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町に出る鬼

07 山への道


「山まで連れてく、ねぇ…」

白い男が去り際に語った言葉。
その言葉を利秋は苦い顔をしつつも、口の中で転がすように呟いている。
「…何か、心当たりはないんですか?」
定信のすがるような声に、利秋はちらりとこちらを見た。
「ない事もない、かな…。義成、悪いが地図ないかな。この辺り一帯のやつ」
「地図、ですか?」
突然話を降られて、義成は少し戸惑ったようだったが、すぐに立ち上がる。
「探してきます。あったとは思いますので」
「悪いね。突然訪ねて来て無礼な振る舞いだと思うが、急な事なんで許してくれ」
「かまいません。…景伊が関わっているのであれば」
義成の鋭い視線が、ふと定信の視線とかち合う。
そのまま何か言葉を発するでもなく、定信の横を抜けて部屋を出て行く義成の姿を、定信は横目で見送った。

思い詰めたような、固く厳しい表情をした男。
歳は恐らく、定信とそう変わらないはずだ。しかし男の顔に浮かぶ消えない疲れが、男を実年齢より老けさせている気がした。
(兄弟、か…)
景伊が斬られてもなお、恐れながらも慕う兄。
話を聞くたび、どんな男なのだろうと思っていた。
景伊は「優しい男」だと語っていたが、定信が抱いた感想は、「尖った黒いものを持つような男」。
口数も少なく、鋭い視線は下手に動けば、斬り殺されかねないような気配さえ漂う。「優しい」気配など、欠片も感じられない。

「…最初はそうでもなかったんだがな」

定信の思考を読み取った様に、利秋が言う。
「景伊の名を出した途端、ああだ。手強そうな奴だよ」
「…彼はまだ、犯人を景伊だと思っている…?」
「実際に見てるからな、現場を。多少疑問はあるようだが」
利秋はため息をついている。
「景伊に謝らないといけないかもな。…ややこしくなるかもしれん。そもそも、あの白いのを逃しちまったのは俺の責任みたいなもんだし」
「…それは、利秋さんのせいじゃないと思いますよ。…何かできるって相手じゃない気がする…」

利秋と白い男。

二人の間にあった出来事は、さきほど利秋から聞かされていた。
あの日から密かに、町外れの牢屋敷で捕えられていた白い男は、食事にも手を付けようとはしなかったらしい。
飲まず食わずで言葉を発さず、2か月近くも大人しく牢の中に居た。
それが昨日突然、建物を破壊して逃げ出した。…利秋の怪我も、それが原因だった。

にわかに信じられないような話だが、実際あの白い男を目の前にしてみれば、定信にもあの男の異常さはよくわかった。
人に化ける「アレ」とはまた違う恐ろしさだった。
深手をあちこちに負いながらも、獣のような唸りを上げてこちらへ向かってきた男の様子を思い出す。
…それだけで、背筋が冷えた。
あれは絶対に、関わらない方がいいものだ。本能はそう警告する。

だからと言って、定信は景伊をこのままにしておく事などできないと思っていた。
白い男が何の目的で景伊を連れ去ったのかは知らない。
助け出したいと思いながら、今まだ生きているのか。
…それすらわからないでいる。

景伊との出会いも、当初は決していいものではなかったように思う。
助けた事を後悔した事はないが、錯乱気味だった少年とまともに話ができるようになったのは随分と後の事だったし、全てにおいて疲れきっていた子供の相手をするのは、並大抵の苦労ではなかった。
こちらも、精神的に削られていた時期もある。

だが、自分の心をうまく伝えられない不器用な少年が、少しずつではあるが子供らしさ、笑みを取り戻していく姿。
少しずつ心を開いてくれる姿。

それが嬉しかった。

月日にしてみればたったの2カ月。
それでも、自分にしてみれば、この上なく濃い2カ月だったのだ。
たったそれだけの月日などとは言わせない。
あの子供は、これからだ。
これからもっと笑ったり、様々な事を体験していかなくてはいけない。
何故素直にそうさせてくれないのか。
こんな信じられない事ばかりが、次々に降り掛からなくてもいいだろうに。
どうしようもなかったとしても、自分の目の前で起きた事を悔しく思う。

少年を助けたいという思いは、利秋も一緒だろう。
あまり口には出さないが元々は、好き嫌いの激しい男だ。
家にいない事も多いが時折景伊をからかって、景伊はどう反応しているのかわからず困っている様子ではあったが(はた目にはいじめているようにも見えた)利秋は楽しんでいるように見えた。
彼なりの構い方なのだろうと思う。
少年の望みの為に、今ここにいるのだから。

「お待たせしました」
障子の戸が開き、義成が地図をいくつか抱えて現れる。
古い物から冊子状のものまで、目につくものは全て本棚をひっくり返して探してきたような様子だった。
「すまんね。…うん」
地図を受け取り、利秋はそれを眺めた後、一人納得したように頷く。
「一人で納得しないで下さいよ。…説明して下さい」
「急かすなよ。俺だって確証はない。まぁ多分、そうだろう、とは思うんだが。…義成も聞いてくれ」
利秋は地図を畳の上に広げた。
利秋が選んだ地図はこの辺り一帯が広範囲にわたって細かく記されているものだった。
少々年代物のようなその地図を、3人で覗きこむ。

「まず、あの髪の白い男。あいつの話を最初に噂として聞いたのは、もう何か月も前の事だ」

利秋は白い男を見た事がない義成にもわかるよう、順を立てて説明していく。
「ここからだと、この山はさんで北にある町。ここで夜に白い髪の鬼が出るんだって噂が立った」
利秋は地図に指を滑らせる。
「そのときは、俺も妙な怪談が流行るもんだと思っていた。だがその「見た」って話が、いろんな町で聞かれるようになった」
最初はここ、次はここ。その次は…。
利秋の指は、いくつかの集落を指差す。それは明らかに、その山から順にこの町へやって来るように繋がっていた。
「…こっちの町へ移動して来ていた…って事ですか?」
定信の問いに、利秋は頷く。
「それで、あの夜、あいつはこの町で捕まった。そのときに俺はいなかったが、怪我をしていたらしいな。でもすぐに治っちまったらしい」
「俺が見た時も、あの男は深手を負っていました」
定信が見た感じ、あのときの男はかなりの重傷を負っていたように思う。出血も多かった。
「何かと争ったような…抉られたような傷で」
「…あの男は、「アレ」と争っているのかも」
利秋の言葉に、定信は信じられないというような視線を向ける。

「…言ったんだよ、あいつ。「アレは私の獲物だ」って」

男が牢を破壊する直前に言った言葉。
少なくとも、あの白い男は「アレ」に関して何か知っている。

「話を戻そうか。あの白いのが捕まってから、俺はあいつから話を聞き出す役目を負ってた。あいつ自身は全く喋ろうとしなかったんだが、少し耳に挟んだのは、この辺りの住民の話」

利秋は、再度地図を指差す。当初噂が聞こえた町の近くの、山の麓にある小さな村。

「鬼が住む山がある…そういう話が昔からあるらしい。実際何か祭ってるか何なのか知らんが、山の一角は立ち入り禁止になってるところもあるそうだ。もし、だが。あの白いのがその「鬼」なら、「山まで連れてく」ってのはその山の事なんじゃないだろうか」

利秋の言葉に、定信は再度地図を覗きこむ。
「…何でそんなものが」
「そこまではわからんよ。その辺の住民なら何か知ってるかもしれんけど」
…ここから距離はあるが、その集落へは半日ほどで着くだろう。
自分は医者であって、物の怪だとか呪いだとか鬼だとか、そんなものは信じていない。…今は信じていなかった、という方が正しいのかもしれないが。
少なくとも手がかりがない以上、それにすがるしかない。

「…俺は行きます。とにかくそれしかないなら。景伊がそこにいるって確証もないですけど、何もしないよりはいい」

定信は、正座したまま拳を握る。
相手が鬼だか物の怪だか知らないが。このままになどできるわけがない。
一体何の為に、あの少年を連れ去ったのか。疑問はまだ残る。
だが定信の心は決まっていた。
「俺はあいつを助けたい」
「私も行きます」
それまで黙っていた義成が口を開いた。
「…私も同行させて下さい。景伊に確かめねばならない事が沢山ある」
その言葉に思わず、定信は義成の顔を見た。
相変わらず、その表情は固い。何を考えているのかわからない。
定信の心の内にはふつふつと、この男に対する苛立ちだとか怒りだとかが沸き出してくる。
この男も被害者には変わりない。それはわかっている。
…だが。
(あの子供は傷ついていたぞ)
(唯一信頼していたあんたに信じてもらえなかった事を)
(それでもまだ痛々しく、あんたとわかり合いたいと思っているのに)

「…あんたは確かめて…あいつをどうするんだ?」

思わずそんな言葉が漏れた。刺々しい物言いだった。
定信の問いに、義成は答えない。隠しきれない苛立ちが、この男にも伝わったのだろうか。
ただじっと、定信を冷えた目で見返してきた。
無言の睨み合いは永遠に続くかに思えた。

「やめないか定信。…とにかく住民に話を聞くなら夜までには着きたい。遠いが、急げば間に合うだろう」

利秋はそう言うと地図を折りたたむ。
「義成もだ。今までの経緯は、ちゃんと道中で説明する。お前の話も聞く。…無事に助け出せたら、お前も景伊の話を聞いてやってくれ。あいつはあんたと話したがってる」
それが今日来た理由。あいつの望みだよ、と付け加えると、利秋は立ち上がった。