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檻の中のカラスと孔雀

07:猛禽、カラスの過去に触れる


「……しかし、勝手な話だ」
 テオドールの中には、その皇帝陛下に対する不快感が生まれていた。
「得体のしれない女に手を付けたのは自分だろう。化け物とつがったことを恥じたのか何なのか知らないが、あまり気分のいい話じゃない」
「それは同意します」
 キールも涼しい顔で頷いた。
「この件に関して、発端はすべて陛下自身の欲によるものですからね。陛下も気にされていたのでしょう。先の怪鳥伝説もあります。女の亡骸もそのままですし、このままでは祟られるのでは、と不安になったようです。それで、数人の部下に屋敷の様子を見てくるよう、そして女の亡骸と卵を秘密裏に埋葬するよう指示を出した。……事件から数年後のことです。私の、父もそこにいた」
「……父?」
 意外な一言に、テオドールは目を丸くした。
「お前の、父親?」
「はい。私の父も騎士として、陛下に長年お仕えしておりましたので。……あの日のことは、私も子供でしたがよく覚えていますよ。父も気が進まない様子でした。経緯のことは知っていましたからね。そんな父を玄関先から見送って──父とは、それが最後でした」
 キールは薄く微笑んで、椅子の背にもたれ、ため息をついた。
 思い出すのも陰鬱な様子だった。
「……結局、夜になっても父は帰ってこなくて──翌日の昼頃、父の部下だった男が、憔悴した様子で一人戻ってきました。何を尋ねても、首を横に振るばかりでしたよ。あそこは駄目だ、あんなものがいるなんて、とひたすらつぶやいて」
「……あんなもの?」
「あの方──ご当主のことですよ」
 キールは苦笑交じりの、困ったような表情で告げた。
「その者が後になって話してくれたのですが、屋敷は当時まま、何一つ変わっていなかったそうです。女の死体はどこにもなく、ただ女が産み落とした卵が変わらず、そこに転がっていて──卵を埋葬しようと持ち上げたところ、卵が妙に温かかったので、その人は驚いて落として、割ってしまったそうなのです。床に落ちた卵は割れて──中には液体と、うごめく赤子が入っていた。人型ではあるが、ところどころ、鳥の羽のようなものが生えた赤子」
「……」
 テオドールは話を聞きながら、心がざわめいていくのを感じていた。
 嫌な予感がした。
「私の父は、とっさにこれは殺さねばと言って剣を抜いたそうです。周囲の者もそれに賛同した。しかしその瞬間、赤子がぱちりと目を開けた。剣で突き刺されそうになった瞬間、激しく泣き始めた。身の危険を感じたのでしょうね。……頭が割れるような、不快な泣き方だったと。そして──父や周りの男たちも、突然苦しみだして倒れたと。目や耳から、血を流していたそうです。助かったのは、卵を割って呆然として、剣を抜けなかったその人だけ」
「それが……祟り、か?」
 テオドールは街や、荷馬車の御者であった男たちの話を思い出していた。
 ──あれは祟るんだよ。
 アルノリトは奇妙ではあるが、物言いや表情は可愛らしい子供そのものだ。だから何が祟るのか、よくわからなかった。
 しかしキールは何も答えなかった。足を組み、テオドールに冷静な瞳を向ける。
「ここから先は、私の記憶です。……その一人逃げ帰った父の部下は、責任を感じていました。自分が卵を割らなければ、こんなことにはならなかったのではと。悩んで悩んで、あれともう一度相対してくる、と出て行って……そして戻らなかった」
「その男も……ここで死んだのか?」
「いいえ。後日手紙が来ました。──これには心がある。見極めねばならぬ、と」
「見極める……何をだ」
「……わかりませんね。そのころから、あの人は少しおかしくなっていた気がします。手紙は何度か頂きましたが、意味の分からない文章が多かった。誤字も増えていましたし」
 テオドールは眉を寄せた。キールも首を横に振る。
「あの人はこの屋敷に一人戻った。そこで見たのは、倒れた騎士のそばで、どうしていいのかわからないようにじっとしている赤子だった。その赤子はその人を見るなり、頼る者を見つけたように這い寄り、笑いかけたそうです。その人が何をそのとき思ったのか、それはわかりません。ですが、彼はそのときから、その赤子とどれだけ意思疎通ができるのか、試してみたくなったようです」
 テオドールは渋い顔で、自分の隣に積まれた古い衣服を見つめた。
「まさかこれは……その男の服か」
「ご明察」
 キールは薄い笑顔で頷いた。 
 ──前にいた人。
 アルノリトは、この服の持ち主をそう言っていた。その男が親代わりとしてアルノリトを育てたのだとしたら、そのようなそっけない言い方はしないだろう。キールが先ほど言っていたとおり、前にいたその男というのは、必要最低限のことでしか、アルノリトと接しなかったのではないだろうか。
「……愛なんて、そこにはないですよ」
 テオドールの思考を読んだかのように、キールはつぶやいた。
「その人にとっては、ご当主は自分を狂わした『怪物』だったわけですから。だが殺すこともできず、あの方を外に出さないこと、被害をこれ以上出さないことが自身の責任だと思ったのでしょう。淡々と生体記録を書いては、騎士団や国に送り付けていました。多分、あてつけもあったと思います。内容が、国や陛下に対する恨みつらみばかりのときもありましたから」
「……」
 悲惨な話だ。テオドールは顔をゆがめる。
 その男は、おそらく恨んでいたのだろう。そんな化け物を世に出すに至った、陛下の欲を。
 見てくるよう命じた、その命令を。
 それに選ばれた不運を。
 卵を落としたはずの、自分だけが助かってしまったというその現実を。
「その方は、先日亡くなりました。私は、彼の後任を国から命じられてここにいます」
「お前が、それを望んだのか」
「いいえ」
 キールは嫌にきっぱりと、そう答えた。
「望んでここにいるわけではない。ですが、父と同じ騎士の道を選んだ以上、お役目はお役目ですし、ある種の運命も感じていますからね」
「運命……」
「父は、ここで命を落とした。その部下だったあの人と、私は仲が良かったですから。ここからの手紙も、何度ももらっていたし──そんな私が、あの人の後を継ぐというのは、ごく自然な運命のような気がして。母は泣いていましたが、私は納得しています。……あなたはどうですかね、テオドール?」
 キールは細い目をさらに細めて、こちらを見ながら微笑んだ。
「あなたはどんな運命の因果があって、この鳥かごに入れられたんですかね?」
「……」
 テオドールは、その微笑みに何も言えず、ただ睨みつけているしかなかった。
 遠い他国で、貧しいながらも平和に暮らしていたはずの自分が、こんな国の巨大な鳥かごに、化け物と一緒に入れられることが運命だった、とは思いたくない。
「……お前と一緒にするな。もし最終的に食われるのだとしても、鳥にやられるならまだ納得はする。求められた仕事もする。だから」
 目の前に座る若き騎士を、テオドールは睨みつけた。
「あんたが自分で言い出した取引のことは、忘れるな」
「……もちろん。お兄さんと、義姉さんのことですね。明日にでも手紙を出すことにします。お名前も教えていただけますか」
 キールが腰を浮かしかけたそのとき、外の廊下をぱたぱたと走る、軽い足音が近づいて来た。
「キール!」
 アルノリトが弾んだ表情で、客間のドアを開ける。手には数冊のノートを持っていた。
「本の書き取り、ちゃんと言われたところまでやったよ。遊んでいい?」
 キールの前まで走ってくると、アルノリトはノートを広げて見せた。テオドールには読めないのだが、正直……あまりきれいな文字には見えない。ぐちゃぐちゃな、幾何学模様が並んでいる。
 キールはそのノートを眺め、目を細めた。
「では、ご自分で書かれたものを、ここで読み上げてみてください」
「えー」
「えーではなく。ただ書き写すだけでは駄目なのですよ。きちんと文章を理解しないと」
「うー……」
 アルノリトはたどたどしく、文章を読み始めた。その姿は、本当にそこらにいる子供と変わりなかった。瞬時に騎士数名を殺した者だとは、とても思えない。
 アルノリトが文章を読み終えると、キールは小さく手を叩く。
「はい、よくできました。ですが、読み書きに関してはもう少しお勉強を続けましょうね。今日のところはいいですよ」
「はーい」
 アルノリトはにこりと笑うと、本をテーブルの上に置いて、テオドールの隣に飛び乗ってきた。そしてにこにこと、笑顔でこちらを見上げてくる。遊びたくてしょうがない、という様子だった。
「私は夕食の準備をしてきます。テオドール、あなたはご当主の相手をして差し上げてください」
「……」
 キールは小さく笑みを浮かべて立ち上がり、部屋を出て行った。
(こいつにとっては……この子供は敵みたいなものだろうにな)
 その後姿を見ながら、思う。
 キールの父は、この「鳥かご屋敷」で死んでいるという。一人生き残った父の部下も、狂気と義務感に取りつかれたようにこの少年の記録を取り続け、死んだ。
 そして三か月前に、この男はここに来るよう命じられたのだ。自ら望んだわけでもないのに。
(どういう気持ちでいるんだか)
 当初、キールはアルノリトに対し、有能で従順な執事のように仕えているのだと思った。テオドールにここに残るよう言ってきたのも、アルノリトにもう少し、人触れ合う機会を持たせたいからだとも言っていた。
 ──今後のためにも。
 その言葉は、アルノリトのためを思った言葉のようにも聞こえるが──キールの事情を知ってしまうと、それをすべて信じるのは難しい。
 アルノリトも、キールには懐いているように見える。前任の男よりは、アルノリトに歩み寄っているということなのだろう。
 どうも、あの男のことがわからない。
「ねぇ、テオドール」
 考え込むテオドールに、アルノリトが身を乗り出して話しかけてきた。
「屋敷の中、案内してあげるよ。君のお部屋も早く決めなきゃ」
「……俺は、ここでいいよ」
「駄目だよ。ここにはベッドもないし、夜冷えるし、一番汚いんだから。二階の方がお部屋きれいだし、ね、行こう?」
 ガウンの袖を引っ張られて、テオドールは渋々腰を上げた。横に積まれた衣服、生地が厚めのものを片手に巻き付けると、マキーラは待っていたとばかりに、テオドールの手に飛び乗った。
「そうそう、マキーラも一緒に行こうね」
 アルノリトは笑顔で鷹に声をかける。
「あとで、物置小屋を探してみようか。皮の手袋くらいあるかも」
 そうにこにこしながら見上げてくる少年は、どうにもテオドールの毒気を抜く。
(この子供は……覚えているのだろうか?)
 目覚めた瞬間、危害を加えようとした数人の人間を「祟り殺した」ことを。だが楽しそうにしている、自分の腰ほどしかない小さな少年を前にすると、どうしても聞く気にはなれなかった。
 困惑しながらも、テオドールは少年に手を引かれ、片方の手に鷹を乗せて、よろよろと部屋の外に出ることになった。

(続く)