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二人の兄貴

04 言いたい事は言っておけ

──嘘をつくな。
そう言われて、定信は自分をじっと見上げてくる景伊を見下ろした。
彼の視線には明らかに定信への怒りだとか、苛立ちが見えた。

「…お前、あいつと話したのか」
「話したよ。具合はあまり良くなさそうだったけど。でも様子を聞いても、風邪だって言われた。…おかしいだろ?なら何でお前を呼ぶんだよ。普段関わりなんてなかったじゃないか!」
「…まぁな」
それは認める。呼ばれた定信でさえ、「何故自分?」と思った事だ。
そこを景伊が疑問に思っていても、それは仕方がない。
確かに自分達はあの後「風邪」と口裏を合わせたが、義成も景伊を丸めこむまでの話はしていないようだった。
(自分で黙っておいてくれ、なんて言ってた癖に)
ちゃんと納得させとけよと定信は内心舌打ちをするが、でもそんな事は無理だろうなぁ、という事もなんとなくわかっていた。

義成も景伊も、互いにどこか遠慮がある。

彼らが話す席にそれほど同席した事はない。
そんな中、定信が見た彼らの様子は、波風を立たせないようにするかのような、どこか緊張感の漂うものだった。
確かにあんな事があった後で、まだ普通に話せと言うのは難しい事なのかもしれない。
定信には兄弟はいないし、「兄弟はこうあるもの」というものもよくわからない。
彼らが元々どんなふうに話をしていたのかも知らない。

ただ、兄の前では未だに堅苦しく緊張している景伊を見て、モヤモヤとした感情が疼いた。

お前がこいつに気を使う必要なんてまるでないじゃないか、とは思った。
だがそれに、自分が口を挟む事はできない。
景伊が兄を恨まないと決めたのだ。
それはこの目の前の青年が出した答えで、自分がどう思おうが、景伊がそう決めたのならば、自分が何か言うべきではないと思った。

しかし景伊が「兄と話したい」と言って初めて自分の元を離れたとき、もし義成が景伊にひどい言葉を浴びせるなり、また怪我を負わせるような事があれば、乗り込んで殴りつけるぐらいの気持ちでいたし、こいつが何を言おうが絶対にもう帰らせないつもりでいた。
だが彼は、何の変わりもなく帰って来た。
つまりはそう言う事だ。彼らの間に憎しみはない。
義成と話した時も、彼は景伊を彼なりに気遣っているようだった。

あるのは、後悔と気まずさ。

彼らの溝は、まだ噛み合わない。
だから景伊は自分たちが「嘘をついている」と思いつつも、兄に直にその事を言葉でぶつける事はできなかったのだろう。
その反動が全て自分に向いている。
…迷惑だ、とは思わない。
自分で受け止めてやれる事なら、そうしてやりたいが。

「どうして俺に本当の事を言ってくれないんだ!何で隠すんだよ!俺には言えない事なのか?家族の事なのに!」

顔を歪めて叫ぶ景伊を前に、定信は本当の事を言うべきなのか悩んだ。
当の本人から「できれば黙っておいてほしい」と口止めされているが、こうも早く突っかかってくるとは。

家族に心配をかけさせたくない。
家族の事だからこそ、知りたい。

双方の思いのどちらが正しいのかなんて、定信にはわからなかった。
ただここまで確信に近い疑いを持たれている以上、黙っていても良い結果は生まないだろう。

「…別にさ。除け者にしてたとか、そういうわけじゃねぇんだ。そう思ったのなら、悪かった」

そんなつもりは全くなかった。
自分達は心配させたくなかっただけ。
だがそれは、勝手なこちらの言い分だたったかもしれない。

「不安にさせたならごめんな。でも俺もあいつも、お前にはっきりしない事を言いたくなかった」
そう言うと、それまで苛立ちを露わにしていた景伊が、ゆっくりと視線を落とし、俯いた。
「…そこまで子供扱いしてもらわなくていい。俺は本当の事が知りたい。自分の知らないところで勝手に話が進んで行くのは、もう嫌だ」
「…悪かったよ」
この青年は、地獄なんてとうに見て来ている。
もう、出会ったばかりの何も知らない子供ではない。
その事を思い出して、定信は彼に真実を教える決意をした。


「…虫刺されでそんな事になるのか?」

場所を室内に移し、今まで定信が見て来た事を話せば、景伊も不思議そうな顔をして悩んでいる。
有り得ないだろうそれ、というような顔が、今の悩み過ぎて出口がわからない定信には新鮮だった。

「普通はならんよ。…まぁ、それが原因かもまだわからないんだけどな。ほんと、何もわからん」
「あの人も、いずれそうなる…?」
「今の所は症例も似てるし、可能性はあるわな。ただ失踪する直前の事を誰も見ていないから様子がわからないし、何が起きているのかってところなんだよな。帰って来た本人は特に変わった様子もないし。その間の記憶がないってのが怖いが」

考えられるとすれば、虫刺されによる熱や毒により、一時的な記憶障害を起こしているのでは、という事だった。
「何故ここにいるのか」わからなくなり、徘徊。その後記憶を取り戻して帰宅したのは、と定信は考える。
しかしそれにしても、それだけでは説明できない不可解な点がいくつかあって、想像にすぎないのだが。

「…アレとは、関係ないよな?」
「お前もやっぱり、そこ疑うか」
「何て言うのか。…よく言い表せないけど、話を聞いて、アレの事思い出した」

アレ。
人そっくりに姿も声も変幻自在に化けて人を食う事があるもの。
名前は知らない。だから自分たちは「アレ」と呼ぶ。
昔から存在を知っていた村の地元民でさえ「アレ」と隠語のように呼んでいたのだから、名前などないのかもしれない。

それがここから少し離れた地の山に昔から存在する化け物だと知ったのは、三年も前の事だ。
その山を出る事がないはずのそれが、何らかの事情により外に出た。
「景伊」の姿を借りたそれは景伊の家族を食い殺し、当の景伊は疑いをかけられ兄に殺されかけた。
それが三年前の事件の出来事。

「アレ」と対立する「山神」により、この町にやってきたアレは駆逐された。
あの山での生存競争はまだ続いているかもしれないが、この町ので事件はそれで終わったはずなのだが。

「その帰って来た人って…本当に本人か?」

景伊もまったく自分と同じ疑問を口にする。
この感覚は、アレを見た人間でないとわからないだろう、と定信は思う。
本人にしか見えないのに、本人ではないという状況。

景伊はしばらく、眉間に皺を寄せて考え込んでいるようだった。
彼にとってはいい思い出ではない出来事だ。
一方的にアレに魅入られた結果、彼と彼の家族は人生を大きく変えられた。
それはこの青年のせいではない。
その事を気に病む必要は全くないと定信は思うのだが、当の本人がどう思っているのか。
聞く勇気はなかった。

「…あの人は」

ぽつりと呟いて、景伊が定信を見上げた。
「あの人はどうなるんだ。どういう事になる?」
「……」
すがる様な目で見られても、定信にも「わからない」としか言えないのだ。
「俺らが、余計な心配してるだけならいいんだよ。でもさっきの話の通り、俺は何か嫌な感じがしてる。だから関わりたくはないが、もっぺんあの地域の人の話を聞きたいんだ。変わりがないなら関係ないだろうし。俺はその可能性を無くしたい」
「……俺が行こうか?」
意外な事を言いだした景伊に、定信は驚いた。
「お前が?」
「うん。…定信は、あの人の様子を見る必要があるだろ。出来る事があれば、ここにいてあの人の力になってほしいんだ」
「お前一人で行かせられるか。俺も行く」
「定信が離れてる時にあの人に何かあったら困る。お前は医者だろ。あの人だってお前を頼りにして呼んだんだろ。…だったら、お願いだから、あの人の側にいて原因を突き止めてくれ。あの人を助けてくれ」
「……」

助けてくれ。 そう言われては、自分としては何も言えなくなる。

「別に、あいつは俺を頼りにして呼んだわけじゃないと思うけどな」
茶化すようにそう言うと、景伊があきれたような苦笑いを浮かべた。
「何であの人に対してはそんな態度なんだよ」
「理由はねぇな。何となくむかつくから」
「何そのいじめっ子みたいな理由。いい大人のくせに」
「大人になったら全員物わかりが良くなるってわけじゃねぇの。…まぁ、それを理由にしたりはしないよ。俺もこの件ははっきりさせたいし、あいつに死なれちゃ夢見も悪いから、俺が出来る事はやらせてもらう。
…でもさ」
定信は言葉を切って、黙って自分を見上げる景伊を見下ろした。
「俺なんかより、お前が近くにいた方が、あいつもよっぽど喜ぶと思うんだが」
「…俺が?」
景伊が、不安げに瞳を揺らして定信を見た。
「それはない。逆にあの人が気を使うばっかりだよ。俺だって、何を言ったらいいのかまだ、よくわからない」
「…それでいろいろ終わっちまったら、後悔だけが残るんだからな」
まぁ座れ、と景伊を畳に座らせて、定信も横に腰を下ろした。

「ちょいと昔話をしようか。もう10年以上前になるかな。俺がお前よりもまだ若くて、ガキだった頃の話だ」
「…定信?」
いきなり始まった昔話に、景伊が怪訝な顔をする。
「いいから黙って聞け。……うちの家は昔っから医者家系で、俺の親父もそうだったんだわ。母親も手伝っててさ、昔は楠先生んとこみたいな、小さい町医者だった。それが縁あって、長崎で最新の医療を学ぶ機会に恵まれてな。こっちに帰ってきてからは結構評判な医者になってたんだ」
お前に言ったっけこの話、と言うと、景伊が首を横に振る。
「そっか。…まぁそれでやってるうちに、遠方の金持ちの家からお呼びがかかってさ。どっかのでかい武家だったか忘れたけど、金はたんまり出すから、専属の医師やらないかって話が来た。まぁありがちの話だよな」
定信はため息をついた。
当時の事を思い出して、なんとなく苛々してきていた。
「親父は行くって決めた。でも俺は嫌だったんだよ。まだ地元で看てる患者が沢山いるのに、金に釣られて縁もゆかりもないとこへ行くなんてさ。町の人から慕われてる親父が誇らしかったってのもあるけど、とにかく俺は嫌だった。でも俺がそう言ったら、親父はばっさり言いやがった」

こんな名誉な事がわからんのか、馬鹿が。

「何か急に人が変わっちまったみたいで、何て言うのか…金と名誉は人を変えるんだなって思って、俺だけ冷めちまって。俺は行きたくないって言ったら『好きにしろ』ってそのまま普通に俺置いて行きやがった。俺の知ってる親父じゃなかったなぁ…何も他の事が目に入らなくなっちまってた感じがしてさ。それから10年以上、連絡してない。向こうからも連絡して来ないしな」

そう言って景伊を見ると、景伊が複雑そうな顔をして定信を見ていた。
この青年に心配される構図というのがおかしくて、定信は何となく噴き出してしまう。

「別に不幸自慢じゃないぞ?便りがないのは元気な証拠って言うし、まぁあの人らがそれで満足してるならそれでいい。俺も若かったから、意地でも連絡してやるもんかって思ったもんだ。…時々どうしてるのかなって思うけど」

言われなくても好きに生きてやる。
あんた達みたいな医者には絶対ならない。俺は周りの人達を大事にする医者になりたい。
そう思って駆け抜けて。
自分が気がつけば、30代目前の年齢になっていた。
両親たちも当然いい歳になっているだろう。

「うちの家族同士が淡白だったのかもしれないけど。…もう少し話はできただろうなって思う。多分うちの家族はこのままいくんだろうし、話し合った所で俺も絶対着いて行かなかっただろうけど。もう少し話し合えてたら、後腐れも残さなかっただろうなと思うんだ。今更だけどな」
時々、無性に思い出して苛々する。
言ってやりたい言葉や文句は、そのまま自分の中にこびりついて残っている。
別に、家族の中で道が別れるのが嫌だったわけではない。
ろくに話もしないまま、縁を切るに近い様な別れ方をしたのが後味悪いだけ。

「…手紙とか、書かないのか?」
「今更、か?どうだろ。俺も今更家族仲良しでなんて思っちゃいない。俺も勝手にやってるし。でも、多分引っかき傷みたいな感覚は墓場まで抱えて行くんだろうなって思ってる」

気がつけば「元気か」と言う事も気まずい時間と距離ができていた。
自分は時折思い出すが、両親はどうしているのだろうか。
自分だけ気にかけていて、相手が綺麗さっぱり自分の事など忘れていたら。
……それはそれでまた腹が立つので、今更定信から連絡をするのは気が引けた。
干渉され過ぎるよりましだとは思っているが。


だからさ。
そう言って、定信は景伊を見た。
何と言ったらいいのかわからない、という顔をしている景伊に微笑むと、景伊の肩を抱いて言う。
この青年に、自分の事を語る事はあまりなかったように思う。

「言いたい文句はそのときに言っとけ。後からなんてなかなか言えないぞ。お前は俺みたいに、引っかき傷持ったまま生きるな。あいつはお前の話を聞かない様な男じゃないだろ」
「…さっきはむかつくって言ってたじゃないか」
「それとこれとは話は別だ。俺は好きじゃないけど、お前にとってはそれでも悪い兄貴じゃないんだろ?しかめっ面した奴だけど、くすぶってる文句があったら言っとけよ」
「…別に、文句なんてないし」
「なら他に言いたい事でもいいだろ。どうせ上っ面の話だけして来たんだろうが」
「そうだけど…」
景伊は歯切れ悪く言う。
本人にとってはまだ難しいのかもしれないが、この状況で、いなくなってから後悔するよりはいいだろうと思う。そうはっきり、直接的な物言いはできないが。
自分だってこんな事にならなければ、景伊に「兄ともっと会え」なんて言う事はなかったはずだ。

「とにかくさ、明日朝あいつの様子見てから、あの村に行ってそれとなく様子は聞いてくる。変わりがないか聞くだけだから。お前はこっちにいろよな」
「一人で平気なのか」
「まぁ行って帰るだけだからなんとかなるよ」
そう言って笑えば、景伊が少し困った様にしながらも頷いた。
自分が確かめに行くのは、「もしも」の為だ。
そうだとしても、景伊をこれ以上「アレ」の件に関わらせたくないと思った。