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檻の中のカラスと孔雀

22:猛禽、気色の悪さを覚える


 ドアの外で名乗った男は、どうやらイラリオンの兄弟にあたるらしい。
「ハンスはね、俺の兄貴にあたる。一応」
「一応?」
 テオドールはアルノリトを抱きかかえたまま、壁にもたれつつ、疑問の視線を向ける。
「俺と生まれたのが一週間しか違わないのよ。それで兄貴って言いづらいじゃない」
「ということは、同い年?」
「そう。ちなみに母親は、俺の母の侍女だった女だ」
「……」
 テオドールは眉を寄せた。つまり彼らの父は、寵姫はともかくそのお付きの女という、近場にいた二人の女を同時期に孕ましていたことになる。
「そんな顔するなよテオドール、言いたいことはわかるよ……俺の親父がクソだってことは……」
 イラリオンも情けない顔で苦笑していた。
「まぁ、それで俺の母は烈火のごとく怒ったそうだ、その女に」
「その場合、悪いのは男の方なんじゃないですかね」
「女心をわかってないな。こういう場合、愛する男より相手の女の方に、女は怒りを向けるもんだ──とうちの母は言ってたね。……アルノリトは、あまりこの話聞かなくていいぞ? ちょっと早いからなー」
「聞いてもよくわかんないー」
 話に入れないアルノリトは不満そうだった。まだ年齢的によくわからないらしく、さっきから首を傾げてばかりいる。すでに寝間着で、いつもならもう寝ている時間帯なので、少し不機嫌でもあった。
「テオドール、どういうこと?」
 腕の中でアルノリトが、すがる眼でこちらを見上げる。
(俺に説明しろと言われても困るんだが)
 テオドールは困った。今までこういう案件に無縁だったはずなのだが、この地に来てからやたらと男女問題だの痴情のもつれだのが原因の話に巻き込まれている、ような。
「……パパとママは結婚して子供がいたけど、パパは違う女も好きになった、ママは怒ったってことだ」
「えー。パパ駄目だねー」
 アルノリトは素直な感想を漏らす。イラリオンは「そ、そうだねぇ……」と言葉を詰まらせていた。それが俺らのパパなんだよ、とはこの場ではとても言えない。
「……で、板挟みになったのはその侍女だ。母に対する忠誠は強かったが、皇帝陛下の誘いも断れなかったって言うんだから可哀想な話さ。で、うちの母親の怒りを知って、子供を修道院に預けて姿を消した。ハンスはそのあと、子供を亡くしたばかりの騎士の家系に引き取られた。今じゃ立派な騎士様だ。陛下の子という箔も、いらんほどのね」
「騎士……」
 テオドールがそうつぶやいたとき、玄関の扉がガチャリと音を立てて開いた。キールが鍵を開けたらしい。
 小雨の降る暗闇の中から現れたのは、キールと似たような、だが色は白いコートを身にまとった、貫禄のある男だった。
 茶色のうねる髪は耳が隠れる程度まで伸び、あごにひげを生やしているせいか、年齢はイラリオンよりもかなり上に見える。キールが細身のせいか、首が太く肩幅のあるその男は、テオドールが想像するような「屈強な騎士」そのものだった。
「……」
 キールが黙って、その全身濡れそぼつ男に、胸に手を当て深く一礼した。キールの立場上、ハンスという男は、やはり格上の扱いになるらしい。
「顔を上げてくれ。そうせねばならぬのは、突然訪れた我らの方だ」
 だがハンスは、キールにそう申し訳なさそうに告げた。堂々とした立ち振る舞いをするが、横暴ではないらしい。
「貴殿と顔を合わせるのは数カ月ぶりか。案外元気そうで安心したぞ」
「……おかげさまで」
 キールが顔を上げる。顔を合わせたことは多々あるようだったが、キールの表情は硬かった。
「しかし、この雨の中どうされました。本来であれば茶でもお出しするべきところですが、目的を教えて頂けなければ、殿下をお通しすることはできません」
「殿下と呼ぶな。俺はとうに継承権など放棄した身だ」
 ハンスは、うるさそうに眉を寄せる。
「俺でなければ今動けんから、来たのだ」
「森に潜んでおられる方々は?」
「あれは俺の信頼のおける部下だ。別に貴殿たちをどうこうという気はない。俺とて、この森に一人で足を踏み入れることを恐れたという事だ。笑いたくば笑え。……ご当主は?」
 ハンスは、わずかに声を押さえ、周囲を確認するように見渡した。キールは目を細める。
「二階です。あなた方が突然押し寄せるものだから、少し警戒しておられる」
「……警戒、は別にしてなさそうだけどねぇ」
 小声で、イラリオンは眠そうにしているアルノリトの頬を指でつついた。ぷにぷにと張りのある頬をつつかれて、アルノリトは嫌そうにしながら唸っている。
「アルノリト、おじさんが抱っこしてやろうか?」
「んー……いい」
 少し考えて、アルノリトはテオドールの首に改めてしがみつく。
「そっかー。やっぱりママの方がいいかー」
(誰がママだ)
 イラリオンは微笑ましそうな顔をするが、テオドールは渋い顔をするしかない。このイラリオンという男、アルノリトのことは可愛がっているのだが、毎度触り方が雑なので、嫌がられていることが多い。
「……あの方は、継承権は放棄されている?」
 渋い顔のまま、ちらりとイラリオンを見れば、彼はあきれた顔で首を横に振った。
「自分で言ってるだけだよ。そんなんできるなら、俺もとっくにやってる。だからあいつ、世継ぎの集いに呼ばれたんだよ。本人は警護だ──とかいうけど、周りはそう思ってない、みたいな。それを証拠に、養子先の家じゃなくて、皇帝一家の姓を名乗っている。いや、あいつの場合、名乗らされているって言う方が正しいか」
(複雑だな)
 テオドールはため息をつきたくなった。上流階級というのは、何から何までめんどくさい。現皇帝の子は何十人といるようだが、彼らはその血を引いていると言うだけで、己で人生を選ぶことも、容易ではないらしい。
 テオドールは、再び階下に視線を落とした。キールとハンスの会話は、まだ続いている。
「……では今回の目的は?」
「ご当主に害をなすつもりはない。貴殿に助力を頼みたいだけだ」
「私?」
 キールは意外だったのか、目を丸くした。
「この場にいる貴殿は知らぬだろうから、手短に伝える。皇帝陛下が危篤である」
「……」
 キールは眉を寄せる表情だけで答えた。
 本来であればまだキールに伝わっていないはずの情報だが、イラリオンによって、もうキールの耳にも入っている。
 だが知っていると答えるわけにもいかず、驚きの声を上げるには白々しく、キールは黙って答えたのだろう。
「後継者を指名すると、血を引く者を集められたその席で昏倒された。城内は混乱している。このことを、まだ外部に漏らすわけにもいかん。それで私が、信頼のおけるものだけを連れてここに来た。騎士であれば、森に入ってもまだ誤魔化しがきく」
「……それで、私に何をせよと?」
「森での捜索に手を貸してほしい。世継ぎとして有力視されているイラリオン殿下が、城内から姿を消している」
「……」
 キールの眉根のしわが、濃くなった。
「部屋に血痕と、あの方の切られた毛髪が落ちていた。何者かの襲撃を受けたと考えられるが、下手人は見つかっていない。目撃情報から察するに、殿下は追跡を振り切るために、この森に入ったと思われる。早急に捜索を行いたいが、我らが勝手にこの地を荒らし、怪鳥の怒りを買ってもいけない。過去に何度かあった様に」
「その話は、あまり聞きたくありません」
 キールはきっぱりと告げた。ハンスはしばらく眉根を寄せてキールを睨んでいたが、張り詰めた緊張を緩めるように、息を吐く。
「……そうであったな。すまん」
「いえ」
 キールは首を横に振る。しばらくの間の後、ハンスは改めて、キールを睨むように見た。
「極力、捜索は急ぎたいのだ。この雨だ、殿下が傷を負っているなら体力を奪われる。……貴殿もある程度、想像はつくだろうが、殿下の失踪を喜ぶ者は多くいる。もちろん、その身を案じる者も多いわけだが」
「ハンス様は、どちらで?」
「俺個人としては、殿下の即位を願っている。殿下のために動く。それが、俺に課せられた命題だ」
「……」
 キールは相変わらず、険しい顔のままだった。
 二階で話を聞くイラリオンも、眉を寄せていた。軽く舌打ちをすると、彼はずかずかと、テオドールの前を歩いて行く。
 イラリオンは、テオドールが止めるのも聞かず、廊下の角から出て行った。
「……だから嫌なんだよ、お前は」
 階段の中腹で仁王立ちしながら、イラリオンは忌々しそうにつぶやいた。
 キールがぎょっとしながら振り向いたのが見えた。ハンスも一瞬呆然としたが、とっさに膝を折った。
「殿下! ……ご無事でしたか」
 その声は、心底安堵しているように、テオドールには聞こえた。だがイラリオンは、その美麗な顔に苛立ったような、不機嫌の色を浮かべている。
「無事も無事だがね。……あぁ、先に言っておくがキールに罪はない。傷を負って弱って行き倒れた俺を、助けただけだ。明日の城行きで説明するつもりだったさ。それに、夜に集団で屋敷を取り囲まれちゃ、相手が誰でも警戒するのが道理だろ」
「……でもおじさん、元気だったよね?」
 腕の中でアルノリトが、小声でつぶやきながら、疑問の顔でテオドールを見上げる。確かに、行き倒れていたような出会いではなかった。
「……まぁ、そう言っておいた方がいい場合もある」
「大人のお話しって、難しいね」
 むぅ、とアルノリトが唸った。
「……そうだな」
 テオドールもそう思う。
 正直に言ってはいけないことも多い。世渡りとは、難しい。
「それより、お前はまだそんな馬鹿なこと言ってるのか」
 イラリオンのいら立ちは止まらない。舌打ち交じりにまくしたてる。
「……母親同士の因縁引きずってさ。しかも自分が悪いとか思ってる辺りが盲目的で気色悪い。俺に仕えるべきとか、なに大真面目に思ってるんだよ。お前もお前の母も、悪いことなんざ一つもないだろう。あんたが俺の母や俺に申し訳ないなんて思う必要は、少っしもないんだよ!」
 イラリオンは、このハンスという男にかなりのうっぷんが溜まっていたらしい。
 別に害を与えられたことがあるわけではないようだが、騎士の家庭で育ったこの男は、盲目的にイラリオンに仕えるべきと思っている。原因は、侍女であった己の母が、忠誠を持ち仕えていた皇帝の寵姫に恥をかかせた──と思っているからだ。
 だがハンスは、ぶぜんとした表情で告げた。
「殿下にどう思われようが、自分は生き方を変えるつもりはありません」
「お前も殿下だろうがこのくそ堅物が!」
「くそかたぶつ……?」
「それは覚えなくていい」
 アルノリトがイラリオンのお下品な言葉を反芻している。アルノリトの目はこちらに解説を求めているが、子供が覚えなくたっていい言葉はあるものだ。
「殿下、落ち着いてください。あまり声を荒げないで」
 キールも困った様子でイラリオンを見た。まさか出てくるとは思わなかったので、戸惑っているようだ。
 しかし相手は現皇帝の血筋、しかも母は違うが兄弟同士という仲なので、あまり強く言う事もできないらしい。
「……殿下はなぜ、そもまで俺を否定するのです」
 膝をついたまま、ハンスは仄暗い視線を、イラリオンに向けた。
「幼いころからそうだ。俺は母の分まで、あなたをお守りすると何度も告げている。ですが、殿下はことごとく、俺を避ける。……この男は、あれだけそばに置こうとした癖に」
 それは、ぞっとするような視線だった。今にも斬りかかりそうな視線で、ハンスはそばに立つキールを睨んでいた。
「……」
 キールも、その尋常ではない視線に、戸惑いながらも身構えている。自分が突然憎まれるというその状況が、理解できなかったのかもしれない。
(なんだ、あいつは)
 廊下の角で様子を窺いながら、テオドールも眉を寄せた。
 変貌ぶりが恐ろしい。
 絵にかいたような騎士で、礼儀正しいのかと思いきや、忠義の度合いが強すぎて、イラリオンの言葉を借りるなら──気色悪い。
(あれは──嫉妬か?)
 テオドールの中に、そんな言葉が浮かぶ。
 イラリオンは幼いころ、年下のキールを遊び相手にしていたという。キールはキールで、イラリオンの現状に同情し、見た目麗しかった彼に保護欲のようなものを抱いていて、子供の約束ではあるが、イラリオンに仕える騎士になる、と誓いまでしたようだ。
 このハンスという男は、それを知っているのかもしれない。
「……」
 腕の中のアルノリトは、その様子を見ながら、むっとした顔をしていた。そして、無理やりテオドールの腕の中から飛び出すと、走り出した。しまったと思ったがもう遅い。テオドールは焦る。
「おい!」
 出るな、と止めようとしたが間に合わない。
「キール悪くないもん!」
 テオドールも飛び出して、イラリオンのそばまで来てようやく子供に追いつき、その肩をつかんだとき──アルノリトは力いっぱい、そう叫んだ。

(続く)