「別に俺は、この事でアンタを強請ろうとか、そんな事考えてるわけじゃねぇんだ」
どこか警戒する色を出し始めた義成に、利秋は言う。
「俺の家でも少々妙な事が起こっていてね。正直理解ができないんだが、この家を襲った者ともしかしたら
同じかもしれない。俺はそれが知りたいだけだ」
「…同じ?」
義成が、じっと利秋を見る。
値踏みするようにしばらく見ていたが、義成は少しの間の後、ため息をついた。
「…貴方は何か御存知なのですね」
その声には、どこか諦めのようなものが含まれていた。
利秋が何を知っているのか、理解しているような。
「知ってるか知らんのか、俺にもよくわからなくなってきてね。…何が正しいのかも。
聞ける意見は多い方がいい。アンタが言う事が嘘じゃないならな」
「…全てが嘘なら、どれだけいいかと思いますよ」
義成は言葉を選ぶように、己の記憶を思い起こすように、目を閉じた。
「…私は何も見ていない、とお伝えしているのは貴方も知っての通りです。だが、それは「嘘」だ」
義成は息を吐いて、利秋の目を真っ直ぐに見た。
「私が見たのは、弟が家族の遺体を弄んでいる場面です」
…弟。
義成の口から初めて出た言葉に、利秋は眉をしかめて聞いた。
「弄ぶ、とは…?」
「文字通りです。腹に手を突っ込んで臓物を引きずり出したり。…子供の砂遊びのような様子でした」
義成は、淡々と語る。
その夜、自分は所用で出掛けていた。
夜遅く帰ると自宅が妙に暗く、静かな事に気付き不振に思った。
屋敷の中に入り、呼びかけても誰も答えない。
…おかしいと、このとき思った。すると、近くの部屋で何やら小さな物音がする。
音に釣られて障子を開けると、暗闇の中こちらに背を向けてしゃがんでいる弟の後ろ姿を見た。
弟が何かをしており、不信に思って名を呼ぶと、くるりと振り返った。
全身血まみれで、虚ろな顔をして。
足元には、人間の遺体らしきものがあった。誰のものかは理解できなかった。
「何をしているのかと問うと、弟は部屋を飛び出しました。私は後を追った。…そのとき明かりを持ってみて初めて、屋敷のあちこちに血痕がついている事に気がつきました」
何かが起きている、と思った。
手形や何かを引きずったような、生々しい痕跡。
闇の中を進むにつれて、義成の中である確信が生まれていったという。
「弟だ、と思いました。そうとしか考えられなかった。あれの仕業としか考えられなくなっていた」
「…斬ったのか」
嫌な間だった。重苦しい沈黙の後、義成は静かに頷いた。
「暗闇の中、怯えている弟を見つけました。腕を掴んで庭に引きずり出して、刀を突き付ければ、…あいつは首を横にふるばかりでした」
違う。
やっていない。
自分じゃない。
信じてほしい。
「お前以外の誰がやるのだと問えば、弟は黙りました」
下手な言い訳をするな。
お前以外に誰がいる?
こんな外道だとは思っていなかった…!
言え!
そんな言葉を叩きつけても、何度斬りつけても殴っても、弟は首を縦に振らなかった。
…違う。
違う。違う、違う。
そう何度も否定していた言葉は、次第に聞こえなくなっていった。
「こいつを殺して俺も死のうと思いました。でも、誰かが生きている可能性は捨てられなかった。あのとき私が見た遺体は一つだけでしたから。…すぐに希望は砕け散りましたけど」
屋敷の中を巡って、惨状を確認した。
家族は逃げ惑ったのだろうか。本当に屋敷のあちこちが血塗れだった。
…だが。
「庭に戻ると、弟は消えていました。その後、騒ぎに気付いた近隣の方が集まり始めて…後は貴方も知る通りだと思います」
「…何故、そこまで見ていながら、あんたは犯人が弟だと言わなかった?」
「…理由は二つあります。弟には戸籍がありません。外には知られていない子だったので、その事を今更詮索されたくはなかった。あともう一つは…あの子が事に及んだ事情が、わからないでもない事」
義成は、仏間から縁側を挟んで広がる庭に視線をやる。
2か月ほど前に起きた惨劇の場。
今は、その気配は全くない。
「殺人には動機がある、と?」
利秋の問いに、義成は頷く。
「…先ほどお話したとおり、我が家は崩壊寸前でした。昔はそれほどでもなかったのですが。目に見えて変わったのは、弟が家に連れて来られてからです」
父が外につくった女。
美しい遊女だったという。女は父の子を孕み、姿を消していた。
ようやく見つかったのは、その女が死んだ時。女は息子を残していた。
父は突然、その子を家に連れて帰って来た。
家族は皆、驚いた。
何年も行方を探し続けたのだから、父は本当にその女を愛していたのかもしれない。
だがその事に、母は激怒した。
「父も母に強く言えなかったのでしょうね。…弟は離れの部屋に閉じ込められていました。何もない部屋に、たった一人で。時折殴られてもいたようです。恨まない方がおかしい。あんなのは、人間に対する扱いじゃない。…俺にも責任がある事です。止める事ができなかった」
でも、と義成は続ける。
「時間が経つ度、思うのです。死体は一部食い荒らされていました。3人ともです。少年にそれだけの事ができるのか。
あいつにあんな事が本当にできたのか。…俺が見た弟は、本当に弟だったのか。あんな状態の弟は何故消えたのか。
…そんな疑問ばかりが浮かんでくるのです」
頭を抱え、唸る様に義成は言った。
本当は、すぐに弟を探さなかった事を後悔していると。
「…あんな事をするような奴ではありませんでした。あいつの話を、もっとちゃんと聞いてやるべきだった。
死体が見つかった、という話は聞きません。…今どこにいるのか」
義成の後悔の念は、相当深いようだった。
利秋は悩む。
今ここで、景伊の話をしていいものかどうか。
義成は冷静に見つつも、まだ景伊の事を疑っているようではある。
この男なら、真実を見せれば「アレ」の事も信じるだろう。
だが、今それを証明するものを持っていない。
「貴方はどうなのです」
義成が逆に、利秋に問う。
「兄弟の事を聞きましたね」
「…あぁ」
「何か知っているのですか。…弟の事を」
鋭い、と思う。
利秋はどう答えようか悩んだ。
義成はこちらを厳しい目で見ている。あちらは正直に話してくれたのだろう。
こちらもごまかすわけにはいかない。
だがこの勢いでは、今家に景伊が居る事を伝えれば、その場で乗りこまれそうな勢いすら感じる。
…それは避けたい。
きっと冷静な話などできはしまい。
どうしようか、と思ったときだった。
何か屋敷内が騒がしい。
バタバタと廊下を走り、こちらへ近づいてくる足音。
「…利秋さん!」
息を切らしながら、勢いよく縁側を走り抜け、部屋の前で足を止めた若者に、利秋は驚いた。
「定信…お前何しに来た!」
思わず利秋も声を荒げた。何故ここに定信が来るのか。
…嫌な予感しかしないではないか。
「…そちらは?」
義成が突然の事にも冷静に、利秋に問う。
「俺の親戚の上条定信。若いけど医者だ。今うちに住んでるんだが…」
そう言って利秋は定信を見る。挨拶くらいしとけ、と目が言っている。
定信は義成の姿を見て、慌てて深く頭を下げた。
「お話し中申し訳ありません。家の方には、上がる許可を頂いたのですが」
「構いません。急用なのでしょう?」
どうぞ、と逆に促され、定信は焦った。
目の前に座る、自分と同い年くらいの若者。
どこか威圧感があると思った。
(こいつか…)
長棟家の長兄。
景伊と母は違うと聞いたが、兄弟だと言われれば、どことなく面影がある。
(こいつの前で、景伊の名を出していいのか…?)
定信は、利秋と義成の話がどこまで進んでいるのか知らない。
下手に状況を引っかきまわすような事はしたくない。
だが、時間がない。
汗がつ、と顔を伝った。
思わず利秋の顔を見れば、利秋が苦笑いしている。
「報告は、いい事か悪い事か?大体どっちか想像はつくが」
「…悪い事ですよ」
「だよなぁ」
利秋は頭を掻く。困ったときの、彼の癖だった。
利秋は義成に向き直ると、はっきりと告げた。
「あんたんとこの弟。景伊は俺んとこにいるよ」
義成が、驚いたように目を見開いた。
「ちょ…利秋さん!」
まだ言ってなかったのかよ、と定信は内心慌てた。
「もうどうせだろう?こいつに全部伝えちまおう。隠したところで面倒な事になりそうだ」
利秋は面倒臭そうに、定信に告げる。
まどろっこしいのは嫌いなこの男らしいが、定信はもう少し空気を読んでほしいと思う。
「…景伊が、生きている…?」
義成が、信じられない、というような顔をして利秋を見る。
「生きてるよ。あの晩、こいつが血まみれになって倒れてるところを拾って助けた」
そう言って、利秋は後ろにいる定信を親指で指す。
「これは俺が持ってる、確かな事実だ。あとにもいろいろあったが、俺にはいまいち説明ができなくてね。
で、定信。状況はどうなったんだ。景伊はどうした」
ここで俺に振るのかよ、と定信は思いながら、少し冷静になり始めた頭で告げた。
「景伊が連れ去られました。白い髪の若い男です。多分、利秋さんが言っていたものかと。…何なんですか、あれは」
そう告げると、利秋は今度こそ本当に驚いたような顔をして、定信を見た。
白い髪。利秋が声に出して呟く。
「…あいつかよ!何してくれやがんだあの白髪頭!」
怒鳴ると、畳を思い切り殴りつける。
この家の主は、その様子を諌めはしなかった。
ただ、事実を受け入れられない。そんな顔をしていた。