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幸運は、扉を開けて

2:無職の理由


建築の専門家と共に、数人で屋敷内を見て回っていたとき、突然職員の一人が青い顔をして「先ほどから、足音だけが付いてくる気がする」と怯えた様子で言い出した。
 周囲としては、当初「何言ってんだこいつ?」という空気で、それを茶化して笑っていたようなのだが、次第に誰もいないはずの二階で足音がしたり、二階に上がってみると一階で誰かが扉を閉める音がしたりと、奇妙な事が続いた。
そのときは「全部気のせい」で屋敷を出たらしいのだが、その日の晩、全員が原因不明の高熱を出し寝込んでしまった。
その次に来たのは、屋敷の清掃管理のために呼んだ業者だ。管理していた祖母が亡くなったので、初めて外部の業者に依頼したのだ。
しかしその業者の者は、玄関扉を開けた瞬間「体調が悪い」と言いだし、逃げる様にして帰ってしまった。
業者は数日後に、「申し訳ないが、あの物件に関する業務はお断りしたい」と断りの電話を入れてきた。何があったのかと何度も尋ねたが、それも言いたくないと、硬く口をつぐんだのだという。
それとほぼ同時期にやって来たのは、まだ十代の若者たちだった。
たまたま山の中に雰囲気たっぷりの洋館があるのを見つけて、勝手に空き家だと思い込んだ彼らは、夜に肝試しのつもりでやってきたという。
勿論不法侵入だった。
彼らは内部への侵入を試みて、あろうことか勝手口を破壊し、中に入った。しかしそこで、「とても恐ろしいものを見た」のだという。
 すぐに逃げる様に屋敷を飛び出したが、帰りの車で事故を起こした。下りの山道でスピードを出し過ぎ、道をそれて林の中に突っ込んだようだ。酷い怪我人はいなかったが、警察と救急車が来たとき、彼らはひたすら震えて「ごめんなさい」と呟いていたのだという。
後日彼らが保護者と共に謝罪に来たため、総司の父は物件の修理代を出してもらう事で示談としたが、そんな彼らの体験からか、「山の中にある、あの緑の洋館はとてつもなくヤバいところ」という噂が、瞬く間に広まった。
面白半分に見に来るものや、あの若者たちのように中に入ろうとするものが後を絶たず、持ち主の瓜生家としては突然の心霊スポット化に、頭を抱えていたのだ。
しかし物件の持ち主であり、一族経営の会社の代表であり、この家で育った総司の父は首をかしげていた。
松葉の屋敷はただ古いだけで、別にこの地で凄惨な事件もなかったし、祖父も祖母も家庭内では呑気な人たちだったので、恨みがどうとか、そういった心当たりもなかった。
父は少年時代をこの洋館で過ごしたが、特に恐怖体験もなかったらしい。
急に何故──というのがどうしても気になったようで、息子の総司に「何か怪しげなものが眠っていないか、『やさがし』して来い」と命じた。
だが総司としては「何で俺が」だった。
確かに祖父母の事は好いていたが、松葉の屋敷は広い。だだっ広く寒々しいところで、何故やさがしせねばならないのだ、と散々ごねた結果、グループ企業でもあり、この物件管理をしている不動産会社に勤めていた隆弘が同行する事になった。
一人じゃないなら、と総司は渋々同意した。

「でも、お前もよくこんなとこ来る気になったね」
「何が」
総司は、腕時計で時間を確認していた隆弘を横目で見る。
「お前年末で忙しいだろ? あんまり現場来るタイプじゃないじゃん」
「お前の親父さんからの話だから。むげにはできないので」
「妙に義理堅いところあるよねぇ、お前」
特に表情も変えず、淡々と答える隆弘を、総司は思わず尊敬のまなざしで見つめた。
隆弘は幼いころから、非常に優秀な男だった。運動神経の方はそれなりであったが、勉学に関しては常に学年トップを走るような男で、あまり出来の良くなかった総司は、親戚連中からよく陰で比較されていた気がする。
 ──あの子が本家の跡取りだったら良かったのにねぇ。
しかし総司は子供の頃からひねくれていたので、そんな陰口を聞いてしまった時は、内心「胸糞悪いドラマみたいな台詞」と笑ってしまった。
同時に、両親が家庭内では決して見せなかった、瓜生家のドロドロした内情も理解した。やはり一族経営で複数の会社を持っていると、家同士の争いだとか、あいつはこんな事を考えているとか、余計な事を言いやすいらしい。
事情が変わったのが、自分達が中学生になった頃だ。
隆弘の父が事業に失敗し、多額の借金を残して失踪してしまった。今も行方がわかっていない。
そのときの周囲の手のひら返しは凄まじく、残された隆弘一家は、一気に親族から煙たがられるようになってしまった。
そんな隆弘の一家を支えたのが、総司の父だ。随分と金銭的な援助もしたらしい。
その後、無事大学を卒業した隆弘は、迷うことなくグループ企業であった不動産会社に就職した。どうやら総司の父の勧めがあったようだ。望めばもっといいところにも就職できたはずなのだが、隆弘は一言「親父さんに恩があるから」と答えた。
あまり多弁ではないが、義理堅いし、良い奴なんだよな、と総司は思っている。

「……それで、お前は就職先決めないの」
キーケースの中から物件の鍵を取り出して、隆弘はどこか呆れたように聞いてきた。総司はため息をつきながらも、へらりと笑う。
「……心のダメージが癒えるまで、もうちょいかかりそうなんですよねー。そのうち探す」
「そんな事言って、今年終わるぞ」
「働いていたら偉いってもんじゃないでしょう。人間休養も必要。労働は質だよ」
「俺は、何もしていない時間があると不安だ」
「お前は立派な社畜だよ……」
どこかかみ合わない会話をしながら、二人は松葉の屋敷に近づいた。
毎日忙しくしている隆弘とは反対に、総司は現在、働いていなかった。
だから家人に暇人認定をされて「やさがし」するよう言われたとも言える。
幼い頃からグループ会社の運営を巡って、一族がドロドロしているのを見てきた総司は、身内の会社には関わらないでおこうと心に決めていた。だから高校卒業後に料理の専門学校に行き、料理人となって、全く無関係のホテルでコックとして働いていた。
だが、六年務めたそこは、三か月ほど前に辞めた。
別に仕事に行き詰ったとか、上司や同僚と揉めたとか、料理人の仕事が嫌いになったとか、そういうものではなかった。仕事は好きだ。次にやるとしても料理人をやりたい。
辞めた本当の理由は、あの厨房の誰にもわからなかっただろう。上司も随分とこちらを引き留めた。だが、実家に帰ると言ってそれを振り切り、故郷に帰って来た。
「俺は」
 隆弘が、別にこちらを責めるでもなく呆れるでもなく、ただ純粋な感想のように呟く。
「お前がそこまで、恋愛にのめり込む奴だとは思わなかったんだけどね」
「俺もよ」
鼻で笑って、総司は答えた。
自分でもそう思う。
別に自分が純粋だとも思っていなかったし、それは初恋でもなかったし、今まで付き合った人だって多くはなかったが、いた。
ただ自覚したそれは、一気に燃え上がり自分を侵食し燃やし尽くし、終わったとき、自分は黒く焦げた燃えかすのようなものになっていて、余力がほとんど残っていなかった。
早い話、失恋をしたのだ。