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檻の中のカラスと孔雀

16:猛禽、黄金の鳥と対面す


 この屋敷にきちんとした「お客様」が訪れたのは、初めてのことだろうな──と思いつつ、テオドールは厨房で、茶を淹れるための湯を沸かしていた。屋敷の中は、どこか戸惑いにも似た空気に包まれている。
(俺のときは、ここまでじゃなかったのにな)
 自分はあくまで「お買い上げされた品物」としてこの屋敷に届けられたのであって、今回と状況は異なる。
 アルノリトはあれから、この屋敷のご当主としてイラリオンにきちんと挨拶をしていたのだが、「この羽、ほんとに生えてるんだなぁ」とイラリオンに頭の青い羽をつんつん引っ張られて、さらに不機嫌になってしまった。
 テオドールのところに半泣きで逃げてきた後、今は自室にこもってしまっている。すっかり子守が得意な鷹となってしまったマキーラは、自主的についていってしまったので、ここにはいない。
「……嫌われてしまったか。まずいなー」
 客間のソファに座ったイラリオンは、ふむ、と考え込むようにつぶやいた。
「殿下……このようなことは、非常に申し上げにくいのですが」
 先ほどまで、機嫌を損ねたご当主を必死に宥めていたキールは、二階から戻ってくるなりため息をついて、イラリオンの対面にどっかり腰を下ろす。
「……いきなり何してくださるんですか。お供はいらっしゃらないようだし、こんなところに来るなんて周りが許すはずないんですから、どうせ独断でしょう。しかもご当主にあんなちょっかいを出す! ……私も、何かあっても責任もてませんよ」
「だから、すまんって」
 さすがに反省したのか、イラリオンは渋い顔で頷いた。
「思ったより普通に可愛い子供だったから、つい。安心しろよ、お前らにはよく懐いているようだし。死ぬとしたら多分俺だけだから」
「……軽口だとしても、そんなことおっしゃってほしくないですね」
「それは俺の身を案じてか? それとも自分の責を問われたくないためか」
「一応どちらも、ですよ」
「はは、言うようになったなぁ、キール」
 イラリオンは楽し気に笑っていたが、キールは眉を寄せて、困惑というよりも今は苛立っているように見えた。
 テオドールとしてもこの珍妙な客に関わりたくなかったのだが、話し相手となっているキールに茶を出させるわけにもいくまいと思ったので仕方なく、沸いた湯をティーポットに入れる。カップも湯で温めて茶を注ぎ、二人に出した。茶だけ出したら、自分もさっさと席を外そうと思ったのだが──。
「あ、待ってよ、そこの君」
 イラリオンは気さくにも、「下男」である自分を呼び止めた。
「ちょっと、君ともいろいろ話をしたい。一緒にいるなら知っているだろうけど、この騎士はくそ真面目な堅物だからね。二人きりじゃ話がすすまん」
「私が言うのもなんですけど、この人も相当ですよ」
(お前だけには言われたくないよ……)
 自分をさすキールの言葉に少々苛立ちながら、テオドールも顔をしかめながら足を止めた。
「……自分なんかと、何を?」
「そりゃまぁ、ここの事とか、いろいろだよ。伝え聞いてるだけの俺なんぞより、君らの方がよーく知っているだろうから。……自己紹介が遅れたな。俺の名はイラリオン。このくそ真面目な騎士から聞いているかもしれないが、この国の種馬皇帝の息子だ。よろしく」
 イラリオンは立ち上がると、さらりと自虐を混ぜながら、己の素性を名乗って見せた。そしてテオドールに握手を求めて手を差し出す。
「……」
 何の因果で自分がこんな身分の男と握手せねばならんのだろう──と思いながら、テオドールは差し出された男の、白く傷一つない手を見つめた。
 この男自身に恨みはない。だが自分の国も生活もぐちゃぐちゃにしてくれた国の、中心的な存在だと思うと、さっと手を握り返すことができなかった。当初、キールに対して持っていた敵意と、似た感覚だ。
 だがここで自分がきちんと対応しなければ、兄や義姉を探してくれるという話に、何か悪影響が出るかもしれない。キールにも迷惑をかけるかもしれない。自分のそんな「敵意」など、二人のためならさっさと捨てるべきなのだ。そう思うのに、手が出ない。目の前の、妙に自信に満ち溢れたようなきらきらした男を見ていると、自分が惨めでたまらなくなってくる。役にも立たない自尊心など、持っていても仕方ないというのに。
「……殿下」
 見かねたのか、キールが立ち上がった。
「彼は他国の出身です。殿下の名も聞き馴染みがないでしょうし、来たばかりで、この国の作法にもまだ慣れていない。ご無礼はお許しください」
「そうなのか? では出身は。この国に、何をしにきたのだ?」
「……ブーチャ。目的は何も。連れてこられただけなので」
「──あぁ」
 イラリオンはわずかに目を細め、頷いた。すべて納得がいった──という様子だった。少し間があったが、イラリオンは無理やり、垂らしたままだったテオドールの手を握った。
「君の身の上は、なんとなく理解した。だったら俺と口もききたくないのもわかるが──ここに縁あって来たのだろう。今は少しばかり協力してくれんか。勝手なことを言っているのは、自覚しているが」
「……自分も、そうすべきと理解はしているつもりです」
 少し考えて、テオドールがそう呟けば、イラリオンはその美しい顔に笑みを浮かべる。
「……君のような不器用だが正直な男は、案外嫌いではないよ。そこの騎士も、似たようなものだしね」
「久しくお会いしていなかったというのに、随分な言いようですねぇ……」
 キールは苦虫を噛み潰した顔で、ため息をついていた。
「これでも褒めているのだ。愛想ばかりよい、へらへらした人間は好きではない」
 このイラリオンという男、身分は高いだろうに、誰にでも気軽に声をかけるような性格をしているらしい。

 屋敷の外では、ぽつぽつと雨が降り始めていた。暖炉の煌々と燃える明かりに照らされて、屋敷はいつものように、陰気で不気味な雰囲気に包まれる。
「……しかし、中はもっと化け物屋敷のようだと聞いていたのだが」
 茶を一口飲み込んだイラリオンは、客間の中を見上げる。
「案外綺麗なものだな。噂に尾ひれがつきすぎか」
「先日までは、天井は蜘蛛の巣だらけで、足元は砂利だらけでしたよ」
「お前が掃除したのか」
「いえ。この人が」
 キールも茶を飲みつつ、隣に座ったテオドールをちら見した。
「料理も掃除もしてくださるし、ご当主と遊んでくださる。私は随分楽させてもらってます」
「ふーん。そのあたり、器用な人でよかったな」
「……」
 なんだか感心されてしまって、どう返していいのかわからなくなったテオドールは、黙ったまま茶を飲んだ。自分が器用というよりは、キールのやる気と家事能力が壊滅的なのがいけないのだが。
「それで、殿下はどうしてここに?」
「物見遊山とか言ったら」
「……怒ります」
「さすがの俺もそこまでもの好きじゃない。……ただ、一度この目で見ておきたかったというのはあるな」
「興味で、ですか」
「それもないわけじゃないが……まぁ、ここでなら言ってもいいか。キール、親父が死ぬぞ。早くて数日、持って一カ月ってところかな」
「……はい?」
 突然の話題に、キールの顔が強張った。
「まさか……陛下のことですか?」
「そのまさか。俺の親父がほかにいるかよ」
「ちょっと待ってください殿下、そんな話、私は何も……」
「聞いてない、だろ? お前、城まで上がるの週一だもんな。なにぶん急なことでな。城はもう、どこも大騒ぎだよ。多分誰も、お前にまで報告上げるような余裕はないんだろう。まだ公にもされてもいないし」
「いつから……そんなことに?」
「昨日の夕方」
 イラリオンは、茶をすすりながら、特に深刻でもなさそうに告げた。
「あの人、馬鹿みたいに子供が多いだろ。手当たり次第に気に入った女に手を付けてたから、身分もなんもかんも滅茶苦茶だ。まぁ身から出た錆ってやつなんだが、兄弟手を取り合って仲良く、なんて誰も思っちゃいない。それで親父が死んだら、確実に後釜で揉める。だから主だった連中まとめて呼んで、その中から親父直々に後継者を指名しようしたのさ。なのに、その場でぶっ倒れやがった。大事なことを言う前に」
「意識は……」
「戻ったり戻らなかったり。今は話せんし、自分で食えもせん。奇跡ってのがあっても、元通りとはいかんだろうね。まぁ、人間食えなくなったら終わりよ。生き物ってのは、そうできている」
 イラリオンは、テオドールをちらりと見て笑った。何故か「お前の大嫌いなこの国の不幸だぞ、よかったろ」と同意を求められたような視線だった。テオドールは思わず、視線を逸らした。それを目ざとく見つけたイラリオンは、こちらに笑いかける。
「テオドール、何か言いたいことは?」
「別にありませんが……どうして、そんなことを、笑って言えるのかと」
「そりゃあ、嫌いだからさ。好きならもう少し、それらしい顔をする」
「殿下……」
 キールはそんな発言を諫めるように声をかけた。だがそれが気に食わなかったのか、イラリオンは片眉をひくりと上げる。
「相変わらず、お前は模範的なことしか言えん奴だな。俺が親父にどんな扱いをされたのか、お前も知っているだろうに」
「それは……そうですが」
 キールも口ごもる。
 このイラリオンという男は、皇帝の元寵姫の子だとキールに聞いた。彼の母は絶世の美女だったそうだが、確かにこの男も美男子と言えるほど、見た目は整っている。
 しかし彼の父は、他の女に興味が移ったと同時に、彼ら母子から一切の興味を失ってしまったという。寵姫の子ということで周囲から妬まれ、嫌がらせをされることがあっても、彼の父は何もしなかった。母が死んでもそれは変わらなかったという。
「……まぁあの人の場合、元々「父」なんてものはなくて「男」しかないんだよなぁ。反面教師にしかならん」
 半ば独り言のような口調で、イラリオンは言葉を続ける。
「それでも一途に父を尊敬し愛しています──と言えるほど、俺は人間ができていない。正直嫌いって気持ちしかないし、後釜押し付けられるなんぞまっぴらだ。今回も来るつもりはなかったんだが、それもできなくてなぁ。嫌々来たら来たで、こんな騒ぎになるし。周りの兄弟たちには、妙に敵視されるし」
 イラリオンは気が重そうにため息をついた。
「兄や弟の何人かは、俺が久々に首都に戻ったもんだから、この機に親父の後釜狙おうとしたんだと勘ぐったんだろうね。おかげでこんな目にあった」
 イラリオンは立ち上がると、髪をかき上げ、羽織っていた黒いローブの背中側をこちらに見せた。それまで彼の長い髪に隠れて見えなかったが──背中にはすっぱりと、鋭い何かで切られたような大きな傷がある。ローブの下に羽織っていた白いシャツには、薄く血が滲んでいた。
「……殿下」
 話を聞いているキールの顔は、どんどん強張っている。
「人気のないところでいきなり、だからね。ほんとあの城は、各々の陰謀うずめく地獄だよ」
「呑気に喋っている場合ですか! 座って下さい、すぐ手当を」
「騒ぐな、この程度で死にゃしないさ。もう血も止まってる。相手がへたくそで助かったね」
 そう言いながらも、ローブの袖に手を通すイラリオンは時折顔を歪めていた。やはり痛みはあるらしい。
「……まぁ、今の俺のありさまとしてはこんなところだ。で、ここでいきなり思惑通り死んでやるのも面白くないし、城に残っても俺を持ち上げる連中の旗印にされちまう。内輪もめで挙兵なんて、一番馬鹿らしいことだ。国の寿命を縮めるからね。君も、そう思うだろう?」
 イラリオンはテオドールに、なぜか話を振った。
 正直──自分はキールとは違う。国の君主の血筋だの、そのあたりと交友があるわけでもない、学もなく字も読めない、ただの田舎者だ。もっともらしく、意見なんてできない。
 この男は元々重要視された嫡子ではなかったが、近年になって支持者を増やしているらしい。イラリオンは利発そうな、身分を隔てず話をしてくれそうな、そんな男だ。話に聞く皇帝陛下とは、まったく異なる気質を持つように思う。
 この男に次の時代を任せたい、と思う者もいるのだろう。
 そしてこの男が、自分を殺そうとした兄弟たちに「反撃」を試みようとするなら、喜んで剣を持つというものはそれなりにいるのだ。それは、小規模な小競り合い、一時的な兄弟喧嘩などで終わるものでは決してない。無関係の民も血を流すことになるかもしれないということくらいは、テオドールにもわかる。
 しかしこの男自身は、大嫌いな父の後を継ぐ気など、まったくないのだ。やる気がないのか、己の血族に愛想をつかしているからなのか、それはわからなかったが。
「……だから、俺は逃げなきゃならんかった。どこに逃げようか考えて──この森のことを思い出した。ここなら多くの人間は恐れて近寄らないし、お前がいる。一応、俺の弟と呼べる者が主なわけで。縁がないわけではないし」
 イラリオンは事の深刻さを感じさせない顔で、キールに笑いかけた。
「というわけで、しばしの間、かくまってくれ」

(続く)