夏の光、俺の血筋
01 いきなりそんな事を言われても困ります
「話がある」と父に呼び出しを受けたのは、夏休みに突入して三日目の事だった。
「なにその、改まって話とか……」
志方健一郎は、縁側に敷かれた座布団の上に正座しながら、縮こまって父の顔色を窺っていた。どぎつい日差しの中、庭の木に止まったセミの声が、とにかくうるさい。
健一郎の父は、未だに昭和の頑固親父を地で行く男だ。
家業は明治時代から続く、老舗の日本茶専門店。職人気質で少々古風な男なのは、昔死んだ祖父とよく似ている。
仕事は妥協を許さず、甘えも許さず、人にも自分にも厳しい──その姿勢は家庭の中でも同じで、幼い頃から褒められた記憶も、ほとんどない。真面目で一本気のある父の事は嫌いではないが、どことなく怖くて近寄りがたい──それは高校生になった今でも同じだ。昔から、父とはあまり親しく口をきく関係ではなかった。マイホームパパという単語からはかけ離れた父とは、今でも少し距離を感じている。
「で、何でお前はそんなにびくついているんだ」
父はそんな健一郎の心情を知ってか知らずか、胡坐をかいた姿勢で腕を組み、こちらを不審げに見ている。
「いや、怒られるのかと思いまして」
「俺が怒るような事をしたのか」
「いえ、めっそうもございませんが」
眉間に皺を寄せた父に、健一郎は慌てて首を横に振る。もう歳も、五十を超えた父。いつの間にか身長も父を越したというのに、どうしてもびくびくしてしまうのは、長年染みついた習性だろう。
(でも、話ってなんだよ?)
二人きりで話すのは久々だ。あまり盛り上がらない父と子の会話の中で、健一郎は密かに考える。
叱られるような事をした覚えも、呼び出されるような何かをしでかした覚えもない。
(……いや。数学で一回赤点とったな)
思い当たるとすれば、それだろうか。
夏休み前の期末テストで、酷い点数を叩き出してしまった事を思い出す。だがその後の補習で挽回したし、後腐れなく高二の夏休みを向かえたはずだ。この父は元々息子の成績の事など母に丸投げで、昔から関知しない男だった。息子の出来の悪さは今に始まった話ではないし、学校の成績の事で叱るのは、母の役目だ。今更父が口を出してくるのも、何かおかしい。
「……健一郎。うちの家は、広いよな?」
「え? あ、あぁ、そうだね」
突然問われて、健一郎は言葉に詰まりながらも答えた。店舗兼住宅のこの家は、確かに広いと言えば広い。通りに面した店舗の裏側に住宅があるが、祖父母も既に亡くなり、兄が大学進学で一人暮らしを始めてからは、この家に住むのは父と母と自分だけだ。全く使っていない部屋もあるし、家族三人で住むには十分すぎる。
「お前の部屋もしっかりとある。だから、もう一人くらい増えても大丈夫だろう?」
「え? 何が?」
「人が」
「……はい?」
健一郎は固まる。父が何を言いたいのか、よくわからなかった。
「すみません。俺が頭悪いんだと思うんですが、ちょっと言っている意味が、よく……まさかその歳で、兄弟が増えるとかそういうの、勘弁してほしいんですが」
「それはない。それはあるわけない。俺にも身に覚えがない。ない、が」
父は珍しく、言葉に困ったように咳払いしながら眉を寄せた。息子相手にこんなに言葉を選ぶ父の姿を見たのは、初めてだ。
「うちに、お前と同じ歳の子一人、下宿させたいと考えている。どうだろう」
──下宿?
健一郎は、突然湧いてきた言葉にぽかんとした。
「……なにそれ。母さんには言ってんの?」
「母さんは許可済みだ。了承はもらっている。ほれ、あれだ。お前のところの学校の野球部、少し前にイジメがあったって騒ぎになっただろうが」
「あぁ、確かにあったけど」
「あれに関連した話なんだが」
父はそういって、自らが淹れた茶をすする。
健一郎が通っている高校には、普通科とは別に体育科という学科が存在していた。
そこの在籍生徒は、ほとんどがスポーツ推薦で入学してきた生徒たちだ。授業内容も普通科とは異なるし、校舎も違う。様々な運動部が存在するなかで、陸上部と野球部は、強豪として全国に知られていた。特に野球部は、甲子園の常連だ。
しかし今年、その野球部がとある問題を起こした。
体育科は全国から生徒を集めているため、専用の寮がある。その寮で今年、乱闘騒ぎがあったのだ。確か六月の終わりごろだったと記憶している。
殴りかかったのは、野球部の二年生の生徒。殴られたのは、部の先輩である三年生だった。
しかし周囲などから聞き取り調査をしていくと、その二年生は複数の三年生から、以前より言葉によるいじめを受けていた、という事がわかった。三年生の生徒もそれを認めたため、彼らは退部となり、野球部は学校側から三か月の部活動停止処分を受けた。
もともと今年、甲子園出場はなかったのだが、強豪校の起こしたそんな騒ぎに、地元はしばらく噂で持ちきりとなり、野球部は随分と評判を落としたのだ。
「で──コレとそれがどう関係あるの?」
健一郎はあまり興味なく言う。健一郎自体は普通科の生徒で、体育科の生徒とは付き合いがほとんどない。学校側も当事者の生徒の名前は伏せていたし、もちろん知っている者は知っているのだろうが、健一郎には関わりなきことだった。今の今まで、そんな騒ぎの事は忘れていたくらいだ。だが父は、妙に真剣な顔で言う。
「それでだ。それでその二年の子を、うちで下宿させようと思っている」
「えぇ? なんで」
健一郎は思わず身を乗り出していた叫んでいた。父とその生徒──接点が全く見えないのだ。
「……その子な、俺の若い時の、友達の子なんだよ」
困惑している健一郎の顔を見ながら、父は腕を組み、淡々と語る。
「その子に処分はなかったが、やはり寮では居辛いようでな。本人も周りに迷惑をかけた事を気にしているらしい。でも実家は遠方で、一人暮らしするような余裕もないし、好きな野球は続けさせてやりたい。苦労して特待生で入ったような子だからな。だから」
──だから、学校近くの我が家でしばらく下宿させたい、という事らしい。
あの初夏の騒ぎと、我が家の父にそんな接点があったとは、初耳だった。健一郎の兄も同じ高校に通っていたから、学校の事は両親ともよく知っている。だがその当事者の事に関して、何か言及していた事は今までなかった。
「それで、その話を聞いて、俺はどうしたらいいわけ?」
「……まぁ、家に住まわせるなら、お前の意見も聞かにゃならんだろう。お前も難しい年頃なんだし。お前が駄目だと言うなら、考える」
「あー……そうだねぇ」
父の苦虫を噛み潰したような顔を見ながら、一応気遣ってもらったのだな、とは思う。
だが正直な話、あまり関わりたくないし、よく知りもしない同じ学校の生徒と同じ家で暮らすなんて、あまり歓迎できる話ではなかった。
だが父はもう決めているようだ。
考えるなんて言っているが、自分が嫌がる素振りを見せれば、説得しただろう。
そのためにわざわざ、普段ろくに話もしていない自分を呼び出したりしたのだろう──健一郎は内心ため息をつく。
「……そんなに仲良かったんだ? そいつの親父と」
「昔、いろいろあってな。そいつに随分と、悪い事をしちまったんだ」
「悪い事?」
「内容はあまり言いたくない。だが、償いたいとは思っていた。だから、これは俺の我儘なんだよ。母さんにもそう言った。お前には、はた迷惑な話かもしれんが」
言い難そうに頷く父が、意外だった。言いたくない悪い事、という言葉の内容が気になったが、父はそれ以上語ってくれそうになかった。
父のそんな沈んだ顔を見るのも初めでだった。幼い頃から厳格で厳しくて、仕事一直線で怖いというイメージしかなかった父──そんな男も、何かしらの後悔を持っているのだ、と思った。そんな男が昔の後悔のために、恐らくあちこちと話をして頭を下げて、自分にまで許可を取ろうとしているのだ。そう思うと、さすがに面と向かって嫌だと言う勇気もなかった。
「……いいよ。父さんも母さんもそうしたいって言うなら、いいんじゃないの? 俺がどうこう言える話じゃないでしょ」
元々この家で、自分に決定権などないのだし。そう思いながら、健一郎は極力軽く告げる。
「悪いな」
父が頭を下げた。息子の自分に頭を下げるなど、今日は初めての事ばかりで怖い。
「いや、そういうの別にいいから……で、そいつ、いつから来るの?」
「お前の了承が取れれば、明日にでも来たいとさ」
「早っ!」
思わず健一郎は声を上げていた。だが学校も夏休みに入っているし、寮を出たいならすぐにでも、という気持ちはあるのかもしれない。
「荷物は少ないようだから、引っ越しはすぐ終わるだろう。手伝う必要もないと言われている。お前は、良ければ話し相手にでもなってやってくれ。せっかくの同い年だ」
「うんまぁ……それはいいけど……」
健一郎は困惑しながらも頷く。いいよと言った手前、嫌な顔をするわけにもいかない。
(事情も重いしなぁ……)
騒動の原因はイジメだ、と聞いている。何があったかは知らないが、そんな、恐らく心を痛めているであろう生徒の話し相手になど、日々適当に生きている自分がなれるのだろうか。
うまくやれるのだろうか?
全く想像ができない。
「とりあえず、そいつの名前聞いておいていい?」
憂鬱な表情で問えば、父は黙って頷いた。
「園田だ。園田光」
そのだひかり、と口の中で繰り返しながら、健一郎は考える。やはり、知らない名前だった。