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町に出る鬼

04 髪の白い青年


「お前、アレの事を知っているのか?」
「…お前もアレを追っているのか?」

利秋の問いに、牢の中にいた男は立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
見れば裸足の足は泥だらけで、着物の裾はあちこちがすり切れている。
どこをどう彷徨ったらこのような風体になるのだろうか。
まるで、山の中を走り回って転がり落ちたような、そんな姿だ。
男は小柄で、顎も細い優男だった。 ただ、薄暗い中でこちらを見る、猫のように光る灰色の瞳。
若い男のようだったが、頭髪もまつ毛も真っ白に燃え尽きた様な、艶のある白髪だった。
その異様な容貌から感じるものだろうか。ただ黙って見つめられているだけなのに、その小さな体のどこから出てくるのかわからない、凄まじい威圧感を利秋は肌で感じる。

「どこで見た」
「いつ」

厳しい追及の色を含むその声に、利秋は背筋が冷えた。
何なのだこの男は。
なぜ、何をしても無反応だったというのに「アレ」の話にここまで食い付くのだ?

「俺が見たのは2か月前だ。…場所は俺の屋敷。幸い見ただけで終わったけど、それ以前に近場で死人が出ている。 それ以外は、俺も知らねぇよ。だから聞いたんだ」

この男に「隠す」のは得策ではない、と本能が告げる。
しかし問われても、利秋も「見た」だけなのだ。
景伊が見た様に、直接人を殺すような場面は見たわけではない。
景伊もそれを見ただけであって、あれが何なのかまでは知らない。

(…変わり者には変わり者、か…)
以前言われた言葉を思い出して、利秋は笑いたくなってきた。
あのときは腹が立ったが、何となく今はその理由がわかった気がする。

変わり者と言われるのは嫌いではない。並みに埋もれた、何もない男になるよりはマシだと思う。 だがそんな事は今はどうでも良い事だった。
偶然にしては出来過ぎている気がした。
利秋は「知ってるわけないだろうが一応」という思いでこの男に問うたと言うのに。

この男は、間違いなく「アレ」について知っている。

白い男は黙って利秋を探る様に見ていたが、それ以上利秋も知らないという事を理解すると、そのまま壁へ向かって歩いて行く。
「…おい、俺は知ってる事話したぞ。お前も俺の質問に答えろ」
利秋はいらついたように叫んだ。
白い男は、面倒そうにこちらを見る。
「あれは私の獲物だ。…下手に関わろうとするな」
「…え」
獲物?
その言葉に、利秋が引きつったときだった。
牢の中で、閃光と共に大きな轟音が響き渡った。
強い光が、視界を奪う。咄嗟に腕でかばったが、わけがわからないまま利秋の意識は飛んだ。


それからどれくらいの間があったのだろうか。
何か近くで、人がざわめく気配がする。
利秋が目を開くと、立っていたはずの場所から少し離れた壁に、もたれるように倒れている自分の状態に気がつく。
近場で起こった衝撃に、何かわからぬまま吹き飛ばされていたようだった。
「いって…」
頭を押さえ、呻きながら体を起こすと、パラパラと木くずが体から落ちる。
木材の破片が直撃したらしく、額に手をやると血が滲んでいた。
この一撃でどうやら自分は昏倒していたらしかった。
土煙とほこりが、辺り一帯に充満している。咳き込みながら辺りを見回した。
「何しやがった、あいつ…」
先ほどまで男と話していた牢を見ると、木製の格子が内側から吹き飛び、壁に穴まで開いている。

男の姿はない。

「あいつ、逃げやがった…」
「各務様!」
爆発音に気付いた牢屋番達が何事かと駆けつけてきた。
「これは…」
駆けつけてきた者達も、異様な光景に声を失っている。
ここへ連行された際、男はなにも持っていなかった。爆発物など持ち込めるわけがない。
(…火薬の臭いもしねぇ。化け物か、あいつ)
腕力?それとも何か道具を隠していた?全くわからない。

いつでもあの男は逃げる事ができたのだ。

半月近く、自分は茶番に付き合っていた事になる。
利秋は舌打ちすると、叫んだ。
「怪我人いないか確認しろ。あと他の罪人がどさくさ紛れて逃げてないかだ!
あの男を追うのは後でいい!」
「お、追わなくていいのですか?」
「…お前さんはあいつを捕まえたいか?」
利秋の言葉に、周囲の人間たちは皆言葉を失って、男の開けた穴を見る。

異常さには、誰もが気がついていた。ただ、そうだと気付きたくなかっただけだ。

「どのみちあいつは目立つ。町中に留まればすぐ見つかるさ」
そう言うが、利秋は苛立ちと不安を抑えきれない。

(何なんだ、あの白いのは)

自分が見た、「アレ」とは違う。
だが、同じく感じる自分たちとは違うという不気味さ。
理解できないという怖さ。
利秋は消化できない思いを感じていた。

その夜、牢屋敷から、竜のように空へと舞い上がる白い光を見たと言う目撃情報がいくつか上がった。

幸いにも破損したのは白い男がいた牢の外壁のみで、他の囚人たちが脱獄するような事はなかったが、逃走した白い男の行方に繋がる情報は何も出てこなかった。



「ちょ…どうしたんですか、その怪我!」

利秋が屋敷に帰ると、定信が利秋の姿を見て顔色を変えた。
「大した事ない。大げさにいろいろ巻かれたけど。…まいったわ、ほんと」
頭に包帯を巻き、全身擦り傷だらけの利秋は、不機嫌そうに座敷に座り込む。
「…喧嘩したわけじゃないですよね」
あり得ない話ではなかった。最近は年齢を重ねて落ちついてきたが、元々は弁も立つ上に喧嘩っ早い男だった。定信がこの男の家に居候をするようになって数年経つが、その度にヒヤヒヤしていたのを思い出す。

「喧嘩じゃない。むしろこっちが巻き添えくらったんだよ」
「そりゃ、珍しい…」

呆れたように言いながらも、恐らくこの男がまた妙な事に巻き込まれたであろう事は、定信にも察しがついた。
しかし利秋が話さないのであれば、定信がそれを聞く術はない。
この偏屈な男は、語らない事が多過ぎる。

利秋はは自らの事を「成り上がり」と言う。

利秋の家系は元々はそれほど身分の高くない、使用人も雇えない侍の家だった。
跡取として生まれた利秋は子供の頃から出来が良く、両親から「お前は学問で身を立てろ」と言われたらしい。
本人も元々好奇心旺盛な性格で上昇志向も強かった為、あらゆる本を読み時には人を尋ね、知識を重ねていたという。
それが認められ、「いつの間にかこうなっていた」とは本人の弁だが、面倒な仕事ばかり任されるようになっていた。
…好意的な意見もあるが、元々の身分故に利秋を面白く思っていない者もいる。
だからそんな仕事ばかり回されるのだろう。
本人もわかっているようだが、「どんな仕事でもきっちりこなしてやるのが俺の奴らに対する嫌がらせ」なのだそうで、どっちもどっちなのだろうと定信は思う。
利秋の両親は既に他界しており、妹もいたはずだが数年前に嫁いで家を出た。
それからは家に帰ったり帰らなかったり、仕事漬けの気ままな生活を送っている。

大体の生活がそんなものであったし大人しい性格でもなかったから、厄介事を抱えているのはいつもの事だった。
だが今日、いつもより利秋の機嫌は悪いように見える。
怪我までしているのだから当たり前の事だが、何か、深く悩んでいる様な。
「…最近忙しいんですね」
「忙しかった、が正しい」
「は?」
ぶっきらぼうに言われて、定信は一瞬戸惑う。
「面倒な事が強制的に終わっちまっただけさ」
定信の戸惑いなど構いもせず、吐き捨てるとどうしようかね、と言いながら利秋はそのまま畳の上に寝っ転がる。

「…考える事は多いんだが、どうしようもないって事が多いな。…俺には」

そのまま定信に背を向けて寝がえりを打つ男に、定信はなんと声をかければいいのか、わからなくなった。弱音のような、迷いがそのまま口を付いたような。そんな利秋を珍しいと思う。

「…そういや、景伊は?」
姿のない少年に気付いたのか、利秋が定信の顔を見る。
「もう休んでます。今日はあれから初めて外に連れ出したので、歩いて少し疲れたみたいで」

あの後、景伊は屋敷に帰るとすぐに眠ってしまった。
順調に回復しているが、体力面がまだ追いついていないらしい。
一ヶ月以上ほとんどを布団で過ごしていたのだから、仕方のない事だった。
体は若いので回復も早いだろうが、これから少しずつ体力を戻していかなければならない。

「楠先生のところへ連れてったのか」
「約束でしたしね。気分転換にはなってくれたみたいです」
「…そりゃ、よかった」
利秋は少し笑うと、体を起こした。そのまま伸びをする。
「そうだった。あいつの事も、そろそろ話つけないといけないな」
「…その事ですけど」
定信は声をひそめる。
「景伊も、きちんと家の者とは話をしたいそうです。…今日話したんですが」
「…そうか」
胡坐をかきながら、利秋はいろいろと頭の中で思案している様子ではある。

「明日、少し話をして来ようかとは思ってるんだ。あいつの家の者と」
「明日、ですか?」

ずいぶん急な話だ、と定信は思う。
「一応相手の四十九日も過ぎたしな。…あまり日が開くと、逆に話しにくいだろうし。そろそろ向こうさんも冷静に話 してくれる時期じゃないかと思うんだが」
「…そういうものでしょうか」
「こればっかりは俺もわからん。実際に話してみないとなぁ」
ただ、と利秋は付け加える。

「相手さんは結構な御家柄ってやつだから、俺なんかの話を聞いてくれるかはわからんのだがね」
「…そんなに、ですか?」

利秋個人は家柄、体裁を気にするタイプではない。それを気にしないから煙たがられるのであって、利秋がわざわざ口にするのも珍しい事だ。
「うん。まぁ正直俺も相手の事はよく知らないんでな。なるようにしかならんだろうけど」
だから景伊にはそう伝えておいてくれ、と告げると、利秋は立ち上がり、ひらひらっと手を振って部屋の奥へ引っ込んでいった。
どうやら寝る気らしい。

(話しておいてくれって言われてもなぁ…)

定信はため息をついた。
景伊だって、今は寝ている。
疲れて珍しく、夢にもうなされずに寝ているというのに、起こして話なんてできるわけがない。
明日の朝少年が目を覚ましたときにそれを伝えて、急な事に驚かせたりしないだろうか。
本人の口から「話したい」と言ってきたので、心の準備はできているのだろうと思うが、あの子供はどうも本心を隠す癖があるので、安心できない。
(まぁ別に、明日無理にあいつを連れてく必要はないんだけど…)
定信は頭をがしがし掻きむしりながら唸った。