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檻の中のカラスと孔雀

05:猛禽、カラスと取引をする


「取引──取引、ね」
 ソファに腰かけたまま、テオドールは足を組み、そう言葉を繰り返した。
「そんな、いやーな目で見ないで下さいよ」
 窓際に立つキールは、出窓の部分に落ちていたあの、青緑の鳥の羽を拾い上げる。
「あなたが今考えていること、なんとなくわかります。……奴隷と取引なんて、馬鹿じゃないのかってことでしょう?」
「わかっているならいい」
 テオドールは睨むようにして、指でつまんだ羽を、眺めるようにくるくると回している若者を見つめた。
 キールはその羽を持ったまま、テオドールの対面の席に腰かける。うっすらとほこりがつもったテーブルの上に、その羽を置いた。枯れて、生気がなくなったようなこの屋敷の中では、妙に生々しい色鮮やかな羽だ。
「ご当主は、あなたの経緯なんて、特に気にしていないように思いますよ。そもそも、そのあたりの事情を理解できているのか怪しいし……早くあなたや、その鷹と遊びたがっているようですし。あんなにご機嫌なのは、初めて見ますから」
「……」
「だから、そう睨まないでくださいよ。私も先ほど言った通り、人の売り買いになんて興味はないし、元々好きじゃない。それでもあなたが気にする、というなら別ですけど。私は、あなたが話の通じる人だと期待して、ご相談しているわけで」
「……一般人は立ち入り禁止じゃなかったのか、ここ」
「あの方直々のご縁ができてしまっているでしょう? そのあたり、もう一般人じゃないですねぇ」
 そう語るキールの切れ長の黒い瞳は、淡々としていた。
「俺は、もうここから出られないってことか?」
「穏便に話がつけば、出られるかもしれませんけど。……なので、無理に逃げ出そうとか、そういうのはよしてくださいね。逃げ出した奴隷を追っかけるのが好きな人は、この世の中たくさんいますし、私も追わなきゃいけないし、ご当主は多分泣く」
「……」
 テオドールはため息をついて、額を押さえた。
(確かにこの街で、今あてもなく逃げるっていうのは……難しいだろうな)
 この地域は奴隷売買が盛んだ。テオドールと同じく逃げ出そうとしている奴隷もいるだろうし、それを取り締まる者が目を光らせていてもおかしくはない。
 それに自分は、少々この街でも特別視されているような者に買われている。その様子を市場で多くの者が見ていたし、面が割れていてもおかしくない。
「……あなたは、やはり故郷に帰りたいんですか?」
 キールは腿の上で指を組んで、こちらを見つめている。テオドールはそれを、静かに睨み返した。
「無理やり知らないところに連れてこられて、帰りたくない奴がいると思うのか」
「……愚門でしたね。すみません、気遣い足らずで」
 キールは目を伏せて、素直に頭を下げて見せた。
「では、こういうのはどうです? 私の頼みを聞いてくださったら、貴方を故郷に送り届けるような手筈を整える──というのは」
 テオドールは、不審げに眉を寄せた。
「お前に……そういうことができるのか?」
「一応、これでもツテがないことはないです。ブーチャ、でしたっけ? 確かに遠いですが、できないことはないかと。すぐには無理ですが」
「……俺は帰れなくてもいい」
「え」
 テオドールの呟きに、キールは意外そうに目を丸くした。
「お前のツテっていうのがどんなものかは、俺は知らん。だがそこまで言えるのなら、人探しというのはできるか。俺と同じ日に、ブーチャで人狩りにあって、こっちに連れてこられているはずの人間」
「……どうでしょう。まだ日は浅いし、探してみることはできるかと思いますが──」
「俺の兄と、義姉もおそらくこの国に来ている。その二人を……探してくれないか」
 腿の上に置かれた拳を握り、テオドールは頭を下げた。視線を下げると、手首にまだ生々しく残っている手枷の痕が見えた。皮がめくれ上がり、赤身が出ている状態だ。
 ──この男に頭を下げるのは、癪だ。
 なぜ自分たちの生活を破壊した国の人間に、頭を下げなければならないのか──そんな悔しさもある。だが今の自分には何もない。あの二人を助けるために自分の誇りや恨みを捨てろと言うのなら、捨ててやろう、と思う。それが、今まで自分を育ててくれた 彼らへの恩と、ろくに感謝も伝えてこなかったことへの償いだ。
「それが条件だ。真面目にやってくれるなら、お前の望むことは全て受け入れる。奴隷らしく媚びろというならそれもする」
「……見つけても、もう誰かの手に渡っているかもしれませんよ」
 キールの声は落ち着いていた。今目の前の若者が、どんな顔をしているのか──テオドールはあまり見たくなかった。
(見つけてどうするって言いたいんだろうな、お前)
 もうすでに誰かに買われているのなら、買い戻すための金が必要だ。テオドールにこの国の貨幣価値はまだよくわからないが、人ひとり買う金というのは、おそらく安いものではない。この国の奴隷売買は、所詮金持ちの道楽だからだ。
 テオドールに金はない。稼ぐ方法もない。
「……とにかく」
 キールはしばらく頭を下げたままのテオドールを黙って見つめていたようだが、やがて、そうゆっくりと口を開いた。
「頭を上げてください。探すことはしましょう。ただ見つけることができるか、まだお約束はできませんし──媚びる必要もないですよ」
 顔を上げると、キールは薄く微笑んでいた。
「素のあなたを知っているのに、いきなり媚びられたら、気色悪いじゃないですか」
(……やっぱり腹立つな、こいつ)
 苦々しい顔をしたこちらを、キールは面白そうに眺めた。
「でも意外でした。あなた、結構情に厚いところがあるんですね。そういう印象がなかったから」
「……別に、お前にどう思われたっていいがな」
「でも、その鷹もあなたにすごく懐いているし、意外と──なんか、また私を見ながら膨らんでいるんですけど、その鷹。私、本当に嫌われているんですかね……」
 キールは眉を寄せて、テオドールのそばにいるマキーラを見つめた。先ほど思いっきり噛まれたので、少し気にしているらしい。テオドールは指を伸ばし、マキーラの顎下を撫でる。マキーラは気持ちよさそうに目を細め、あくびをしていた。
「……鳥使いですねぇ」
 はぁ、と感心したような声を、キールは漏らした。そうやって見慣れぬ大きな鷹を物珍しそうに眺めている姿は、少々幼く見える。
「俺も、あんたを少し意外だと思っているところはあるよ」
 テオドールがマキーラを撫でながらつぶやけば、キールは若干首を傾げた。
「意外と、よく喋る」
「……ご当主以外の人と話をしたのが、久しぶりだからですかねぇ」
 キールは少し気恥ずかしそうに、視線を伏せた。
(確か、ここには三か月前に来たばかりだと言っていたな)
 市場に二人でいたあたり、この男たちがまったくこの屋敷から出られない、というわけではないのだろう。最初は真っ黒な装いもあり、不思議な少年に付き従う不気味な男に見えたが、この若者も役目としてこの屋敷にやってきた、普通の男ということだ。
「……で、お前の望みは何だ」
「そう難しいことではないですよ」
 キールは姿勢を正し、笑みを浮かべた。
「しばらくご当主の話相手となっていただけたら。あの方の機嫌が良いと、私も助かりますし……。あと、この辺りのお掃除とか、付き合ってくれたらありがたいです」
 キールは天井から垂れ下がる古い蜘蛛の巣を指さして苦笑する。……この男、こんなに小汚いところで平気で暮らせる変わり者かと思いきや、一応気にしていたらしい。
「ここ、あの子供とお前しかいないんだろう? 二人でやればいいだろ」
「うーん……」
 キールは腕を組み、渋い顔をする。
「やらなきゃ、って思いはあるんですよ? ただ元々、私も掃除なんてろくにやってこなかった男なので、どうしていいのかもよくわからなくて。この屋敷も無駄に広いし、ご当主もきっと、掃除なんてしたことがないし、お願いし辛いし……」
「……言い訳って言うぞ、それ。世間では」
「えぇ、まぁ」
 存じております、とキールは少々気まずげに視線を逸らす。
(まぁでも……そういうものなのかもしれないな。こいつ、育ちがよさそうだし)
 剣術や勉学に関しては、きっと自分はこの男に敵わない。だがテオドールが幼いころから、薪拾いをしたり木の実を取ったり、鷹小屋の掃除をしたり──というような、子供ながらに家族の労働力、というような経験はこの男にはないのだ。
「掃除は、まぁいいけどな……話し相手ってなんだよ。お前がいるだろ」
「そうですけどね……。なんと言うべきか、あの方は言うなれば、卵から孵ったばかりの雛なのですよ」
 言いながら、キールはテオドールのすぐ後ろのから鷹のマキーラに視線をやった。
 マキーラは先ほど、テオドールに撫でられて若干機嫌がよくなったが、まだキールを睨んでいる。この男を特別警戒しているというよりは、元々このような性格の鳥なのだ。
「卵から孵ったばかりの雛鳥は、生まれて初めて見たものを親として慕います。あの方の場合、それが人。……しかし今までここにかかわった者たちは、あの方を恐れて距離を置いていた。だからあの方も、人というものがどういうものか、まだわかりかねている部分がある。ですから、私はできるだけ人と話す機会を持っていただきたいと考えているだけです。今後のためにも」
「……あの子供は、結局何なんだ? 人か? それとも」
 テオドールは低い声で、キールの顔を睨むようにしながら尋ねた。
「本当に化け物か?」

(続く)