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檻の中のカラスと孔雀

08:猛禽、子守りに疲弊する


 雨が降る夕暮れ時の屋敷は、どこも不気味だ。
 ほこりと砂だらけの階段を、アルノリトに手を引かれながら上がる。
「……もう少し、ゆっくり歩いてくれないか」
 テオドールは困惑気味に、はしゃいで手を引くアルノリトに声をかけた。
 足枷なしで歩いたのは久々で、足がもつれる。身長の小さなアルノリトに手を引かれているため、こちらはどうしても中腰にならなければならない。左手にはマキーラも乗っている。大型の鷹であるマキーラはずっしりと重い。バランスがとりづらい。
「うん」
 アルノリトはこちらを振り返って、笑顔で頷いた。だが足早なのは、あまり変わらない。テオドールは諦めた。
「ここが、僕の部屋だよ」
 階段を上りきった先で、アルノリトが足を止めた。ドアを開けて中を見せてくれる。
 中は、客間ほどは汚れていなかった。白いシーツのベッドと学習机、書籍や積み木のようなものが置かれている。
(普通に子供部屋か……)
 正直、もっとおどろおどろしいものを想像していたテオドールは、逆に意外だと思ってしまった。床に積まれ、そして崩れている積み木の山。この子供は、まだ積み木で遊んだりするような年頃なのだ。
(いくつ、なんだろうな)
 ずっとこちらの手を握って離さない少年の頭の、羽が混じったつむじを見下ろしつつ、思う。
この屋敷が建てられたのは十年と少し前だと、先ほどキールが言っていた。テオドールの目には、それこそ何十年も放置されているような物件に見えていた。きっとこの館で惨劇が起こってから、ここに好んで近寄る者はいなかったのだろう。
 そしてあえてここに残ったという男も、徐々に正気を失っていたようだと聞く。 屋敷の手入れなんぞに、気が回る状態ではなかったのかもしれない。
「ねぇ、テオドール」
 そう考えていたテオドールの手を握りつつ、アルノリトがこちらを見上げる。
「二階は四部屋あるんだ。ここが僕の部屋で、隣は物置。あと二つは空き部屋だから、好きなほう使っていいよ。ベッドもあるし」
「……」
 テオドールは無言で、二階の様子を見渡した。この屋敷は中心に階段がある。踊り場のある階段を上がると、そこには廊下を中心に、左右に二部屋ずつ部屋がある構造だ。
「……あいつの部屋は、どこだ?」
「あいつ? キールのこと?」
 アルノリトの問いに、テオドールは頷く。
「キールはここに来てから、ずっと一階の書斎で寝てるよ。ソファ持ち込んでさ。狭い方が落ち着くんだって」
 変わってるよねぇ、とアルノリトは同意を求めるようにつぶやいた。
「ふぅん……」
 テオドールはそう、相槌を打つだけにとどめる。
(二階で、ともに寝る気にはならんのだろうな)
 まだ語るほど、キールの事は知らない。だがなんとなく、テオドールはそう思った。
 あの若者は、この屋敷と、この少年に『縁』がある。
 騎士だった父は、任務でこの屋敷を訪れ死んだ。原因はこの少年だという。
 ここに残った男は父の部下で、キールとも親しく、その後手紙のやり取りをする仲だったと言った。
 そして父の後を追うように騎士として順風満帆な道を歩んでいたあの男は、屋敷に残った男の死をきっかけに、その後任を上から命じられたわけだ。
 ──望んだわけではない。
 そうはっきりと言い切った言葉は、妙にテオドールの脳裏にこびりついていた。
(あの男は、どんな思いで、この子供に仕えているのだろうな)
 親を殺されたのであれば、キールにとっては『敵』だろうに。あの男は「これも御役目」と己を納得させているようであったが、そう淡々と割り切れるものでもないだろうに。
「……ねぇ、聞いてる? どっちにするお部屋? 奥と手前。ほとんど一緒だよ。ちょっとほこりっぽいかもだけど、シーツ変えたら大丈夫だと思うよ」
 考えるテオドールをよそに、アルノリトは両部屋とも扉を開け放って、中を見せてくれていた。
 ほとんど使われたことはなさそうだが、客用の寝室のようだ。部屋の隅にはベッドが置かれており、角部屋らしく窓が多い。別にこだわりもなかったので、テオドールは投げやりに指をさした。
「……奥」
「わかった! じゃあ奥の部屋は、今日から君とマキーラのお部屋だね!」
 アルノリトは屈託ない笑顔を浮かべていた。
 その顔を見ていると、テオドールは反応に困ってしまう。元々自分より小さな子供の面倒なんてきちんと見たことがないので、懐かれてもどうしたらいいのかが、よくわからないのだ。
「物置もね、いろいろあるんだよ。いるものがあったら、勝手に使っていいよ」
 アルノリトはテオドールの手を引っ張って、物置として使用されているという部屋の扉を開けた。中は薄暗かった。窓を覆うほど、荷物や箱が置かれているからだ。
 テオドールは、薄暗い部屋の中を見渡す。手前に、蓋の隙間から洋服がはみ出た、大きな木箱があった。おそらく、キールはこの中から洋服を見繕って来たのだろう。
 部屋の奥には古びた剣や、古びたブーツなども乱雑に置かれている。それが前にいた男のものなのか、それともここで命を落とした騎士たちのものなのか──考えるだけで不気味になってきた。あまり触りたくない。
「多分、このなかに皮の手袋があったような……」
 アルノリトはテオドールの手を離すと、大きな木箱の蓋をずらし、上半身を箱の中に突っ込んで中をあさり始めた。
「おい、あまり頭を突っ込むと──」
「わあ」
 テオドールが注意しかけた瞬間、アルノリトは気の抜けた声を出しながら、箱の中に頭から落ちてしまった。
(……言わんこっちゃない)
 テオドールは内心ため息をつく。子供というのは、頭が重いものらしい。確かに自分も、無駄によく転んでいた記憶はある。
「大丈夫か?」
 マキーラに離れるよう命じて、テオドールは箱の中からアルノリトを抱き上げた。少年は羽のように軽かった。衣服に埋もれていたアルノリトは、照れ臭そうに笑いながら、掴んでいた茶色い手袋をテオドール差し出す。
「見つけたよ、これ。これなら、マキーラを腕に乗せるとき、痛くないかなって」
 随分とへたれた皮の手袋だった。だがはめれば、肘あたりまでありそうだ。これならマキーラを腕に乗せても、腕が血だらけにならずにすむ。
「……ありがたい」
「えへへ」
 手袋を渡すと、アルノリトは妙ににこにこと笑っていた。
「……どうした?」
「初めて」
「?」
「人に抱っこしてもらったの、初めて」
「……」
 その言葉に、テオドールは戸惑った。だが何か言うより先に、アルノリトは甘えるようにテオドールの首にしがみつき、ちょうどいい具合に収まってしまった。落とすわけにはいかないので、テオドールも腕で、少年の尻を支える。
「僕、重い?」
 アルノリトはテオドールの顔色を窺うように尋ねてきた。テオドールは首を横に振る。
「……全然」
「そっかぁ」
 安心したような声を出しながら、アルノリトは天使のような笑顔を浮かべた。当分降りてくれる気はないらしい。
(どうすればいいんだ、これ……)
 子供との付き合いに慣れていないテオドールは、途方にくれてしまった。
(子供って何考えているか全然わからんな……いやこれ、普通の子供じゃないんだろうが……)
 とりあえず、この辛気臭い物置部屋から出よう──と、アルノリトとマキーラを抱えて廊下に出ると、アルノリトが「ねぇ」と、緑の丸い目でこちらを見上げながら声をかけてきた。
「テオドールは、しばらくここにいるんだよね? だったら、キールともお友達になってあげてよ」
「あいつと?」
 そう問うと、アルノリトは頷いた。
「キールは、まだここに来たばかりだしさ。ここ、僕とキールしかいないし、寂しい思いもしてると思うんだ。お掃除とかお料理とか苦手なのに、そういうのもやってるし」
「……掃除は苦手だとか言ってたが、料理もか?」
「うん。彼は、煮るか焼くしかできないの。味付けもびみょう」
「……不味いのか?」
「不味いっていうか……素材を生かしている系、だよ」
(なるほど)
 眉間にしわを寄せ、なんとか表現しようとしているアルノリトの表情に、テオドールはなんとなく理解した。
「テオドールはそういうのできる? マキーラは言ってたよ。テオドールは何でもできる人だよって。教えてあげてよ」
「いや、やるって言ったって、人並みだからな……?」
 テオドールは困ったように、眉を寄せた。マキーラは廊下の端の、出窓部分からこちらを眺めている。
 この鷹は、自分が育ての親だからか、こちらを過大評価し過ぎである。
(でも確かあいつ、夕食の準備をするって言ってたな……そんなへたくそな男が、何作ってるんだ?)
 そこに興味はある。
「……台所覗いてみるか」
「うん」
 己の腕の中に収まっているアルノリトと視線を合わせて、二人と一羽は一階の厨房に向かった。

 厨房の土間では、小さな椅子に腰かけて、キールが腕まくりをしつつ野菜の皮を剥いていた。芋の皮を剥いているらしい。
 アルノリトを抱っこしたまま厨房を覗くテオドールの姿を見つけると、キールは手を止めて、不気味なものを見つけたような顔をした。
「……妙に仲良くなってるじゃないですか、御二方」
「でしょう?」
 その言葉に、アルノリトはいひひ、と嬉しそうに笑っていた。
 テオドールはキールのそばにある、桶の中の芋に視線を落とした。
「……芋の大きさが」
「小さくなりすぎって言いたいんでしょう? 知ってますよ」
 キールはテオドールを睨むように見ながら、芋の皮むきを再開した。もとは子供の拳ほどはありそうな芋なのに、彼の手にかかると石ころ程度しか残らない。剥く皮が分厚すぎるのだ。
 テオドールはアルノリトを床に降ろし、芋を一つ手に取る。
「刃物貸せ」
 手のひらを向けたテオドールを、キールは一瞬悩むように見た。
「……物騒なこと、しないでくださいよ」
「俺がこれを振り回すより、あんたが動く方が早いだろうよ、騎士様」
「いやだなぁ。これが騎士業なのかもよくわからなくなってるんですから、そう呼ばないでください」
 少々毒づいて、キールは小さな刃物を手渡してきた。アルノリトは二人の会話には興味がない様子で、しゃがんで芋が入った樽を見ている。
「今日のご飯は、なに?」
「芋です。茹でた芋のみ」
(見りゃわかるよ)
 そう思いつつ、テオドールは芋を剥く。
 燃えるかまどの上には、水の入った鍋がかけられていた。だがこの調子では、先に鍋の方がゆだってしまいそうだ。
「……あなた、上手いですね。皮剥き」
 しゃりしゃりと芋の皮薄く剥いていくテオドールの手つきを、キールは感心したような目で見ていた。
「あんたが下手なんだよ。食うところがなくなる」
「すみません。どうもこういうの、苦手で……」
 キールはため息をついて、がっくりとうなだれた。よく見ると、彼の指先には、真新しい小さな切り傷が沢山できていた。
(……器用な奴)
 この短時間で、芋を剥きながらこれだけ自分の指も切り付けていたらしい。
「剣が使える奴ってのは、刃物全般扱えるものなんだと思っていたが」
「人に向ける扱いは学んでいますが、芋の皮むきは学んでいません。そもそも、ここに来るまで私は、厨房に立ったことがなかった」
「そりゃ、いい育ちしてたからだろ」
「あなた、言葉に棘がありますねぇ……」
 キールがじと目でこちらを睨んできたが、無視した。その間に、剥く予定だった芋の皮むきは終了した。
「すごいねぇ。皮が長くて、薄い!」
 ひらひらと長く剥かれた芋の皮を持って、アルノリトがなぜかはしゃいでいた。
「ここで騒ぐと危ないぞ。マキーラと一緒に外に出てろ」
 テオドールは先ほど預かった皮の手袋を、アルノリトに渡した。
「?」
 手袋を受け取ったアルノリトは、きょとんとしている。
「それ、はめてみろ。マキーラ、この子ならいいだろ?」
 アルノリトが大きな手袋をはめた瞬間、マキーラは素直に、その上に飛び乗った。
「わぁ」
 マキーラの大きさと重みに少しよろめいたが、アルノリトは顔を輝かせてうれしそうにしていた。
「一緒に外に出ていてくれ。マキーラ、頼んだぞ」
 声をかけると、マキーラは高い声で鳴いて答えた。
「じゃあ外で遊ぼうか、マキーラ」
 アルノリトは嬉しそうに、大きな鷹を手に乗せて、厨房の外へ出て行く。
「……あなたの鷹は、子守りもできるんですか」
 キールが脱帽したような顔で、こちらを見た。
「普通は、他の人の手には乗らないんだがな。あの子はマキーラにとっても特別なんだろう。多分、あんたの手には乗らんよ」
「まぁ、実際噛まれましたし……」
 苦笑するキールをしり目に、テオドールは剥き終わった芋を鍋の中に入れる。
「ここでの食事は、あまり期待しないでくださいね」
 キールが芋の皮を片付けながら言った。
「毎日こんなものですよ。芋とか、たまに魚とか肉とか。多分あなたが思うより、我々は地味に暮らしています」
「別に俺も、いいものが食いたいなんて思っちゃいないよ。……あんたが炊事が苦手で、苦痛でしょうがないっていうなら、俺がやる」
「……いいのですか?」
「あんたには頼み事もしている。それに何かしていないと、俺も苦痛だ。考えるだけの時間が長いと、嫌になる」
「それは、わかる気がします」
「それに、子守りよりはこっちの方が向いてる」
「……そうですかね? 意外に、上手く接していると私は思いましたが」
 キールは床に落ちた芋の皮を拾い上げ笑うと、桶に入れて、裏口から外に持って行ってしまった。
「……」
 テオドールは、ぐつぐつと煮立ってきた鍋の中を、黙って見下ろす。浮かぶ芋の塊を見ていると、不思議な気分になってきた。
 台所に立つのは、子供の頃の方が多かった。
 若いころの兄は鷹狩で山に行って、夜まで帰らないことが多く、鷹匠見習いとして兄の後をついてまわるようになるまでは、義姉と一緒に家事の手伝いをしていたことのほうが多かった。思えば、芋の皮むきを教えてくれたのは、義姉だった気がする。
 兄夫婦は結婚したばかりでテオドールを引き取ることになった。そして、自分たちは子宝に恵まれなかった。そのため、義姉もテオドールを、夫の弟というよりは息子のように育ててくれた。実際そう思っているとも言ってくれた。
 だが自分は、そう面と向かって言われても照れ臭かったので、ずっと意地のように「ねえさん」と呼んでいたのだ。
(……俺は、本当に使えん) 
 そんな自分に、嫌気がさす。
 あの日──自分の日常が現実味もなく崩れた日。
 あれより前であれば、芋を煮るこの行為に、感慨深くなったりはしなかっただろう。
 だが今は、妙な感覚だ。ほっとするというか、懐かしいというか──悲しくなるというか。あの日より前の、特別でもなんでもなかったはずの暮らしを思い出すのだ。
 この国の奴隷となって売れ残って、あとは過酷な農地か炭鉱で死ぬまで働かせられるような未来しか、自分には残っていなかったはずだ。
 なのに今は、呑気に芋など茹でている。奇妙な生き物と癪に障る男は一緒だが、別に殴られもせず悪態をつかれるわけでもなく、自分を見失うことなく立てているということが、不思議でならなかった。
「……どうしました?」
 テオドールが黙って鍋を見つめているのが気になったのか、戻ってきたキールが背中に声をかけてきた。
「別に」
 そっけなく、振り向くこともなく言葉を返す。自分が感傷的になっているだなんて、この男には悟られたくなかった。

(続く)