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檻の中のカラスと孔雀

09:猛禽、カラスの心情を察する


 昨夜までの雨と風が嘘だったかのように、その日は朝から晴れていた。
 早朝、テオドールは屋敷の外に出て、朝日のまぶしさに目を細める。
 与えられたシャツとズボンはくたびれていて、自分には少し大きかったが、今までの格好を思えば些細なことだった。
 まともな格好をすると、多少人間に戻れたような感覚がある。
 周囲はうっそうとした人の手が入っていない森だが、今は小鳥のさわやかな囀りも聞こえる。
 屋敷のそばにある大きな杉の樹のてっぺんにはマキーラがとまって、周囲をじっとにらんでいた。やがて大きな翼を羽ばたかせると、狙いを定めたかのように勢いよく、森の中へ突っ込んでいく。
(何か見つけたな)
 マキーラも木の実を食べているような鳥ではないので、生きるためにはほかの、生きた獲物を狩らねばならない。よく見える目で獲物を探し、狙いを定めて一気に追い詰める。
 込み入った森の木の枝も、彼らの狙いを妨げるものにはならない。器用に翼をすぼめて枝を潜り抜け、その鋭い爪と握力で、ほとんどの獲物を一撃で絶命させ、再び空に舞い上がっていく。 その姿は密林の、空の生態系の頂点というにふさわしい。
(お前は、変わらんのだなぁ)
 マキーラの力強い飛翔を見ながら、テオドールは感慨深く思った。安心もしたし、羨ましくもあった。
 相棒の自分が卑屈になろうが荒もうが、マキーラの生き方も、こちらを一途に慕ってくれる意思も変わらない。人にはない、純粋な美しさだと思える。
「おはようございます、テオドール」
 そのときテオドールの背後から、キールが声をかけてきた。すでに寝間着から着替えて、外行きの白シャツと、騎士の制服らしき黒いズボンを履いている。腰のベルトからは変わらず、剣が吊り下げられていた。
「……早起きだな」
 まだ日が昇ったばかりだ。相変わらず愛想なく、眉を寄せて振り返ったテオドールを見て、キールは苦笑した。
「早起きは習慣なんです。少しは鍛錬もしないと、剣の腕も鈍りますし……あなたも早起きなんですね。起きたら水汲みも食事の準備もしてあったから、驚きました。ちゃんと眠れました?」
「それなりに」
 答えた言葉はそっけなかったが、実際、あんな整った寝台で眠ったのはいつぶりなのか、思い出せない。
 最初は慣れない部屋に警戒心もあったのだが、蓄積し続ける疲れには勝てなかったようで、体を横たえた瞬間、気絶したように寝入ってしまった。湿気を吸い、少々湿っぽくなっているシーツもまったく気にならなかった。
 なんだかよく覚えていないが、幸せな夢を見たような気もする。
 夜明け前に目覚めたのは、テオドールにとっても習慣だ。鷹の世話をせねば──と思いながら重い身を起こし、ぼんやりと周囲を見渡して、そこであぁ、ここは自分の家ではなかったな──と思い出したほどだ。
「あの子供は?」
「ご当主はお寝坊さんですよ。……さっきから突っ立って、何をされているんです?」
「マキーラの帰りを待っている」
「あぁ、彼もお食事ですか……」
 それもそうだよなぁ、というような視線で、キールも周囲の森を見渡した。
「彼一人が食べるぶんには困らない森だと思いますけど……あぁ、そうだ。昨晩言いましたけど、私はこの後出かけます。もしご当主が起きてこられたら、キールはいつものように、お城に出かけたとお伝えください」
「……わかった」
 テオドールは静かに頷いた。

 明日、朝のうちに出かけてくる──この男にそう言われたのは、昨晩の事だ。
 茹でた芋ばかりの夕食がすんだ後、この男は早々に書斎に引っ込んだ。
 アルノリトは一人眠そうな目で、客間の暖炉の前で絵本を読みながらうとうとしていた。二階に上がって眠ればいいのに動きたくない様子で、もう寝ろと言っても頷くだけで、そのうちソファに横になって寝始めた。
 なので結局、テオドールが子供部屋まで抱いて連れて行った。
 眠気に勝てず、こちらに寄りかかってぐんにゃりとしていたその姿は、普通にそのあたりにいそうな幼い子供といった様子だ。
 やれやれ──と思いながら子供部屋から出たとき、階段下から静かに、キールが手招きをしていた。この男は、テオドールが一人になるのを待っていたようだった。
「……明日、留守にします。できるだけ、すぐ戻るようにはしますけど。留守番頼めます?」
 キールはそう言いながら、私室として使っているという、一階の書斎にテオドールを招き入れた。
 書斎は客間の斜め向かいにある部屋で、窓側以外、ぐるりと古びた本棚に囲まれていた。中心に机、そして窓際に寝起きしているというソファが置かれている。 几帳面そうな男の印象通り、散らかっているという様子はなかったが、やはり床は砂のじゃりじゃりとした感触があったし、窓ガラスも汚れで白く曇っていた。
「……留守番は別にいいが、あの子を残してお前が出かけて、大丈夫なのか?」
 そう問うと、キールは薄い笑顔を浮かべた。
「決まりなんです。それに私がここを離れている時間帯は、別の者が森の入り口を見張ります。ここまでは誰も来ませんから。ご安心を」
「でも俺がここに来たとき、そういう人間は見なかったぞ」
「ですからあれは、ご当主のわがままに私が折れて、渋々連れて出ただけですから……。今回、そのことでこってりしぼられると思います」
 キールはそう、苦笑していた。
 どうやら週に一度、この男は首都の中心部にある城まで、この屋敷の件で報告に上がらなければならないらしい。
 前任者がやっていたように手紙という方法もあるが、直接出向いたほうが意見交換も進む。二十代前半の若者がこんな屋敷に生涯軟禁というのは酷だし、アルノリトも別に、屋敷の外に出たがっているわけではない。 何もなければここで大人しく過ごしている。
「でも報告って、何をするんだ?」
「普通ですよ。ご当主の成長の様子とか、変わったことがないかとか、そのあたりを報告します」
「……関わりたくはないが、一応気にはしているんだな」
「まぁそうでしょう。特に陛下は。もうご高齢ではあるのですが、一番の後悔というのは、この鳥かご屋敷のことでしょうからね……あぁ、そうだ」
 キールは他人事のように笑うと、机の引き出しから封筒を取り出す。赤い封蝋が押された茶色の封筒だ。
「約束通り、あなたの人探しの事もきちんと依頼してきますよ。騎士団内に、内偵というか、そういうのが得意な連中がいますから」
「……そんな表立ったところが、奴隷の身内なんて探してくれるのか?」
「ご当主に好かれている人間だとお伝えしたら、それなりに興味を持って動いてくれると思いますよ」
「……ふぅん」
 テオドールにしてみれば「それだけで?」と思う話だ。
 だがそれだけで「それなりに興味を持って」動いてくれるというのであれば、例の怪鳥伝説とこの少年の存在は、この国の人間にとってかなり根深く、頭が痛く、そして嫌な話なのだろう。
 出会ったとき、街の人間も、キールが連れている子供を「ご当主」と呼び敬っていた。
 時の皇帝がこの森に女を囲う屋敷を建てたこと、そこに今、奇妙な子供が住んでいること、騎士が出入りしていること──それらは街の人間にも知れ渡っているのだろう。
 そしてそれが何なのか、彼らもなんとなく想像もついている。
 この地に生きる人々の中には、善良な者もならず者も関係なく、先祖代々伝わる「祟り」の話が染みついているのだ。十年ほど前にこの屋敷で起こった惨劇のことも、街の人間はある程度知っているのかもしれない。

「……なぁ」
 屋敷内に戻りかけたキールの背に、テオドールは声をかける。
「あんたは、あの子のことをどう思ってるんだ?」
「どうって……普通ですよ」
「好きとか嫌いとか、あるだろう」
「好き嫌いじゃなくて、私は任務でここにいます」
 キールは振り向きもせず、答える。
「どういう生き物なのかを確認すること。人との共存に慣れさせること。共存を望むように育てること──それも私の役目です。ですからあなたのように、ご当主自ら望んでそばに置きたい、という人が出てきてくれたことは、ある意味都合がよかった」
(……成程)
 ご当主の話し相手となってくれ──とはそういうことなのだろう。だからわざわざ、この男は自分と取引をする、とまで言い出して、こちらを引き留めたのだ。
「じゃあお前は、心からあの子に仕えている、というわけでもないんだな」
「未熟なもので。そうですね、好きか嫌いか、あえて言うなら──」
 キールはそう呟いて、こちらを肩越しに見た。黒い瞳は、どことなく不満のような、そんな色をしていた。
「なんと言うのかな。あなたと同じだから──と言ったら、理解してくれます?」
「……同じ?」
 その言葉に、テオドールは眉を寄せる。
「あなた、私のこと嫌いでしょう?」
 キールは目を細め、口元だけで笑いながら言った。テオドールが表情を変えなかったことを同意と受け取ったのか、キールは満足げに笑う。
「──勿論、理解はしていますよ。私があなたの人生を破壊した国の人間だから。軍人だから。実際私はあの件に手なんか出していませんが、あなたにはそんなこと関係ないですものね。関わるもの、すべてが憎い。そういうことでしょう?」
「……」 
 テオドールは眉間にしわを寄せ、キールを睨んだ。だがキールは、平然とそれを受け止めていた。
「本当は、私とここにいることだって嫌なはずです。ただあなたは情に厚くて、ご自分の身を犠牲にしても、ご家族を助けたい、安否を確かめたいと思っている。だからそれと引き換えに、ここに残ることを了承してくれた。今も嫌々、私と話してくれている」
「……好きになれんのは事実だが、わかったように言われると腹が立つな」
「それはすみません。……でも私とて、まだ整理のついていないことはあるのです。あなたほど、怒ってはいませんけどね」
 キールはそう自嘲のようにつぶやいたが、すぐに重く息を吐きだして、ばつが悪そうにこちらを見た。
「すみません。朝から感じの悪いことを」
「いや」
「今のは、ご当主に言わないでください。私の父の事、あの方は何も覚えていないし知らないんです。面と向かって責めるつもりもありません。私がここにいるのは、ただの任務です。私情は不要だ」
 この男は、やはり己の父を殺したアルノリトに、あまりよい感情は抱いていないのだ。
 だがこの実直で生真面目な騎士であるこの男は、そんな己の感情に反する任務を命じられても、淡々とこなそうとしている。悪意のある感情を、アルノリトにぶつけようとは思っていないのだ。
 テオドールは内心、ため息をついた。
(こいつの矛盾は──いつか身を壊しそうだな)
 ここに来たかったわけでもなく、あの少年を心から敬っているわけでもなく、父を殺した化け物という感情も多少はある中で忠実な騎士の仮面をかぶり、何事もなかったかのように、あの少年と生活する。
 テオドールに意外だと思うほど本音を漏らすのは、やはり心のどこかで吐きだす相手を求めていたからだろう。おそらく騎士仲間や家族にも、キールはその心の内を吐きだすことができないのだ。
「……朝から余計なことを言わせて、俺も悪かった。忘れてくれ」
 ため息交じりに言うと、キールも眉を下げて小さく笑う。そしてテオドールの背後に視線をうつすと、何かに気付いたように目を丸くした。
「──貴方の鷹、帰ってきましたよ。何やら掴んでいますね」
 言うなり、マキーラが大きな翼をはばたかせ、テオドールの足元まで急降下してきた。足には大きな鳩が掴まれている。すでに絶命しているようだ。マキーラは鳩を、テオドールの前に差し出しこちらを見上げた。
「これはお前の朝飯だ。食えよ」
 鳩を拾い上げて差し出しても、マキーラは手を付けなかった。不審に思ってマキーラを腕に乗せてみると、放ったときよりずっしり重い。
(あぁ、こいつもう腹いっぱい食って来たな……)
 これはつまり、つがい認定している自分への「お土産」らしい。
 マキーラは「さぁ褒めろ」とばかりに甘えた声を出していたが、キールの存在に気付くとすぐに羽毛を膨らまし、冠羽を立て、眼光睨みつける。
「あぁ……邪魔者は出かけますから、そんなに怒らないでくださいよ……」
 噛まれた記憶がよみがえったのか、キールは慌てて屋敷へ向かうと、黒い上着を取って戻ってきた。
「では、行ってきます。私の留守中は、あまり屋敷から出ないように」
「あぁ。まぁ……気を付けて行け」
 そう言えば、キールは一瞬真顔になってこちらを見た。
「あなたにそういうことを言われると……なんだか不気味です」
「どうとでも言えよ。……ここから歩きで行くのか?」
「まさか。森の入り口に、馬車が迎えに来ています」
「ふぅん」
 どうりで──と思った。ほとんど人が立ち入らぬ森だという割には、森の中に馬車が通ったようなわだちができていたからだ。
 キールは律儀にこちらに頭を下げて、足早に森の入り口へと向かって行った。
 ──あなたと同じだから──と言ったら、理解してくれます?
(同じ、か……)
 テオドールは、キールの言葉を思い出していた。
 己の大事なものを奪った者を憎むのは、誰も同じ──。
「マキーラ、お前は……俺のことを憎いとか、思ったことはあるか?」
 お土産の鳩を掴むと厨房の軒下に腰を下ろし、羽をむしる。
 答えないと分かっていたが、テオドールはつい、マキーラに話しかけてしまう。
 自分はこの鷹が生まれて間もないころ、野生の巣から連れ帰った。本当の両親と引き離し、野生を奪い、人と生きることを強制した。
 鷹匠としてはそれが当たり前のことで、善悪など考えたこともなかった。なかには気性が荒すぎて、育てても懐かない鷹もいる。そういう鷹は自分たちにとって「使えない鷹」でしかなかったが、彼らは野生の誇りを奪った人間を恨んでいて、人の手に乗ることを拒んだのだろうか?
(考えすぎか)
 マキーラはテオドールのそばで、じっとこちらを見上げている。威嚇や獲物を狙うときは鋭い顔つきなのに対し、自分の隣にいるときは、真っ白でふわふわだった雛のころを思い出す顔つきだ。どんな鷹よりも表情豊かで可愛い顔もすると思うのは、育てた自分の欲目だろうか。
「……いたー」
 そのとき後ろにある厨房の裏口が開いて、寝間着のままのアルノリトが恨めしそうな声と共に、顔をのぞかせた。
 まだ寝ぼけた状態のようで、目がきちんと開いていない。柔らかい金の髪も交じる羽も、寝ぐせまみれだ。お寝坊さん、と言われた割には早い起床だった。
「もう起きたのか?」
 思わずそう声をかけると、アルノリトは目をこすりながら頷いた。
「うん。なんか、目が覚めちゃった……誰もいないんだもん」
 いつもより早く起床したこのご当主さまは、おそらく室内に誰もいないことに不安になって、寝ぼけまなこのまま探していたのだろう。少し不機嫌で、心細そうな顔をしていた。
「まだ眠いんだろ。寝てろよ」
「うん……キールは? その鳥、なぁに?」
「あいつはお城に行った。これはマキーラのお土産。朝飯、何か食べるか?」
「うん……」
 アルノリトはそう言って、暖炉に火がともっている客間の方へふらふらと歩いて行った。
(まだ半分寝ているな……)
 多分、また客間のソファで寝てしまうに違いない。
 しかし、ちょっとほっとした。鳥の羽を毟っている姿を見られて「僕の友達を食べるの?」とか言われた日にはどうしようかと思っていたが、一応そういうことはないらしい。
(生活は、普通に人だよな。芋も食ってたし……)
 羽を毟った鳩を手に、テオドールも室内に戻った。
 アルノリトに朝食を食べさせたら、少しは屋敷の掃除でもしようと思った。元々そこまで綺麗好きというわけではなかったが、正直、汚すぎて見ていられない。せめて垂れ下がった蜘蛛の巣くらいはどうにかしたかった。こんな汚い場所にいて、これ以上気が滅入ったら困る。
(この鳩は焼いて……残りはスープにでもするか)
 外の風は冷たい。今夜あたり、また雨が降るかもしれない。あの神経が細そうな若者にも、温かいものを出してやった方がいいだろう。
 ──あなた、私の事嫌いでしょう?
 そう、嫌みたっぷりに言われたことを思い出す。そういう態度は出していたし、嫌っている理由はキールが言った通りなので反論しようもないのだが、実際突き付けられると、あまりいい気分にはならなかった。
 怒って、嫌って当然だという自分もいる。だがずっと怒りに染まっている自分に疲れてきているという自覚も、多少はあった。

(続く)