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檻の中のカラスと孔雀

21:猛禽、カラスの来客対応を見守る


 異変を感じたのは、その日の夜。
 夕食も終わった頃のことで、アルノリトは相変わらず暖炉の前で絵本を読みつつ、うとうとしていたし、キールは自室にこもっていたし、イラリオンも二階に上がっていた。
 テオドールは厨房で使った火の始末をし、使った食器を片付けているところだった。
(使ってない食器が結構あるな……)
 食卓に上るものは芋だったりそのあたりの野草だったり、乾物だったりするのだが、食器棚の中にはそれに釣り合わない様な豪華な大皿や、酒を飲むときに使うであろう銀の杯が眠っている。テオドールは笑ってしまう。
 皿に凝る趣味なんかないが、きっとこの皿一枚が、自分の数年分の稼ぎだったりしたのだ。だが中には、それを簡単に打ち捨ててしまえる者もいる。
 そのとき──ふと玄関の方から、こつこつという扉を叩くような音が聞こえた気がした。
「……?」
 夕方からまた小雨が続いていたので、一瞬雨音かと思った。気のせいかと思ったとき、また扉をこつこつと二度、叩く音が聞こえた。
(人か……?)
 屋敷の裏に面した厨房にいるテオドールには、外の様子がわからない。怪訝な顔で廊下に出たところで、ふいに背後から、肩に手を置かれた。
 ぎくりとしながら振り向くと、いつの間に自分に近づいたのか、そこにはキールが立っていた。
「お前か……驚かせるなよ」
「すみません。でも、お願いがあって」
 もう休もうかという時間なのに、キールは騎士団の黒いコートを羽織り、手には見慣れた剣を持っていた。
「ご当主を連れて、二階へあがってくれませんか。森の中で、松明の明かりがいくつか揺れているのが見えます。ちょっと数が多いですね」
「……」
 キールの声音は落ち着いていた。出会ったときのように淡々とした、感情の読めない目でこちらを見ている。
 この男はいち早く、真夜中の来訪者に気付いていたようだ。上着を着て、迎撃の準備に入っている。
「それは……包囲されている、ということか?」
「包囲するなら、もう少しうまくやるかな……という感じがするので、いきなり屋敷を囲んで焼こう、とかそういうのはないと思います。連日の雨で、何もかも湿っていますし。それに我々を蒸し焼きにしたいのであれば、ノックなどしないで黙ってやるはず。ただ、あまり喜ばしい来客ではないでしょう」
 また、扉がこつこつと叩かれる。
「お前、落ち着いているな」
「そう見えますか?」
 キールは小首をかしげる。
「それに……殿下がここに来た時から、ある程度こういった来訪者がある可能性は考えていましたから」
「……その関係か?」
「まだわかりません。無関係かもしれませんが、夜盗も恐れて近づかないような場所ですよ。今まで何もなかったのに、こうしてこの時期にあの数で現れてくれるというのは、そういうのかな、と思います。……まぁ、城から追跡できない距離ではないでしょうし、殿下は目立ちますからね」
 犬でも放てば、森まで来ていた事くらいわかります──とキールはどこか他人事のようにつぶやく。
「ただ、殿下がらみであれば、首謀者はご当主のこともよくよく知っておられるはず。どうなるかよめない以上、いきなりこの地で蛮行を働くとも思えない。……さぁ、ご当主を連れて二階に。物騒な話になるかどうかも、まだわかりませんけど」
「お前は」
「屋敷に許可なく近づく者は排除せねばならんのです。そういう役目ですから。加勢も不要です」
 きっとこの男には、自分たちが近くでうろちょろされたほうが邪魔なのだろう。
「……無茶はするな」
「極力は。良心的な態度を期待しましょう」
 キールが行け、というようにひらひらと手を振ったので、テオドールは客間に入る。先ほどから暖炉の前で寝ていたはずのアルノリトは、何かを感じ取っているのか起き出して、懸命に背伸びをしながら窓の外を眺めていた。
「アルノリト」
 小声で呼びかけると、アルノリトはくるりとこちらを振り向いた。まんまるとした大きな黄緑色の瞳で、こちらを見る。
「テオドール……誰か、来たよ」
 柔らかい金髪の髪に埋もれた青い羽が、わずかに立っていた。マキーラの冠羽と同じで、興奮したり警戒すると、この羽は立つらしい。
「……とりあえず、二階に行こうか」
 近づいて抱き上げると、アルノリトは大人しくそれに従った。
「キールは?」
「お役目」
「僕、お客さんの前に出てあいさつしなくていいの? このお屋敷の主なのに」
「いいお客さんか悪いお客さんか、わかってからだ」
 そのまま廊下に出て、玄関の前に立つキールの後ろを通り抜け、階段を上がる。
「キール」
 その背に、アルノリトは声をかけた。
「悪いお客さんだったら、僕も帰ってもらうの手伝うからね! キールにケガさせたら頑張って怒る!」
「……それはやめて頂きたいです。お気持ちだけで」
 無邪気な一言に、振り返ったキールは苦笑していたが、若干切実な願いも込められているように、テオドールには見えた。
 階段を上がると、二階の廊下の曲がり角すぐのところに、身をひそめるようにしてイラリオンが腕を組み、立っていた。いきなりいたので、少し驚いた。
「おじさん!」
 絵の件から懐いたアルノリトが声をかけるが、イラリオンは優しく「静かにね」と言いながら、唇の前で指を立てて見せた。
「……気付いていたんですか。来客」
 テオドールが小声で声をかけると、イラリオンは自慢げに笑ってみせた。
「一応ね。俺が今まで、どれだけ殺されかけたと思ってるんだよ。この手の勘はある方だ」
(自慢にもならんな)
 テオドールはそう思ったが、この男は周囲に流されるだけの生活の中で、そういった感覚と、運だけはあるのだろう。そうでなければここまで生き残っていない。
 そばにはマキーラもいた。どことなく気の強そうな顔で、こちらを見上げている。状況を理解しているのか鳴き声も上げず、静かにしていた。
 オオクマタカが気の荒い性質の鷹だと知っているイラリオンは、下手に触ったりしたがらないので、マキーラも攻撃はしないがあまり近寄りもしない、そんな程よい関係を築いているように見える。
「でも、おかしいよね」
 こつこつ、と叩かれる扉を二階廊下から窺いつつ、イラリオンはそう呟いた。
「わざわざこの屋敷に大人数でやってくる。それだけで警戒されそうな案件なのに、こんな何もない暗い場所で火なんて持ってりゃ、すぐわかる。気付いてくれ、って言わんばかりじゃないか」
「……火は焼き討ち用ではなく、存在を知らせたいものだと?」
 テオドールの疑問に、イラリオンは頷く。確かにキールも、焼くなら黙って焼くでしょう、と言っていた。
「窓から、火の様子をうかがっていたんだけどさ。森から出てくる様子がないな。こっちを囲む様子もない。裏にも回ってない。正面からの、ご挨拶って感じがする。まぁ火で引き付けて、裏手に回ってるっていうのは常套手段だけどね。もしくはこっちへの、数での威嚇か」
 そういうイラリオンは、手に見慣れぬ剣を持っていた。あまり手入れもされていないような、柄もさび付いた剣だ。
「これ、物置にあった剣?」
 アルノリトが首を傾げながら言う。
「そう。俺なにも持ってきてなかったから、一応護身用にと思ってね」
「……」
 暇、と言いながら屋敷の中をあさっていたのは、別に本心から暇だったのではなくて、身を守れる武器を探していたのかもしれない。そう考えると、意外に計算高く、抜け目のない男に見えた。
「殿下、武芸の心得は?」
 テオドールの問いに、イラリオンは微笑を浮かべる。
「……習いはしたけどねぇ……俺は蝶よ花よと、読書や絵を描いて優雅に生きている方が向いている男なのよ。察して」
 つまり、武器は持ってもこういう場では全く役に立たない男──ということだ。
 感心したらよいのか呆れればよいのか、よくわからなくなってきた。
「よく、それで今まで生き抜けましたねぇ……」
「言ったろ。勘はいいんだ。あと、逃げ足は速い」
「今回は逃げようと思わないんですか」
「今? そりゃ無理だ。それに、相手がだれか知らないが、俺が捕まってみな。キールが俺をかくまってたってことがばれる。俺の周りはさ、相手に言いがかりつけることだけは上手なんだ。そんなの面白くないじゃないか」
 イラリオンはそう笑っていたが、多分、キールにいらぬ迷惑はかけたくないという思いはあるのだろう。
 テオドールは、不安なまなざしで玄関へ視線をやる。
 玄関扉では、相変わらずこつこつというノックが断続的に続いている。
 扉の前に立つキールは、剣に手を駆けた状態で、一人じっと身構えていた。
「──何者か」
 意を決したのか、キールがそう、警戒を込めた声で扉に向かって声をかける。
 扉の向こうでは、一瞬の静寂があった。
「……夜分に恐れ入る。その声は、キール・ヴァレニコフか」
 扉の向こうから聞こえたのは、良く通る、低い男の声だった。そして意外に思うほど、礼儀正しい喋りだった。
「いかにも」
 固い口調で、キールは答える。親しく話すようになって随分経つが、キールの姓を知ったのは初めてだった。
 名を呼ばれたキールの声音に、敵意のようなものが混ざる。
「……まずは名乗られよ。多くの者を引き連れて、いたずらにこの地を訪れたわけでもあるまい。しかしこの地で蛮行を働けば、報いは確実に返る。それを覚悟の上か」
「あぁ、よく知っている。まず、突然の無礼をお詫びしよう。そして我らに、この地の鳥と領地を傷つける意図はないことを誓おう。我が名はハンス。──ハンス・バルテル」
「あーあ……」
 名を聞いた瞬間、身をひそめるイラリオンが額を押さえて呻く。
「……ご存じなんですか」
「ご存じもご存じ」
 テオドールの問いに、イラリオンは苦笑する。
「バルテル、は俺の姓と一緒。これだけ言えば大体わかるだろ?」
 イラリオンは吐き捨てるようにつぶやいた。
(つまり)
 今扉の向こうにいる男は、イラリオンと父を同じくする存在ということだ。
「仲は?」
「……良いか悪いかの話? 俺に仲のいい兄弟なんかおらんって。でも、ハンスはそこまで悪い印象なかったんだけど、ここまで来たっていうのは……」
 イラリオンの声は、苦々しい。
「キールも強くは出られんぞ……」
 ここから、キールの顔は見えない。テオドールの腕の中の子供は、ただきょとんとしていた。

(続く)