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檻の中のカラスと孔雀

03:猛禽、カラスに腹を立てる


 強い雨が降る中、荷馬車は薄暗い森の中を進んだ。
 周囲の木々は、どれも太く立派なもので、人の手によって整えられた様子もない。古くからの森がそのまま残っている、というような印象を受けた。
 妙に落ち着かず、寒気が止まらないのは、雨に濡れて体が限界まで冷えているせいなのか、隣に座り込んで傘をさす、この少年に対するものなのか──テオドールには判断がつかない。
 黒衣の若き青年は、こちらを振り返ることもなく淡々と馬を引き、荷馬車を進めた。雨は彼の全身を濡らしているだろう。だがそれを気にする様子もない。目が細く、涼し気な見た目の男だ。近くで見ると、自分よりも少し年下のような気もしてくる。
 だがあまりにも無表情で、テオドールには少年に付き従うこの男が、一体何を考えているのかまったくわからなかった。
「……震えているね。もう少しで着くから」
 そんなことを考えていると、隣で傘を持つアルノリトが、ほほ笑みながら見上げてきた。
 得体が知れない、という点を除けば──この少年のほうが、喜怒哀楽が豊富だ。子供の邪気のなさそうな声は、テオドールの口から毒のような言葉が出そうになるのを押しとどめる。
 返答に困って、テオドールは控えめに頷くしかなかった。
 ──この国の人間は、敵だ。
 異民族を奴隷として得たい、という勝手な目的のためテオドールの祖国を襲い、不要な者を殺し、若者や女を鎖で縛りつけて売り飛ばす──そういう国の人間たちだ。彼らが直接手を下したわけではないにしろ、事実この少年は奴隷となった自分を、金貨三枚で買い上げた。今の自分は、この少年の所有物ということだ。
 ──何が何だか知らないが、結局、人を売り買いして喜んでいる層の人間じゃないか、と思う自分もいる。
 しかし、そういう恨みつらみよりも、今は「奇妙さ」が目立つからだろうか。彼らが一体何なのか、テオドールは正直なところ「知りたい」と思っていた。
 この国の市街の住民は──非道な奴隷商人や、あの逃げ出したろくでなしの男でさえ、この少年を「ご当主」と呼び、どこか恐れている。関わりになりたくない、祟られる──そんなことまで言っている。
 だが少年の振る舞いは毅然としたそれのようでもあり、ただ無邪気などこにでもいる子供のようでもあり、それがテオドールを混乱させているのだ。
(マキーラのこともある)
 おそらくマキーラは、テオドールに逃げるよう言われてからも、どこからかこちらを見ていたのだ。船に乗り荷馬車に詰め込まれ、かなりの距離を移動したように思うが、鷹の翼ならば、追うことは不可能ではなかったのだろう。
 ──だがなぜ、そのマキーラが、この男たちと一緒にいるのか?
 自分にしか懐かないはずの鷹が、なぜこの少年には気を許しているのか。
(まるで、マキーラと会話ができるようじゃないか)
 そんなことを考えていると、荷台の向かいの端にとまっていたマキーラが小さく羽ばたいて、テオドールの隣に移動した。普段ならすぐ肩や腕にとまりたがるのだが、今は麻布一枚のぼろきれしかまとっていないので、マキーラの長く鋭い爪は簡単にテオドールの肌を切り裂いてしまう。それを、この賢い鷹は理解しているのだ。
「この子は、本当君と一緒にいたいんだよね」
 それを見て、隣のアルノリトが笑った。
「彼は君のことを、生涯の『つがい』だと思っているようだから」
「つがい……?」
 思わずぽかんと口に出して、マキーラを見つめてしまった。確かにこの鷹は、生涯伴侶を変えないとは言われているのだが──。
「お前……俺は、相棒だと思っているんだがな……」
 だがマキーラは、すました顔で首を傾げながら、文句があるように鳴いていた。
「鳥は、人が思うより愛情深い生き物だよ。嫉妬深い子も多いからねぇ」
 アルノリトは変わらず、意味深な笑みをローブの隙間から漏らしている。
 眉間にしわを寄せつつマキーラを見ると、彼もこちらをじっと見上げていた。羽が痛んだ様子もないし、怪我もないようだ。羽の艶もいいので、きちんと獲物を捕らえ、食べていたのだろう。
 それを見ると、ほっとした。
 あの日から、自分の状況はすべて変わってしまったのだと思っていた。家族も故郷も、人間の誇りさえも、すべてむしり取られてしまったのだと思っていた。
 同じように捕らえられた兄夫婦を探し出す、そのために生き抜く──そう意気込んだところで、手がかりも、探す方法も今の自分は持たない。無力で愛想がなく売れ残り、この先どうなるのかもわからない奴隷だった。
 だがマキーラとの絆だけは、変わらずそこにあったのだ。
 乱暴にマキーラを肩から振り払ったとき、嫌われてもいいと思った。生きていてさえくれればよかった。
 しかしこの鷹は、テオドールの思いを上回る愛情を、自分に持っていてくれたわけだ。見すぼらしくなったであろう自分を見ても、以前と変わらない信頼を向けてくれる。
(俺には、お前がいたんだな)
 昔と変わらぬものが、自分には残っていた──それが、テオドールには嬉しかった。


 森をしばらく行くと、一軒の屋敷が見えてきた。二階建ての、大きな木造の屋敷だ。
「あれが、僕らのお屋敷だよ」
 アルノリトが、傘を持つ手とは反対の手で指をさす。
 納屋や井戸もあるが、それ以外に住宅というのは見当たらない。屋敷はかなりの年代物に見えたが、窓枠や扉には凝った装飾が施されていて、市街で見たどんな大きな屋敷よりも、ぜいたくな造りに見えた。
「……ご当主は、先に屋敷のなかへ。そのままでは風邪をひきます」
 それまでずっと黙って馬を引いていた青年が、玄関前で馬を止め、こちらを振り返った。すっかり全身濡れそぼり、黒い前髪は濡れて額に張り付いている。
「僕はそんなに濡れてない。君たちが早く着替えないと」
「私は、その男の鎖を外さないといけません。少し時間がかかるでしょうから、お先に」
「わかった。じゃあ、客間の暖炉に火でも入れておくね」
 アルノリトは傘を置くと、ひらりと荷台から飛び降りた。
「マキーラ、来るかい?」
 マキーラは答えるようにひと鳴きしたが、テオドールの隣から飛び立とうとはしなかった。
「そう。じゃあ、また後でおいで」
 少年はにっこりとほほ笑むと、背伸びをしながら玄関扉を開け、隙間をすり抜けるようにして屋敷の中に消えていった。
 それを見届けると、黒衣の青年は黙って、馬を進め始めた。そしてそのまま、納屋の中に入る。
 薄暗い納屋の中には工具や藁、干した魚などが整頓して置かれていた。食料貯蔵庫でもあるらしい。青年は荷馬車の馬を放つと、鼻先を撫でた。
「お前にも主人がいるだろう。ここに長居はしないことだ」
 納屋の戸を開けると、馬は自分から外に出て、そのまま街の方へと駆けて行った。
 その姿を見送ると、青年は再び戸を閉めて、納屋の壁に立てかけられていた斧を一本手に持つ。そして切れ長の瞳をさらに細めて、こちらを睨むように見た。
「暴れると、どこかを切り落とすかもしれませんから。じっとしていてくださいね」
「……」
 その冷たい物言いに、テオドールは唇を噛んだ。真っ黒な衣服を身にまとい、さび付いた斧を担いだ男の姿は、処刑人にしか見えなかったのだ。

(……死ぬかと思った)
 ようやく自由になった手足をさすりながら、テオドールは内心ため息をついていた。 
 黒衣の若者は、まず荷台に鎖を繋いでいた部分を、斧で思い切り叩き壊した。少しでも動いたら、後頭部に斧を一撃入れられるところだった。
 そして手首にはめられた木製の枷をノコギリで切り離し、太い首輪をナイフで乱暴に、力任せに切り落したのだ。なんだか自分の身が解体されている気分になった。
 手足は実に数週間ぶりに自由の身となったわけだが、正直いつこの男の手元が狂うのかと思うと体は引きつり、終わるとぐったりと疲れ切ってしまった。
 そしてそのまま、屋敷の一階にある客間に連れてこられて今に至る。
 体が冷えすぎていたので、燃え盛る暖炉の前に転がされた。水を吸って重くなった衣服を脱いで、手渡されたガウンを着ていると、ようやく体の震えが止まった。
 正直、今日はもう動く気力がない。窓を開けて飛び降りればすぐ外なのだが、豪雨の中を走り抜ける元気は、みじんもなかった。
 屋敷の中は静かだ。窓を打ち付ける大粒の雨の音、そして時々ぱちりと弾ける暖炉の薪。そして自分の呼吸音。聞こえてくる音は、それくらいだろうか。
 暖炉の前に置かれた椅子に腰かけながら、薄暗い室内をゆっくりと見渡す。
(幽霊屋敷みたいだな……)
 屋敷の中に入ってまず生まれた感想は、それだった。
 そこにある椅子もテーブルも、おそらくテオドールがどれだけ頑張って働こうが入手できないような、質の良いものではあるのだろう。だが扱いは無残だ。
 室内の様子は、まるで廃墟のようだ。燭台にはうっすらとホコリがつもり、金属の輝きもない。天井の隅には古い蜘蛛の巣が垂れ下がり、床も砂やほこりで薄汚れている。
 近隣の者もここに近寄りたがらないのだし、客など来ないのだろう。だが、このありさまは客間だけではなく、恐ろしいことに屋敷のどこに行っても同じなのだ。
(こんなところで過ごしているのか、あの二人は……二人だけで?)
 改めて疑問が生まれる。あの少年と青年、それ以外に人がいる気配はない。
 そのとき後ろに音もなく、人の気配が立った。
「傷、見せてください」
 ぎこちなく振り向くと、先ほどの「処刑人」が箱を持って立っていた。
「……傷?」
「手首と足。皮が擦り切れている。見ていて痛々しいですから」
 青年が持つ木箱の中には、包帯やはさみが見える。雨に濡れた青年も着替えて、今は質素な白のシャツと黒のズボンという姿だった。黒い髪はまだ少し湿っているようで、ぺたんとしている。剣だけは、相変わらず腰のベルトから吊り下げていた。
「……別に、治療する様な怪我でもない。この程度すぐ治る」
「痕が残るかもしれませんよ」
 涼し気で丁寧な物言いは、逆にテオドールの神経を逆なでした。
「……奴隷の手足に傷が残ったところで、あんたが気にすることか?」
 つい睨むように見てしまったが、青年は少しも表情を変えなかった。
「ここにあなたを連れてくると決めたのは、ご当主の意思ですから」
「あんたの本意は?」
「私?」
 青年は小首をかしげるように、救急箱をテーブルの上に置いた。その動きに、うっすらとつもったほこりが舞い上がる。
「あまり好きではありません」
「……だろうね」
 正直すぎる、とテオドールは小さく笑った。
「市場でも嫌な顔して、俺のことを見ていたな。主人の命令かは知らないが、俺なんぞにそんな馬鹿丁寧に話す必要はない。そんなこと、したくもない癖に」
「……何か誤解があるようなので、言っておきますが」
 青年はそのまま窓際まで歩いて、叩きつけるように降る雨を眺めた。
「別にあなた自身に対して、好きではないと言ったわけじゃありませんよ。……今のこの国の風潮が。無意味に他国を攻めて、少々見た目の違う人間を売り買いして自慢する、それを良きものとする空気が──私は好きではありません。だから、あんな場所には好んで行きたくなどなかった。そう見えていたなら、謝ります」
「……自分はあそこにいた連中とは違う、とでも?」
「何を言ったところで、あなたも我々によい感情などないのでしょう? 敵を見る目で私を見る。でも、今ここで言い合ったところで、体力の無駄ですよ。じっとしていてください。私の前で倒れるような無様な姿は、あなたも見せたくないでしょう? あなた、気位が高そうですから」
「……」
 青年は、嫌になるくらい冷静で、淡々としていた。──冷めている、というべきか。そしてテオドールが、虚勢を張るだけで正直逃げ出す気力もないくらいに消耗していることも、しっかりと見抜いていた。
(この男、確かキールとかいう名だったが……軍人か何かか?)
 テオドールは、青年の腰に帯びた長剣に視線を向ける。物腰からして、お飾りで持っているわけではなさそうだ。かなり腕が立つように見える。
 そのとき、ずっとテオドールの座る椅子の背にとまっていたマキーラが、羽ばたいてテーブルの上に乗った。テオドールとキールの間で、観察するようにキールを眺めている。だがそれを珍しそうに眺めているのは、キールも同じだった。
「鷹……鷲?」
 キールはわずかに首を傾げながら、マキーラを見つめている。
「鷹だ」
「鷹……」
 感心したような物言いだった。
 マキーラはオオクマタカという森林性の鷹だ。亜種も含めて、大陸の山深いところならどこでもいるが、この辺りは人口密集地だ。この男が都市部で生まれ育ったのなら、なじみのない生き物なのだろう。
「こうして鷹をじっくり見たのは初めてですが、綺麗な鳥ですね。頭の後ろにトサカのような羽まであるのが優美だ。……だんだん全体が膨らんできているような気がするのですが」
「じろじろ見られて気が立ってきてるんだよ。マキーラ、やめろ。こっちに来い」
 テオドールにたしなめられ、威嚇のように全身の羽毛を膨らませていたマキーラは元の大きさに戻ったが、まだ頭の冠羽は立ったままだ。警戒心のこもった声で鳴くと、テオドールのそばに戻った。
「成程、よく懐いている。本当にあなたを追って来たのでしょうね、その鷹は。ご当主のいう事は、本当のようだ」
 キールは微笑ましいものを見るように、わずかに目元をやわらげた。
「……こいつは、どうしてここに?」
「二日ほど前、屋敷近くの森に現れたのですよ」
 マキーラを警戒させないよう、キールは静かに窓際へ戻った。
「森の小鳥たちが妙に騒ぐので。何かと思えば、見たこともないような大きな猛禽が、そこの樹のてっぺんに」
 キールは窓の外を軽く指さす。豪雨でよく見えないが、窓の外には二階建ての屋敷よりも大きな杉の木があった。
「珍しいと思われたのは、ご当主も同じなのでしょう。二階の窓から何やら話しかけておられました。するとこの鷹も、それに答えるようにご当主のところまでやってきた。突然市街に行くと言い出されたのは、昨晩のことです。あなたが来たからですかね」
「……彼は、マキーラのいう事がわかるのか?」
「さぁ」
 小首を傾げながら、キールは涼しい顔で答えた。
「……さぁ、って」
「でも、そう考えるのが自然なのでしょうね。正直なところ、私もここに派遣されて三か月程度なので、あの方の全てを把握しているわけではないのです」
「派遣? どこから」
「国立の騎士団です。所属は三番隊でした」
「……」
 この国の、国立騎士団──その中の一番隊から三番隊は、この首都に駐留し首都と君主を守るために剣を持つ、先鋭部隊と言われる。それは隣国で暮らしていたテオドールも耳にしたことがあるほど有名だ。
 この男は、おそらく自分よりも若い。二十歳そこそこといったところだろう。若くしてそこに所属していたということは、将来を期待された非常に優秀な男だということだ。
 そんな男が、ここに派遣されている意味──国はあの少年の存在を把握している、ということなのだろう。
「……だがそんなことを軽々しく奴隷に話したら、あんたの首が飛ぶんじゃないのか」
「ここに首を狩りに来るような、そんな暇人も酔狂も、この国にはいませんよ」
 キールは小さく、口元に笑みを浮かべた。
「それに私なんぞの首など取ったところで、位が上がるわけでもありませんから」
 そう言いながら、キールは暖炉の前を横切り、部屋の扉へと向かう。
「あなたが着られるようなもの、ひとまず探してきます。しばらく自由に休んでいてください」
 キールは丁寧に一礼すると、客間を出て行った。
(自由に……とはいうが)
 扉の閉まる音を聞きながら、思う。
 確かに体は死ぬほど疲れているので眠りたがっているのだが、こんなよくわからないところで眠れるか、という気持ちもある。 
「お前は、ここで良くしてもらったのか?」
 椅子の背にとまっているマキーラに問うが、当たり前だが返事はない。キールが部屋から出て行って、限界まで立ち上がっていた冠羽も、今はぺったりと寝ている。時折首を動かしながら、マキーラは雨が打ち付ける窓の外を見ていた。
 テオドールもそちらに視線をやった。──すごい雨だな、と思う。
 痛む体に呻きながら立ち上がり、窓際へ行く。周囲はぐるりと深い森林に囲まれていて、暗い。自分が商品として市場に並べられていた市街地は、はるか遠くだろう。
(兄さんたちは、大丈夫だろうか)
 同じ雨が降る地にいるのかもわからない。だが近年体を悪くして、鷹狩もできなくなっていた兄は、あまり体が動かせない。酷い目にあっていなければいいと思う。義姉も、兄と離ればなれになっていなければいいのだが──。
 そのときふと、視界の端に色鮮やかなものが入ってきた。窓の内側に、鳥の羽が落ちている。
「……?」
 テオドールは思わず、それを目の前までつまみ上げた。
 羽は、青と緑。ところどころに黄や赤も交じる、非常に華やかなものだった。マキーラのものではない。だがこんな色鮮やかな鳥、テオドールは見たことがない。ふわりとした羽毛の大きさから考えて、かなり大型の鳥のような気がするのだが──。
(この国には、こんな鳥もいるのか?)
 考えながらも少し不気味に思えてきて、テオドールは羽毛を、もともと落ちていた窓際に戻した。
 森の中の、廃墟のような屋敷。
 そこに暮らす、奇妙な二人──。
 今は鎖も外され、休息も与えられている。買われた奴隷としては、良い待遇、良い主と言えるのだろう。
(だがここに来たのは、良いことだったのか──それとも)
 限りなく最悪なことなのか。
 テオドールには、まだ何もわからない。だがなんとなく、後者のような気がしてならなかった。

(続く)