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檻の中のカラスと孔雀

13:猛禽、卵は産めない


 テオドールが森の中の「鳥かご屋敷」に来てから、はや二週間が経過した。最初の数日は雨ばかりで気が滅入ったが、ここ二、三日はよく晴れている。
 そんな暮らしの中で自分が何をしていたかというと、大して毎日変わらない。
 少しずつ屋敷の掃除をして、洗濯をして料理も作り、屋敷にいる男と少年を相手に何かを話し、鷹の世話をして──そんな数日だった。
 別に働けば故郷に帰れるとか、離れ離れになっている身内が見つかってくれるというわけではない。本来なら、自分が探しに行きたい。だが人探しをするには、自分はこの国のことを何も知らなすぎるし、自分を買った相手というのは、少々厄介な相手だった。
 今は「探す」というその言葉を信じるしかないのだろう。
 そう言ってくれた騎士とは、いろいろなことを話した。自分の故郷のことも話したし、相手の昔話も多少聞いた。
 信用できるのかできないのか、と言われればよくわからない。この国の軍属としてあの男が憎くないのか、と言われると、それもよくわからない。まだ互いに相手がどういう人間なのか、探り合っている部分はあると思う。だがテオドールは若干、キールへの態度を軟化させつつあった。
(嘘をつくのが得意そうとも思えんし)
 テオドールは横目で、テーブルの横に立ち、食後の茶を淹れている若い騎士を見つめる。
 当初、つんと澄ました高尚で、無駄口をたたかない男だと思っていたのだが、この年下の騎士は案外よくしゃべって、そして馬鹿正直な男だった。奴隷として売られていた自分をこの屋敷の下男として扱っているわけでもなく、好きに動いて話すことを許し、こうして自分の分まで茶を淹れてくれている。
「ねぇテオドール、遊ぼうよ」
 そう、食堂の入り口から顔をのぞかせる、頭に羽毛を生やした少年も──少々不思議な存在だったが、ころころとテオドールに懐いていた。
「まだ後片付けが残ってる。そいつが茶淹れてるから、そこに座ってろ」
「また『そいつ』とか言う……相変わらず人を名前で呼ばない人ですね、あなた」
 キールは黒い瞳を細めて呆れたようにつぶやいたが、おとなしく椅子に座ったアルノリトに、入れたばかりの茶をカップに注いで置いてやっていた。
 街から少し離れた場所にある、暗く不気味な原生林。そのぽっかりと開けた場所に存在する、この鳥かご屋敷。この少年も御付きの騎士も、そして自分も、ここにいる理由は少々陰鬱だ。
 だが奇妙な因果でここにそろったはずの自分たちは、当初の漠然とした不安はありつつも、意外に平穏に生きていた。

「ねぇキール。このあとみんなで、お散歩行かない?」
 たっぷりと蜂蜜を入れて甘くした茶を飲みほしたアルノリトは、前に座るキールに向かって、にこにこと問いかけた。
「散歩?」
 キールは目を瞬かせる。
「我々と? どこへ」
「そんなに遠くじゃないよ。この屋敷の周りを歩くだけ。テオドールにも行っちゃいけないところとか、教えてあげなきゃ」
「……行っちゃいけないところって、なんだ? 危ないのか」
 少年の隣に座っていたテオドールが尋ねると、アルノリトは首を横に振った。
「危ないっていうか、森のここから先は出ちゃダメってのがあるの。ねぇキール?」
「えぇ、まぁ」
 キールは曖昧に笑った。  おそらくそれは、その少年の「きまり」なのだ。
 生まれてからずっとここで暮らしていた少年は、ここにいなくてはいけない、と前任者から課せられた決まりを、当然のことのように守っている。少々自分が人と異なることも理解しているようなので、その決まりに疑問を持ってもいないらしい。
「一人でそこから出ちゃダメなの。だからテオドールも怒られちゃいけないし、そこ教えてあげたいの」
「……テオドール。あなた、森に入る用事ってあります?」
 ちらりと見てきたキールの視線に、テオドールは考える。
「薪とか拾いに行きたいとかはあるかもな。言っとくけど、納屋の薪、そんなに量ないぞ。お前、そのあたりちゃんと見てるのか」
「……」
 キールは額を抑えて難しい顔をしていた。たぶん、まるで頭になかったのだと思う。
 市街に生まれ、代々騎士という名門家庭で育ったらしいこの男は、若くして先鋭部隊に所属するなど非常に優秀だったらしいが、僻地に遠征に出された経験もない、根っからの箱入りだった。ここで初めて使用人もなにもない生活を体験しているらしく、テオドールから見れば、よく今までこの屋敷で生きぬいていたな、と感心さえするような生活能力だった。
「至らなくて申し訳ありません……そういえば毎週支給されている物資の中に、薪はなかったです……そこらで拾えってことだったんですかね」
 キールはため息をつきながら、深々と頭を下げた。
「これだけ周りに木があるわけだからな。現地調達のほうが早いだろ、どう考えても」
「前の人、どうしていたんだろう……森の樹、多少切ればいいんですかね?」
「生木だと、しばらく干さなきゃ薪には使えんぞ。いずれ必要だろうけど、今は枯れ枝を拾った方が早い」
「じゃ、じゃあみんなでお散歩ついでに、薪拾いに行こうよ」
 大人二人のやり取りを困った顔で眺めていたアルノリトは、焦ったようにそう言った。この子供、案外大人の顔色を見る。
「三人で拾ったら早いよ、キール」
「ご当主もお手伝いしてくださるんですか」
「うん。みんなで行こう」
 アルノリトはにっこりと、屈託のない笑顔を浮かべた。

 屋敷の外に出ると、そばにある一本杉のてっぺんにいた鷹のマキーラが、呼ぶよりも前にテオドールの差し出した腕に向かって降りて来た。
 マキーラは甘えた声で、テオドールに向かって沢山話しかけていたが、後ろからキールが来たのを横目で確認すると、急にぴたりと黙る。
「……なんか今、露骨に『お前もいたのかよ』って顔されたんですけど……」
 キールは複雑そうな顔をしていた。世間話の中で知ったのだが、この男、案外動物が好きらしい。ここに来る前は実家で犬を飼っていたし、少年時代は小鳥も飼っていたと言っていた。なので、動物に嫌われることが、結構辛いらしい。
「キールすごいね。マキーラの言ってることわかるんだね!」
 足元でアルノリトが、無邪気にそう笑っている。
 多分悪気はない。
「いや、凄いというか……本当にそう言っているんですか、この鷹……」
 キールはつぶやきながら肩を落とした。
「……まぁ、こいつの場合仕方ないから……あまり気にするな」
 指先をマキーラにちょいちょいと甘噛みさせて機嫌を取りながら、テオドールは落ち込む騎士を放置して、アルノリトと一緒に森の小道に入る。
 オオクマタカは生涯に一羽の伴侶しか持たない。どちらかが死ねば、生涯一羽で過ごすという愛情深い鳥だ。ブーチャの鷹匠との関係はそれを利用したものなので、主人意外に懐かないというのは、本来当たり前の習性なのだ。
 ただし関係構築に失敗すると、誰の手にも負えない狂暴な鷹となってしまう。人間は敵だと認識し、人の手で育てられたがゆえに同種ともうまくいかない。そうなっては、鷹にとっても不幸だ。
 マキーラはテオドールの肩に移動して、自分は後ろを見張るとでもいうように、後からついてくるキールを睨んでいる。
「マキーラ、そんなに睨まなくても、誰も君の奥さん盗ったりしないよー?」
 アルノリトは状況がわかっているのかいないのか、にこにことマキーラにそんな言葉をかけている。
「……奥さん」
 キールが何とも言えない顔で、こちらを見ているのがわかった。
「つがいでも、俺は奥さんなのか、お前……」
 テオドールも脱力したような声を出した。だが、相棒の鷹は答えない。肩の上で、堂々と「これは自分の」とでもいうように、身を膨らませてふんぞり返っている。
 ──俺は、お前の卵なんか産めないぞ。
 そんな言葉が口から出かけたが、飲み込んだ。隣で「みんなでお散歩楽しいねぇ」とご機嫌で歩いている子供に、聞かせていい言葉だとは思えなかったからだ。

 小道にはみ出す、鞭のようにしなる草木の枝をかき分けながら森の中をしばらく歩くと、大きな湖が見えてきた。人が出入りしないせいか、湖は透明度も高いようだ。水底に、足を絡み取られそうな長い水草が、ゆらゆらと揺れているのが見える。
 湖には鴨が群れで泳いでいたが、自分たちが近づいたので驚いて飛び立ってしまった。
(なるほど)
 マキーラが時々鴨を捕らえてくることがあるので、この辺りに水辺があるのかとテオドールは首を傾げていたが、こんな近くにあったらしい。屋敷の周りは背の高い木々に囲まれているので、まったく気が付かなった。その鷹も今は満腹らしく、飛び立つ鴨を目で追うだけで、こちらの肩を飛び立とうとはしなかった。
「……魚も結構いるな」
 湖を覗き込んだテオドールに、アルノリトは自慢げに頷いた。
「でしょう? それに水も湧き水だから、すっごく冷たいの。夏の暑いときに、足つけたりしたら気持ちいんだよ」
「そんな遊びしていたんですか、ご当主……」
 危ないなぁ、とキールはため息をついた。
「これからは、一人で来ちゃだめですよ。屋敷からも離れているし、何かあったときに声が通らない」
「はーい……」
 アルノリトは少々ふくれつつ、返事をする。
「じゃあ、次はあっちー」
 アルノリトはテオドールの手を掴み、湖のそばにある茂みを指さす。
「ほら、キイチゴいっぱい生ってるでしょう? 今日のデザートにしようよ」
 湖畔の近くにある陰った茂みの中には、艶のある小指の先ほどのキイチゴがたくさん実をつけていた。
「ねぇテオドール、キイチゴでお料理ってできる?」
「……料理?」
 一応考えてみたのだが、あまり浮かばなかった。
「そのまま食う以外だったら……ソースにしたりとか?」
 そんなしゃれた料理、作ったこともないが。
「お菓子だったらー?」
「俺は菓子なんか作れんよ」
「えー。タルトとか食べたいよー。作ってよー」
「タルト……?」
 テオドールは首を傾げた。聞いたこともない言葉だ。
「そういう菓子があるんですよ」
 キールが補足を入れた。
「生地で作った器の中に甘いクリームを入れて、中に果物ぎっしり埋めて焼いたような、きれいな菓子です。興味あるなら、今度買ってきましょうか?」
「いらん……」
 甘いものが嫌いなテオドールは、考えただけで胸やけがした。
「キール、僕は食べたいよ」
「えぇ。いい子にされていたら、今度」
 甘党の、屋敷の小さなご当主とお付きの騎士は、そんな約束をしていた。
 それを横目で見ながら、テオドールはさっそく、落ちている小枝を拾いあつめる。数日雨が続いていたのでどうかと思ったが、ここ最近の晴れ間のせいか、枝は乾いていた。これなら、乾かさずとも使えそうだ。
(……にしても、豊かな森だな。気味が悪いほどに)
 周囲を見回しながら、思う。
 たわわに実るキイチゴの茂み、濃い魚群が見えるほど澄んだ湖に、浮かぶ水鳥の群れ。木の根元に生えた大きなキノコに、香り豊かな山菜の芽──食材といえるものは、少し森に足を踏み入れただけで山ほどある。これだけ恵まれた森でありながら、誰も手を付けていないという光景が、山の奥深くで育ったテオドールにとっては不気味なのだ。
(まぁ、禁足地みたいなものだったんだろうし)
 そんなことを考えながらふと振り返ると、後ろに立つキールが、キイチゴの茂みとは別の方向をじっと見ていることに気付いた。
 こいつ、何を見ているのだ──と思ってそちらを見ると、森の一角に、人の頭程度の大きな石が、等間隔に五つ並んでいるのが見えた。そのあたりの土だけ、人為的に盛られたように見える。
(……墓?)
 テオドールはそんな印象を持った。
「ここね、お墓なんだって」
 アルノリトは小枝を拾いながら、そんな並んだ石の前に立ち、こちらを振り向いた。
「前の人が言ってた。昔ここで死んじゃった人がいて、その人たちのお墓だって。前の人、ときどきお掃除とかしていたよ」
 墓の前には、ずいぶん前に供えられたであろうスミレの花が、すっかりしおれた状態で置かれていた。
「……これはご当主が、供えてくださったんですか?」
「うん。前の人も、いなくなっちゃったから。キールは、知らないかもと思って」
 キールの気まずそうな問いに、アルノリトは頷いていた。
 きれいに五つ並んだ石。おそらく、この地で命を落とした騎士たちのものだ。この中に、キールの父もいるのだろう。アルノリトは、彼らの命を奪ったのが自分だということを知らない。キールも言うべきではないと思っている。
「……」
 キールは複雑そうな顔で、並ぶ小さな墓石を見つめていた。ここで突然命を落とした彼の父は、皇帝陛下に仕える、優秀な騎士だったという。本来であれば、こんな誰も訪れぬような森の中ではなく、立派な墓に埋葬されるような人物だったはずだ。
「キール……?」
 アルノリトは、物言わぬキールに何か不安なものを感じ取っているようだった。テオドールはそのあたりに咲いていた小さな野の花を摘むと、すっかり枯れた花を捨て、摘んだばかりの花を供えた。丸い自然石の上には落ち葉が積もっている。それを手で払っていると、キールも隣にきて手伝い始めた。
「……ありがとうございます」
 小声で言われた。
「……別に」
 テオドールも素っ気なく、そう答える。相変わらず自分はこういうとき、気の利いた言葉の出ない男らしい。
(なんていうべきなんだろうな、こういうとき)
 自分の語彙のなさにめまいがする。
(死者を悼むのは当然とか、そういうことが考えずに出てくるなら──)
 後で後悔せずにすむのだろうな──と思っていると、キールが妙な笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
「……なんだよ」
「いえ。あなた、見た目によらず優しいなと思って」
「……」
 こちらが苦虫をかみつぶしたような顔をしたのを見て、さらにキールは苦笑した。
「笑うな」
「いえ。すみません、つい」
「キール、テオドールは最初から優しいよー?」
 アルノリトが、状況を理解しているのかいないのか、そんな口をはさむ。テオドールは手を伸ばし、子供の頭をぐりぐりと撫でてやった。相変わらず子供の扱いというのはよくわからないが、懐かれると、悪い気はしない。
「薪拾い終わったら、キイチゴ採ろうな」
「うん!」
 この子供は、自分の子供のころと違って、素直だからいいと思う。そして、この生活能力ゼロな騎士様よりもはるかにかわいげがあるので、いい。

(続く)