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番外編

花言葉も込みで


 人間関係というのは、あっさり切れるものと、不思議とだらだら続くものがある。
 友人の兄との関係は、後者の方だった。
 その男は議員秘書という堅苦しい仕事をしている。秘書なんて所詮雑用ですよ──と笑うその男とは、花屋の前で会うことが稀にあった。
 その日もそうだった。夕方、八束が珍しく服など買って、繁華街のはずれを歩いていたとき、雑居ビルの一階にあるこじんまりとした花屋の前に、その男はいた。
「こんにちは」
 会えば一応挨拶はする仲。八束がそう声をかけると、振り向いたスーツ姿の眼鏡の男は、愛想のよい笑顔を浮かべた。
「あぁ、どうも。お久しぶりです。八束君は買い物ですか?」
「そうですけど……霧島さんは、また贈る花選びですか?」
 また、のところが若干とげとげしているのに、八束は自分でも気づいていた。この男、やたらと自分の恋人に花をくれる。下心ありありなところを隠さないのは、ある意味 清々しい──のだろうが、それを選んでいる現場に出くわしたら、あまり余裕のある態度は取れない。
「今日は違いますよ。この花屋は面白い植物が多いので──ちょっと、見ていただけです」
「霧島さん、そういうの結構好きだったんですか? 花とか、植物とか」
「贈呈用以外に今まで興味は、正直なかったですよ。個人的に買うようになったり、君たちと知り合ってから視野が広がった、というのが正しいかも」
「へぇ……」
 八束もその、小さな店内を見渡す。狭い花屋には、所せましと植物が置かれている。大きなヤシの木のような観葉植物もあるし、奥には贈呈用の、立派なシクラメンもいくつか並んでいる。高級そうなバラの切り花も。
「なんか、こんなところにあるにしてはラインナップが派手というか……」
「まぁ、裏がすぐ繁華街ですからね」
「え?」
「夜のお店が多いってことですよ。このお店はおそらく、そっちの界隈向け」
「あー……」
 明言はされなかったが──路地の一本向こうは古くからある、少年には縁のない風俗街。そういうことなのか、と八束は納得した。
 繁華街とはいえ、こんな細い路地の一角で、派手な花屋をやっていても儲かるのだろうか──と思っていたが、店の営業時間を見ると、 街の賑わいに合わせたように、妙に夜遅くまでやっている。
「……霧島さんって、そういうお店行ったことあるんです?」
「付き合いでなら」
 さらりと言われて、浮かべる表情に困った。
「なんか俺、そういうの全然想像できなくて……」
「その歳でさらりと乗られると、僕も困りますよ。別に知らなくても困らない世界ですし」
「まぁそうなんでしょうけど……何話すんです? そういう場所って」
「それ、長畑さんも言ってましたね」
 霧島兄は、思い出すように笑った。あの男は結構人見知りをするので、例え相手が非常に色っぽく艶やかだろうと、知らない人とお酒を飲んで、楽しいとかは特にないのだ。
 多分、帰りたいなぁ──と思いながら飲んでいる。
「別に話すことなんて考えなくていいんですよ。向こうも仕事なんですから盛り上げようと思ってくれるし。さらっと適当に話しとけば。深入りし過ぎるとよくないですけどね。あと店は選ぶべき」
「へ、へぇ……」
 そういうのもなのだろうか──と八束は思った。しかしこの男、そういうのを「適当にさらっと」やるのは得意そうだ。弟の方にも、少し社交性をわけてやればいいのに、と思う。
「で、話は戻りますけど──自分で花を選ぶようになって、ちょっと意味とか花言葉とか、調べるようになりました。バラもいろいろ意味がありますよね。赤は愛で、白が純潔とか」
「あー……ちらっとは聞いたことありますけど」
「あまり、あの人とはそういう話しない?」
「あの人の場合はガチで生産者なので、品種とか性質でしか見てないんじゃないかなぁ……あまりそういうの、気にしなさそうだし」
「理系脳ですよねぇ……僕ずっと文系だからなぁ……言葉遊びみたいなの、結構好きなんですけどねぇ。確かにあまり、反応してくれないなぁ」
 この男は結構、詩的な手紙も普通に書く。八束だったら書いた瞬間悶絶してしまいそうなものもあって、大人になったらこういうのも普通に書けるのだろうかと考えたが、自分はそんな大人になれる気がしない。
「で……まぁ先日の話なんですが、ちょっとお呼ばれした先で、モモの花なんて頂いたんですよね。立派な枝の」
「はい」
 八束は一応、相槌をうつ。
「まだ庭のバラは咲かない次期だったし、季節の先取りだと思って、長畑さんにおすそ分けに行ったんですよ」
「はい」
 確か──彼の家にあったのを、八束も見た。切り花にあまり興味を持たない長畑は「そろそろ生け花とか覚えるべきなんだろうか……」と若干持て余しつつ、ガラスの花瓶に差していたが。
「でも、変な意味だといけないと思って、お渡しする前に意味とか花言葉とか、そういうの調べたんですね」
「はい」
 この男はそういう点は礼儀正しいし、真面目だ。
「花言葉、なんだと思います? ……本にもよりましたけど……『私はあなたの虜』とか『恋の奴隷』とか、そんな言葉がぼろぼろ出てきて」
「……」
 思わず無言になった。
「自分でも笑っちゃったので、思わず長畑さんにも意味をお伝えしたんですが……半笑いでしたね」
(なんか、すっごい顔が想像できる)
 きっと彼は、呆れたような引いたような、だが人を不快にさせない程度の同調が混じった「はは」という笑いだったのだと思う。
「どうせなら、もうちょっと照れた顔とか見たかったんですけどねぇ」
 霧島兄は、肩を落としていた。
「もっと喜んでたり落ち込んでたり、ムキになったり拗ねたりするようなところが見たい」
「それは結構レアなやつだと思うんで……」
「あ、やっぱり、君でもそう……?」
 少々情けない笑みで、霧島兄はこちらを見た。この男は多分、長畑のそういう顔がみたくて、わざとこういうことをしているのだと思う。意中の相手の気を引くというのは、やはりなかなか思い通りにならないようだ。この男の場合、もはやそれを楽しみつつあるが。
 八束は霧島兄と、だらだらと会話を続けつつ、花屋の前から立ち去った。
 この男との関係は複雑ではあるものの──仲はそんなに、悪くない。

(終)