしても、会話ではないのだから、互いに考えていることしかわからない。
 そして、それが本音かどうかもわからない。己の気持ちを偽って、強がって書くことだってできるのだ。
「お前、その手紙どうする」
 部屋を出て行きかけたキールに、声をかける。キールは背中越しに振り向いた。
「……明日にでも、処分しますよ。この地で燃やします。名残惜しいようですが──殿下もそれを望まれていますから」
 キールには、もう気持ちの踏ん切りはついているようだった。
「……そうか」
 しかし、先に部屋を出て行く男の背には、なんとなく重いものを感じる。あの男の独り言という爪は、しっかりこの若者に食い込んだのだろう。その爪痕は、また生涯残るものなってしまうのか。
 テオドールには、黙ってその後をついていくことしかできなかった。

   
(終)