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町に出る鬼

09 再会


すっかり日が暮れ、辺りを闇が包む頃。
一行は太助の言う山の入口にいた。
太助は毛皮の付いた猟師の装束を身に纏い、腰には短刀、肩には火縄銃を担いでいる。

入口には古びた鳥居が一つ、ぽつんとある。
そこから道らしきものはあるが、木々が生い茂り不気味な雰囲気が漂っていた。
「…静か過ぎるな」
義成が辺りを見回して呟く。
ざわざわと風に木々が揺れる意外、音はしない。
フクロウの声も、獣の鳴き声も。生き物の気配がまるでなかった。

「この山には獣はいないからな。皆化け物が食っちまうから。入った瞬間、俺らが獲物になる。さすがに地元モンでも夜には山には入らねぇ。知り合いの姿を見ても敵と思えよ」

太助の声に頷いて、4人は鳥居の奥へと足を進めた。
太助の話ではこの山の中腹に、山神を祭る社があるらしい。
景伊がいるのであればそこなのでは、と太助は語った。


(…寒いな)
定信は足を勧めながら、異様な寒気を感じていた。
山の中だから冷えるのはわかる。春とは言え、夜間は特に気温が下がる。
だが、背筋にぞくぞくと来るものを感じる。
こんな暗い山の中を歩くのが初めてだから、というのもあるかもしれない。
だが自分たちの枯葉や草を踏む音しか聞こえない山というのも、奇妙な感覚だった。
2か月前に見た「アレ」がいる山だと思うと、生きた心地がしなかった。
月の明かりだけを頼りに、獣道のような場所を進む。

太助を先頭に、周囲の気配に集中しながら山道を行く。

どこからともなく感じる、周囲からの視線。山に入った時から見られているような気がしてならない。
黙々と歩く足音が、少しずつ増えている気がした。
4人共が、何かに気がつき始める。声には出さなかったが、

「…おいでなすった」

太助が静かに、声を潜めて呟く。

前方に、ふらふらとした人影が見えた。
暗くてよくわからない。
道の後ろからは、複数の何かが様子を伺いながらも近づいてくる気配。野犬や狼というわけではなさそうだ。
唸り声などは聞こえない。
前方の人影は、人が歩いているにしてはやけにふらついているように見えた。
「…神社への参拝者、ってわけじゃないよな、やっぱ」
「そんなもの好きは俺達だけだろうよ」
利秋と太助は軽口を叩きながら、それでも互いの武器へ手をかける。
義成も後ろに周り、前の二人と定信を挟むように立つ。
「…実戦経験は?」
「医者にそんなもん求めんな馬鹿」
この男に庇われるのは癪だが、仕方がない。
運動神経は悪くない。だが実戦となると、話は別だ。
特に武術の心得があるわけでもない。
「数で来られたらやばい。前のだけ倒して上へ抜けるぞ。…周りの奴に気を付けな」
太助が火縄に着火し、玉を込める。

前方の人影が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
それまでふらふらとしていた歩みが、しっかりと地面を踏みしめる様になり、人の形がはっきりとしていった。

現れたのは、二人。
初老の男性と、品の良さそうな中年の女性だった。
定信は知らない顔だ。
だが、隣で義成が息を飲む音がした。
太助の銃が火を噴く。
爆音と共に、玉が男の胸に直撃する。男性の体がぐらついた。
だがそのまま体勢を立て直すと、何事もなかったかのように二人の男女は歩み寄ってくる。
「…駄目か…!」
太助の舌打ちが聞こえる。
銃をものともしない。
その不気味さに、鳥肌が立つ。

実際この「人に化けるもの」に襲われるのは、今が初めてだった。
前回利秋に化けて現れたときは、相手が「満腹だった」事により助かっただけだ。
利秋と義成が刀を抜き放つ。
「…貴方の言った事が、ようやくわかった」
義成の言葉に、利秋が怪訝な顔をする。
「…義成?」
「…これは俺の両親です」
驚きに、利秋が目を見開いた。
義成は飛びかかって来た「父親」に対し、怯まずに踏み込み、横に刀を振った。
鈍い音がして、首が飛ぶ。
首を失った体はくるくるとその場に回り出した。
その光景に定信は顔を引きつらせる。

…何なんだ、これは。
この光景はなんだ。

「母親」も、息を切らす義成の後ろから肩にしがみつく。
「…!」
正に噛みつこうとした瞬間、その頭が砕け散った。
太助の銃口から、白煙が上がる。
頭を失ったものは、しばらくのたうつように跳ねていた。
その光景に、義成も顔を歪める。
何だこれは。
頭を失っても、動いている。
「人に化ける」のだから、頭を失っても死ぬとは限らないのかもしれない。
これらは「人に化けたアレ」であって、人ではない。
…とても倒せるものではない、と思った。

「走れ!上だ!」

太助の言葉に、4人は山を駆けあがる。
下からはちらほらと、何かの黒い影が動いているのが見えた。
数が多い。
定信は走り際、後ろに倒れた首のないものが、ゆらゆらとまた立ち上がるのを見た。
その姿に思わず吐きそうになりながらも、こらえて全速力で暗い山の中を駆ける。
走りながらも、定信は義成の顔を見た。
両親の姿に化けた「アレ」を、容赦なく切り捨てた恐ろしいまでに冷静な男は、歯を食いしばり、怒りをこらえているように見えた。



どれだけ走っただろうか。
突然木々を抜け、開けた場所に出た。
入口にあったのと同じ鳥居が一つ。
その向こうに古びた、崩れかけた社。

その前に、白い髪の若者が一人、背を向けて立っていた。
足元には、水気を含んで崩れてしまった、何か「人」であったと思われるものがある。
「…山神様だ」
太助が血の気が引いたような声で呟いた。

白い男が、ゆっくりとこちらを振り向く。
相変わらず体は傷だらけで、着物は血まみれになっていた。
姿は、あのとき定信が見たものと変わっていない。

男は灰色の猫のように光る眼で、こちらをゆっくりと見回す。
だが次の瞬間、膝から地面に崩れ落ちた。
ばたばたと、傷から血が流れ落ちている。
「…おい!」
太助が止めるのも聞かず、利秋は駆け寄ると、男の肩を掴む。
「大丈夫かよあんた。あの子…景伊はどうした。どこにやった!人の言葉、わかんだろ!」
「…」
男は利秋の顔を無表情で眺めると、ゆっくりとした動作で崩れかけた社の方を指差す。
定信は駆けよると、格子になっている外の扉から中を除く。
暗闇の中、月の光に照らされた白い人の細い指先が、ちらりと奥の方に見えた。
「…景伊!」
扉には鍵はかかっていなかった。
思い切り扉を開けて、中に踏み込む。

奥に、見慣れた子供が一人倒れていた。

「おい大丈夫か!」
声をかけながら、頬を叩く。見たところ、外傷はなさそうだ。
「起きろって!」
何度か呼びかけたところで、少年の黒いまつ毛が揺れた。
ゆっくりと、黒い瞳が定信を見上げた。
「定信…」
「…生きてるな、よかった…!」
思わず抱きしめる。最初はぼんやりと大人しくしていた景伊だったが、突然体がびくんと跳ねたのを、定信は感じた。

景伊が定信の背中ごしに、何かを見ている。
定信も背中に感じた気配に、ゆっくりと振り向いた。

長棟義成が、定信の背後に立っていた。

何も言わず、じっと景伊を見下ろしている。その顔に、感情らしいものはない。
景伊はかすかに震えながら、兄を見上げている。
「どうして…」
景伊の小さな声が聞こえた。
どうして、貴方がここに。

義成の唇が動きかけた。何か言おうとしている様子だった。
「――――」
「おい定信、こっち来てくれ!」
利秋の声で定信は、はっと我に返る。
「立てるか」
「…大丈夫」
景伊に聞けば、景伊は頷いて立ち上がった。怪我らしいものもない。何かされた様子でもなかった。
「…行くぞ」
定信は景伊の手を引いて、社の外へ出た。義成の側を通り抜けて。
景伊は何も言わなかった。ただ俯いていた。


外に出れば、白い髪の男が地面に倒れ、利秋がそれを介抱し、太助が顔を青くしてうろうろしているという奇妙な風景が広がっていた。
「定信、こいつの手当てできるか」
男の息は荒い。
着ている着物は血塗れだ。
傷はあちこちにある。ゆっくりと塞がっているようだが、よくこれで動けるものだと思った。
念の為と思い、医療道具は背負ってきている。元が人の体なら治療もできるかもしれない。
「…触りますよ」
一声かけて、定信は男の傷を見始めた。

「体取らないのか?あんた。今ここには働き盛りがいっぱいいるんだが」
利秋は、男を恐れるでもなく聞く。
白い髪の男は傷を定信にされるがままにしながらも、鼻で笑った。

「体をもらうのも力がいる。今の私では無理だ。…山を離れ過ぎた」

この山に住む「山神」であっても、力が及ぶのは自分の縄張りのみ、と言う事なのだろうか。
太助がどこかほっとした顔をしている。
人に化ける「アレ」よりも、山神の方が恐ろしいらしい。
景伊が定信の後ろで心配そうな顔をしている。白い男はその様子を見て、少し笑みを浮かべる。

「この少年は連れて帰ってもらってかまわない。用事は終わった」
「用事って、何のためにこいつを連れてった?」
利秋の問いに、男は少し離れた場所にある、崩れた肉塊を指差した。
「…あれはこの山から逃げた者だ。よりにもよって山の外で人を喰った。後を追ったが、私も外は勝手がわからない。行方もつかめずにいた。だが「アレ」が、この子供を気に入っている事を知った」
「…気に入ってる?」
定信の言葉に、男は頷く。
「逃げたアレは私から逃れるために遠くの町へと姿を消した。そこで偶然この子を見つけた。あれにも知恵はある。人に化けるだけでは私に見つかると知っている。だから私と同じで、人の体を奪おうとした。…だがうまくいかなかったんだろう。腹いせに結局、その家族を殺した」

景伊は一度話を聞かされているのか、驚く様子もなく、男の話を聞いていた。

「…アレは諦めきれずに何度か姿を見せたんじゃないだろうか?それだけ執着している体を私が奪えば、アレは取り返しに来る。私はそう思って、この子を連れて山へ戻った」

山を離れた土地神の力は衰える一方だった。
慣れた地で争ったほうが彼にとっても勝機があったのかもしれない。

「どうしてそこまで景伊に執着していたんだ?他の人間と何が違う?」
利秋の問いに、白い髪の男はため息をついた。


「…さあ。こいつらが誰かを「好きになった」からだとは思いたくないね」

吐き捨てるような物言いだった。



定信には、「アレ」にそうした感情があったのかはわからない。
何を考えていたのかも。
ただアレは、目の前の少年の家族を食い殺し、残った者の人生を狂わせた。
こんな事が「たまたま」であってなるものか、と思う。
アレが景伊の何を気に入ったのかは知らない。
しかしこの少年から「アレ」に近づいたわけではなく、「アレ」がたまたま、少年に目を付けたというなら。
この事件は事故のようなもので。
それでいて、後味の悪いものだった。

白い髪の男も、決して自分たちの味方だったというわけでもない。

「夜が明けたら、早く山を降りてくれないか」

定信の治療が終わった後、白い髪の男は古びた社の前に座り、定信達に告げた。
「今回の事で迷惑をかけた詫びとして、山の外までは無事に送り届けよう。だがこれ以上関わらないでほしい」
「…こっちとしても、関わりたくもないんだけどね」
利秋の言葉に、白い髪の男は皮肉の様な笑みを浮かべる。
何だかんだで、この男と一番接点を持っていたのは利秋だった。
「口の減らない男だな。お前のようなうるさい男の体はいらん」
「俺の体は俺のもんだ。…お前に取られて若白髪になっても嫌…いてっ!」
太助が利秋を後ろから蹴り上げる。
何煽るような事言ってんだアンタは、と地元の猟師は青筋をたてていた。


解決した、のだとは思う。
だが周囲は重苦しい雰囲気に包まれていた。
無事に届ける、と約束した通り、帰りの道で「アレ」の姿を見る事はなかった。
今はただ、木漏れ日の差し込む静かな山だ。
景伊はあれから、一言も喋ろうとしない。
義成もそうだった。
事情を知らない太助はその雰囲気に何か思うものがあるようだったが、関係ない事には首を突っ込むタイプではないようで黙っていた。彼としては報酬がもらえるのであればそれでいいらしい。

話したい、と言ったのは景伊。
確かめたい事がある、と言ったのは義成。

互いに思うところがあったはずなのに、その為に動いてきたはずなのに。…今は視線を合わそうともしない。

あのとき、義成は何かを言いかけていた。
邪魔してしまったのかと思うが、今山を降りながらする話でもないだろう。
話しかけられる雰囲気でもなかった。

ただ、真実を伝えれば。謝れば。
そんなものでは解決しないくらい、彼ら兄弟の「不信」は根深いものになっていたのかと、定信は今更ながらに思った。