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檻の中のカラスと孔雀

19:猛禽、何と呼ばれても受け入れる広い心となる


 寝る前に長話をしたせいか、自分も奇妙な夢を見た。
 それは自分が子供の頃のことだ。半分、今の大人となった自分の思考が、その中に混じっている。もう昔のことだ、という自覚はあった。

 幼いテオドールは夜中に恐ろしい夢を見て、飛び起きる。背中に汗をびっしょりとかいていて、恐怖から心臓がばくばくと暴れているのが、自分でもわかった。
 見ていた夢の内容は、理不尽で、奇妙の一言に尽きた。
 共に遊ぶこともあった年の近い友達が、不気味な生き物に襲われる。友達はその後、何事もなかったかのようにテオドールの前に現れるのだが、それがその友達ではないということが、なぜかテオドールにはわかった。
 友達は「待って、待って」と言いながら、無表情にこちらを追いかけてくる。それが恐ろしくて、テオドールは一人逃げるのだ。
 周囲はどんどん焼け野原のような光景となっていく。空は夕焼けなのか燃えているのかわからない、不穏な赤色をしていた。元々足は速いはずなのに、何故かうまく走れず、速度が出ない。ひたすら「待って」しか言わない友達に追いつかれそうになった瞬間、テオドールは目が覚めたのだ。
(……どうして、こんな夢見たんだろう)
 全く意味が分からない。
 その友達とは普通に遊んでいたし、後ろめたい感情も、逃げなければいけないようなことも、何もないのに。夢というのは、どうしてこんな、趣味の悪い物語を勝手につくるのだろう──そう思って、水でも飲みに行こうかと体を起こしかけたが、普段はそう恐怖を感じない家の中の闇が、とたんに怖く感じられた。
 友達のふりをした化け物が、物陰にいるのではないか──と思ってしまって、身をすくませたとき、柔らかい誰かの手が、テオドールの手首をひたりとつかんだ。
 ──どうしたの。
 優しい声だった。隣で寝ていた義姉だった。
 嫌な夢を見たのだ、と言うと、義姉は薄く笑って、テオドールを抱きしめた。
 ──大丈夫。怖いものがきても、私とあの人が追い払ってあげるから。
(……それじゃ駄目なんだ)
 「大人」の自分は、心の中でそう呟く。
 あなたたちは逃げるべきだ。そんなものに立ち向かわず、無事でいてくれればそれでいい。
 だが幼き日のテオドールは、義姉の言葉に心底ほっとして、本当に珍しく、義姉に素直に甘えるようにすがりついた。
 安心したように寝入る自分と、それを慈愛に満ちたまなざしで見つめる義姉。そしてその隣で寝ている、一度寝たらなかなか起きないのだが、頼りがいのあった兄。
 懐かしい、昔の光景だ。
 あんなふうに、義姉の胸に抱かれていたのはほんの小さな少年のころまで。
 背が義姉の身長を越し、声も低くなってからは、極力義姉には触れないようにしていた。
 当時はやましい気持ちがあったわけではなく、それが礼儀だと思っていたからなのだが、自分の本心に薄々感づいてしまった今となっては、なんだかむなしい。
 年頃になって、兄に地域の娘との縁談の世話をしてやろうか、と言われたこともある。だが自分は乗り気ではなかった。もう少し稼げるようになって、蓄えもできてから──なんて答えたが、断ったのは、他の誰かと家庭を持つ自分というものが、全く想像できなかったから、というのもある。
 家庭を持つなら、義姉のような人と──という思いはあったが、求めていたのは義姉そのものだったのだと思い知らされると、なんだか自分への失望感と、兄と義姉への申し訳なさが消えない。
(もし、義姉や兄さんと再会できたら、なんと言おう?)
 再会は喜びたい。泣いてしまうかもしれない。でも自分は、前のように義姉と、何でもないことのように接することができないかもしれない。
(人のものに手を出す気はない)
 義姉を泣かせる気もない。兄を裏切る気も毛頭ない。
 これは、恋と言っていいのだろうか?
(こんな、薄暗いものが?)
 自分がこんな思いを奥底に封じ込めていたなんて、気付かなければよかったのだ。そうすれば、ただの家族でいられた。
 気付かないでいたことのほうがよいことなんて、この世には多すぎる──そう、夢の中でげんなりしたとき、ふいに現実に彦戻されるように、目が覚めた。

「……」
 昨夜は寝れないと思っていたが、横になっているうちにいつの間にか眠っていたらしい。体は寝台の上に転がっている。
 雨はやんでいるようだが、空はどんよりとした灰色の雲に覆われ、窓から見下ろす周囲の森は、不気味な霧に包まれている。
 横を見れば、アルノリトが自分にくっつくようにして、すよすよと眠っていた。昨日は怖い夢を見たとぐずっていたが、こちらもあれからは、きちんと眠れたらしい。
(……潰さなくて良かった)
 若干ほっとした。こんな小さな子供と寝るのは初めてだ。
 無意識に遠慮していたらしく、アルノリトの体はベッドの真ん中にあったが、自分はベッドから落ちそうな端っこで眠っていた。
 窓の上では、伝わした枝にとまったマキーラが、こちらの寝顔を観察するように見下ろしていた。目が合うと、挨拶のように小さく鳴かれる。
 外に出たそうにしていたので、シーツを抜け出て、窓を開けてやる。湿気をふくんだ冷たい空気が、一気に部屋の中へ入ってくる。マキーラは羽ばたいて、森の方へと飛んで行った。彼もこれから朝食ななのだろう。
「うー……もう、あさー?」
 アルノリトにシーツをかけ直してやっていると、彼もふと目を覚ましたのか、ほとんど開いていない目で問いかけてきた。
「まだ寝ていていいぞ。朝食用意したら起こす」
「んー……」
 聞いているのかいないのか、寝返りを打ったアルノリトは再び眠り始めた。
(気持ちよさそうに寝る……)
 寝顔を見ていると、妙な夢を見て未だにすっきりできない自分が馬鹿みたいに思えてきた。
(そういえば、あいつは……)
 キールはどうしたのだろう、と思って廊下に出た。さすがに姿が見当たらない。彼も朝は早いので、もう一階に降りたのだろうか、と廊下に出たところで、ガチャリと目の前の扉が開いた。
「あぁ、おはようテオドール君」
「……おはようございます」
 言いながら、会釈のように頭を下げた。アルノリトとは違う、松脂のように色の濃い艶のある金髪のイラリオンは、長い髪をかき上げながらあくびをしていた。さんざんひっかきまわしてくれたくせに、呑気なものだ。
「多少は、眠れましたか」
「まぁね。ここは静か過ぎるから。城がやかましすぎたというのはあるけどけど」
(あぁ、そうか)
 自分にとってはうるさい雨音だったが、それは自分が、市街地から遠く離れたこの地の静寂に慣れ切ってしまったからだろうか。
「傷は」
「ご心配どうも。じっとしてりゃ、まぁなんとか。走ったりひねったりすると、痛むがね。でもここで、俺に痛い痛い言われても、嫌でしょ?」
 さわやかな笑顔で言われて、テオドールは少し、反応に困ってしまった。
 思惑通り死んでやるのも面白くないから逃げたのだ、と言っていたが、この男、あまり生きたいという意思も感じないのだ。傷は浅いとはいえ、広範囲。背中なので、何をするにも突っ張って痛むだろうに。
「まぁ、朝っぱらから難しい話をする気はないよ。肌寒いし、温かい茶でも淹れてくれないかな?」
「……じゃあ、下に」
「うん」
 男は答えつつ、再びあくびする。
 そのままトントンと階段を降りて、イラリオンはふと、途中でこちらを振り返った。
「しかし君は、本当に不思議な人だねぇ」
「……何が、です?」
 昨日も同じことを言われた。
「いや、ね。あの堅物騎士が、君にはよく懐いているなと思っただけさ」
「……」
 イラリオンはにやにやと下世話な顔をして、鼻歌交じりに階段を降りて行った。
(昨日の話、聞こえていたんだろうなぁ……)
 あの男が寝ていた部屋の入り口付近に座り込んで、キールと話をした。眠れたとは言っていたが、あんな傷を負って、怪しげなこの屋敷で熟睡というのは、相当神経が太くないとできないだろう。散々あくびもしていた。
 多分、あの男も眠れなかったのだ。自由奔放なふるまいをしてはいるが、キールの幼少時の話を聞くに、あの男はもともと繊細な性質だ。
(でも、懐くって。子供や犬猫じゃあるまいし)
 妙な言い方をしてくれたものだと思う。多分キールもそんなつもりはないし、言えば眉を寄せるだろう。
 自分たちはたまたま、互いに現状をぼやく相手を得たのだ。
 相談もできない孤独な環境で、一人滾々と緊張や不安を持ち続けるのは、誰だって苦しい。自分の苦悩を理解してくれるというだけで、人は簡単に親近感を頂けるのだ。
(俺だってそうだから)
 キールがああいう男でなければ、自分はもっと荒んだままで、この国の人間に敵対心をあらわにしていたはずなのだから。
 イラリオンの後を追うように階段を下りかけたところで、自室のドアがきしみながら開いた。二度寝する気満々だったアルノリトが、目をこすりながらこちらにやってくる。置いて行かれた子供のように、妙に必死そうだ。
「僕も起きるー」
(起きるって言いながら半分寝てる……)
 まだふらふらとしていて、階段から落ちそうで怖かったので、抱き上げることにする。そのまま階段を降りると、玄関ホールでまたのんびりあくびをしていたイラリオンと出会った。
「やぁ、おはよう」
 気付いたイラリオンは、アルノリトにさわやかに笑いかける。
「……」
 テオドールにしがみつくようにして抱かれていたアルノリトは、寝起きの半目で、ぺこりと頭を下げた。
「……おはよう、おじさん」
「おじ……」
 半分固まったイラリオンをよそに、アルノリトはテオドールの肩に頭を預けて、またすよすよと寝始めてしまった。
「俺はキールと二歳しか違わないんだけどね。君が抱きついている男より、まだ若いんだけどね……っていうか、聞いてないよね……」
「聞いてないですね」
 なんだか傷ついているイラリオンを放置して、テオドールは腕の中の子供を客間のソファに転がすべく、客間に向かう。
(意地でも兄とは言いたくなんだろうな)
 なんとなくその気持ちがわかってしまうテオドールは、あまり叱る気にもならないのだ。
 人は呼び名によって、相手との距離感を表す。他人行儀な呼び名から親しみを込めたものに切り替える瞬間、結構勇気がいるのだ、とテオドールは感じている。それが微妙な相手、特に身内だとなおさらだ。
 自分だって、義姉を母とは呼べなかった。彼女はそう呼んでほしいのだとわかっていたが、言わなかった。そう言い改めるのが恥ずかしかったからなのだが、自分の秘めた恋心も、若干邪魔していたのかもしれないと、今は思う。
 客間に入る前に食堂で人の気配がしたので覗くと、白いシャツ姿のキールが朝っぱらから、濃い目の茶を淹れていた。
「寝てないのか」
 挨拶より先に、そう尋ねる。二十歳の若者は、少し疲れた気配を表情に滲ませていた。
「明け方、少しは仮眠取りましたよ。こういうのは、夜警だのなんだので慣れてます。お茶、飲みます? 淹れたて」
「……こいつを置いてから」
 腕の中でぐんにゃりと熟睡している子供に視線をやると、キールが苦笑していた。
(なんでこいつ、こんなに朝弱いんだ……)
 アルノリトは起きる様子がない。ここまで眠れることに、逆に感心する。
「そうしていると、お父さんみたいですね」
「嫁だの奥さんだの散々言われて、次はお父さんか……」
 そう苦々しくつぶやけば、キールは楽し気に笑っていた。もう何も言う気にならなかった。

(続く)