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檻の中のカラスと孔雀

17:猛禽、兄弟について考える


 なんだかおかしなことになってきた──と思いつつ、テオドールは二階の空き部屋の窓を開け、シーツを替える。
 物置、アルノリトの部屋、自分の寝床──唯一誰も使わず放置されていたのが、階段を上がってすぐのところにある、この部屋だ。来客があるなんて思いもしなかったし、誰かを泊める日が来るとも思っていなかった。
 男は深手ではないようだが、怪我をしている。今は下で、キールが手当てをしていた。テオドールも手当て用に湯を持っていく時に見たが、男の背には斜めにばっさりと、刃物の先で斬られたような傷があった。本人は相手が下手くそで助かった──なんて笑っていたが、あともう少し刃が深く食い込んでいれば、ただではすまなかっただろう。
 そんな怪我人であり、一応高貴な身分であるあの男を、客間のソファの上に転がしておくわけにもいかない。この空き室は、あの男の寝室にすることになった。あの男が普段寝起きする部屋に比べれば汚くて枯れた部屋だとは思うのだが、彼もある種の覚悟を持ってこの森に飛び込んだのだと思うので、そこまで文句は言うまい。
(……で、それより問題は)
 テオドールは後ろから、自分の腰にべったり張り付いているアルノリトの姿を、困った視線で見下ろした。
(こっちなんだよなぁ……)
 こちらが二階に上がってきてから、ずっとこれである。いくら言っても離れないので、そのままずるずる引きずりつつ、シーツを替える。
「……アルノリト。いい加減にしないか」
「うー……」
 声をかければ返事はするのだが、駄々をこねるような、不満げな声をあげるだけなのだ。気に入らないことは山ほどあるようなのだが、それを言葉にできず、機嫌の悪い自分をさらしているという罪悪感もあるようで、本人もどうしたらいいのか、よくわからないらしい。
 この子供はキールにも懐いているのだが、どこか遠慮があるらしく、ここまでべったりと張り付いてくることはないしわがままも言わない。自分は、キールよりそういう事が言いやすい大人だと思われているらしい。今回の来客に一番戸惑っているのは、キールでもなく自分でもなく、この子供のようだった。
(……どれだけ聞き分けが良かろうが、子供だし)
 自分の気持ちを整理できないときくらいあるだろう。大人だって、そんなのはしょっちゅうあるのだ──と半分あきらめの心で、好きにさせていた。正直、こういう状態の子供にどう接したらいいのかわからない。
 子守役の鷹は、今は開け放った窓の前にいる。心なしか、困った顔をしているように見えた。マキーラも子育て経験なんてない癖に、自分よりよっぽど、小さな子供の相手が上手い。
「……テオドール」
「ん?」
 なだめるように後ろ手で頭を撫でてやっていると、アルノリトがぽつりと名を呼んだ。
「あの人、嘘ついているんじゃないのかな」
「……何が?」
 肩越しに張り付いている子供を見下ろせば、アルノリトはテオドールの腰に顔を押し付けたまま、むすりとしていた。
「僕のお兄ちゃんって言った」
「……そうだなぁ」
 この子供は、それがどうも気に入らないらしい。
「あの人、僕と全然違うもん。似てないもん。ここが違うもん」
 アルノリトは小さな手で、自分の頭の青い羽毛に触れる。
「背中にもそういうのなかったもん。僕見たもん」
「……まぁでも、怪我人だからな。あまりそういう事言うなよ」
 たしなめるように言えば、アルノリトは少し視線を俯かせた。感じの悪いことを言っている、という自覚はあるらしい。
(まぁでも──あの人の神経も理解できないけどな)
 アルノリトの頭をぽんぽんと軽く叩きつつ、テオドールは眉を寄せた。
 この森は、この国の人間にとって「禁忌」で「不吉」な場所なのだ。
 しかも彼は現皇帝の子息。己の父の病的な色欲が招いた、血なまぐさくて不気味な出来事も、よく知っている様子だった。
 彼の父と、この森にいた歌う女がつがった結果がこの少年なのだとしたら、彼らは一応、父を同じとする兄弟と言えるのだろう。
 だがあのイラリオンは、それを実際名乗ることに抵抗はなかったのだろうか? それを聞いたアルノリトがどう思うか、それも考えなかったのだろうか。
「──君らは、仲が良いねぇ」
 そのとき部屋の開け放たれたドアから、ひょっこりこちらを覗き込む人影があった。手当を終えたイラリオンだ。
 長い金の髪は後ろで一本に結わえ、真っ黒なローブも脱ぎ捨てて、細身の灰色のズボンに袖がひらひらした白のドレスシャツという格好になっている。袖にフリルがついたシャツなど、色黒で粗野な自分が着ることなど一生ないと思うのだが、きちんと様になる男というのは、やはり世の中いるらしい。
「……」
 アルノリトは黙って、テオドールの後ろに隠れてしまった。窓際のマキーラは、相変わらず見知らぬ男を警戒して、ふくふくと膨らんでいる。
(飛び掛かるなよ)
 こんな男に傷でも負わせたら、どうなるかわからない。視線で命じて、アルノリトを後ろにかばいつつ男を見ると、そのきらきらした男は、こちらを面白そうに眺めていた。
「……アルノリト君、さっきは悪かったよ」
 男は中腰になり、テオドールの後ろに隠れるアルノリトに向かって、一生懸命笑いかけていた。
「仲直りしてくれないかな? 俺は君と、いろいろ話してみたいんだ」
「……僕じゃなくて、仲良しのキールとお話ししたらよいじゃない」
 アルノリトの声はむすりとしており、機嫌が悪かった。イラリオンは眉を下げて、困った様子で笑った後、何故かこちらに助けを求めるような視線を向けて来た。
(いや、俺にそんな顔されても)
 知らんがな──とは思うが、挟まれて自分も気まずい。
「……アルノリト。そういう言い方は、よくない」
 頭をなでながらも叱ると、アルノリトは納得いかないように押し黙っていたが、やがてこちらの顔色を窺うように、不安そうな顔で見上げて来た。
「テオドール、怒った?」
「別に怒ってない。……後でキイチゴ甘く煮てやるから、洗ってきてくれるか」
「うん」
 アルノリトは素直に頷いてドアまで歩くと、一瞬複雑そうにイラリオンの顔を見上げながらも横を通り抜け、廊下に出る。そのまま小さな足音をたてながら、階段を下りて行った。
「マキーラ」
 窓際で別の鳥のように膨らんでいるマキーラに声をかける。マキーラは渋々、といった様子でこちらを一瞬ちら見すると、窓から外に向けて飛び立った。この部屋の窓の下には井戸がある。キイチゴはそこで洗うだろうから、お目付け役はいたほうがいい。
「……猫みたいだな」
 ドアのわきに立った金髪の男は、少年が下りて行った階段の方を見ながら、わずかに安堵したような息を漏らした。強い緊張から解放されたような、そんな声だった。
「……猫?」
 思わず疑問の声で問いかけると、イラリオンはこちらを見て、うなずく。
「真っ暗な闇の中でさ。猫の目って、瞳孔が開いてまんまるになるだろ。無言であの目で見られると、ちと怖い。あの子の目は、そういう目だな、と」
「……」
 そうだろうか? とテオドールは一人考える。テオドールの目には、頭にちょっぴり羽が生えている以外は、容姿の整った愛らしい子供に見える。そんな風に感じたことは、一度もないのだが。
「……眠るなら、どうぞ。部屋の用意は終わったので」
「どうも。でもまだ寝る気にはならないね。せっかくだから、ちょっとばかしここを探検したい」
「……怪我人ですよね?」
 思わず軽蔑するような声が出たが、金髪の男は呑気に笑う。
「傷自体は大したことはないからね。こんな機会めったにない。どうせ死ぬなら、あれこれ見てから死んだが方がいいじゃないか」
 あはは、と男は明るく笑っていた。
(どうしてこう能天気に笑えるのか……)
 ますます理解ができない、とテオドールは顔をしかめたときだ。
「──君は俺のこと、何を考えているんだろうなって思っているのかな?」
 イラリオンは笑顔のまま、そう告げた。
「……」
 否定する気は起きなかった。そもそもごまかすような器用な真似は、自分はできない。
 テオドールの沈黙を見て、イラリオンは鼻で笑う。
「否定もしないのかい。なんだか君も不思議な人だね。大きな鷹は手足みたいに使うし、媚びもしなけりゃ笑いもしない男なのに、あんなにあの子供に好かれてさ。鳥に好かれる特殊な男なのかな。だからこんなところでやっていけるんだろうか?」
「特殊というか、鷹といるのは職業なだけです」
「職業?」
「鷹匠」
 もはや、元、なのだろうが──そう半分自虐的につぶやくと、男は「ふぅん」と少しだけ感心したような声を出した。
「あの鷹、オオクマタカだろう?」
「……よくご存じで」
 こんな高貴なお育ちの男が、密林深くに暮らす鷹を知っているとは、意外だった。
「近くで見たのは初めてだけどね。俺も、田舎に引っ込んでいた時期がある。何度か、彼らが狩りを行う姿を見た。世の中には、こんな美しくて素敵な生き物がいるのかと思ったよ。猛禽の格好よさというのは、格別だ」
 イラリオンは穏やかに笑いながら、ゆっくり部屋の中に入ってきて、窓から外を眺めた。
 窓からは、周囲を取り囲むうっそうとした森林。そして、屋敷のそばにある小さな井戸が見える。そこで、アルノリトが今日採ってきたキイチゴを洗っていた。キールも手伝っているのが見える。舞い降りた鷹はキールにちょっかいを出しつつ、困るキールを横目で見つつ、アルノリトと何か話している。
 自分たちにはわからない、彼らだけの会話だ。
「なかなか面白い絵だ」
 そんな構図を二階の窓から眺めながら、イラリオンは楽しそうに、出窓に頬杖をついて外の様子を眺めた。
「テオドール君。俺はねぇ、この森に、子供のころ一度足を踏み入れたことがあるんだよ」
 窓の外を見下ろしながら、イラリオンがぽつりとつぶやいた。
「……?」
 テオドールは眉を寄せた。そういえば──出会ったときに、屋敷まで案内すると言ったキールに、この男は「場所くらい知っている」と答えていた気がする。
「……父にとって、この世で一番美しいと思えた生き物は母だった。当時は周りにはずいぶんちやほやされたもんだ。……だがこの森に住んでいた女を一目見て、父はころりと骨抜きにされた。魔性の美ってやつだったのかねぇ。父が母への興味を失うと、周りも一斉に手のひらを返した。妾ってのはこういうときつらいよ。母は強すぎる屈辱で、体を壊した」
「それは……」
「別に、気遣いはいらん」
 言葉に困り、眉を寄せたテオドールを見て、イラリオンはくつくつと笑いながら背中越しに振り向いた。
「こういうこと言うと、よく同情されるんだけどね。俺の母も、相当だ。元はそう、身分は高くない。だが成り上がりたくて己の美を磨いて、所作も学問も自ら学び、陛下が現れるところには特別着飾って──見初められることに命を懸けた女だからね。すべては幼き頃からの計画だったそうだから」
「……なんのために?」
「何のためにってそりゃあ、陛下の寵姫という肩書、外国の生地を使った人よりもきれいなドレス、宝石、庶民とは比べ物にならない豪華な食事。何より、周囲の羨望と嫉妬、憧憬の視線──母は、それを強く欲していた女だからだ。そういう視線こそが、彼女の生きがいだった」
「……相手も踏み台だったということか?」
「どうかな? でも見栄え重視の二人だ、案外気はあったのだと思う。……俺は、母のそういうしたたかなところは、結構好いていたのだけどね」
 あまり聞いていたくもないような、重い話だった。窓の外では、部屋の空気とは正反対に、軽やかで無邪気な、小鳥のさえずりが聞こえる。
「母はいわば、加速のついたしっぺ返しを食らったのだよ。嫉妬される方がする側に回ったんだから、そりゃ病むし因果応報だ──今ならそう思うが、まぁでも、小さい子は親が苦しんでいるのを見るのはつらいわけさ。親の行いが好ましいかは、別にしてもね」
 イラリオンはさっぱりとした顔で、言葉を続ける。別にそこに、恨み節といえるものはないように思えた。
「だからひっそり、母を苦しめる女の顔を見てみたくてね。親父と会えるなら文句の一つでも言いたくて、俺は単身、この森に乗り込んだことがある。真っ暗な夜にね。今考えると、よくあんなことをしたよ」
 イラリオンは、喉を鳴らして笑う。
「……キールにも内緒で?」
「あぁ。あれは絶対止める。それに、これは俺の気持ちの問題であって、心細いからってあいつを引き連れていくのは違う気がしたんだよ」
 この金髪男は、幼き頃は気が弱く周りの言いなりだったという。今の姿を見ていると、そんな気は全くしないが、儚い、とまで言われていた少年期も、彼は弱いだけの、境遇を嘆く男ではなかったのだろう。テオドールは、そんな気がした。
「闇夜の中でも、親父が乗った馬車のわだちに沿って行けば、屋敷には簡単にたどり着けた。屋敷の方からは、小鳥のさえずりのようなものがずっと聞こえてきた。真夜中なのに──そう思って屋敷の客間の窓に近づいたんだ。うすらぼんやり明かりが見えたから。近づいて窓を見上げた俺は──向こうも部屋の中から、俺を見ていたことに気付いたんだよ」
 女がいた。
 イラリオンは小さくつぶやいた。
「ぞっとしたよ。笑顔も何もない、確かに見た目だけは整っているけど、大きな目を見開いて、俺を見下ろしている女。普通の女とは思えなくて、おっかなくて、俺は逃げ出した。思えばあの子の目と、よく似ていたな」
 ──暗闇の中の猫のように、まんまるく瞳孔が開いた瞳。
「……何もなかったんですか、そのあと」
「俺の方は、幸いに」
 イラリオンは、肩をすくめる。
「でもそれからすぐ、出産騒ぎで女は斬り捨てられたらしい。死んだと聞いたとき、俺はちょっとだけほっとしたのだよ。あの女はもう俺を追ってこないし、父も戻ってくるのではないか──まぁ親父の方はお察しって感じだったけどね。あの人は懲りなかった」
 こちらがそれでいいのかと思ってしまうくらい、明るく男は告げた。
(そんな目にあって)
 テオドールは、出窓で外を眺めつつ、風を受ける男の背を見つめる。
 その出産騒ぎから数年後には、より惨事が起きる。キールが父を失ったことも、この男は知っている。事実この男は一緒にいて、慰めてくれたと、キールは語っていた。
(そんな忌まわしい場所に、幼馴染がいたとして、逃げ込むか?)
 いくら自分の行動によって内政をゆがめたくないと言ったところで、テオドールにはその行動がいまいち納得できないのだ。
「そんな不気味な思い出があるのに、あの子を弟と呼べるのですね」
「おかしいかい?」
「はい」
 率直に頷けば、イラリオンはこちらを丸い目で振り向いて、にかりと笑った。
「そりゃあ、俺には生まれた時から兄弟が腐るほどいて、どれもこれも俺をいじめてくる悪魔みたいな存在だったからね。親しみなんざ覚えたことはない。こういうことを言うと大体説教されるが、事実なんだから仕方ない」
「……」
「そういう害ある嫌な思い出のある連中と、害はあるかもしれないが普段は可愛い子供というのなら、俺はまだ後者の方が親しみは持てるね」
 男は琥珀色の瞳を細めて笑った。
(俺も、説教なんざするつもりもないが)
 この男と己は、兄弟という関係性に対し、まったく異なる価値観を持っているらしい。テオドールは、兄に育ててもらったという恩がある。歳も離れていたから、ひどい喧嘩も反抗も、したことがない。兄は自分を肉親として、半分我が子として可愛がってくれたし、生きるすべを教えてくれて、一人前にしてくれた。近年は体を壊していたが、兄を邪魔だなんて思ったこともない。
 だがこの男は、自分と同じ立場にあるはずの兄弟たちとの関係に恵まれず、今はただ互いに足を引っ張り合うだけの煩わしい関係だと思っているのだ。己の兄弟という関係性に期待もなく、むしろ憎しみに近い。そんな中にあの子供が混じったところで、この男に動揺するようなものは何もないのだ。
 彼にとって、同じ父の血を引いた兄弟たちはみな、もともと悪魔だったのだから。
 ──確実に害を与えるこの国の人間よりも、こちらをついばむかもしれない、鳥に似た化け物の方が、まだまし。
 キールとののしりあっていたころ、テオドールはそう思ったし口にした。イラリオンの言うことに同意する気はないが、たぶんこの男は、あのときの自分と似たような感覚なのだ。
(世の中にも肉親にも自分の行く末にも──期待していないのかもしれないな)
 この男が背に傷を受けたとき、おそらく「悪魔」との決別は決定的になり、愛想も尽きたのだ。どんな思いで幼馴染と弟がいるこの森に足を向けたのか──考えるだけで気が重くなった。

(続く)