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町に出る鬼

(番外編)料理してみよう


確かにあれこれ連れて行ってやろうとは思っていたのだが、特に料理まで教えようと思っていたわけではないのだ。

あれは、定信が台所で料理をしてときの事。
景伊がそれを興味深そうに後ろから眺めていたから、「やってみるか?」と聞いたら頷いた。
だから台所に引っ張り込んで、あれこれ話しながら料理をしていた。
何か好きな物あるか?とか、今日食べたい物はあるか?とか、そんな簡単な事を。
景伊は元々食に対して、育ち盛りにしては興味が薄い様で、「何が食べたい」と言って来るタイプではなかった。
「好きな食べ物は特にはない」と語る料理の作りがいのない子供は、台所を見渡して、ザルの上に置かれた野菜を見入っていた。

「…これは何の野菜?」

景伊が指差しているのは、一本丸々の状態の太い大根。葉もついたものだった。
「大根だが?」
どっからどう見ても、と言おうとして、何か嫌な予感がした。と言うより、嫌な予感しかしなかった。
景伊は一人興味深そうに、定信の横で大根を眺めている。
「大根ってこんな形なんだ…どうやって生えてるんだろう」
「…お前、大根食わしたよな?昨日も汁に入れてただろうが」
少し引きつる顔を必死で押さえながら定信が言うと、景伊は真顔で頷いた。

「切ってないのは初めて見たから」

その発言を聞いた瞬間、定信は景伊をそのまま無理矢理外へ引っ張り出した。
そうやって野菜や魚を売る市を巡って見せたのは、ついこの間の事。
少年の「妙な所での世間知らず」を甘く見ていた。景伊に悪気はないのだが。


そんなわけで、それをきっかけに定信は景伊に料理を教えるようになった。
別に全てできるようになれ、と言ってるわけではない。
少しでも彼の経験になり、今までの人生の空白を埋めるものであれば、それでいいのだ。
そうする間に、先日は大根の姿も知らなかった子供が、料理の手伝いをしてくれるようになっていた。
この子供は飲み込み自体は悪くない。

「定信は何でそんなに料理とかできるんだ?」

景伊の素朴な疑問に、鍋をかき混ぜていた定信は自分の記憶を探る。
もう数年、自分が家事をするのは当たり前になっていた。

「俺も昔はそんなにやらなかったんだけどさ。あの人、放っといたら何もしねぇから。俺がやるしかないだろ」
あの人、とは利秋の事である。家主は基本、家ではダラダラ過ごすばかりだった。外ではそれなりに働くのだが。
「昔はあの人の妹さんがいたんだよ。家事は全部妹さんがやってたんだが、嫁ぐ事になってさ。その前にって料理仕込まれた。嫁が見つかるまで兄をよろしくって言われたら、やるしかないだろ…」
結構怖い人だったからさ、と付け加えると、景伊が苦笑いを浮かべた。
しばらく会っていないが元気だろうか、と思う。遠方に嫁いだので、もう会う機会もなかなかないだろうが。

「お前、こういう事嫌いじゃないのか?」
景伊に問えば、黙々と芋の皮を剥いていた少年が頷く。
「…面白いと思う。こうやって作るのか、と思うし」
この少年は自分の気持ちを言葉に出す事はあまりないのだが、好奇心は強いようだった。
本人もいろんな事を知りたい、と思っている。ただ今までその環境がなかっただけで。

傷だらけで死にかけだったこの子供を連れ帰った時の事を思えば、今一緒に台所で料理をしているという状況は、おかしなものだった。いろいろあったし、これからもいろいろあるだろうが、今はこの平穏な時間が愛おしい。
こんな家族ごっこも、悪くないと思う。

「芋剥き終ったら煮るからな。出汁入れて…」
「…だし?」
聞き慣れぬらしい言葉に、景伊がまた小首を傾げている。
景伊の事だ。恐らく「だし」という名の食材があると思っている。
「あぁ…出汁っていうのはな…」

定信はいつものように、一から説明を始める。少年一人に台所を任す事ができるのは、もう少し後になりそうだった。

(終)