HOMEHOME CLAPCLAP

二人の兄貴

17 熊と猫

医者なんて、辞めてしまおうか。
半ばやけになって浮かんだ言葉だったが、次第にその言葉の存在が、定信の中で色濃くなり始めていた。


あの夜から四日が経とうとしている。
あれから何かしたのかと問われれば、結局自分は何もしていない。
通常通り受け持っている患者の様子を見に行ったり、呼ばれれば出かけて、空いた時間で家の事もして。
特別な事を何か始めたとか、そういった事はなかった。

ただ、景伊との関係は少し変わったように思う。

話をしないわけではないのだ。
起きれば挨拶もする。その日の予定を話して、稀に共に出かけたりもする。
しかし当たり障りのない会話は、途中で途切れることが多くなった。
景伊は元々多弁ではないし口下手だったから、中途半端に言葉が切れるなんて事はよくあることだったはずだ。
ただ、それが急に気になり始めた。
数年寝食を共にした人間に対して、会話の間の心配をして、取り繕う言葉を探している。
おかしな感覚だとは思った。
はたから見れば、自分達は変わりなく過ごしているように見えるだろう。

しかし何だろう。話し方がわからなくなった、と定信は思っていた。

そう混乱しているのは自分だけだけなのか。
確かに今回は自分が悪い。
景伊はどう思っているのだろうか?気にはなったが、聞けないでいた。

──お前本当の事、何も言ってくれない。

あの夜、景伊は自分の背中にそう言った。
変わったのが自分なのか、景伊なのかは定信にもわからない。
彼は恐らく、全てを打ち明けてくれない定信に対して苛立っているのだろう。

言えるわけないじゃないか、と思った。

悩んでいるのはお前自身の事。お前のこれからの事。お前との関係。
お前と世の中の人間、どちらを取ろうかなんてそんな事。言えるわけがない。



「先生お疲れ様です。お茶でもご一緒にいかがですか」

先生、と自分が呼ばれている事に、定信はしばらく気がつかなかった。
「あ、俺か」と気付き、慌ててその声に振り向く。
ここには「先生」と呼ばれる人間が、自分以外に数名いる。医者ではないが。

その日も午後から往診に出ていた。
場所は、町外れにある剣術道場。
定信はいつの間にか、この道場馴染みの医者となっていた。
道場に通う若者たちが打ち身や青あざをつくる事はよくあるのだが、まれにどう転んだのか派手に捻挫したり、骨折や流血騒ぎになる事がある。
生徒数も多い道場なのだが、たまたま近くにいて、急なときに呼ばれたのが始まりだった。
定信自身には武道の心得なんてなく、幼い頃からそんなものと関わる環境もなかったから、そういうのが得意な連中はきっと丈夫な奴らばかりなんだろうと思っていた。しかし実際に訪れて見れば、体調不良や怪我をひきずる者達が意外に多くいる。
「自己管理がなってない」と呆れ半分、放っておけないのも半分。
この辺りでは一番大きい道場だったので、遠方からわざわざ出て来て通う若者もいたようだし、そういった連中は医者にかかる暇も金もないだろう。
中途半端に関わるのは嫌だったので、それから何度か通った。
そうしたらいつの間にか、ここの常連になっていた。

今も道場とは別に用意された部屋で治療を終え、帰ろうと荷物をまとめている所だった。
縦にも横にも大柄な男が一人、湯呑みの乗ったお盆を持って、こちらを見て笑っている。

「秘蔵の御茶菓子も出しました。勿論お急ぎなら、無理にとは言いませんが」
「……いえ。呼ばれます」

そう答えれば、自分を呼んだ胴着姿の男は「そう来なくちゃ」と笑った。
角ばった顔をして肩幅のいかつい男だが、笑うと子供のような人好きのする笑顔を浮かべる男。
名は潮津と言う。
年齢は定信ともそう変わらなかったはずだが、今はこの道場の塾頭をしていた。
定信は「俺に茶入れてる暇があったら生徒教えれよ」と思うのだが、この男は毎度診察後に自分を茶に誘ってくれる。
武骨な見た目に反して、随分と柔らかい性格をしている男だった。
人懐こい、というか。

「先生も良い体してますよね。毎度思うんですが、何かされてたんですか?」
「いや、俺はそっちはからっきしなんで何も」
「そうですか。結構いい線行くと思うんですけどねー。いい骨格をしてらっしゃる」
「……そうですか?」

骨を褒められたのは、人生で初のような気がした。どんな顔をしたらいいのか正直、わからない。
この男は毎度、「先生も剣術習えばいいのに」と、定信を誘う。
確かにやたらと危ない目に合うようになった最近では、多少心得があった方がいいのだろうか、と思わないでもないが。

「潮津さん」

開けたままの戸の向こうから、聞き馴染んだ声がした。
そちらに目をやれば、濃い藍色の胴着姿の景伊が、入口に立っていた。
「師範が、先生との話が終わったらすぐ来るようにと」
「わかった。お話が終わったら行くから、って言っとけ。終わったら、な?」
「わかりました」
素直に頷いた景伊は、一度、定信をちらりと見る。
だが何も言わず、表情も変えずにそのまま軽く一礼すると立ち去った。

まるで家猫が外で飼い主と出会った時、そっけなく素通りするような反応をする、と思った。
自分は飼い主ではないけれども。

「いいんですか?行かなくて」
「いいんですよ。せっかく来て頂いてるのに、茶も出さずにお帰り頂くなんてできませんから」
笑う潮津を前に、定信は景伊の消えた道場の方を見た。

ここは景伊も通う道場でもある。
当初剣術を習う、と聞いた時は「おいおい大丈夫なのか」とかなり心配をした。
怪我もあったし体も貧弱で、正直そんなのは無理だろう、と思ったものだ。
多分利秋もそう思っていたのだろうが、「友達いないんじゃ良くないしさ。多少丈夫になれりゃいいじゃねーか。死にゃしないよ」と定信に言った。
確かにそうだとは思うのだが、あの通り性格も社交的とは言えない。荒っぽい連中の中に放り込まれて苛められたりしなければいいが、と不安だった。
しかし景伊は定信が思うよりも負けず嫌いだったらしい。よく体にあざを作りながらも、こちらの予想以上に力を伸ばしている。

「まだね、あいつにゃ負けてないですよ。負けたら悔しいだろうなぁ」

潮津はからからと笑いながら明るく言う。
この男とは何度か話をした事があり、定信が景伊と現在同じ屋根の下にいる事は知っている。
潮津と景伊の体格を比べると熊と猫のような差があるわけだが、どうやってあいつはこの男とやり合うのだろうか、と定信は不思議でならない。
「あいつ、あんなにひょろいのに」
「まぁ剣は力だけで勝てるわけじゃないですからねぇ」
「……そういうものですか?」
「力が強い者が一番強い世界なら、強い剣客というのは皆体格に恵まれた大男ばかりという事になります。勿論、有利には成りえるでしょうけど。他にも技とか心の安定とか、全てが伴っていないと駄目なんですよ、武道は」
「へぇ……」
定信は開いた戸の向こうに見える道場に目をやる。
似たような姿をした塾生が多くいるが、景伊の姿は遠目にも周囲と比べて線一本細いような気がして、すぐわかる。

「……俺は正直、あいつが剣術向いてるなんて思いませんでした」
「まぁ大人しいですからねぇ性格が。……彼の場合は、目が良いんですよ」
「目?」
定信は意外な言葉に、目を見開く。
「目です。観察眼って言うのか、すぐ相手の癖とか見抜いて、技とかも教えずとも覚えちゃうんですよね。こればっかりは一種の才能と言えるかもしれません。荒い部分もあるんで、全体的にはまだまだですけど。その辺りはやっぱり血筋かなぁと思いますね」
「……血筋ってのは?」
「あれですよ、家の血と言うか。彼の兄も以前この道場の塾頭してました。私の前に」
「兄って……長棟義成?」
「そうです。彼と景伊の剣はやっぱり違いますけど、似たものを感じますね。強かったんですよ彼。私は、一度も敵わないままでした」
たはは、と少々恥ずかしそうに潮津は頭をかいた。
「……あいつ、今も来るんですか?」
「いいえ。家継いだ頃に辞めましたよ。そんな余裕もなかったでしょうし。私、幼馴染なんですよあいつと」

定信は驚いた。世間は随分と狭いのだと思う。

「だから弟を各務さんのところに預けたって聞いて、こいつ正気かと思……すみません失言でした」
「…いや、大丈夫です。多分世間の反応はそんなもんかと。変人扱いは多分本人も自覚してるんで……」

畳に頭をすりつける勢いで頭を下げた潮津に、定信は苦笑いをした。
言いかけて、定信が利秋と親類である事を思い出したらしい。

「……私、各務さんと、一度だけ会った事あるんですよ」
頭をゆっくりと上げながら、潮津は定信の顔を見た。
「義成の家でああいった事件があったときです。私も近所だったので向かったんですが……遺体の状況が酷くて、皆作業を戸惑ってたときがあったんですよね。そしたらあの人、その中をスタスタ進んで行って『お前らぼさっと見てないでとっとと拾え!』って怒鳴りながら遺体拾い集めてました。あれ見て、この人噂通りの豪胆だなぁって」
「はは……」
定信は複雑な表情を浮かべる。利秋ならやりかねないなぁ、とも思っていた。
「まぁでもそんな人だから、義成も安心して弟を預けたのかもしれないですね。親しくなってたとは知りませんでしたが」
潮津は茶をすすりながら言った。
この男が自分にも景伊にも好意的で、事情にも詳しいのはそのせいだったのか、と納得する。
勿論景伊の事は、義成が外に示した「設定」しか知らないのだろうが。
その事に関しては、自分は余計な事は言うまい、と思う。

「……利秋さんの友人は変わり者が多いんですよ。ひと癖あると言うか」
定信がそう言えば、潮津はにやりと笑った。
「先生も義成とは親しいんですか?」
「……親しいと言う程ではないですが、よく知ってます」
「ひと癖ある男でしょう?あいつも」
「あー……」
なんと言って良いのやら、と定信は言葉を濁した。
それを見て、潮津は声を出して笑う。
「私は昔からよく知ってますけどね。今でこそ大人しくしてますが、当時はなかなかのガキ大将でしたよ」
「そうなんですか?」
想像できなくて、定信は思わず茶を持つ手を止めた。
「子供の頃はよく共に遊んでましたけどね。……しかし今彼はあの家の主で、私はただの町の道場の塾頭で。家も近いんですが、立場も変わりました。友人には違いないと思っていますが……なかなか難しいですね。最近はどうしているのか、あまり知らないんですよ」
元気ならいいです、と潮津は笑う。
「……」
潮津の言葉に、定信は何となく苦い思いで茶を口に運んだ。

どんなに親しくとも、立場や年月の変化によって関係が疎遠になるというのは、よくある事だと思う。
潮津と義成も、何かあったから疎遠になっているというわけではないはずだ。
次第に何かがずれて、今の立ち位置は全く変わっている。それだけなんだろう。
進む道が違えば、そうなる事は仕方がない。
そう思う自分は今どこを進んでいるのだろうか。そう考えると、定信は暗い気持ちになった。

(……俺は、入っちゃいけない方の道に入っちまったのか)

どこかで、何かがずれた。
心の内に悩みなんてしまい混んで、あの若者の前で人の良い医者を演じていればよかったのか。
そしたらこんな、よくわからない壁を感じる事なんてなかったのだろうか。
手を出さなければ。あのとき、逃げずにきちんと何もかも、己をさらけ出していたら。

そしたらあいつは、あんな余所の猫みたいな顔を俺に向けなかっただろうか。
言いたい事は言っておけ、と言ったのは自分の癖に。

自分は傷つけたいわけじゃなかった。
手元に置いておきたかっただけだ。
それなのに、何故今こんな距離を感じているのだろう。
こんなものを望んでいたわけではない。

「先生。練習もうすぐ終わりますけど、どうします?景伊に何か言う事あれば。一緒に帰られますか?」
相変わらず人好きのする笑顔を浮かべる潮津を前に、定信は首を横に振った。
「あいつも子供じゃないんで、付き合いもあるでしょうし。……帰りますよ。ごちそうさまでした」
礼を言って、潮津と別れた。

道場を出る時に自然と、同じような姿をした若者たちの中に、景伊の姿を探した。
すぐにわかった。
背丈はそこそこ、でも他より若干薄いその体。
景伊もこちらに気がついたのか、一瞬視線を定信に向けた。
目が合う。
しかしどちらからともなく、すぐに視線を外した。
そこには会釈も愛想もない。互いになかった。

──あいつは目が良いんですよ。

潮津の言葉を思い出す。
じっとこちらを見て真意を問いただそうとする、あの黒い目。
あの目は怖い。
こちらの真意を、全て暴いて行きそうな。見抜いていそうな。
見られた方が、話さなくてもいいかもしれない、なんてふざけた思いも浮かぶ。
(でも見たら、お前失望するよ)
いや、もうしてるのか。
自嘲的な笑みが浮かんだ。

──二人とも、俺の大事な兄さんだ。

必死にそう訴えかけていた目。
「お前が悩んでるんだったら力になりたい」なんて言っていた。
そう思ってくれているのは素直に嬉しい。
でも、今自分がどれだけ嫉妬に狂って、どれだけ綺麗でないのか。
それを知られたら、あいつはきっともう、そんな事言ってくれない。
ばれてるのかもしれないけれど。
ばれてるからこそ、こんなになってしまったのかもしれないけれど。
(だってお前、俺が他の人間はどうでもいいなんて思ってるって知ったら、軽蔑するだろ?)
そんな思考がゆらゆらと頭をかすめる自分は、もう医者を名乗れるのかわからない。

俺はお前ほど綺麗じゃないよ。
お前は俺ほど、余計なものに汚れちゃいけない。

そんな事を考えながら、町を歩く。

賑やかな町中を歩いていると、楽しそうな人々の会話や笑い声が聞こえてくる。
この中のどれだけの人が「本物か」なんて、考えたくもないが、ついそんな目で見てしまう。
自分がこうして足踏みをしている間に、アレは手を広げているのではないだろうか。
どうしたらいいのだろう。
そんな事を考えながら歩む自分は、相当渋い顔をして歩いているだろうと思った。
その隣を子供達が笑いながら、数人で駆け抜けていく。
(……昔は結構、あいつと一緒に出かけてたりしたよな)
子供の笑い声を聞いて、そんな年寄り臭い事を考えた自分を、思わず殴りたくなった。

確かによく出かけていた。
でもあれは、景伊が物を知らな過ぎる事を危惧した事もあって、とにかく引っ張り出さねば、自分が教えねばと思っていたからだ。 次第にこちらも忙しくなったし、景伊も景伊で己の世界を持つようになって、一人でも出歩くようになった。
子供じゃないのだ。
あの道場の中にも親しい人間くらいいるだろう。
そいつらにあれこれ連れ出されてもいるだろう。
同じ年頃の人間は腐るほどいるのだから、そいつらとつるんでいた方があいつにとってもいいだろう。
楽しめばいいじゃないか。

そうまで考えて、己は随分と卑屈になっているな、と気付く。

馬鹿馬鹿しいと思って空を見上げると、広がるのは雲ひとつない空で、定信の心を余計虚しくさせた。
(……煙草吸いてぇ)
すれた心は、そういったものを求める。
普段ほとんど吸わない。基本人前では吸わないのだが、一人でどうしようもなくイライラしたときには吸いたくなる。
煙草、煙草、煙草。
そんな思いで足を進めていると、ふとすれ違った人物に見覚えがあるような気がして、定信は足を止めた。
向こうもこちらに見覚えがあったようで、足を止めてこちらを振り返っている。

「……あんた」

定信は驚いた。
そこにいたのは、先ほど話題に上っていた男だ。昔はガキ大将、と呼ばれていた男だ。
義成は数人の男たちと共にいたが、定信の姿を認めると、隣にいた人間に何かを呟いて別れ、こちらへ歩いて来た。
最近家での着流し姿しか見ていなかったから、羽織り袴姿のこの男を見るのは久々のような気がした。

「……これから様子見に行こうとは思ってたけど、出歩いて大丈夫なのかよ」
「まぁ、騙し騙しやってるよ。俺も暇じゃないんだ」

肩をすくめて、義成は答える。まぁそうだろうな、と定信は思った。
この四日の間に、この男の体調が気にならなかったわけではない。何度か家を訪ねたが、その度にこの男は留守だった。
最後に別れた時、何となく険悪な様子で別れたので、ただ単に自分と会う気がないのかもしれない、とも思っていたが。

「あの人達、良かったのか。俺もしかして邪魔した?」
定信は義成が共にいた男たちの姿を見やる。賑わう街中にまぎれ、その背は随分遠くなっていた。
「いいや。もう帰るところだったし、気の重い話を延々とされるよりはいい」
「へぇ。……例えば?」
「政治の話とか。多少ならいいが、延々とされると嫌になる」
「……お前熱くなって議論とかするような奴じゃなさそうだもんなぁ」
「最近その手の人間が多くて困るな。仕方ないが。……あいつは今日、一緒じゃないのか」
「景伊は今日、道場。四六時中一緒にいるわけでもないよ。俺も仕事あるし」
「そうか」

そう呟く義成の顔を、定信は見つめる。
顔を見ただけでは、どこかが悪い、といった様子は見られなかった。
しかし死なない程度に体内を傷つけている可能性は高いのだから、しばらく様子見は必要だと思っていた。

「毒」を摂取した後、この男は激しく嘔吐したのだという。
しかしそれで、体内のアレが死んだのか、確証を得ているわけでもない。
粉を吐く様な事があればそれはもう末期の状態で、それを経験したのに生きている。
きっかけは景伊を噛んだ事。
景伊の毒がアレを殺すなら、それによってこの男は生き延びたのか。
それによってどういった影響が出てくるのか。

確かなことなんてなにも、自分は掴んでいない。

「何か、言いたそうだな」
じっと見ていると、義成が定信に視線を移し、言った。その常に眉間に皺が寄った、暗く鋭い目を見る度、定信は言いようのない苛々に襲われるのだ。
「言いたい事なんて沢山あるさ。あんたに対しては」
「……だろうな」
顔を見てればわかる、と義成は言う。

言いたい事は山ほどある。
でも、罵ればいいのか何なのか、実際に顔を合わせるとよくわからなくなる。
苛々する自分と、もやもやする自分。
この男に当たり散らす自分も格好悪い、とわかってはいるのだ。
自分はちょっと、感情的になり過ぎている。

景伊の事を抜きで、この男と対面した事はない。
常に彼の事は、頭をちらつく。最近景伊の顔が似てきたから、余計にそう思う。
この男は今何を考えているのだろうか。
どういうつもりでいるのだろうか。
そう考えていると、この男個人に対して、初めて興味が沸いた。

「……あんたさ、今から時間ある?ちょっと話したい」
「何を話すんだよ」
無愛想な物言いにまたいらりとするが、そこは飲み込む事にした。往来でいい歳こいて喧嘩などはしたくない。
「うっせぇな。無駄話に付き合えって言ってんだよ。……別に何が、とかはない。暇じゃないって言うなら別に良いけど」
長い息を吐いて、定信も不機嫌に言う。
そんな定信を、義成は黙って見ていた。歳はさほど変わらないはずなのに、この男は随分と落ち着いて、大人に見えた。
この男に快活な要素があったなんて、定信には信じられないでいる。
「……無駄話なんて、珍しい」
「用がなきゃ話しちゃいけないわけでもないだろ。嫌ならいいよ」
「お前、その常に喧嘩腰なのはやめろ。それじゃ話になんてならないだろ」
「……悪かったよ。……じゃあ、俺と話す時間を下さい。お願いします」
「……気持ち悪い」
軽く頭を下げた頭上で、「心の底からそう思う」というような声で呟かれる。
「……」
こいつ、どうしてやろうか。
ひくりと引きつる顔を上げれば、目の前の男はどうでもよくなってきたようで、苦笑いをしていた。
「気性の激しい奴だな。それでよく医者が務まる」
「最近務まってないとは思ってるよ。あんただって、気性は荒いじゃねぇか。温和だとか言ったら殴るぞ」
「それは認める」
ため息交じりに義成は答えた。どうしてくれようかこの医者、という目で、定信を見ている。
ふと定信が周囲に目をやれば、道行く人々がこちらをちらちらと見ながら通り過ぎていく。
身なりのいい若侍と、粗野で赤毛の町医者。
奇妙な組み合わせの上、二人とも上背のある方だから目立っているらしい。何だ喧嘩か、とでも思われているのだろうか。
「そんなわけだから、無駄話するなら場所変えよう。歩きながらでもいいが、お前が暴れ出したら手がつけられそうにない」
「暴れるか!」
思わず叫んだ言葉は、さらに人々の視線を集めた。