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檻の中のカラスと孔雀

14:猛禽、小鳥の性教育に悩む


「テオドールのパパとかママって、どんな人だったの?」
 薪拾いが終わり、つるで編まれたかごをもって再びキイチゴの茂みの前に来たアルノリトは、せっせと艶のある果実を摘みながら、テオドールにそう尋ねた。
「……よく覚えていないな」
 アルノリトに引きずるように連れてこられていたテオドールは、たわわに実る果実を前に考え、正直に答えた。
「どっちも、俺が生まれた後にすぐ死んでるらしいから。だから、覚えていない」
 そう答えると、アルノリトは黙ってじっとこちらを見上げてきて、にっと微笑んだ。
「じゃあ、僕と一緒だ」
「一緒?」
「うん。僕のお母様も、僕が生まれたときに死んじゃっているんだって。お父様は、どこにいるのかわからないんだって」
「……誰に聞いたんだ?」
「キール」
 アルノリトは再び、茂みの前にしゃがんでキイチゴ狩りを再開した。
「絵本とか読んでたら、絶対パパとかママって出てくる。でも僕にはいない。僕には、生まれた時から前の人が一緒にいたけど、あの人はパパじゃない。なんでなんだろう? って考えて、聞いたら教えてくれたの。でもお母様のお墓は、ここにはないんだって。それはキールも知らないの」
 アルノリトがちらりと見た方に、テオドールも視線を向ける。
 茂みの向こうに、人為的に置かれた五つの石。アルノリトはこれを墓だと知っていたし、死者は悼むもの、墓は参るものだということを理解していた。
「……探しに行きたいとか、思うのか?」
「前は、ちょっと思ってた。……キールには内緒だよ? 大人になったら、ここから出ていいかもしれないし。すっとここにいるのは、なんだか寂しいし。でも」
 アルノリトはキイチゴでいっぱいになった籠を地面に置いて、テオドールの足元にやってきた。
「今は、もう寂しくないから、ここにいても平気。キールが僕のパパで、テオドールが僕のママ!」
「……」
 にっこりと機嫌よく笑顔で言われたが、たぶんこの子供は「パパとママ」と「男女」というものをよく理解していない。
「あのな、男はママにはなれんのだよ……」
「どうしてー? お料理したり抱っこしてくれるじゃない。マキーラも「嫁」って言ってたよ? 嫁って、お嫁さんってことでしょう?」
「……マキーラの中ではそうかもしれんが俺はそう思ってないし、俺じゃ駄目なんだよ」
「なんで駄目なの? あんなに仲良しなのに」
「ママとか母親とかそういうのは、子供を産んだ女性のことを言うんだよ。鷹なら雌。俺は男だし、マキーラも俺も雄。雄は卵産まないだろ、鳥も」
「でもー、マキーラはそういうの関係ないって言ってたよ? それに、卵ってどうやったらできるの? 男と女と両方いないと駄目なの?」
(やばいこれは不毛なやつだ)
 テオドールは内心、頭を抱えた。なんで白昼堂々、こんな小さな子供に対して性教育をせねばならないのだ。そもそも、自分は人の親にすらなっていないというのに。
「……大人になったらわかる。お前にはまだ早いお話だ」
「ふーん」
 そう返事はするが、アルノリトはなんだか不満げだった。
「キールに聞いたら教えてくれる?」
「あいつも困るだろうからやめとけ……」
「わかった。もうちょっと大きくなって聞く」
 不満そうではあったが、アルノリトは聞き分けが良い。テオドールは安堵の息を吐いた。
(キールも俺より若いのに、パパ扱いされたら微妙だろうよ……)
 二十歳そこそこの若造は、今納屋で拾ってきた枯れ枝を鉈で切りそろえ、薪として整理している。ようやく生活用品の管理をきちんと自分でする気になったらしい。優秀なのか馬鹿なのかよくわからない男だ、とテオドールは思っていた。
 まぁキールとしても、この屋敷への配属は望んだことではなかったようなので、半ば逃避として書斎にこもっている部分はあっただろうし、父の敵を前にして、前向きに生きる活力など出てこなかったのかもしれないが。
「ほら、もうキイチゴ採っただろ。屋敷に帰るぞ。キールが待ってる」
 かごに山盛りになったキイチゴを抱えて言うと、アルノリトは頷いたのだが、なぜかテオドールとは逆の方向を気にしていた。なにかに反応したらしく、小さく首をかしげている。
「……聞いたことのない鳥の声がする」
「鳥?」
 テオドールも首を傾げた。だが自分の耳には、まだそれらしきものは聞こえない。
「また新しい子が来たのかも!」
 弾んだ声でそういうと、アルノリトは茂みをかき分けて森の奥へと駆け出して行ってしまった。
「おい、待て! 勝手に行くな!」
 キイチゴの籠を地面に置くと、テオドールは慌てて後を追う。アルノリトは小柄な体で、茂みの中をかいくぐるようにして、道なき道を走ってしまう。テオドールは鞭のようにしなる枝に頬を打たれながらも、必死で後を追う。
 そのとき、テオドールの耳にも何かの鳴き声が聞こえた。
(鳥? いや、鳥というか……)
 テオドールも耳と目には自信があった。
(人が鳥の鳴き真似をしているような──)
 がさりと濃い茂みを抜けると、すぐ目の前にアルノリトが背を向けて立っていた。
「おい、勝手に走ったりしたら駄目だろ」
 アルノリトの肩を掴んで言うと、アルノリトはくるりとこちらを見上げた。
「ねぇテオドール……誰かいた」
 その言葉に視線を前に向ければ、少し開けた森の中で、大きな大樹の根元に座り込んだ若い男がいた。
 アルノリトと同じ、黄金の髪を持った若い男で、長く垂らしたその髪の鮮やかさが、足元まですっぽり覆うような漆黒のローブによく映えていた。
 男は絵物語に出てきそうな美男で、指笛で小鳥のさえずりに似た男を出す。男の周囲の樹には、そのさえずりに引き寄せられた小鳥が集まり、鳴き返していた。しかしアルノリトの姿を見つけると、小鳥たちは慌てたように、いっせいに森の奥へと飛び立ってしまう。
 この森の小さな小鳥たちは、アルノリトを恐れている──以前、彼らとは話ができないのだと、アルノリトも嘆いていた。
 ばたばたと飛び立つ色とりどりの小鳥の群れを視線で追っていた男は、その琥珀色の瞳でこちらを見た。そして恐れる様子もなく、にっこりと笑う。
「どうだ、俺の指笛は。本物の鳥みたいだろう?」
 男は立ち上がり、両手を広げて見せた。
「……うん。あなた、誰?」
 アルノリトは呆然とつぶやいていた。
 たぶん、この少年としては、この森の中で聞いたことのない鳥の声がしたので、またマキーラのように友達になれるかも──とここまで走り寄ったのだろう。しかしその声の主は人間だったので、びっくりして固まってしまっているようだった。
「俺か? 俺はな」
 そのにこやかな美男子は、まったく警戒も恐れもしていないような声で告げる。
「お前のお兄ちゃん、って奴かもな」

(続く)