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セルージャの日記

海の海賊、森の魔女


 傭兵団には、様々な民族、そして経歴を持つ者がいる。
 元ごろつきであったり、辺境の狩猟民族であったり、元騎士であったり、他国の王子様であったり。
 その中に、一人「魔女」という二つ名を持つ者がいる。
 だが魔女とは言えど、男だ。
 その男は、うねる長い黒髪に艶のある褐色肌という、どこか太陽が似合うような、異国情緒あふれる色男だった。
 ちらほらと聞こえてくる噂によると、彼は元海賊らしい。
 海のない国に生まれたセルージャは、最初「海賊」という言葉の意味がよくわからなかった。故郷のバーガトゥイには、そんな言葉ない。
 だから、その「魔女」と話すようになった頃、本人に「海賊ってなにをするんだ?」と大真面目に聞いてしまった。
 その男は陽気で、人が好さそうな笑みを浮かべて笑った。
「そうだなぁ。話すより、体験したほうが早いな。今度頼んで船に乗せてやろうか? セルージャ」
「あの、港に泊まってる大きな船か?」
「そうそう。この大陸の外にも行けるんだぞ」
「大陸の外……」
 想像できなさ過ぎて、目が丸くなった。
 セルージャがブルウズで一番好きなのは、港から広がる青い海だ。その上を、大きな船に乗って渡るのは、さぞ気持ちが良いのだろうなと思った。
「ついでにな、その辺の船を襲って金品と食料を強奪。綺麗なお姉ちゃんがいたら、ついでに強奪、夜は酒盛り。まぁ常に生きるか死ぬかだが、なかなかスリルがあって楽しい生活だぞ? 毎日が精いっぱいの輝きだ」
 ──そう言われて、ようやく気付いた。自分はやはり、馬鹿だ。
「……山賊の海版ってことか」
 あきれながら言うと、男は白い歯を見せて笑った。
「そうそう。でも今の誘いは冗談な。お前にそんなこと言ったってばれたら、周りにどつきまわされるから」
 海の男は豪快だと聞くが、なかなかその通りの男だと思った。
 男の名は、レオンという。
 彼の故郷はこことは別の大陸で、そこにはたてがみのある大きな猫が住んでいるらしい。名前の由来はそれなのだという。
 陸に上がった元海賊は、現在は真面目に城所属の兵士として仕えている。やはり海関係の繋がりがあるようで、多くの船舶に顔が利くらしい。港でもめ事があれば、はいはいと出ていく。
 だが別に、魔術を使うわけでもない。なぜ魔女と呼ばれているのか──セルージャには少々、謎な男だった。


「今日の助手はセルージャ君、君だ」
「はい……」
 場所は、首都郊外の森の中。竹製のかごを持たされたセルージャは、気のない返事をした。
「今から薬草取りを開始します。俺の言ったものだけ採取するように。下手すりゃ死ぬからね」
「りょ、了解……」
 なぜか今日は、そのレオンと共に薬草の採取にやってきた……というか、彼の作業に半ば無理やりつき合わされた。
「ところで、なんで俺なんだ……?」
「最近お前、勉強ばっかりして、建物の中にこもりっきりだろうが。カビが生えるぞ。学者にでもなるつもりか」
「俺頭悪いからそれは無理。ただ人並みになりたいだけだよ」
「言い切るお前もどうよと思うけどねぇ……」
 真顔で言ったセルージャを見て、レオンは若干あきれ顔だった。
「まぁ、あれだ。今日は何ていうか、野戦の時の訓練も兼ねている」
「訓練?」
 これが? とセルージャは自分の身の回りを見渡してみる。だが武器の装備はいつもの護身用程度のもの。「薬草を採りに行こう!」なんて連れてこられただけで、そんな話は一切聞いていない。
「俺ら傭兵たちは、指示があったら都市でも山でも、どこでも行かにゃならん。騎士よりも身軽に、そして素早くが心情だからな。遠征先の山の中で放り出されて、食うものもない、ケガもしている、そんな場合の対応方法を、今日は学ぶ。お前も山の出身だから無知じゃないだろうが、植物なんて、地域によって違うだろう?」
「ま、まぁ確かに……」
 セルージャの住んでいた辺りは比較的温暖な地域で、雪もほとんど降らない。確かに自生している木々を見ても、なんだか種類が違うし、市場に並んでいる山菜を見ても、相変わらず見たことがないものが多い。
 セルージャも野山で家畜の世話をしていたし、多少の知識はある。だがそれがブルウズで通用するかと言われると、わからない。
「こういうのは昔っから俺の担当だ。というわけで、課外授業開始―。ついでに薬草採取して、いくつか持って帰るのも、俺らの任務だ。陛下に献上するから根もそのままな。この辺りは危険な獣もいないし、もし不審者に遭遇しても俺がぶっ殺すから、お前は安心して励め」
「わ、わかった……」
 笑顔で物騒なことを言う男の言葉に頷いて、セルージャは作業に取り掛かった。なかなか逆らえない理由もある。
この男、傭兵団の中でも最古参の部類で、実力としても頭から数えて三番目くらいの位置にいる、大先輩でもあったのだ。


「……薬草を献上って、何するんだ?」
 しばし、レオンの指示で草をぶちぶちと抜く。
 今回採取せよと言われたのは、アオスミレと呼ばれる小さな植物だ。青色の素朴でかわいらしい花をつけるが、乾燥させて茶として飲めば、咳止めにもなるらしい。野山の、日当たりの悪いところに自生している。
「陛下が育てたいんだと」
「あの方、本当に多趣味だな……」
「そう。だが今回は実益も兼ねておられる。こんな人里離れたところに来なければ採れない様な薬草が、栽培できれば楽だと思わないか?」
「……あぁ」
 そういうことか、と思った。この国の皇帝陛下は、過去にこの国で疫病が大流行した経験から、医療には力を入れたがっていた。
「でも、ご自分でやらずともいいじゃないか」
「あの方は、なんでも一度は自分でやってみたいんだよ。やらねば語れぬ──陛下のお言葉だ」
 いい言葉だね、とレオンはからからと笑った。確かにこの国の皇帝陛下は、好奇心の塊のような男だ。
「でもレオンは、なんでこんなに薬草に詳しいんだ? 海側の生まれじゃないのか?」
「海賊やってたときは海にいたが、もともとは俺も、どえらい山奥の出身よ。なんたって、魔女の血族だからね」
「魔女……」
 このレオンという男を表すとき、よく聞く言葉だ。
 あいつは魔女の血を引いている──仲間連中は、別に悪い意味でなくそう言うので、セルージャはそれを聞くたび、内心首を傾げていた。
 何が魔女なのだ?
 この男、色男で腕もたつが、別に魔術なんて使うわけじゃない。
「……お前、ぐるんぐるん考えていることがわかりやすいなぁ。不思議に思ってたなら、聞けよ」
「いや、なんか触れちゃいけないところなのかと思って……」
 悩んでいたセルージャを見て、レオンがあきれた声を出した。
「言っとくが、俺は悪魔と契ってもいないし、魔術なんて使えない。俺にあるのは、長年一族から伝えられてきた、薬学の知識と医術の知識だ」
「……医者の家系か。すごいな」
「素直に感心するやっちゃなぁ……お前みたいな単純な奴らばっかりだったら平和なんだろうけど、なかなかそうもいかないんだよなぁ」
 レオンはため息にも似た息をついた。
「一族の秘伝の技術は、人のためにあるもので、それを使って金儲けするようなことは恥だと言われていた。俺はそれを信じていたよ。見返りがなくても、頼まれれば薬を作ったし、専門の器具で手術もした。人のためなんだからな。でも、それが時の権力者に目をつけられた」
「なぜ?」
「連中が、俺らを怖がったからさ」
 レオンは、にやりと琥珀色の目を細めて笑った。
「奴らにゃ、俺らのことが理解できなかった。民が俺らを慕っていたのも、気に食わなかったんだろうな。ある日、宣言したのさ。あいつらは山奥で、怪しげな器具を使って人に何かしている──死ぬはずだった人間や家畜が生き返った、あいつらは魔女の一族だ、魔術を使う、邪教の崇拝者だ、ってね」
「……それで逃げたのか」
「そう。ちんたらしていたら、生きたまま火あぶりにされちまうところだったからねぇ」
「火あぶり……」
 セルージャは顔をゆがめる。そんな残酷な処刑、経験がない。
「でも、悪いことはしていないじゃないか。追われる理由がない」
「世の中、偉い人が『悪』と言ったらそうよ。それが理由よ。それに人と違うってことは、いい面でも悪い面でも、注目を浴びやすい。それまで俺らに感謝してたやつらでも、周りが『悪』って騒ぎだしたら、便乗しちまう。人とは、所詮長いものに巻かれるんだ」
 ぶちぶちとアオスミレの株を抜きながら、レオンはにこにこと、何でもないことのように、悲惨な過去を語った。
「まぁ、そういうわけで一家離散した。家族がどうしているかは知らない。俺はこの世に嫌気がさして、すかっと海賊家業に仲間入りしたんだよ。違う環境に身を置きたかった。逆に、世のためにならないことをしてみたくなったわけだ」
「……でも、略奪行為は感心しないよ」
「まぁ、そうだね。それが普通の感覚だ」
 笑顔と共に言われて、セルージャも思わず苦笑いを浮かべた。
 この男は陽気だし、女好きで綺麗めな女は速攻口説くし、色男に口説かれて女もまんざらではなさそうだし──という自分とは似ても似つかぬ生き方をしている男だが、どんなときでも笑っていて、ある意味尊敬する部分はある。
 しかもほかの大陸出身だそうだから、今の自分と似た苦労も、多少はあっただろう。自分よりは、ずっと周囲に馴染む力のある男だとは思うが。
「……でもなんで、海賊辞めたんだ? 海は好きなんだろ?」
「おう、今でも好きだけどな。ちょいとばかり、張り切りすぎたんだよ」
「張り切りすぎ?」
「そう」
 話に本腰を入れる気になったのか、レオンは地面に足を投げ出して座り込んだ。
「大陸の外から見ても、ブルウズは巨大で、おっかない国さ。先鋭そろいの騎士団はあちこちにあるし、隙あらば他国に手ぇ出していたからなぁ。 でも、そのブルウズが国中疫病でガッタガタになった。おっかない皇帝陛下も死んだ。後を継いだのは、まだ十代の、無名の若造だっていうじゃないか。こりゃあいい機会だってね、ブルウズに恨みのあるやつは、あちこち山ほどいたもんだから、俺らにも依頼が来たんだよ。莫大な報酬と一緒にね」
「……何か盗もうとしたのか?」
 セルージャは、思わず眉間にしわを寄せて、そう語る男を見つめてしまった。
「あんたも敵側だったのかよ」
「うちの頭からしてそうなんだから、別に不思議でもなんでもないだろうが」
「まぁ、そうだけどさ」
 うちは訳ありの連中が多すぎる──とセルージャは改めて思う。自分も含めて、だが。
「で、何盗ろうとしたんだよ」
「ものじゃないよ。俺らが盗もうとしたのは、人だ。皇帝陛下」
「……馬鹿じゃないのか」
 思わず、軽蔑するような声が出た。
「うん。まぁ、思い切ったよな」
 レオンは腕を組んで、思い出すように唸った。
「ブルウズは皇帝一族ありきの国だからな。そこさえ掴んでしまえばどうにかなるって、当時はいろんな国が暗躍してた。連中としても、無関係の他国の人間使ったほうが足が付きにくいし。俺らも調子乗ってたからなー。天下のブルウズに喧嘩売るのも悪くないなんて思ったんだよなー。手筈は整えていたし、失敗しないと思ってたし」
「どんな方法で城内に入ったんだよ、異国の海賊が。警備がザル過ぎるだろ」
「港からの積み荷の箱に紛れてね。当時は内通者もいたんだろうさ、わりと簡単に侵入できた。あとは夜中、就寝中の皇帝陛下の寝所に忍び込み、連行すれば終わり、だったんだけど」
「……なんか、先が読めてきたぞ」
「だよなぁ。俺も舐めてた」
 はぁ、とレオンは息を漏らした。
 この国の皇帝陛下は、即位当時から暗殺を警戒していた。自身も騎士ではあるが、信頼のおける腕利きの側近たちを、そばから離さない。
「……で、まぁお察しの通り、真夜中に陛下の寝室に忍び込んだら、どっからともなく出たんだわ、怖いのが……」
「モルグ様と俺たちの頭、どっち?」
「俺たちのほう……」
 レオンは懐かしそうに、眉を下げて笑う。
「一緒にいた連中は、いつの間にか死んでるしさぁ。最初は何に襲われたのか、よくわからなかった。獣でも放し飼いにしているのかと思ったよ。あの夜は、なかなか興奮した。斬りあって勃起したのは、初めてだった」
「……いや、ちょっと待って。その話の繋がりがわからないんだけど」
「それほど滾ったってことだよねぇ」
 レオンは下品なしぐさで、己の股間を指さした。
「陛下も陛下で肝が据わっててさぁ。寝台の上にふんぞり返って『殺さないでね、あとで事情たっぷり聞くから』とかのんきにあおってるし。 頭おかしいと思ったね。自分の臣下が負けると思ってないんだから。……それで、まぁいろいろあって、今もここにいる」
「そのいろいろ、がよくわからないなぁ……」
「まぁ説明すると馬鹿みたいに長くなるが、俺が持っている『魔女』の知識を、陛下が認めてくださったのさ。それまで、自分の生まれを誇ったことなんてないのにね。 なんか嬉しいやら、面白いやらで。ここにいてもいいかなーと思い始めた。あの方は勉強熱心だし、お綺麗な顔をして、平然と長いものに喧嘩を売るような男なのさ」
「でもそこまで珍重されたなら、素直にこっちで医者でもやってればよかったのに」
「無理無理。俺もそこまでお上品じゃないから。傭兵団の連中と一緒に体張って騒いでいたほうが、全然楽しい。あちこち行けるし、現場の役に立つしね」
「ふぅん……」
 セルージャは、微妙な声で相槌を打った。
 このレオンという男は、いつもへらへらしているし、正直何を考えているのかよくわからないところがあった。だが仲間も大事に思っているし、一度は剣を向けた陛下に、忠誠心もちゃんとあるのだ。
「ここにいるのは、楽しい?」
「楽しいさ。必要とされている感じもするし、気の合う仲間もいる。スリルも十分にある。感覚で言うなら、十年以上勃ちっぱなしって気分だ」
「それは、逆に体に悪そうだけどな……」
「例えだよ、例え。生真面目なやつだなぁ。お前こそ、ここにいて楽しくないのか?」
「そんなことないよ」
 その言葉は、セルージャが自分で思うよりも、ずっとすっと出てきた。
「お前ほど、快感……みたいのはないけどさ。……今は楽しい。仲間のみんなも好きだし。ここで頑張りたい」
「そうか。ならいい」
 レオンもにっこり笑う。
「また騎士団の連中にいちゃもんつけられたら、早めに言うんだぞ? 今度は俺も参戦して、気取って歩いている奴ら全員の前歯折って、不細工にしてやるからさぁ」
「た、多分もうないと思うから大丈夫だよ……」
「そうか? 多分みんな喜んで参戦するぞ?」
 レオンは変わらず、けらけらと笑っていたが「前歯折るわ」と言っていた時の目は、なかなか真剣だった。
(こういうやつだから多分、グラースと気が合うんだろうな……)
 セルージャはしみじみと思う。
 己の恋人は、この男ともそれなりに仲が良い。
 本当に何もやることがないとき、休みの時は、二人して港でぼんやり釣り糸を垂らしている姿を見たことがある。そのときはあまり釣れていないようだったが、常に張り詰めた彼らにとって、大事な息抜きの時間だったのだろう。丸まった男二人の背中はなんだか、楽しそうだった。
「あ、そうそう」
 ぶちぶちと薬草採りを再開したセルージャの背に、レオンは愛想のよい声をかけた。
「夜のことで感度が足りないとかいろいろあったら、俺に言えよー? いい油とか手配してやるからさ」
(……この下ネタ大好き野郎)
 セルージャは苦虫をかみつぶすような表情で、顔をゆがめた。
「……魔女の一族って、なんでも扱ってるんだな」
「おう。大体ある」
「……そんなに困ってないからいいよ」
「そうかー? 困ったらまた言えよー。あの人、なんか淡泊っぽいからさぁ」
「……レオンは」
「ん?」
「その、女だけじゃなくて、男もいけるのか……?」
「え。うん」
 レオンは、さも当たり前、という顔で頷いた。
「大丈夫だよ、そう後ずさるなって。お前に手ぇ出す気はないし、大隊長はいい男だけど……俺の首が二、三個落ちる覚悟しなきゃならないからなぁ……」
「もし落ちる覚悟決めたら、行くのか……?」
「行くって言ったら、どうする? お前」
 レオンはとてもさわやかな、いい笑顔でけらけらと笑っていた。
 こちらをからかっているのか本気で言っているのか、さっぱりわからない。
 セルージャは顔をしかめながら、ぶちぶちと草を抜き続けた。


 その日の夜、セルージャは日記帳を開いた。
 今日はやたらと疲れたし、すでに一日書いただけで面倒くさくなっているのだが、せっかく少ない手持ちの金で買った日記帳なので、書かねばもったいない。

 ──○月×日。
 レオンと薬草を採りに行った。あいつとあそこまで話をしたのは、初めてかもしれない。
 昔の話もちょっとした。
 いいやつだと思うけど、ちょっと変わったやつだとも思う。俺ののりが悪いだけなのか。

(ああいうとき、どう反応するべきなのか)
 ペンを握ったまま、考え込む。
 油断をするとすぐシモの方向に話が転がり落ちるので、帰ってくるまで、セルージャは気が気じゃなかった。
 どういう顔をして、どう返事すればいいのか──この世に生まれてもうすぐ二十年ちかくなのだが、下ネタとの付き合い方、それがいまだにわからなかった。

(終)