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檻の中のカラスと孔雀

10:猛禽、孔雀と一緒にお掃除する


 一階の厨房わきにある、小さな食堂の椅子に腰かけて、アルノリトは温かな茶の入ったカップを包むように持ち、満足げな息をついていた。
 案の定、この朝に弱そうな少年は客間の暖炉の前にある長椅子でごろごろと寝ていたのだが、このままでは片付かないので、無理やり食堂の椅子に座らせた。温かい茶を飲んでいると、目も覚めてきたらしい。
「お茶が、おいしい」
(爺臭いことを……)
 テオドールも対面に座りつつ、そんな様子でほのぼのと朝食を終えたアルノリトを眺めていた。
 この屋敷は、あまり新鮮な食材というのがなかった。
 自分がここに始めてきた時、手枷や首輪を切断するために連れていかれた納屋も改めて覗いてみたのだが、大量の芋と、魚の干物、乾燥肉に干した葡萄、イチジク──というように、保存食しか見当たらない。
 キールも今日のように街に出ることはあるのだろうが、頻繁ではない。おそらくそのときに持ち帰っているか、森の入り口まで届けてもらっているのだろう。
 というわけで、今日は茹でた芋と、乾燥イチジクを出してみた。この子供は特に文句も言わずに食べる。出かけたキールも、出していた分はきちんと食べていた。
「ごちそうさま。ねぇテオドール、今日は何して遊ぶ?」
 アルノリトは笑顔を輝かせて尋ねてくる。
(遊ぶ、か──)
 今日はこの子供と二人きり。マキーラもいるので正確には二人と一羽という状態だが、そんなマキーラは今、外の杉の樹の上で日光浴をしている。屋敷のそばに立つ一本杉を、マキーラは気に入ったらしい。まるで屋敷を守る見張り台に立ったかのように、てっぺんから周囲ににらみを利かせていた。
「遊ぶ、のはまぁいいんだが……掃除もしたくてな」
「掃除? 何で?」
 アルノリトはきょとんとした顔で、首を傾げる。
 この様子では、この少年は「掃除」なんてしたことがないのだろう。
(まぁ、ご当主なんて呼ばれてるわけだしな……やんごとなき血筋の可能性っていうのもあるわけで……)
 ──頼みづらいし。
 キールも確かそう言っていた。おそらく機嫌を損ねたくない、という思いもあるのだろう。多分あの男は、まだアルノリトとの距離を測りかねている。
「……ほこりとか、凄いだろ。家の中に蜘蛛の巣もこんなにあるし……」
 テオドールは食堂の天井を指さす。客間ほどではないが、天井の隅には、古くほこりがまとわりついた蜘蛛の巣が、だらりと垂れ下がっていた。正直、のんきに食事をとるような環境ではない。
「お前は多分、ここに長くいるから見慣れているんだろうけど、少しは掃除したほうがいいぞ。キールも多分そう思っている」
「うん……でも、どうしたらいいの?」
「俺がやるから、ちょっと一緒にやってみるか?」
「うん!」
 誘ってみると、アルノリトは機嫌よく頷いた。物騒な噂は散々聞かされたが、今のところ性格は、素直な子供のようだ。

 まずは道具を取りに行こうという事で、二人は二階の物置小屋に向かった。
「お掃除って、どんな道具使うの?」
 先に階段を駆け上がっていたアルノリトは、歩いて上がってきたテオドールを元気に振り返る。
「ほうきとか物をこすれそうなブラシとか、布とか、そういうのがあれば」
「それだったら、多分ここにあると思うよ。前の人がなんでも押し込んでたから」
「……前の人って、名前なんて言うんだ?」
 アルノリトは、キールの前任者を「前の人」と呼ぶ。キールにとっても縁のある知人らしいのだが、名前までは聞いていなかった。
「……知らない」
 物置小屋のドアノブに手をかけて、アルノリトはぽつりとつぶやいた。
「知らない?」
 テオドールも眉間にしわを寄せた。
 確かその人物とは、屋敷の状態を確かめるため派遣されてきた騎士の一人で、室内に転がっていた卵を割ってしまった人物だ。
 責任を感じたように、そしてある種の義務に取りつかれたかのようにこの屋敷に残り、アルノリトの成長を熱心に観察していた男だ。アルノリトにとっても、キールより付き合いが長い男のはずだった。
「……多分ね、こんなこと、言っちゃいけないんだと思うけど」
 ドアの前に立ち尽くしたアルノリトは、少し不安げな緑の瞳でこちらを見上げた。
「前の人は、僕のことが嫌いみたいだった。嫌いって、言われたことはないよ。でも、そう思ってるんだって、僕は感じてた」
「……」
「僕とずっと一緒にいた人だけど、僕はあの人のこと、ほとんど知らないんだ。世話はしてくれたけど、あまり話したりとか、そういうことしてない。手も繋いだことがない。僕が近づくと嫌がってた。だから……ほとんど僕は、自分の部屋にいた」
 アルノリトはうつむいて、小さな手を握りしめていた。
「その人が死んじゃう前も、本当に具合が悪そうで……苦しそうだったから近寄ろうとしたら、怒られた。……来るなって、怒鳴るみたいに言って、屋敷を出て行って……。僕とはそれっきり。前の人はそのまま、街で倒れて死んじゃったって。……キールが教えてくれた」
 アルノリトはすがるように、テオドールを見上げていた。
「……どうしたらよかったのかな。僕はあの人とも仲良くなりたかったのに……僕が人とちょっと違うから、駄目だったのかな? ちゃんという事聞いて、いい子にしていたのに。まだ足りなかったのかな?」
 アルノリトはそう絞り出すように言うと、涙目になってしまった。
 この子供は、本当に知らないのだ。
 自分が何をしたのか。どういった経緯で、どのように生まれて来たのか。自分が、何なのか、前任者、キールとの因縁──。
「……」
 それを思うと、上手く励ましの言葉が出せなかった。そもそも励ますべきなのかも迷ったし、言えたとしても元々口下手なので、薄っぺらいことしか言えなかったかもしれない。
 困ってしまって、テオドールは涙目のアルノリトを抱き上げる。
「……泣くな」
「うん」
 アルノリトは素直に頷いて、テオドールの首にぎゅっとしがみついてきた。
(しかし、残酷な話だ)
 柔らかく小柄な少年を抱きつつ、テオドールは思う。
 この屋敷の中で、キールも己の本心とは真逆な状況に身を置いて、内心晴れない顔をしているわけだが、この少年も天真爛漫なまま、ここにいるわけではないのだ。
 アルノリト自身も自分が周りと少し違う、ということには気づいている。自分はここにいなければならない、というのも何となく理解しているのだろう。
 この少年は、まだ甘えたい盛りの年頃だ。時々変わる世話人と仲良くなりたい、という気持ちはあるようなのだが、ここに来る騎士たちはアルノリトを「純粋な子供」だなんて思っているわけではない。どうしても当たり障りのない関係になるのだろう。
 この子供は、縮まらない距離感、もしかして嫌われているのでは、という意識にとらわれているのだ。だからときどき妙に大人びた物言いをしたり、大人のいう事には素直に従うのだ。
「ねぇ、テオドール」
 腕の中のアルノリトが、テオドールの首にしがみつきながら言う。
「僕は、キールと仲良くなれるかな?」
「……今は仲良くないと、思っているのか?」
「うぅん。前の人より優しいよ。勉強も教えてくれるし、僕は好き。……でもときどき、怖い顔するときがある。そういうとき、前の人を思い出して不安になる。同じ顔してる」
「……」
 ──未熟なもので。
 そう言っていたキールの顔がよみがえった。
(あいつ、結構悟ったような顔しているくせに──隠すの下手そうだからな)
 そうでなくても嫌悪、怒りという感情は、やはり隠しにくいものだと思う。取り繕ったところで、隙間からどうしても漏れてくる。そして子供というものは、大人が思っているよりも、そういう気配に敏感に気づいてしまうのだ。
「お掃除お手伝いしたら、キール喜ぶ?」
「……かもしれないな。あいつ一人じゃ手が回らないって嘆いていたから」
 不安げに聞かれて、テオドールはそう答えるしかなかった。
「じゃあ、頑張る」
 しかしそう、アルノリトが思ったより力強く宣言したので、テオドールは少しだけ笑ってしまった。笑いなんて自然にでてきたのは、いつぶりのことなのか、正直思い出せなかった。

「お掃除、お掃除〜」
 アルノリトは歌いながらテオドールの後ろをついて歩く。その歌は、美しい歌声とは程遠く、どことなく気が抜けるものだった。
 屋敷の窓を開けると、冷たい風が入ってくる。窓ガラスはほこりと汚れで真っ白だ。しばらく開けていなかったらしく、開き方もぎしぎしとして、ぎこちない。
「ねぇ、今日このお屋敷、全部掃除するの?」
「今日は全部しない。ちょっとずつやる」
「だよね。終わらないもんねぇ」
 まずは厨房と食堂からということで、テオドールが天井のほこりと蜘蛛の巣を落とし、アルノリトが後ろから床を掃いていく。
「なんかいっぱい白いのが落ちてくるよー」
「上向くと、目にゴミが入るからな」
「もう入った……」
 そんなことはありつつも、初めてのお手伝いというのが楽しいらしく、アルノリトは真面目にやっている。
 もともと女一人を囲うために建てられた屋敷ということなので、厨房も食堂も狭い。食堂は飴色の、豪華な彫刻が彫り込まれた木製テーブルと椅子が並べられており、壁には着飾った誰かの肖像画も飾られていた。
「わぁ、綺麗」
 天井のゴミを落とし、床を掃き終え、家具を磨く。ほこりで真っ白になっていたテーブルや椅子を拭くと、もともとの艶が見えてきた。
 もともとこういう環境で育ったアルノリトにとっては感動だったらしく、艶を取り戻したテーブルを、珍しそうに眺めて触っていた。
「前の人も、あまり掃除しなかったのか」
「ずっと書斎にこもっていたんだよ。なんか書いていた。キールと一緒だね。……でも、物置部屋にはよく入り浸ってたかも」
「ふぅん……」
 確かにいるものもいらないものも、すべてあの部屋に押し込めていた気がした。
「あ、マキーラだ」
 アルノリトの声に振り向くと、開け放った窓にマキーラがとまって、こちらを覗き込んでいた。二人が何をしているのか、気になったのかもしれない。
「マキーラ見てー? ちょっとお部屋綺麗になったでしょう?」
 出窓に背伸びしつつ、アルノリトはマキーラに顔を近づいた。普通なら噛まれる距離だが、マキーラは首を傾げつつ、くるくると鳴いている。アルノリトはうんうんと頷いていた。
(会話しているのか……)
 テオドールにはさっぱりわからない。いつ見ても、不思議な光景だ。
「ねぇテオドール、雨が降りそうだよって」
「雨……?」
 窓に近づき、空の様子を見上げる。確かに、黒い雲が徐々にこちらに近づいている。また強い雨が降りそうだ。
 故郷のブーチャは今が乾季で、雨はほとんど降らない時期だ。この国の気候は、故郷のそれとは全く違う。
「この辺り、今は雨が多い時期なのか」
「うん。ずっと雨降ってる。それが終わったら、今度は晴れてばっかりになるよ」
「ふぅん……」
 マキーラを中に入れつつ、テオドールは返事をする。小汚いカーテンなども洗ってしまいたかったが、この様子では乾かないだろう。
 マキーラと楽し気に話しているアルノリトは、全身ススとホコリにまみれていた。多分自分も似たようなものなのだが、頭の青い羽毛にホコリをまとった蜘蛛の巣が絡んでいたので、取ってやった。すでに粘着性も何もない。
「……少し、一休みするか。茶でも淹れる」
「僕、甘いの飲みたい」
「あぁ、はちみつあったな……」
 子供らしく、そのあたりは甘党らしい。テオドールは想像しただけで胸やけがしてくる。果物程度ならいいのだが、昔から、こてこてに甘いものが好きではなかった。
 汚れた水の入った桶を持ちつつ、テオドールは再度、窓の外に視線を向ける。風が強くなってきて、周囲の木々がざわめいている。昨日の午後と同じような気候だ。
(あいつ、なるべく早く帰るとは言っていたが……)
 早朝に出かけたキールのことを思い出した。まだ帰ってくる様子はない。おそらく、帰るころには大雨だ。
(またずぶぬれになるな……)
 二日連続雨に濡れて、風邪でもひかねば良いが。

(続く)