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檻の中のカラスと孔雀

25:猛禽と禁断


 重い雨雲の隙間から、ぽっかりと月が出ている。霧雨のように降り続いた雨で、周囲の草木は湿っているが、濡れた草木は月の光を反射して、輝いてもいた。
 テオドールは、アルノリトの手を引いて屋敷のまわりをさくさくと、草を踏みしめつつ歩く。
 真夜中で、つんと冷えた空気は、湿っぽいが心地よい。屋敷の中に満ちる戸惑いのような空気に比べれば、まだ居心地が良かった。
「……あの人たち、こっちに来ないの?」
 アルノリトが、周囲を気にしながら、こちらを見上げた。
 深い木々の合間に、ちらほらと揺れる複数の松明。アルノリトもそこに人の気配は感じているようだが、一向に動く気配のないそれに、警戒のようなものを持っているらしい。頭の青い羽は、ぴんと立っている。
「……多分、こっちには来ない」
 テオドールもつぶやきながら、足を止めた。ゆらゆらと、人魂のように不気味に揺れる松明の光。人の姿は見えないが、身を潜めてこちらの様子を窺う気配、というのは肌で感じている。こちらが外に出たことに気付いていないわけではないだろう。彼らには、散歩をする自分たちの姿というのはどう見えているのだろうか。
「あそこの連中は、さっき来ていた騎士の部下だそうだから」
「あの、キールと色違いの服着た白い人?」
「そう。イラリオンを探しに来たんだと」
「なんで、あんなに大勢で来るの?」
「一人で来るのは怖いから。夜の森って怖いだろ?」
「そうかなぁ。大きな獣なんていないのにね。キールは一人で出入りするよ?」
 へんなの、とつぶやいたアルノリトは、やがて小さくため息をついた。
「……おじさん、やっぱり帰るんだ? テオドールみたいに、ここにずっといればいいのに」
「うーん……俺とは立場が違うからな」
 テオドールは他人事のように言う。
 あの男は、自分の意思や好き嫌いではではどうにもならないもの、というのも抱えているのだ。
「……せっかく、仲良くなったから」
 寂しい、と頬を膨らませながら言うアルノリトを見て、テオドールは少しだけ笑った。最初は警戒していた割に、今はよく懐いている。
 イラリオンも、アルノリトのことは可愛がっていた。害のない年の離れた弟というより、同じ父を持ってしまった被害者、というような空気は漂わせているが。
(代が変わったら……こいつはどうなるんだろうな)
 この屋敷は、現在の皇帝陛下の私情が絡んでいる。上が変われば、組織というものは必ず変化する。国であろうと、それは同じだ。このまま隔離するように、監視の目をつけながら育てるつもりなのだろうか?
 ──いずれ知恵がつくぞ。
 イラリオンは、父親に会いたがったアルノリトの気持ちを理解しつつも、先の事をそう不安視していた。
 いつまでも大人の都合の良いように、子供は育ってくれない。いずれ周囲を疑うことを覚えるし、外へ強い興味も持つかもしれないし、様々な事情を知れば、今までの反動として、人を憎むかもしれない。
 だが害をなせば、この鳥はその恨みを万倍にもして、人に返すのだ。
 それがどういった方法で返ってくるのか、それはわからない。しかしそれはこの地で何度も繰り返されてきたことで、屈強な騎士でさえ、それを当然のように信じているのだ。
「──テオドールは?」
 そんなことを考えていると、アルノリトが大きな目をぱちぱちさせながら、こちらを見つめてきた。
「ん?」
「テオドールもいつか、帰っちゃうの?」
「俺か……どうかな」
 思わず苦笑した。
「帰れるものなら──」
 兄と義姉、三人で故郷に戻りたい。二人だけでも無事に帰せるなら、自分は一生、この地で家畜のように働いて朽ちてもよいと思っている。自分だけであの地に戻ったところで、意味はない──そう思っていたのだが、ふと、アルノリトがまたも涙目でこちらを見上げているのに気付いた。
(あ、まずい)
 引っ込んだ涙が、また滲んできている。
「……もう泣くなよ」
「だってー」
 困った顔で声をかければ、アルノリトは顔をゆがめる。
「テオドール帰っちゃうの、寂しいもん。キールもお役目で来ているだけだから、いつか、いなくなっちゃうかもしれないのに。だから……パパがいるなら、ちゃんと会いたいのに」
「……」
 テオドールは、涙目でうつむくアルノリトを、しゃがんで抱きしめてやった。
(確かなものが、欲しいよな)
 ただ「仲の良い」関係では、相手の都合で、いつかいなくなるかもしれないから。血のつながりというものがあるのなら、良い悪いがあるにしろ、どこにいようと、それは切れることはない。そういうものが──この少年は、欲しいのだと思う。この子供には、すがるものがないのだ。
「ごめんな」
 テオドールは、子供の柔らかな金髪の後ろ頭をなでながらつぶやく。
「お前の気持ちはわかるが……俺には何も決められない。あそこにいる人たちとは違うから」
「……うぅん。そんなこと、ないよ」
 アルノリトは、小さな手の甲でにじんだ涙をぬぐいながら、首を横に振る。その顔に、ほんの少しだけ、笑顔が戻っていた。
「……キール、前に言ってたもん。テオドール、悪い人に捕まったんだよね。マキーラもそう言ってた。大事な人、探してるんだもんね。無理に連れてこられちゃったんだし」
「……そういう説明をしてたのか?」
 思わず苦笑しながら、テオドールは肩にとまる大きな鷹を見つめた。マキーラは素知らぬ顔で毛づくろいをしている。自分から離れないこの鷹はともかく、キールも自国の行いを「悪い人たち」と言うとは。あの男も、おそらく子供相手の説明に悩んだのだろう。
「僕も、会いたい気持ちわかるもん。だからテオドールが大事な人とまた会えて、僕とお別れになっても、それは喜んであげなきゃいけないことなんだもんね。寂しいなんて、わがまま言ったらだめ」
 こちらの毒気が抜かれるくらいに、健気な笑顔だった。
「……寂しいなんて言うくらい、別にわがままじゃないと思うぞ」
 そう言うと、アルノリトは不思議そうな顔をしていた。その顔が妙に可愛らしかったので、テオドールは笑ってしまった。
「お前は優しいからな」
 手を伸ばし、乱れたふわふわ頭の前髪を整えてやると、アルノリトはされるがままに、唸りながら目を閉じる。素直な子犬でも撫でているような気分だ。
「だから、大きくなっても、優しいままでいような」
「うん。いい子にしてる」
 わかっているのかいないのか、アルノリトもにっこりと笑った。


 そう長く散歩をしていたわけではなかったのだが、屋敷に戻ると、妙に中は静かだった。話は終わったのだろうか──と思っていたところで、玄関に向かって歩いてきたハンスと鉢合わせになる。
「……」
 強面の、だが意外に紳士的なこの男は、テオドールとちらりと目が合うと、小さく頭を下げて、玄関扉に手をかけた。
「どちらへ?」
「外へ」
 なんとなく声をかけると、その無骨な騎士は、短く返事を返した。
「我々は外で夜明けを待つ。殿下との取り決めだ」
(あの人が嫌がったんだろうなぁ……)
 テオドールは曖昧に頷いて見せた。このハンスという男、まだろくに話をしていないのでわからないのだが、なんとなく──イラリオンに異常な執着を持っているような気がする。キールに嫉妬のような視線を向けるほどだ。イラリオンはあまり相手にしていないので、その、どが過ぎる忠義を気色悪がっている。多分、お前らは外で寝ろと、散々喚いたのだと思う。
「今はそうでもないが、また降りそうですよ」
「問題ない。野営はなれている」
 そう返すハンスの顔を、アルノリトはじっと見つめている。それに気づいたハンスは若干困ったような顔をしつつ、頭を下げた。
「……お騒がせして、申し訳ない」
「ううん」
 アルノリトは、首を横に振る。
「おじさんは、おじさんたちと一緒に明日帰るの?」
「……」
 曇りのない瞳でおじさん、と呼ばれたハンスは、一瞬考えるように言葉に詰まる。
 この男、ひげもあって老け顔だが、イラリオンと同い年である。二十代も前半で、立派な経歴の持ち主であるこの騎士様が子供に「おじさん」呼ばわりされたのは、きっと初めてなのだろう。こんな男でも、一応固まるのだなと、テオドールは思った。
「……その、予定です。詳しくは、屋敷の担当者に」
「はぁい」
 案外素直に返事をするアルノリトを不思議そうに見つつ、ハンスは一瞬、テオドールをじっと見つめた。
「……何か?」
 その品定めする様な視線に、テオドールは目を細める。自分はこの男に喧嘩を売られる覚えも、嫉妬される覚えもないが──と思いつつそう呟くと、ハンスは意外な言葉を口にした。
「……あなたは、何ができる?」
「?」
 テオドールが、あからさまに疑問の顔をしたのがわかったのだろう。
「いや、唐突に失礼だったな」
 ハンスは首を横に振る。
「忘れてくれ。君にも、働いてもらうことがあるかもしれない、ということだけだ」
 では、と断ると、ハンスは玄関を出て行った。
「……テオドール、僕もう眠いよー」
 意味深なことを言って出て行ったハンスの姿を見送っていたが、アルノリトの目はすでにしょぼしょぼとし始めている。普段なら、もうとっくに寝ている時間帯だ。
「二階上がって、もう寝な」
「テオドールは?」
「キールの話を聞いてから」
「うー……」
 多分また、一緒に寝たいのだ。だが唸るアルノリトの前に、肩に乗っていたマキーラがぴょこりと飛び降りて、高い声で鳴いた。
「……マキーラが一緒に寝てくれるの?」
 アルノリトが尋ねると、マキーラはもう一度鳴く。
「じゃあ、僕の部屋で一緒に寝ようよ! おやすみ、テオドール」
 アルノリトは機嫌を持ち直し、手を振りながら階段を上がっていた。マキーラは一瞬、ちらりとこちらに視線をやると、アルノリトの後を追って飛んで行く。
(お前は本当にまめな鷹だな……)
 どれだけ気の利く男なのだろう──と思わず感心する。人間だったとしたら、自分が嫁にもらいたいくらいだ。
(いや、俺が嫁扱いされてるんだったな……)
 アルノリトによると、マキーラはしょっちゅうテオドールに対して「大人の熱い、愛のおことば」を囁いているらしい。たまに耳元でぶつぶつ言っているときがあるが、何か言いたいことがあるんだろうなー程度に流していた。わからなくてよかった、というべきか。
 鳥の求愛は相手にするな──というのが兄の教えだが、あそこまで健気に気遣われると、なんだか違う生き物とは思えなくなってしまうので、不思議だ。
(まぁ今は鷹小屋に入れることもないし……距離が近いからな)
 だからと言って鳥と禁断、の趣味はない。自分が好きなのは義姉だ。その時点で、まともな性癖をしているとは思えない自分に、言葉が出なくなるのだが。
 客間を目指して、一階の廊下を歩く。静かなので、イラリオンはすでに二階に上がったのだろう。
「おい、キール」
 ノックと同時に声をかけて、戸を開ける。客間では、ソファの背もたれに全身を預けて疲れ切っているキールの姿があった。ぐったりとしたその座り方には、若さが感じられない。
 彼はすわった目つきで、こちらをちらりと見る。
「剣振り回している方が、絶対楽でした……」
「……」
 相当、口を出しづらい空気の中で、目上相手に突っ込んだ話をしたのだろうなと思う。
「……お疲れ」
 なんとなくねぎらってやらねばならない気がしたので、一応そう言っておいた。

(続く)