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セルージャの日記

人の上に立つ男たち


 その日たまたま、城内の通路の角で、若手の騎士と肩が触れた。
 こちらも分厚い古書を山のように抱えていたし、狭い通路だったので、出会い頭に人とぶつかる可能性はあった。
 ただ自分が、荷物に気を取られて、きちんと前を見ていなかった。比はこちらにある──そう思ったのだが、そのぶつかりかけた若い騎士は、こちらの顔を見るなりあからさまに「まずい」という顔をして謝って、足早に廊下を駆け抜けていった。セルージャが謝る暇もないほど、慌ただしかった。
(……俺は、騎士たちからなんて言われているんだろうな)
 多分、決してよくは思われていないのだろうけど──そう思いながら、両手いっぱいの本を抱え直す。
 こちらにいちゃもんをつけてきて、集団でいたぶってくれたあの若い騎士たちは、もうずっと前に城からいなくなってしまった。
 あの事件は、もともと仲が良くないながらも、ゆるゆると保っていた騎士と傭兵たちの関係に、完全なる一撃を与えてしまったらしい。
 幸い、城内で兵同士の斬り合いなんてことには発展しなかったが、あの一件は騎士たちの間では「触れたくない出来事かつ騎士団の汚点」となっているらしく、ほとんどの騎士たちのセルージャへの態度は、あれからかなり時間がたったというのに、未だよそよそしい。
 とにかく「蒸し返されるとまずいので関わるな」に分類されているらしい。
(別に、俺はそれでもいいけどな)
 こちらも蒸し返すつもりもない。だが、もともと騎士と親しかったわけでもない。城に来て、そう日数が経たないうちに騒動に巻き込まれてしまったので、こちらが失った人間関係など、特になかった。
 だがそうあからさまに避けられるのは、気持ちの良いものではない。故郷で、いつもこちらの様子をうかがって、ひそひそと話していた人たちのことを思い出してしまうからだ。故郷とこちらの人々では、こちらを遠巻きにする理由は異なるのだが──。
思わず、小さなため息をもらしたときだ。
「──荷物、半分持とう」
 背後からそう、声をかけられた。
 背中越しに振り向けば、一人の騎士が立っていた。背が高く、白い肌と灰褐色の髪を持ち、眉間に色濃いしわを寄せた男だ。一見機嫌が悪そうなのだが、セルージャはこの男のその顔が、別に不機嫌ではないことを知っている。
「おはようございます、モルグ様」
 セルージャは、本を持ったまま、ぺこりと頭を下げた。
 この男は誰もが恐れる、ブルウズの騎士の頭領だが、いろいろ縁あってセルージャの事情も知っており、顔を合わせばぽつぽつと話をする間柄となっていた。この男は厳格で、周囲の者も気安く声をかけるのをためらうような空気をまとっている。
 だからこそ、自分のような者と会話をする姿をほかの者が見かけると、みなそろって怪訝な顔をした。
 ──陛下や騎士団長殿とも親し気に話をするあいつは、いったいなんなのだ?
 ──噂では、どこか辺境の王族だか貴族だか、わけありの奴をお忍びで連れてきているらしいぜ。傭兵連中は出自も、ばらばらだからな。混ぜておくにはちょうどいいんだろ。悪目立ちしない。
 ──だからあいつに怪我させたとき、あんな大事になったのか。当事者連中、あっという間にいなくなったもんなぁ。
 ──怖い怖い。関わらないほうが吉、だね。
 噂というのは恐ろしいもので、あることないこと囁かれている。当たっている部分もあれば、そうでもない部分もある。
 別に自分が元王族だったから、自分を傷つけた騎士が除名処分になったわけでもない。ただ単に、この城の皇帝陛下がそういった野蛮な行いが大嫌いで、彼の逆鱗に触れただけなのだ。
「そう重くはないので、大丈夫ですよ」
「前が見えにくいのも問題だろう。転んでもいけない。半分もらう」
 言いながら、セルージャの持つ書籍の上半分を、モルグは横から軽々と受け取った。どうやら先ほど騎士とぶつかりかけたことは、この男に見られていたらしい。
「古書室に運べばいいのだろう? ……これは、陛下の部屋にあった本か」
「はい。よくご存じで」
「昨日見かけた。……という事は、運べと言ってきたのは陛下か。荷物持ちなら、ほかの体力が有り余っている者が大勢いるだろうに」
「たまたま自分が近くにいたのです。お茶も淹れてお話ししてくださいましたし、部屋を出るときに、ついでにと頼まれまして」
 手厚くもてなして帰り際、愛想よく美しい微笑で、流れるように「これ、持って行っておいてくれない?」なんて小首を傾げられたら、断って帰れる者はそういない──セルージャはそう思っている。
「あの方は、人に頼みごとをすることに関しては、才能があるのでな」
 まったく──とでも言いたげに、モルグはため息をついた。セルージャは、長身の男の後ろを半歩下がって歩く。
「それはそうと、自分に何か御用でしたか?」
 そう問えば、モルグは複雑そうな顔でこちらを見た。
「……私は、そんなに物言いたげな顔をしていたか」
「いえ、そうではないのですが……何かとお忙しいでしょうし。もともと何か御用があったのかな、と」
「用事も、あるにはあったのだが……ついでで手伝ったようで、悪いな」
 モルグはそう言いながら、顔をしかめた。
「グラースに伝えてくれ。……今宵、今後の首都防衛について陛下も交えて話をする予定だ。夕食が終わったらお前も陛下の執務室まで来いと。おそらく話が長くなる。予定は開けておけと」
 そういえばあの男、今日は皇帝陛下の使いで、朝から市街に出ているはずだった。夕方までには戻るはずだ。
「伝えます……が、それくらいなら直接会って伝えても問題ないのでは?」
「……あれとはどうも、合わんのだ」
 モルグは苦々しい顔で、ため息交じりにつぶやいた。
「頭ではわかっているのだが、どうにも話していると冷静さを欠く。己の未熟さが嫌になる」
「まぁあの男も、騎士様を前にすると妙に意地が悪くなったりしますから……」
 セルージャも、思わず苦々しい声でつぶやいた。普段は気の良い男なのだが、そういうときは妙に無口になったり、斜に構えた態度をとるのだ。見ていて、好き嫌いのわかりやすい男だった。
 多分、この要件を自分の口から伝えたら、「直接俺に言えよあの野郎」とまた怒るのだろうが。
「根は、悪い男ではないんですけどね」
「それは、一応理解しているつもりだ」
 頭では理解しているが、因縁と相性と好き嫌いばかりはいかんともしがたい、という事なのかもしれない。
「……すまない。君には、いつも迷惑ばかりかけるな」
「いえ。そんなことはないですよ。お役に立てるのであれば」
 別にお世辞でもなんでもなく、そう思った。些細なことでも、例え連絡係でも、必要とされるのであればうれしい。
 それに多分、この男とこういった世間話程度の話をする仲にならなければ、自分はこの国の騎士という存在なんて、大嫌いになっていただろう。
「……しかし君は、何度も思うが不思議な男だな」
 モルグは、そう淡々と答えるセルージャを、興味深そうな目で見降ろしていた。
「何が、でしょう?」
「今まで見てきた、どの王族王侯とも違う。彼らの中に、君のような生き方ができるものはいないだろうなと、常々思う」
「……そうでしょうか?」
 セルージャは前を向きながらも、首を傾げる。
「自分は、国に見切りをつけて逃げてきた男です。王族の素質もなければ、国に必要とされたこともない男です。貴方が知るような、立派な方々と自分は違いますよ」
「……そういうわけではないのだが」
 モルグは困ったようにつぶやいた。セルージャの自虐癖に言いたいことはあるのだろうが、自分の部下ではないし、複雑な間柄である。なんと言おうか、悩んでいるようにも見えた。
「私は、王侯には、勝ちか負けかの二択しかないのだと思っていた。だが君は、それ以外の選択肢を歩んでいるようにも見えるから」
「……そうなのでしょうか?」
 セルージャには、わからない。
「ただ、自分は『負け』で構わないですよ。『勝ち』の側に回った記憶はないですし。でも、勝ちであろうが負けであろうが、ここで生きるだけです。余裕なんて、俺にはありませんから」
「それでいい」
 自分でも、何を言っているのだ──という気持ちはあったのだが、モルグは静かに、それを肯定した。
「世の中『勝ち』にこだわりすぎて、それ以外の道を選べない者も多い。私も、おそらくそうなのだろう」
 モルグはそう、息をついた。
(……この方も、結構自虐家だ)
 セルージャはそう思う。はた目から見れば、この男はブルウズ有数の騎士家系に生まれた根っからの騎士であり、才能体格に恵まれ、多くの人に恐れられ尊敬され、皇帝陛下の絶大な信頼も得た立派な『勝ち』の側にいる人間に思える。
 だが本人は、満足なんてしていないし、自分は至らぬ、と思っているのだ。自分にないものを持つ人間に嫉妬し、居場所を奪われることを恐れ、人知れず歯をかみしめるような、そんな思いもしているのだ。
「……くだらない話をしたな。忘れてくれていい」
「忘れません」
「そうか」
 セルージャの返答に、モルグは小さく笑った。
 そのとき廊下ですれ違った別の騎士が、騎士団長に会釈をしつつも、相変わらず「なんなんだ、この組み合わせは──」と不審な目でこちらをちら見しているのが見えた。
「……よいのですか?」
 しばらく歩いて、セルージャはモルグに問いかける。
「自分と話して歩くことで、貴方も噂の種になる」
「どうせくだらん噂だろう。私が、同じ城の兵士と共に歩いて、何がおかしいというのだ」
「……たぶん、他の騎士の方々とはあまりこういったことをされていないから……皆さん不思議がるのだと」
「……成程」
 セルージャのつぶやきに、モルグは、何か納得したようだった。
「私に足りないのは、きっとそういった部分なのだろうが……だが、たまにはこちらから話をしようと思っても、私の部下たちは皆、叱責を恐れるように顔を強張らせるのだ」
 どうすればいいのだろうな、とモルグはため息をついた。
「自分などが生意気を言うようですが、それこそ同じ立場の人間に相談すればいいかもしれません」
「……あの男か」
 忌々し気に、モルグはつぶやく。
「言ったところで、あの男は、私の鬱屈などまるで理解しないだろうよ。なんだかんだで、自然に人と親しくなっているような男だ。そこに術などない」
(でもそうやって、互いに決めつけるから──)
 歩み寄るなんて言ったって、一向に親しくなんてならないのだ。
 だがそれは言ってはいけない気がして、セルージャは黙った。人間関係というのは、何の気なしに放った言葉で、自分の予想外の方向に転げ落ちることがある。本当に難しいのだ。だからこの男も、苦労しているのだろうな──と思った。

(なんか、趣味の悪い人間観察日記みたいになってきた……)
 その夜、セルージャは机で日記帳を開きながら唸っていた。だが、故郷では双子の弟以外と口を利くことがほとんどなかったので、こうして様々な立場の人と話ができる、というのは新鮮だった。嬉しくもあった。だから、書こうと思うことは、自然とそういう内容になる。

 ──俺はあの方を、怖いと思ったことはない。

 セルージャは、モルグの姿を思い浮かべながら記す。
 自分が大陸最強と謳われる、ブルウズの騎士の本当の姿を知らないだけかもしれない。あの男が戦神のような働きをする姿は、まだ見たことがない。
 だが怖い怖いと言われるあの男と話してみると、こちらに気を遣っているというのもあるのだろうが、話をするにも緊張する男、という感じはない。集団の上に立つ者としての、責任と葛藤と悩みを抱えた男に見える。
(グラースは、悩んだりするのかな?)
 セルージャは、共にいる男のことを考える。
 あの男も、モルグと同じように集団の上に立つ者だ。だが部下との関係は良好に見える。互いに軽口もたたき合うし、本気でじゃれ合う。皇帝陛下の命で一人隊を離れることも多いのだが、誰もそれを悪く言わない。おおざっぱな部分もあるのだが、それはヴゴールやレオンといった古参の者がうまく補助している。
(平然とやっているけど……きついとか思う事、あるのかな?)
 あの男が人の上に立つことで弱音を吐いている姿なんて、一度も見たことがない。
(俺もさんざん迷惑かけてきたけど……)
 自分が騎士ともめたせいで、彼も上長として責任を取って謹慎したことがある。だがあの男ががこちらを責めたことなんて一度もないのだ。多分いろいろ聞いたところで、笑われて終わるだけなのだろうが。
(日記を書くと、いろんなことを思うなぁ)
 もともとは、文章を書く勉強のために始めた日記だ。だが今は、己の思考の整理というのに役立っているのかもしれなかった。

(終)