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幸運は、扉を開けて

4:アレとか、ソレとか


玄関の鍵は、まるでゲームのアイテムのように古風な、長くて金色の鍵だった。
その鍵を使って、装飾の施された立派な玄関扉を開ける。
扉は少々軋んだ音をたてながら、ゆっくりと開いた。周囲を背の高い木々に囲まれているからか、室内は真昼でも暗い。
二人で恐る恐る中に入ると、天井の高い玄関ホールの中で、その靴音が妙に響いた。
玄関ホールを抜けた両脇に、応接室や食堂、書斎といった部屋があり、奥には浴室とトイレがあった。
中央には手すりのついた立派な階段があり、そこを上がった二階に、祖母たちが寝室として使っていた部屋がある。二階の部屋の数は四つ。そこまで巨大な館、というわけではない。数時間もあれば、探索は終わるはずだ。
「でも、中も寒いな……」
総司は思わず、ダウンジャケットの腕をさすってしまった。屋敷の中の温度は、外の外気とほぼ変わらないだろう。風がないだけまし、という状況だ。
「天井が高いからな。山の上だし、今みたいに断熱材がどうとか考えて建てたわけでもない」
隆弘も、スーツの上に羽織ったコートの襟もとを引き寄せながら視線を上げ、屋敷を見渡した。
「だが、思ったより中は荒れてもいない。中まで入ったのはあの馬鹿どもだけか」
「どうかな。前の事件が結構、地元では騒がれたらしいから。入ってみたいねーと思う奴はいるんじゃない?」
あの若者たちがその後どうなったのかは知らないけど──と思いつつ見れば、扉が開いていたホール脇の応接室の中には、使い込まれた様子の暖炉があった。現代の一般家庭では、なかなかおめにかかれない代物だ。寒くなると暖炉に火をともし、家族団らんの時を過ごしたのだろう。
「……で、こんな薄暗い中でやさがしするの? 懐中電灯とか持ってきた方が良くなかった?」
「ちょっと待て。電気は来ている」
 隆弘は玄関わきの壁に手を伸ばした。そこだけはやたらと近代的に、ブレーカーがひとまとめにされていた。
「水道とガスは止めているが、電気はブレーカーを落としているだけだそうだから」
「そう言うと、途端に生活感が出るなぁ」
総司は苦笑いをした。
見た目や立地、建てられた時代や起こった出来事だけを見ると、非常にミステリアスな感じがするのだが、よく考えると、昨年まで祖母がここに暮らしていたのだから、そういったものはあって当たり前なのだ。
隆弘がブレーカーを上げ、近くにあった電気のスイッチに手をかけると、少しゆっくりと、ホールの天井に吊るされた電飾に、オレンジ色の明かりがともった。隆弘はちらりと、こちらに視線を寄こす。
「で、どうする? 入って、今のところ恐ろしい目にも何もあっていないわけだが……手分けして探すか」
「えー……やだ」
総司は速攻で首を振る。
「なんで、そんなホラーゲームみたいに早速別れようとすんのよお前」
「いや、効率を考えろよお前」
「いやいや、何があるかわからないだろ? こういうのって、単独行動が死亡フラグだから。それに、今ここは心霊スポットとして盛り上がっちゃっているわけでしょう? 不法侵入真っ只中の奴とばったり会う可能性、ゼロじゃないかもしれないじゃん」
「……」
「正直さ、幽霊よりそっちの方が対処困らない?」
隆弘は、総司の言葉に黙り込む。
確かに、玄関扉の鍵は閉まっていた。
だが以前あった事件では、勝手口を破壊し中に侵入された経緯もある。中も今のところ荒らされたような形跡はないが、庭にはまだ新しい車のタイヤ跡が残っていた。わざわざここまで来るそういった物好き連中が「中に入れるか試してみようぜ」とならない可能性の方が、低い気もする。
──その連中ともし、揉めるような事になったとしたら?
隆弘はただの、不動産関係のサラリーマン。そして総司は、ただの元料理人である。三十手前の男二人とはいえ、ホラーゲームの主人公のように強くはないし、都合よく武術を習っていました、という事もないのだ。いらぬ怪我などしたくない。
「……二人で順にいくか」
「そうしよ」
生の人間の方が、よっぽど怖いよね──そんな目配せをしながら、二人はまず、すぐそばにあった応接室を調べる事にした。


「物も少ないし、まだそんなに埃かぶってもいないねぇ」
応接室の机の上を指で触って見て、総司は感心したように呟いた。
室内は通気性を上げる為か、扉を全て開け放たれていた。
祖母は体調を崩して入院する直前、もうこの屋敷に戻る事はないと覚悟を決めていたのか、大事なもの以外、私物をほぼ処分してしまっていた。そのため部屋に、物が散乱しているという事もなく、綺麗に整頓されていた。部屋の本棚に、古めかしい本が整頓されて並んでいたりはするが、それらも引き出された様子はない。見れば何十年も前の百科事典のシリーズのようだが、刊行順にきちんと並んでいた。
「部屋の中も綺麗だし、なんか壊されたとか汚されたとか、そんな感じでもないし」
「さっきはあんな話をしたが、中まで探索した、っていう連中は正直あまりいないんじゃないかと思う」
隆弘が本棚から、濃い青の書籍を引き抜き、中をめくる。何の本かこちらからは見えなかったが、中のページは全て日に焼けて、黄ばんでいるようだった。
「勝手口を壊してまで入ったあの連中は、入ってすぐそこで『恐ろしいものを見た』と言っていたそうだから。探索する暇もなかったんじゃないかと」
「……ふぅん。勝手口、壊され損だね」
棚の引き出しを開けて、そこが空なのを確認した総司は、ため息をついて応接室の椅子に腰かけた。年代物の木の椅子だが、まだぐらつきもせず、しっかりとしている。きっと今買うと高いものなのだろうな、と何となく思う。総司の目には、この屋敷にあるものは何でもアンティークで、高価なものに見えた。
応接室の机の後ろには格子の細かな窓があり、庭の様子がよく見えた。椅子に座りながら、後方のそれを眺める。
屋敷の方はまだ綺麗なのだが、庭は祖母が亡くなってから手つかずだったらしい。今では雑草だらけ、木々の枝も暴れ放題、植えられている薔薇も野性化一歩手前──そんな有様だ。恐らく元々は、もっと品ある庭だったのだと思う。
(こういうのって、もうちょい歳とったら興味出てくるものなのかな?)
格調のある庭だとか、総司はあまりそういうものに興味がなかった。
瓜生グループの本家である総司の実家にも立派な日本庭園があり、なじみの庭師が頻繁に手入れにやってくるが、眺めて綺麗だな、とかあまりそういう事を思った事もない。
そういう人目に触れるところに金をかける、というのが、自分の性根がひねくれているからだと思うのだが──どうにも幼心に権力と富の象徴に思えてしまって、我が家の事ながら、あまり好きではなかった。
一種の資産家とも言える環境に育っていて、こんな事を思うのも贅沢な事だとは思っているのだが、こんな豪華な造りの家に住みたいと思った事も、特別事業で成功したいとか、親戚連中の鼻を明かしてやりたいとか、そんな事を思った事もない。
(もともと向いてないんだろうね、俺)
やはり、家業とは無関係な方向に行ったのは正解だったな──そう一人、苦笑いをしたときだ。
窓の外をすっと、誰かが通り抜けた。
「……」
男の横顔だった。
総司は足を組み、苦笑いを浮かべた表情のまま、固まった。
二秒か三秒か──次の瞬間、跳ね上がる様に席を立って、窓に張り付いてみた。窓をどうにか開けようと、ガタガタと音をたてながらあちこち引っ張ってみたのだが、開かない。
「おい、何しているんだ。早速さぼるな」
「ちょ、この窓開かないんだけど!」
歯を食いしばって窓を上に横に引っ張るが、びくともしない。
「そこは、明り取りのはめ殺しだから開かない……何むきになっているんだ」
「今誰かいた。ここを通った」
「……?」
総司の真面目な声に、隆弘は眉を寄せた。総司がはりついている窓とは別の窓から外を眺める。
「……誰かいる様子はないが」
「いたんだよ。俺の目の前の、この窓の前を誰かが通り抜けた。近かったから見間違えじゃない」
「今日誰か他にくるとは聞いていないが──おい、待て総司!」
隆弘の言葉を最後まで聞く前に、総司は応接室を飛び出し、玄関扉を乱暴に開けて外に出た。
人の気配はない。庭に降りて、屋敷の周りをぐるっと走って回ってみたが、どこにも誰もいなかった。庭に止めた車も、自分達が乗ってきた一台しかない。
「おい、待てったら!」
ようやく追い付いてきた隆弘が、総司の腕を掴む。
「一人でいきなり走り出すな、馬鹿」
「だって、いたんだよ」
「いた、って……」
隆弘も周囲を見渡した。木々に囲まれた、通称「松葉色の御屋敷」は、静かなものだ。
「……この山はハイキングコースになっているから、道をそれて洋館を見に来た、ってやつはいるかもしれないし」
「それはない」
「は?」
総司は額を押さえた。いやに心臓が高ぶって、どくどくと脈打っている。
「なんかこのクソ寒い時期に薄手の白シャツだったし、何よりハイキングしてますって装備じゃなかった。顔見たの一瞬だったけど、俺にはわかった。……頭おかしいと思ったら、とりあえず笑ってくれてもいいけど。俺怒らないし」
総司は顔をひきつらせて笑った。人間、とんでもないものに出くわすと、笑いしか出なくなってしまう事もあるらしい。
「──あの人、だった」
笑いの混じった声で告げる。自分でも、信じられなかったのだ。
「あの人って……」
隆弘がどこか困惑したような色を、その顔に浮かべる。
「お前の、アレか?」
「そう、そのアレ……」
隆弘は察しが早くて助かるなぁ──と、総司は膝に手をついて大きく息をついた。
名前を忘れていたわけでは、決してない。
その男の名を、まだ口に出して言いたくなかったのだ。
言ってしまうと、またあの男との思い出が、熱を持って甦りそうな気がした。