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檻の中のカラスと孔雀

01:猛禽、孔雀に買われる


「年の頃は二十歳過ぎ。健康な若い男だ」
 快晴の青空が広がる昼下がり。市場の一角で、商人のよく通る声がこだまする。
「もとは大陸南部のブーチャという、小国の人間だ。教育はろくにうけていないだろうが、丈夫でなかなか壊れそうもない。労働者としては申し分ない商品だ」
 市場では商人を取り囲むように、人だかりができていた。商人のそばには、金属製の大きな四角い檻がある。
 その中には、首輪と手枷をはめられた一人の青年が、膝を抱えるようにして座り込んでいた。
浅黒い肌に毛足の荒い黒い髪。薄汚れた麻の着物。猛禽のような眼光が鋭く、左目の下にだけ隈取のように赤い入れ墨がされた、どこか野性的な風貌だった。
 青年の名は、テオドールという。
 だがその名をこの商人に名乗ったこともないし、商人も興味を持って、尋ねてきたことはない。
 テオドールは、これから売られていく「奴隷」だ。
 この商人は仲買人でしかなく、別の国で捕らえられ、はるばるこの街まで運ばれてきた商品を、ただ「売る」だけ。そこにしか興味はない。
 檻の周囲には、ただ興味本位で集まっただけの者、望んで奴隷を買いに来たもの、様々だ。座りこんでただ黙っているテオドールを、珍しい動物を見るかのような視線で見つめている。
「こいつ、喋らないじゃないか。こっちの言葉わかるのか? 話が通じないと困るね」
「言葉は通じるはずですよ。ただ、こいつは少々頑固ものでね。痛めつけてもうんともすんとも言わないんですよ」
「へぇ……そいつはまた。女なら、嫌いじゃないんだがなぁ。躾ける楽しさがある」
 太った裕福そうな身なりの男が、いやらしい声で商人と話している。この太った男は、先ほど女の奴隷を二人買い上げていた。同じ地域出身ではなかったが、金の髪と白い肌を持つ、若く、美しい女たちだった。この広場でお披露目されるが否や、たくさんの買い手が声を上げ、結局この男に競り落とされた。
 会話をしたことはなかったが、結局最後まで、怯える姿しか見ることがなかった。
(……豚が)
 テオドールは無言で、唇を噛む。彼の心には、怯えも卑屈さもなかった。
ただ人を鳥のようにかごの中に入れ、興味津々と言った様子で中を覗き込み、娯楽の一環として金で買い上げる周囲の人間たちを、ただ侮蔑していた。

 テオドールの故郷は、大陸南部にあるブーチャという小さな国だ。周囲は田畑と森林ばかりというのどかな地域である。
 生活は決して豊かだったわけではないが、多くの家族や友人たちに囲まれ、それなりに幸せな人生を送ってきた。
 しかし突然襲ってきた隣国の兵に、ブーチャはあっという間に蹂躙されたのだ。
 女と労働力となる子供、若者は荷物のように荷車や船に載せられて、隣国の首都へと連れてこられた。
 隣国は、大陸でも有数の強国だった。最近の流行りは、他国の戦争で打ち負かした国の民を、奴隷として飼う事──それをテオドールが知ったのは、この街に連れてこられてからだ。ブーチャという小さな国を手に入れたところで、彼らが得るものなど大してなかっただろうに、彼らはそのためだけに戦を起こし、一国を滅ぼしたのだ。
(気が狂ってる……)
 この国の人間に、テオドールは心底呆れと、怒りを抱いていた。
 そんな呆れた欲望のために自分の故郷は焼き払われ、家族友人もちりじりになり、自分はこうして、首輪と手かせをはめられ、家畜のように市場に並んでいる。
 値段は金貨三枚──それがテオドールの値段だった。
 同じく奴隷として捕らえられた者たちの様子は、様々だった。
 ただ怯える者。これも運命と、粛々とそれを受け入れている者。ただ反抗し、痛めつけられる者。
 媚びを売り、相手に気に入られようとする者──。
 だがテオドールは、そのどれを選ぶこともできなかった。こんな連中におびえた姿を見せるのは嫌だし、媚びるなどもってのほかだ。反抗したところで逃げ出せないのはわかっているし、これを運命と受け入れるだけの、落ち着きはまだない。
 逃げたところで、故郷はもうないのだ。しかし家族や友人と、この国でまた出会うことはあるかもしれない。同胞たちも、同じ思いで今こうして耐えているのだと思えば、心折れることなどできなかった。
 しかし、テオドールの買い手はなかなかつかない。
 今日の目玉は、女性、そして美少年たちだったからだ。集まった層も、どちらかと言えば目当てはそちらだったらしく、丈夫なだけが取り柄そうな、目つきの鋭い異民族の若者を買おう、というものは現れない。
 だが、そのときだった。
 檻を取り囲む人ごみが突然ざわめき、二つに割れた。
(……?)
 テオドールも、眉間にしわを寄せる。
 奥から現れたのは、奇妙な二人組だった。一人は黒髪の、すらりとした体形の青年。
髪の色と同じ、真っ黒な裾の長い服を来て、腰には長剣を差している。年の頃は、テオドールと同じか、もう少し上だろうか。
 もう一人は、とても小柄で、全身をローブで覆っており、目元しかわからない。だが目元を見る限り、まだ幼い少年のようだった。
 青年は、少年を守る騎士のように、無言でわきに控えている。
「もし、そこの方」
 全身ローブの少年が、少年らしくない物言いで商人に笑いかけた。
「彼を買う者は、誰もいないのか?」
「……これは……ご当主」
 奴隷商人は、若干引きつった顔で礼をした。周囲の者も一歩下がり、同時に頭を下げている。 
(……ご当主? この不気味な子供が?)
 何か、この地域ではやんごとなき人間、ということなのだろうか?
 全身をローブで覆い隠した子供など、テオドールには不気味にしか見えない。だがそこから覗く緑色の瞳は大きく美しく、金のまつ毛で縁どられていた。声もどこか無邪気で、可愛らしさすら感じる。
(だが、何か……)
 背筋が冷えるようなものを、感じるのだ。
「質問に答えなさい。彼を買う者は誰もいないのか? だとしたら、僕が買ってもいいのか。いくらだ?」
 少年は、ゆっくりとほほ笑みながら、商人に詰め寄る。
「も、もちろんでございます! しかしご当主から代金など……!」
「市場は、お金を払ってものを買うところだろう。僕だけ特別扱いはいけない。いくらだと聞いている」
「……金貨三枚、でございます」
 商人は困ったように、テオドールの値段を正直につぶやいた。
「キール」
「……はい」
 少年に促され、キールと呼ばれた黒い騎士のような男は、商人の手のひらの上に、金貨を三枚じゃらりとおいて見せた。
「あ……ありがとうございます」
 商人は金貨を見つめながら、困ったように礼を言った。売れない商品がやっと売れたというのに、あまり嬉しそうではなかった。
どちらかと言えば、非常にやりづらい相手と商売をしてしまった、という顔をしていた。
 そんな商人をしり目に、少年はにっこりと笑う。
「これでいいのだろう? 僕らはまだ、買い物があるんだ。彼は後で、僕の屋敷まで届けてほしい。あっ──そうだ、君の名前を聞いていなかったね?」
 少年はその場にしゃがみこんで、檻の中で座り込むテオドールと視線を合わせた。
「僕の名前はアルノリト。街のはずれの屋敷に住んでいるよ。君の名前はなんていうの?」
 大きなグリーンの瞳。それはただ、新しい友達を見つけたかのように、きらきらと無邪気にこちらを眺めていた。
「……」
 テオドールは面食らった。今までこの国で、自分に向けられたことのない視線だった。
 だが今自分は、この少年に「買われた」らしい。
 名乗らなければ、いけないような気がした。
「……テオドール」
 そう呟けば、アルノリト、と名乗った少年は目を細め、満足そうににっこりと笑った。
「よい名だ。それではテオドール、また夕刻にでも会おう。行こう、キール」
 アルノリトは立ち上がると、そばに控えている黒い騎士に笑いかける。青年は無言で頷いて、一瞬、こちらをちらりと見た。
 汚いものを見るような──そんな視線だった。
「……」
 テオドールと青年は、一瞬にらみ合う。
「参りましょう」
 だがキールと呼ばれたその青年は、すぐに視線をテオドールから外し、アルノリトと共に去っていった。
 テオドールは二人の背中が、雑踏の中に見えなくなるまで、呆然と見つめていた。
「あぁ……やっかいなところと商売しちまった……」
 檻の外では、商人が金貨を握りしめつつも、一人頭を抱えていた。
「でもご当主だしなぁ。断れないしなぁ……おい、お前」
 ぶつぶつつぶやいていた商人が、突然こちらを見て、初めてテオドールに話しかけてきた。
「運がいいのか悪いのかわからない奴だが……逃げようなんて思うなよ。お前の首も、俺の首も飛ぶからな」
「彼らは、一体なんだ?」
「──何か、だって?」
 商人は誰でもいいからぼやきたい気分だったのかもしれない。普段は奴隷からの言葉になんて耳を傾けないくせに、テオドールの問いに、眉を寄せた。
「何かなんてわかっていたら、誰も恐れやしないんだよ」
 ため息交じりに、商人はつぶやいた。

(続く)