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鳶の巣島は、今日も晴れ

三島の島の神様


 ふやけるくらいに鳶の巣島の温泉に入った後、旅館の浴衣に着替えた木戸は、廊下にあったマッサージチェアに座っていた。
(これはいい……)
 百円で五分間ほど癒してくれる仕組みだが、最近のマッサージチェアは出来がいい。疲れの溜まったふくらはぎまで、もみほぐしてくれるような機能がある。
 時刻は平日の午後。こんな風に休日を過ごしたのは久々だ。今頃、世の中みんなあくせく働いているのだろうなぁと思うと、ちょっとした優越感がわいてきた。
 思わず「はぁ……」というおっさんくさい声が、ぷすんと体から抜け出ていたところで、学校から帰ってきたと思われるこの旅館の一人息子が、前を通りかかった。真面目な性格らしく、制服の学ランは上まできちんと留めている。
「鳴海君、お帰り」
 顔なじみになっていた少年にそう声をかけると、こちらに気付いた鳴海少年はへらりと笑った。まだどこか幼さの残る、邪気のない笑顔だ。
「あ、木戸さんこんにちは。俺今、すごいレアなの見ちゃいましたよ」
「レア?」
 なにそれ、と首をかしげると、鳴海少年は窓から見える青い海を指さす。
「神様同士のマラソンバトル。モモちゃんと、別の島の神様が、海の上を全力疾走しながら競争してました。わりとガチで。島の周り、何周する気なんだろ……」
「……」
 想像して、呆れた。この鳶の巣島の神様は、白い着物を着た半裸の若い男の姿をしており、モモノシンと名乗っている。木戸がこの島に来るきっかけをつくった存在で、普段その手のものが見えない木戸にも見えてしまった存在で、なんやかんやと話もしてしまったのだが――。
「なに、神様ってそんなに暇なの……?」
「暇なんでしょうねぇ。おんなじレベルで遊べるのって、やっぱり神様同士だけなんだろうし。でもそこまで仲は良くないんですよね。たぶん何かの拍子で張り合ってて、マラソンに発展したんだと……」
「どこに張り合う要素が……?」
「そりゃあ、島の面積、人口、知名度とか名産品の有無とか……みんな自分の島が一番だと思ってますから」
 鳴海少年も、どこかあきれた様子で海を眺めた。木戸の目には何も見えないのだが、鳴海少年のよく見える目には、その「神様のマラソン」はまだ見えているのかもしれない。
「俺にはわかんないけどなぁ……ほかの島の神様ってのも、あいつとよく似てるわけ?」
「姿は全然違いますよ」
 鳴海少年は、くるりとこちらを向いた。
「あそこに、一つ島があるじゃないですか」
 鳴海少年は、うっすらと見える平たい島を指さす。
「あそこ、江平島っていうんですけど……あそこの神様は、エビです」
「エビ?……この、エビ?」
 木戸は無意識に、人差し指と中指を立てて、ちょきちょきと動かした。
「そう、そのエビ」
 鳴海少年は真顔で頷く。
「二足歩行のおおきなエビが、超豪華な着物を着てのしのし歩いている姿を想像してください。バルタン星人みたいな感じ。リアルすぎて、俺近くで見るの、ちょっと苦手なんですけどね……」
 エビの顔というのは案外グロテスクだったりする。木戸は子供のころ、捕まえたザリガニの裏面を見て微妙な気分になったのを思い出した。たぶん鳴海少年は、そういう気分なのだ。
「あと、もう一つ本土側に藻島ってのがあって、そこは無人なんですけど、魚だけはすごく釣れる釣り人の聖地的なところなんですが、あそこの神様はわかめの塊みたいな……ただ形が不定形で人型だったり四足だったり海面漂ってたり……その状態でいきなり「やぁ」とか話しかけてきたりするんで、暗いところでいきなり遭遇するとちょっとビビります」
「……めちゃくちゃホラーだね」
 元気がないときにそんな神様と遭遇していたら、たぶん腰を抜かすどころか失神していたと思う。木戸はそう、しみじみと思った。
「で、そのエビ頭とわかめとモモちゃんが海の上で、張り合ってドタバタ走り回ってたんです。すごいシュールな絵でしょ」
「うん……」
 木戸は微妙な相槌をうった。見たいような、見たくないような。
「でも、この島のあれ……モモノシンだけ、妙に人型なんだなぁ」
「ですね。モモちゃんの趣味って人間観察ですし、感化されたんじゃないかって自分でも前に言ってましたけど……でも木戸さんは俺の話、普通に信じてくれるんですね」
 鳴海少年は、照れくさそうに笑う。
「……うれしいです。こういう話、あまりしないようにしていたから」
「実際見ちゃった部分もあるからね。鳴海君みたいに、全部見えるわけじゃないけど」
 木戸も笑った。
「それをおかしいんじゃないか、とかは思わないんですか?」
「まぁ、疑いだしたらなんでもきりがない。こんな経験して、多少元気になったのは事実だ。俺は自分の感覚を信じたいよ」
この数日で、馬鹿らしいと思うこともなく、そんなことを素直に思うようになってしまった自分の変化が、意外だ。
「たぶん、ここでのことは現実に戻っても忘れないと思うよ。歳をとっても」
「そのときは、俺のことも覚えていてくれると嬉しいです」
 鳴海少年は、にっこりと笑った。木戸は苦笑する。この少年は、本当に人懐っこいなと思った。
「木戸さんにはサービスするよう、モモちゃんにも言われています。温泉入ってマッサージして、もう旅館の中でゆっくりされたいなら瓶ビールも冷えてますから、遠慮なくおっしゃってくださいね。この島のじゃないけど、各地の地ビールも多少用意があります」
「君、本当に商売上手だね……」
 もとの生活に戻れば、また気分は荒むのかもしれない。だが、再度どうしようもなくなったときは、この島に気分転換に来よう――そう思う程度には、木戸はこの島を気に入っていた。

(終)