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檻の中のカラスと孔雀

02:猛禽、ドナドナされる


 遥か頭上を、大型の猛禽類が弧を描いて飛びながら、甲高い声で鳴いている。
 テオドールはそれを、馬車の荷台からぼんやりと見上げていた。
 自分は、何か得体のしれない者に「買われた」ようだ。
 今は奴隷の仲買人に、金で雇われた男が操る馬車の荷台に乗せられて、ごとごとと揺られていた。
 馬車にはほろも何もついておらず、午後の日差しは痛みを感じるほどにまぶしい。
 荷台には、テオドール一人。だがしっかりと、首や足は逃走防止の太い鎖で繋がれていたので、荷台を飛び降りて逃げ出すこともできないでいる。
 競り落とされた家畜のように売られていく自分の姿を、じろじろと好奇の視線で見られることは屈辱だった。
 だが泣き叫び、怯える奴隷の姿を見せることの方が、その手の人間を喜ばせてしまうことをこの国に来てから知ってしまったので、テオドールはただ、黙って荷台に揺られ続けた。
 そんな自分の姿が見えているのかいないのかは知らないが、野生の鷹は、時折鳴き声を上げながら、気流に乗ってゆっくりと旋回している。
おそらく、獲物を探しているのだろう。翼の大きな鳥だ。種類はわからないが──死肉を好む傾向の鳥なのかもしれない。
(あいつらも、ちゃんと飛んで逃げただろうか)
自分の頭上を舞う鷹を見つめながら、テオドールは思う。

故郷ブーチャを奪われ奴隷となるまで、テオドールは鷹匠の一族として生きてきた。
ブーチャは決して豊かな国ではなかった。
 どこを見ても山ばかりで、そこに暮らす民も、限られた平地の田畑を耕し、野山で狩りをしながら、昔ながらの暮らしを守る民族だった。
 テオドールは鷹を操り、捕らえたウサギやキツネなどの肉や毛皮を売って、生計をたてていた。
 相棒の鷹はマキーラという雄の鷹で、野生の巣で孵ったばかりのヒナを持ち帰り、大事に育て上げた宝物だった。今まで出会った鷹の中では一番賢く、一度教えたことはすぐに覚え、テオドールにしか心を開かない、警戒心の強い面も持っていた。
 鷹の育て方や狩りの方法を教えたのは、年の離れた兄だ。
 両親を早くに亡くしたテオドールは、兄夫婦に育ててもらったようなものだ。しかし近年、兄は病気を患い、鷹狩はできなくなった。
 彼らの生活を楽にしたくて、成人してからも狩りで得たわずかな稼ぎは、ほとんど彼らに渡していた。
 そんなテオドールを見て、兄夫婦は感謝しつつも「早く自分の家庭を持ちなさい」と笑っていたのだが──そんな姿を彼らに見せることもできなかった。
 ブーチャが襲撃を受けたのは、夜明け前だ。
 中心地は焼き討ちを受けたため、その際命を落とした者も多いと聞く。その瞬間、テオドールは狩りの準備で、鷹のマキーラを連れて山小屋にいたため、襲撃を逃れた。
 そのまま混乱に乗じて山を越えて逃げてしまえば、テオドールは奴隷になどならずに済んだのかもしれない。
 しかし、里にいた兄夫婦を放置することができなかった。急いで山を駆け下り、彼らを探したが──家は屋根が焼け落ちており、付近に彼らの姿を見つけることはできなかった。
 そして、呆然としているところを、兵に襲われたのだ。
 ──マキーラ、逃げろ!
 自分の肩にいた鷹に怒鳴った。だがマキーラはなかなか、飛び立とうとしなかった。何度も怒鳴って、振り払って、マキーラはようやく空に舞い上がる。
 兵の目的は「奴隷用の人間の調達」だったので、肩にいた大きな鷹が飛び立っても、弓で射られることはなかった。
(あれだけ怒鳴ったから、嫌われてしまったかもしれないな)
 荷馬車に揺られながら、テオドールは一人苦笑する。
 マキーラは人に育てられた鷹だが、獲物を狩る力は申し分ない。賢い彼ならば、野生の中でも生きていけるだろう。マキーラから野生の暮らしを奪ったのは自分なので、身勝手な話だと思うが、元気に生きていってほしいと思う。人間のこんなくだらない事情に、彼らまで付き合う必要は、まったくないのだ。
 兄夫婦の行方は、まだわかっていない。
 だが捕らえられて連れていかれた場所で、同じく捕らえられていた近隣の者と再会した。会話できたのはわずかな間だったが、彼らの話によると、兄夫婦も捕らえられ、どこかへ連行されていたという。
 少なくとも、あの場で殺されてはいなかったという情報は、テオドールの折れかけた心を救ってくれた。しかし未だに会えていない。それきり情報はない。ブーチャで捕らえられた人々は、この国の各地に送られたという。どこか違う場所で、彼らも自分と同じように、市場に並べられたりしたのだろうか。
 野生の鷹はしばらくテオドールの頭上を旋回していたが、やがて翼を翻し、雲のかなたに消えていった。
 それを視線で追いながら、テオドールも息をつく。
 道は、どんどん険しくなっていった。
 いつの間にか周囲には人家が消え、深い森の中に入って行っている。妙に薄暗い森だった。市街の中心地は発展し、めまいがするほどに人があふれていたというのに、市街からそう離れていない場所に、こんな深い森があるのだ。
「……気味が悪ぃ森だなぁ」
 テオドールが心の中でそう思ったとき、馬車の御者である男も、そう呟いた。
 この男はどうやら金に困っていたろくでもない男のようで、奴隷商人にその場で金を積まれて、喜んで荷運びを引き受けていた。
 だが場所が「ご当主の屋敷」だと言われると、それまでの媚びへつらいも固まっていた。しかしきちんと送り届けて帰ってきさえすればその倍額を支払うと言われて、金に目がくらんだ男は、こうして馬鹿正直に、テオドールを運んでいるのだ。
「……ご当主、とは何なんだ?」
「あぁ?」
 荷台から問いかけると、御者の男は荒々しい声と共に振り向いた。唇に刃物で切られたような傷がある、いかにも酒を飲んで喧嘩ばかりしています、という風貌の男だった。
「……なんだお前。喋れたのかよ。てっきり喋れないのかと思ってたぜ」
 男は呆れたようにつぶやいた。そして舌打ちをした後、しばらく考えて口を開く。
「ご当主ってのは……そうだなぁ。お前、あの方に直々に買われたわけだろう。見たんだろ? 子供だよ。見た目は」
 確かに、全身をローブで覆っていたが、わずかに見える目元、そして声は、声変わり前の少年のもの。背丈も十歳程度の大きさしかなかった。
「まぁめったなことは言えねぇ方がいいんだろうけどさぁ……不気味だよ。俺は流れ者だからよ、昔の事なんか知りゃしねぇ。でも、みんな言うわけだ。あれは「祟る」ってね」
「……祟る?」
「言葉の意味わかんねぇか? 呪われるってことだよ」
「いや、それはわかるが……何故?」
「俺が知るわけないだろうが。でも絶対相手にしちゃいけない奴だってわかってんだよ。お前みたいな奴を買う気も知れねぇよ。もういいだろ、奴隷のくせにいっちょまえに話しかけてくんじゃねぇよ!」
(自分で返事したくせに)
 ──とは思ったが、言ったところでこの手の人間には意味がない。テオドールもそのまま黙った。
 しかしそのとき、馬が甲高い嘶きをあげ、突然脚を止めた。
「どうした? 何もねぇだろうが、早く進めよ」
 男は馬の尻を蹴るが、馬はいやいやをするように首を振り、いう事を聞かない。
「……蹴るな。怯えてる」
「怯える? 何にだよ」
 男の声は、上ずっている。
 テオドールは荷台から、首を動かし、馬の様子を見つめた。
 それまで落ち着いて、男のいう事もよく聞いていた馬だった。それが、山道の途中で妙に興奮し、落ち着きなく足踏みしている。
「俺もわからない。でも、ここから先に行きたくないみたいだ。この先には、何がある?」
「……ご当主の屋敷だよ」
 男は、硬い表情で道の先に視線をやる。道は途中で行き止まりとなっており、その先は背丈の低い草むらと深い森林だ。森林は開けており、過去に馬車通ったのか、わだちができていた。そこを進めば、目的の屋敷はすぐそこだという。
 黙っているうちに空には急に暗雲が立ち込め、それまで痛いほどの日差しでこちらを照らしていた太陽も、徐々に雲の向こうへと隠れていく。遥か向こうで、雷鳴も聞こえた。
「……」
 嫌な雰囲気だ、とテオドールも眉を寄せた。自分の本能は、ここを離れた方がいい、と言っている。この手の勘は当たるのだ。山で狩りの最中、妙に嫌な感じがして、マキーラが捕らえたウサギも置いて、その場を逃げるように去ったことがある。
 しばらく走って振り返ると、自分が捕らえた獲物に、大きな黒い熊が齧り付いているところだった。
 そのときを思い出す感覚だ。首筋に冷たい刃を添えられたように、ぞくぞくする。
「……畜生っ! お、俺は、届けたからな!」
 すると男は、急に荷馬車を飛び降りて、そのまま一目散に街の方向へと一目散で駆け始めた。
「お、おい!」
 置き去りにされたテオドールは慌ててその背に声をかけたが、彼が振り向くことはなかった。足も止めず、男は全力で山道を転げるようにしながら走り、そして見えなくなってしまった。
「……」
 ぽつぽつと、降り始めた小雨が肌を打つ。雨は次第に強くなり、目も開けていられない様な本降りとなってきた。ほろのない荷台に、雨は直接降り込んでくる。すぐに全身びしょぬれになった。
 テオドールは、目を細めながら振り付ける雨に耐える。馬も一歩も動かない。鎖につながれた自分も動けない。
(どうしろっていうんだ)
 この国の人間に助けてほしいとは思わないが、自分ではどうにできない。苛立ち濡れた唇をかみしめたとき、すぐ近くから、聞き覚えのある鷹の鳴き声が聞こえた。
 テオドールは目を見開いて、大きな雨粒が目の中にどんどん流れ込んでくるのも構わず、周囲を見渡した。
(今の鳴き声──)
 マキーラの鳴き声によく似ている。
 まさか、と思った。故郷で乱暴に別れた相棒が、この地にいるわけがない。
 だが視界の端から、素早く大きなものが舞い降りてくるのが見えた。大きな茶と白の、まだら模様の鷹だ。その鷹は豪雨の中舞い降りて、荷馬車の荷台の端にとまった。
「マキーラ!」
 呼びかけると、久々に出会ったマキーラは、首を傾げるようにして甘え鳴きをした。テオドールの顔にしばらく忘れていた笑みが、自然と浮かぶ。手を伸ばしたかったが、両手首は枷に繋がれていて、その頭をなでてやることもできない。
「どうしてお前がここにいるんだ。俺を追って来たのか? よくここまで──」
「……やっぱり、その子が探していたのは君だったんだね」
「……っ!」
 突然聞こえた子供の声に、テオドールはびくりと振り向いた。
 見れば草むらの向こうに、ぼんやりと立つ二つの人影がある。黒衣の青年と──全身をローブで覆った例の少年、アルノリトだった。青年が、自分の肩が濡れるのも構わず、主である少年に、傘を差しだしている。
 呆然としながら見つめるテオドールを見ながら、少年はくすくすと笑った。
「しかし、これで届けた、とはどうなんだろうねぇ、キール」
「商人に、一言申してきましょうか」
「いや、まぁいいよ。今回は」
 黒衣の青年は、無表情にそう呟くが、少年は笑って流した。
「それより早く中に入れてあげよう。風邪をひいてしまうよ。馬も可哀想だし……テオドール、君、枷の鍵は?」
「……」
 テオドールは黙って、首を横に振った。
 多分、先ほどの男が持っていたのだと思うのだが──そのまま逃げてしまったので、どうしようもできない。
「工具がいりますね。ひとまず、荷馬車ごと屋敷の方へとよせましょう。馬は私が誘導します。ご当主、傘を。私は不要です」
 キールと呼ばれた黒衣の若者は、傘をアルノリトに手渡した。
「僕も荷台に乗っていい?」
「……汚れますよ」
「かまわないよ。どうせこの雨だもの。足元もローブもぐちゃぐちゃだし」
「わかりました。お好きに」
 キールはにこりともせずに言うとフードをかぶり、馬に歩み寄り、その鼻筋を撫でて落ち着かせる。
「そう怖がらずともいい。取って食ったりはしない」
「馬肉は食べないようにしているからね」
 よいしょ、と言いながらアルノリトは小さな体で、荷台によじ登ってきた。そして持っていた傘を、鎖につながれたままのテオドールの頭上に差し出す。
「テオドール、びしょ濡れだねぇ。キール、君のお洋服、彼に後で貸しあげてよ」
「……お好きに」
 キールは振り向きもしなかった。落ち着き始めた馬の手綱を引き、荷馬車を進める。
 荷台の端にとまったままのマキーラも、くるくると何かアルノリトに向けて小さく鳴いていた。
(……珍しいな)
 その光景が、テオドールには意外だった。警戒心が強く、マキーラは兄にさえ懐かない鷹だったというのに。
 しかし不思議だったのは、アルノリトがマキーラの鳴き声に、まるで相槌を打つように頷いていたことだ。
「うん、良かったねぇ。君の大事な人、また会えたねぇ」
「……」
(まさか、とは思うが)
 この不思議な少年は、マキーラの話すことがわかる、とでもいうのだろうか?
 そう呆然としながら見つめていると、アルノリトがこちらを向いた。大きな緑の瞳で、にっこりとほほ笑む。
 どう反応したらよいのかわからず、テオドールは視線を落とした。

(続く)