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幸運は、扉を開けて

8:俺たちに、霊感なんてない


「──まず、お前のお父さんはここで育ったが、心霊騒ぎの心当たりなんてないんだろう?」
「らしいよ。まぁあの人、呑気だからねぇ」
 総司は頷く。
 高校卒業までを、父はここで過ごした。十八年もいたら、何かあれば気づきそうなものだが、父は何も知らないという。だが父が呑気だったから気付かなかったのか──それも、よくわからない。
「俺だって、こんなの視たの初めてなんだよ。前いたホテル、正直出るって従業員の間じゃ有名だったけど、俺はそういうの視なかったし」
「俺も初めて」
 隆弘は、ボールペンの先でとん、とメモ欄を突いた。
「出るって噂がある物件は取り扱った事があるけど、暗いとか湿気が多いとかの思い込みだろうって思ってた。根も葉もない噂よりも、実害がありそうな心理的瑕疵物件の方がまだ嫌だし」
「かしぶっけん……なにそれ?」
「法律用語。よく事故物件って言うだろ。直近で人が死んでるとか、お近くにヤクザの事務所があるとか、そういう法律で告知義務のある物件。俺は、住むなら後者の方が嫌だけど」
「どっちも嫌に決まってんだろ……」
 総司は想像しながら呻いた。そういった物件は家賃も安いと聞くが、好き好んで住みたいなんて思わない。
「そもそも、日本は狭いからな。人が死んだ場所を避けきって暮らすなんて、俺は無理だと思う。死人が全部人を祟るなら、人なんて生きていけないし──だからあまり信じない派だったんだよ。生きてる人間のが、よっぽど怖い」
「お前は苦労人だったからなぁ……」
 真顔で語る隆弘を見て、腕を組みしみじみと、総司は頷いた。
 こうして考えてみると、自分達はそれなりに「そういうのに遭遇しそうな環境」にいたらしい。
だが視た事なんてないし、元々敏感でもないわけだ。
こんな目にあったのは、今日が初めてだ。
「で、ここまでが前置きだ。ここが心霊スポットだと言われるようになったのは、いつからだ?」
 隆弘はくるりとペンを回して、総司を睨むように見る。
「……騒がれるようになったのは、多分半年くらい前からだよな。不法侵入騒ぎのあたりから。でもそれより前に、ここに来た業者や市の職員は、何か感じていた」
「そういう人が出入りするようになったのは、婆ちゃんが死んでからだよな? 逆に、婆ちゃんがいる間は、何もなかった、とも言える」
「何もなかったとは言い切れないよ。その婆ちゃんは、何かを知っているみたいだったし……」
 ──怒らせなければ優しい、不思議なもの。
 そういったものがいるのだと、手紙を残していた。祖母の手紙を見るに、怖い目に合わされていたような様子もない。その存在を楽しんでいるようでさえあった。
 元々あった何かが、祖母の死をきっかけに一気にふくらんで表舞台に出てきたような──そんな感覚があった。
 だがそれが何なのかまでは、今の自分達には全くわからない。
「……帰ってこの物件の歴史、洗い直したいな。できれば、だけど」
 ため息をついて、隆弘は手帳を閉じた。
「出られないから仕方ないよねぇ……って隆弘」
 総司はつん、と隆弘の袖を引っ張った。
「……」
 隆弘は黙って頷く。彼も気づいているのだ。
 先ほどから自分達の背後の壁──建築家の写真のそばに、例の青年がもたれて立って、腕を組みながらこちらをニヤニヤと見下ろしているのを。
 いつの間にここに現れたのかは知らない。視線を感じて横目で見れば、音もなくそこにいたのだから。
(しかし、腹立つなこいつ……)
 怖がるこちらを見て、楽しんでいるような視線。
 腹立つと思ったのは、隆弘も同じらしい。散々弄ばれて、情けない姿をさらされて、そこそこ高いプライドを持つこの男は、何も言わないが怒っているのだ。今にも舌打ちしそうな顔をしていた。
(どうする。めっちゃニヤニヤされてるけど)
 幼いころからの幼馴染である従弟二人は、視線でそう頷きあった。
 ──命の危険みたいな事は、今のところしてこないし。こいつ、こっちが怖がるのが楽しいみたいだし。
 ──やられてばかりも気にくわんな。
 ──でもこっちから手を出して、逆切れみたいに攻撃されたら嫌だよね。わけわかんない相手なんだし。
 ――そうだな。
 隆弘がこくりと頷く。
 ──だがこの手の自己主張強そうな奴に、手を出さずに嫌がらせする手段はある。なんだと思う?
 ──なにそれ?
 にやり、と隆弘の口元が笑った。
 ──徹底的な無視。
 ──なーるほど。
 総司も微笑み返した。確かにこの存在は自己主張がやたらと強い。しかもわざわざ姿を現してこちらの恐怖を煽っている。なかなかの、構ってちゃんだ。
 そういう面倒くさい輩は、相手をしないに限る──自分達はそう結論づけた。
「よし、会議終了。寒いから下に降りようよ」
 膝を叩いて、総司は立ち上がった。
「これ以上考えても無駄だからね」
「そろそろ暖炉使うか」
「おう。本でも燃やせばいいよねー」
『おい』
 わざとらしく声を上げて部屋を出ると、後ろから青年が苛立ったような声をかけた。
 だがこちらも無視、だ。
「……でも高い本あったらどうしよう? 資料的価値みたいな本、燃やしたら怒られるよね」
「そこまで貴重なものなら、こんなところに放置しないだろ」
「だよねー。じゃあ、心置きなく」
『おい、おいったら!』
 談笑しながら階段を降りていると、青年も速足でこちらの後をついて来た。
(案外こいつ、尊大ぶってるわりに煽り耐性ないなぁ)
 総司は呆れ半分で笑った。かんしゃくを起こした子供のような喚き方に、怖さは自然と薄れていく。
 青年は肩を怒らせて大股でこちらの後を喚きながらついて来ているが、不思議と足音はしていない。
(やっぱりこいつ、霊とかそういうのなのかな?)
 だが、隆弘は殴った。感触もあったという。そして、殴られた方も痛がっていた。
(霊って殴れるのかな?)
 イメージ的には半透明で、物理攻撃なんて意味が無さそうなのにな──と思った時だ。
『聞こえている癖に無視するな!』
 青年が、急に耳元で大きく喚いた。
 その瞬間、パンと音がして階段のちらついていた照明が切れた。一気に館中が暗くなる。
「……」
 階段の段差もわからないような闇だ。二人は足を止め、恐る恐る振り向いた。とても無視なんてできなかった。
 階段の数段上。
 薄暗い闇の中で、その色の白い、外国人風の青年は、肩を震わせながらこちらを睨んでいる。うねる髪は、今にも逆立ちそうだ。烈火の表情とは、こういうのを言うのだと思った。
『この屋敷のものに手を出すな。早く帰れ!』
「はい、ただちに──とは言いたいんですがね」
 総司はどこか冷静に、その青年に言い返す。
「俺らを閉じ込めているのはそっちだろ? 出してくれるなら、別に俺らも暖炉でキャンプファイヤーなんてしたくないんだよ。こっちは物盗りに来たわけじゃないんだから」
『嘘ばっかり』
 青年は、まだこちらを怒りの表情で見下ろしていた。
『さゆりちゃんが一人になってから、親類が何人、そんな調子の良い事を言ってここに来たと思ってる』
(さゆりちゃん?)
 誰の事だ、と二人して考えて、ふと顔を見合わせた。
 ──瓜生さゆり。祖母の名前だ。
『掃除に来たとかなんとか言いながら、物をちまちま盗むんだ。さゆりちゃんが大事にしてた婚約指輪を盗んだときもあった。そんなの知ったら、さゆりちゃんは悲しむ。こっちはわざわざ、さゆりちゃんに内緒で取り返しに行ったんだ!』
(指輪……?)
 総司は隣の隆弘に、疑問の視線を投げた。
「ルビーの指輪……」
 少し悩んで、隆弘がぽつりと呟いた。ルビー、で総司も「あ」と思った。
 祖父と祖母は、あの時代にしては珍しく恋愛結婚だった。
 紆余曲折がありながらも婚約が決まったとき、祖父は祖母に、大きなルビーの指輪を贈ったのだという。当時としても、随分と高価なものだったそうだ。
 祖母はその指輪を生涯大事にしていて、記念日にはよく身につけていた。その指輪は、今は遺品として父が譲り受けて、実家に保管しているはずだ。過去に盗まれた事がある、なんて話は聞いていないが──。
(でも、うちの親戚ならやりそうだなぁ……)
 総司は内心納得してしまう。そして、げんなりもした。
 瓜生家はこの辺りでは裕福なお家柄──地元でそう思っている者は多いが、実際はこの不況で事業が上手くいかず、中には切実に金に困っている者もいる。
 本家の資産家の女性、しかも老いて一人暮らしとあれば、何かしら取り入ろうとする者もいただろう。親切なふりをしながら、盗みを働く手癖の悪い者もいたのかもしれない。
『……それだけじゃない。さゆりちゃんが入院して家を空けたら、いろんな連中がやってくる。ドアを壊した奴もいた。お前らが孫だろうと知った事か! さゆりちゃんの留守中に、この家を好きにはさせないからな!』
(あー……)
 怒鳴る青年の顔に、そういう事か、と総司は腑に落ちた。
 この存在が何なのか、見当もつかないが──彼は、ただこの屋敷と祖母を守っているつもりなのだ。